北軽井沢の杜 クラフトフェアに行ってきました歌うアイスクリーム屋

2008年11月28日

縄文人のゴミ拾い

コレクション

「ゴミ捨て場に、ゴミ拾いに行きましょう」
と、先日がお誘いがありました。

ゴミ捨て場といっても、高級別荘が立ち並ぶ旧軽井沢の粗大ごみ捨て場でもなければ、ゴミの中から人々の生活を伺うなどという危ないゴミ拾いではありません。
今日、向かったのは、縄文時代のゴミ捨て場なのです。

歴史家の先生を囲んで、嬬恋の歴史をお勉強するという「浅間山ミュージアム」の呼びかけで、軍手に長靴の人達が、畑のあぜ道に集合しました。
嬬恋村にある今井という集落は、るるぶにも、観光マップにも載っていません。
ただ、うねうねとした畑に、動いているのはトラクターだけという辺鄙な場所です。
地元民以外は訪れないと思われるのんびりした場所が、実は、歴史的にみると、とてもダイナミックな舞台だったのです。

幼少の頃から、この近辺を歩き尽くし、郷土史も執筆されている唐澤先生が、杖で台地を指しながら言います。
「あれは、戦国時代の砦跡。こっちは、縄文時代の住居跡、向こうに見えるお墓のところには、横穴式住居の跡があります」

ぐるっと見渡した2キロ四方に、私には畑しか見えないけれども、先生には実にいろいろなものが見えているようです。
先生は、山と山の間の谷を指して言いました。

「春分の日に、山の間から、朝日が指すところが、あの鉄塔の下なんだけれども、そこは、縄文時代のシャーマンが住んでいた場所でした。私が昔、そこからいろいろな占いの道具を発掘しています」

おお。古代のシャーマンが住んでいたなんて、なんだかロマンチック。
春分の日にはじめの光が指す場所なんて、何かがありそう。
「送電線注意」という無骨な看板をつけた鉄塔でさえ、意味深に思えてくるのでした。

「で、この場所が、縄文人達のゴミ捨て場の跡です。ここで、縄文土器を拾ってみましょう」

拾ってみましょうと言っても、そこは、コンクリートの道と、刈り取られたトウモロコシの茎だけが残る畑です。
博物館のガラスケースに陳列されているような縄文土器が、ちょっと近所からやってきた一村民に見つかるものでしょうか。パワーショベルとかもっていないし・・・。

とにかく、畑に沿って黒土をのぞき込みます。
あるのは、数日前に降った雪と、大きな野生のタラの芽ばかり。
すると、畑で、Iさんが言いました。
「矢尻(やじり)があった」

え? もう見つかったの? 
Iさんの手の中には、親指の爪ほどのハート型をした矢尻がありました。矢尻というのは、黒曜石を削って作った弓矢の先につけるものです。縄文の人達は、それで鳥や動物を打ったのでした。

矢尻

「見つけるコツはね、キラッと光るものを見つけること。土の表面をくまなく見ていくと、ほんのちょっと光るものがあるから」

Iさんのアドバイスを受けて、俄然やる気が出て来ました。
すると、土の中に、石にしては不自然な、平らな面のある石がありました。

「先生、これどうですかね」

と、鑑定をお願いすると、
「はい。これは縄文土器ですね」

おお。
縄文土器が、私にも拾えてしまいました。

「ここに、縄文時代のまな板があります」
まな板? 先生のいるあぜ道に集まると、地面にまな板ほどの大きさの石が置いてあり、その表面が真っ平らになっています。

「こうやって、人の手が加わっているものは、縄文の人が使った物です。この丸い石は、木の実などをすりつぶすのに使った石です。」

まさか、縄文人の台所セットが、こんな畑のあぜ道に転がっているとは、思いもしませんでした。先生の知識と探し出す目がなければ、ただの石としか思わなかった事でしょう。
今回は見つかりませんでしたが、石にたくさん小さな穴のあいているものを「はちのす石」と言い、縄文人が火起こしに使ったものだそうです。

畑の脇には、灯籠の屋根の部分が無造作に転がっています。これは、戦国時代にここで戦い、亡くなった人を葬ったお墓の一部だそうです。今では、お墓も取り壊されて、畑の一部となってしまいました。

先生のお話を聞いていると、はじめはただの畑だと思っていた場所に、たくさんの人達が見えてきます。
ここで、シャーマンが朝日に祈り、女性達が食事を作り、井戸の周りでは、村人達が祭りをし、砦では、武将達が戦い、真田道を通って、岩櫃城へ馬で駆けていく。この場所を通り過ぎていった、たくさんの人達の姿が浮かんでくるようです。

縄文人のゴミ捨て場には、キラッと光るものがたくさんありました。
黒曜石のかけらです。
黒曜石は、この辺りではとれず、一番近い所では、和田峠でしか採れなかったものなので、自然にここに黒曜石があるわけではないのです。古代の人達は、和田峠から、黒曜石を運んだことでしょう。

途中、雨が降ってきたので、2時間ほどのゴミ拾い、というより、宝探しは終了しました。
帰りがけに、先生が6歳の頃、おじいちゃんと一緒に採ったというたくさんの宝物を見せてもらいました。
矢尻あり、石斧あり、石庖丁あり、土器あり、当時の今井では、こういうものがたくさん拾えたそうです。

今回の宝探しもたくさんの収穫がありました。
水で洗ってみると、Iさんの拾った土器の破片には、きれいな渦巻き模様が、くっきりとついています。
先生によると、土器の模様や形にも、時代ごとの流行があるそうです。
これは、色がついている、彩色土器と呼ばれるものでした。光にかざすと、中に入っている雲母がキラキラ光っています。

「これは凝ったものですから、おそらく祭事用だと思います。4000年くらい前のものですね」
「じゃ、シャーマンが使っていた占いグッヅでしょうか」
「そうかもしれませんね」


土器

おお。
4000年前と言えば、キリスト誕生から今までの時間の2倍経っているということです。
山や川は、何千年も前からあるけれど、そこに、何千年前の人の痕跡はあまり感じられません。
けれど、この土器の渦巻き模様からは、4000年前にだれかが、この土器に刻み、できばえを眺めて、特別の儀式に使ったものという気配が感じられました。

今回のお土産にと、透き通った矢尻と、シャーマンの土器をいただきました。

歴史は苦手分野だった私ですが、歴史を好きになる入り口は、こんなところにあるのかもしれない、と思いました。
歴史嫌いを歴史好きにさせてくれた唐澤先生は、本当にいい先生です。
できることなら、子供の頃、お会いしたかった。そうなれば、もっと私も歴史に詳しくなっていたかもしれません。

けれど、いくつになっても、どこに住んで、どんな生活をしていても、学ぶ楽しさは、ころがっているものなんだな、と感じたのでした。それを発見する方法を教えてくれた先生に、感謝です。



kaze3cc at 13:46│Comments(9)TrackBack(0) 嬬恋村 | 歴史

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この記事へのコメント

1. Posted by みわぼー   2008年11月28日 14:12
そんな遺跡スポットがあるなんて!

私は、原始時代は苦手分野ですが、こういう先生と共に郷土の歴史を体験できると好きになれそうですよね。

はるばる黒曜石を採取しに行った、原始の人々は、すごいすね。

岩櫃城が近いんですものね。
池波正太郎さんの『真田太平記』でも、嬬恋村近辺のことが出てきて、車でそこ通った!と思い出すのも楽しいです。
2. Posted by 進之助   2008年11月28日 16:54
つい最近岩櫃城に行ってきたばかりでしたが、見晴らしの良いところで、古代に思いを馳せてきたのですが、今度は縄文時代時代ですか!縄文大好きな私としては、今度のツアーに提案しようかな。人数の少ないときに。
3. Posted by 智子   2008年11月28日 21:15
みわぼーさん、こんにちは。
先生は、ご高齢にもかかわらず、いろんな所で、現地学習会を開いてくれるのです。やはり、実物を前にすると、頭に残りますね。

嬬恋の歴史の中には、真田氏のことがよく出て来ます。学習会では、真田の忍者養成所の跡地なんていう所も訪れました。
「真田太平記」読んでみたいです。
4. Posted by 智子   2008年11月28日 21:22
進之助さん、コメントありがとうございます。
岩櫃城、行ってきましたか。
私は、まだ岩櫃城温泉にしか行ったことがないです。

進之助さんは、縄文好きなのですね。
古代というのは、何だかロマンがあるのだなぁ、と思いました。遺跡発掘なんて、地味で大変な仕事と思っていましたが、案外、情熱をかきたてられる作業なのかもしれませんね。
5. Posted by ささらー   2008年12月04日 13:58
矢尻が奇麗!
こんな透明な石を見つけたから、何かに使えないかなぁと思ったのでしょうか。

以前、考古学研究などの博物館で働く、若き学芸員さんをテレビで見ました。昔の人々がお家を立てるときに使った道具を企画展で紹介するというお話でした。何十年か前の偉い先生が書いた本を読み解きながら、現代の子供たちにやさしく解説する、体験してもらうという展示を考えているようでした。

休みの日には発掘をしている現場のやっぱり若い人たちの話を聞きに行って、「こんなのがあったんですよ!」なんていわれながら現物を見せてもらっていると、目をきらきら輝かせながらおぉ〜!と喜んでいて、視聴者の私もすごいなぁと思ってしまいました。

落ちているものがごみになるか宝になるのかは、かかわった人たちによって変わってくるのですね。
それにしても、唐澤先生の探究心は涸れませんね。
智子さんを通して間接的に縄文に触れた気がしています。矢尻を見つけたIさんは目が輝いていたでしょうね。

春分の日の朝日をその場所で見てみたい〜
そこは風水的にもいいのかな。
6. Posted by 智子   2008年12月04日 17:14
ささらーさん、こんばんは。

矢尻、きれいですよ。
石なのに、透けている石というのは、縄文の人達にとって、驚きだったでしょうね。
石斧などを見ると、表面がつるつるなのです。道具もないのに、良くここまで作ったなぁ、と感心するのですが、先生の一言がユニークでした。
「縄文人は暇ですから」
昼間はともかく、確かに夜は暇でしょうね。

考古学というと、取っつきにくいですが、ささらーさんの見た学芸員さんや、唐澤先生のような人が間に入ってくれると、ぐっと身近なものになるのが嬉しいです。

春分の日に朝日を見るツアー、いいですね!
そこで、ささらーさんに、占いをやってもらうというのはどうでしょう?
7. Posted by ささらー   2008年12月05日 22:51
うわっ!賛成!と行きたいけど、へなちょこだからなぁ。。。
何を占うか自分でも考えておいてください。
って、本気にしちゃいますよぉ〜
8. Posted by みわぼー   2008年12月08日 09:14
うわー!

いいなぁ!

そのツアー!!
9. Posted by 智子   2008年12月08日 11:31
春分の日、シャーマンの丘で一年を占うツアーですか。
なかなか素敵ですね。何を占ってもらうかも、吟味しなくちゃ。

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