2012年01月10日
ブログを止めて、数ヶ月の間、向き合うべきものと、ある程度は向き合うことが出来、いろいろなことに気持ちの整理が少しずつ付いてきたような気がする。
体調は代わり映えしないものの、気持ちの方は下降の要因ばかりが押し寄せてきて、ちょっと、このままでいはよろしくないと、ブログを再び始めることとした。
しかし、このブログを続けるとなると病気のことをメインに書いてきたため、まだ、今の私にはちょっと重荷となりそうだ。そこで、別のブログを開設した。
毎日書いてしまうと体力的に負担となることは目に見えているので、毎日書かないためにはどうすればよいかと考え、読んだ本の感想を書くブログにした。これなら、本が読み終わらなければ、記事が書けない。
仕事のことを書いても生活のことを書いても、結局は、病気のことに触れることになってしまうのと同様、本を読んでもやはりその感想は、この病気と切っても切れないような気がする。
つくづく、この病気は、自分の一部になってしまったのだなと、感じる。
さて、新しいブログ。
我、読む本の導く先は・・・
本を読む。すると、その本に次の本の情報を見つけてしまう。そして、その本を読み、その本が、また次の本へと繋がり・・・
多分、病気になっていなければ読まなかった本もあるだろう。病気になったことで手にした本から、未知の世界が広がって、はてさて、行き着く先は、何処なのか。
体調は代わり映えしないものの、気持ちの方は下降の要因ばかりが押し寄せてきて、ちょっと、このままでいはよろしくないと、ブログを再び始めることとした。
しかし、このブログを続けるとなると病気のことをメインに書いてきたため、まだ、今の私にはちょっと重荷となりそうだ。そこで、別のブログを開設した。
毎日書いてしまうと体力的に負担となることは目に見えているので、毎日書かないためにはどうすればよいかと考え、読んだ本の感想を書くブログにした。これなら、本が読み終わらなければ、記事が書けない。
仕事のことを書いても生活のことを書いても、結局は、病気のことに触れることになってしまうのと同様、本を読んでもやはりその感想は、この病気と切っても切れないような気がする。
つくづく、この病気は、自分の一部になってしまったのだなと、感じる。
さて、新しいブログ。
我、読む本の導く先は・・・
本を読む。すると、その本に次の本の情報を見つけてしまう。そして、その本を読み、その本が、また次の本へと繋がり・・・
多分、病気になっていなければ読まなかった本もあるだろう。病気になったことで手にした本から、未知の世界が広がって、はてさて、行き着く先は、何処なのか。
2011年12月04日
ブログを止めて1ヶ月以上たちますが、
同病の方で検索でいらっしゃる方が多くいらっしゃるようです。
この病気になりたての頃は、生活を成り立たせるために使える日用品の調達など、自分自身苦労が絶えなかったこと、ネットが唯一の情報源であったことなどを思うと、検索でいらした方にお役に立てないことは、とても申し訳なく思ってしまいます。
私が持っている情報は、他の同病の方と比べて多いとは思いませんが、コメント欄に何かメッセージをお残しいただければ、分かることであればお答えしたいと思います。
コメント欄を開くと、アドレスを記載する箇所がありますが、空欄のままでも大丈夫です。
コメントをいただいて、お返事まで、数日掛かることもあるかもしれませんが、
ご了承下さい。
*
尚、矢車染めなど、仕事の関係の検索でいらした方は、こちらのサイトをご参照ください。ブログ内検索で「矢車」を入れれば、いくつかの記事が出てきます。
または、こちらの記事で紹介している教室や書籍をご参照下さい。
*
追記
障子の検索でこられる方が多いご様子です。皆さん、苦労しているのですよね。
私も、試行錯誤してきましたが、反応しない障子が見つかったわけではなく、妥協&反応の末、何とか商事の張替えをしました。
失敗談や調べたことが主ですので、参考になるかどうかわかりませんが、障子に関する記事を「障子の繕い・張替え」のカテゴリーにまとめ直しました。(2011.112.05)
同病の方で検索でいらっしゃる方が多くいらっしゃるようです。
この病気になりたての頃は、生活を成り立たせるために使える日用品の調達など、自分自身苦労が絶えなかったこと、ネットが唯一の情報源であったことなどを思うと、検索でいらした方にお役に立てないことは、とても申し訳なく思ってしまいます。
私が持っている情報は、他の同病の方と比べて多いとは思いませんが、コメント欄に何かメッセージをお残しいただければ、分かることであればお答えしたいと思います。
コメント欄を開くと、アドレスを記載する箇所がありますが、空欄のままでも大丈夫です。
コメントをいただいて、お返事まで、数日掛かることもあるかもしれませんが、
ご了承下さい。
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尚、矢車染めなど、仕事の関係の検索でいらした方は、こちらのサイトをご参照ください。ブログ内検索で「矢車」を入れれば、いくつかの記事が出てきます。
または、こちらの記事で紹介している教室や書籍をご参照下さい。
*
追記
障子の検索でこられる方が多いご様子です。皆さん、苦労しているのですよね。
私も、試行錯誤してきましたが、反応しない障子が見つかったわけではなく、妥協&反応の末、何とか商事の張替えをしました。
失敗談や調べたことが主ですので、参考になるかどうかわかりませんが、障子に関する記事を「障子の繕い・張替え」のカテゴリーにまとめ直しました。(2011.112.05)
2011年10月11日
先日、種を蒔いたクロタネソウの芽がだんだんと出揃ってきた。適当にばらばらと種を蒔いたため、かなり込み合って芽を出してしまった。このままでは…と、数本、間引き始めて手を止めた。
私が抜いた双葉はもしかしたら、隣の先に出ている大きな双葉より強いかもしれない、私の勝手な判断で、こちらの小さな双葉のほうを抜いてもいいのだろうか、私にそんな選択をする権利などあるのだろうか。
自然の中では、たとえ込み合って生えてきたとしても、誰かの手によって間引きされることなどない。込み合ったまま成長し、弱いものは消えてゆくまでのこと。一見弱そうに見える小さな芽は、隣の立派な大きな芽のために、自ら身を引くことなどない。ただ自らの生命力に従って伸びてゆこうとするだけのことだ。自然の法則に私などが介入するのは僭越なように感じてしまった。
間引くのはやめた。
*
突然ですが、今日の記事を持ちまして最後の記事とすることといたしました。
多分、書くことが好きだったのだと思います。書くことで救われてきました。しかし、書くことに逃げていた部分があることも、薄っすらと感じていました。
化学物質過敏症の他、いくつかの病気を抱えています。また、その他にもいくつかの手に余るような問題を抱えています。
人間、生きていれば、何も問題を抱えていない人など、独りもいないでしょう。それぞれの人によって、その抱えられる問題の大きさ、量も違っているでしょう。
誰かが抱えている問題を他の誰かの問題と比較して、「それしきの問題」であるのか「そこまでの問題」であるのかを比較することは、意味のないことだと思います。
問題は、それがその人にとって、解決できる問題であるのか否か。
自分では、それらの問題と向き合っているつもりではいたものの、実際には、それらから逃げていたのかもしれませんし、向き合い方の真剣さが足りなかったのかもしれません。
逃げ道があったから自分を最終的なところまで追い詰めずに来られたという考え方もできますし、逃げ道があったから本当に心底その問題と向き合うことが出来なかったとも考えられます。
一度、全て閉ざしてみようと思います。危険なことは承知ですが、もう、他に道がないように思います。
仏教の本などを読んでいると、人間が抱えている問題の大半は自分の欲によって生じるもののようです。己の欲を全て手放した先に、何か見えるものがあるのかもしれません。
この病気のことは、自分の日常の生活の中で接する人々に、地道に説明して、生活の中に溢れる化学物質の害とこういう病気があること、そして今後、増えてゆく可能性があることを伝えてゆきたいと思っています。
長い間、このブログにお付き合いいただき、本当に、どうもありがとうございました。
ブログの最後で、回復しました。どうも有り難うございました、と、書くことが出来なかったことは、大変に残念です。
このブログを通して、多くの方々と知り合えましたこと、感謝しています。
同じ病気に苦しんでいらっしゃる方々は、回復に向けて順調に進んでゆけますよう、心よりお祈り申し上げます。
この病気を発症されていらっしゃらない方々は、どうぞ、身の回りの化学物質に配慮され、発症されることのないよう、また、原因不明の不調で苦しむことなど起きませんよう、心よりお祈り申し上げます。
そして、人々が、社会が、化学物質と適切に向き合うことについて考え始めることが出来るよう、祈っています。
*
尚、このブログは、今年いっぱいはこのままにしておくつもりです。その後、閉鎖(削除)してしまうかどうかは、まだ、思案中です。
2011年10月07日
先日の記事を書いた後に知ったのだが、あの川沿いの道にある母の実家の庭に何年も放置されていた植木鉢があり、今年、その鉢から何かの芽が伸びてきて、咲いたのが、なんと彼岸花だったというのだ。誰も球根を植えた覚えはなく、今年、突然、出現したそうだ。鉢の土も、数年、入れっぱなしで放置されていたものだ。
不思議だ、不思議だと、母と言っているうちに、「彼岸花は歩くのを知っていますか?」の知人から、謎の問いかけの理由が書かれたメールが届いた。
彼女の家の庭には、10年位前に球根でもらった彼岸花があるそうなのだが、芽を出す位置が年々、東へ移動しているということだった。「歩く」は飛躍しすぎだが、移動するということで、あのように書いてきたようだ。そして、移動する彼岸花を不思議に思って調べてみたようで、いろいろなサイトのアドレスを添えてくれた。
そして、驚いたことに、そのどの内容も、突然、庭に彼岸花が咲いたのだがどうしてだろう?というものだった。質問者は、母の実家同様、誰も球根を植えた覚えはないのに突然咲いたと書いている。彼岸花が庭に突然、出現するのは、さほど珍しいことではないようだ。しかし、植えた覚えがない花が突然咲いたら驚く。しかも、彼岸花と来れば、質問したくもなるだろう。
彼岸花には種が出来ず球根で増える以外に繁殖方法がないので「誰かが植えた」「球根の混ざった土が庭に入れられた」のどちらかだろうという回答が多かった。また、私が調べたように、コヒガンバナには種子が出来ると回答している人もいる、そして、その他の少数派の回答もなかなか興味深いものだった。
「園芸相談センター」というサイトの園芸相談掲示板の過去ログに「彼岸花はなぜ広範囲に存在しているのか。」とのトピックがあり、その中に、球根が上下する性質を持つという回答があった。これは、かなり興味深いものだった。
ヒガンバナの球根が、上下に移動する特技を持っていることが、最大要因だと思えます。これは、観察して気づいたことです。
地表に捨てられた球根は、自分の下に翌年の新球を作ります。
地下深く埋められた球根は、葉を地表に出せないほど深くても、自分のかなり上に翌年の新球を作ります。これを繰り返して、やがて地上に繁茂します。
球根が今、自分がある場所では芽を出しにくいとなると、芽を出しやすい条件の場所まで自分で移動してゆくということのようだ。「植物は自分では動けない」と思われているが、自力で移動する性質を持つものもあるようだ。
他にも園芸相談掲示板の過去ログに「どこから来た!彼岸花」というトピックがあった。このトピ主の庭にも突然、彼岸花が咲いたようだ。
yahoo!知恵袋でも「庭に突然、彼岸花が咲きました。どこから来たんでしょう?縁起が悪くないでしょう...」という質問がある。
植えた覚えがないのに突然咲いた花が彼岸花ではなく、他の花だったら、さほど気に留めないのかもしれないが、「彼岸花=縁起の悪い花」と思っている人にとっては、別の意味で「なぜ咲いたの?」となるのだろう。
園芸相談でもyahoo!知恵袋でも、彼岸花の質問は、結構、多い。なかなか謎の多い植物のようだ。
そして、彼岸花はどうやって増えるのか?の正確な答えにはなっていないのだが、一番、気に入った回答は、Yahoo!知恵袋の「彼岸花の増え方について。やつらは3倍体なので、種を飛ばすという戦略は使えない...」に、寄せられた回答。
「私は見た・・・
真夏の夜・・・
球根がピクミンのごとく集団で走り回っているのを・・・」
走り回らずとも、なんだか球根がぴょこぴょこと歩いて移動していそうな気がしてきてしまう。あの川沿いの道を歩いていたら、隣を彼岸花の球根が歩いていた・・・など、あるはずもないが、想像して笑ってしまった。
2011年10月06日

月暈
広辞苑によると
かさ【暈】
〔天〕(halo) 太陽または月の周囲に見える光の輪。光が微細な氷の結晶から成る雲で反射・屈折を受ける結果生ずる。
雨戸を閉めようと、窓を開け、何気なく空を見たら、月の回りに光の輪が見えていた。
流れる薄雲に反射して暈の様子が刻一刻と変ってゆくのを眺める。ぱっと光が鮮やかに成ったかと思うと、すーっと消え入り闇になり、再び、雲間に月と暈が現れる。月を隠すのも雲なら、暈を見せてくれるのも雲。月を隠す雲にどいてくれと願うも、暈を作る雲にはかかってくれと願う。わがままだ。
音もなく空の上で繰り広げられる天体ショーは、気が付かなければそれまでのこと。
偶然、見ることの出来た幸せ。
コンパクトカメラでは、これがぎりぎりの画像。薄雲の間から覗く月というよりは、暗闇に輝く月にしか見えない。わざわざ撮ってみたものの、目に見えていた光景とはまるで違い残念。
夏の間、ちくちく手縫いで何着か服を作った。半袖シャツを作った後、長袖のシャツを作ろうと思っていたが、その前に寒くなってしまった。今から手縫いで作っていたら、作り終わる頃には、シャツでは寒すぎる時期になってしまう。
ミシンを買おうかどうか、去年からずっと悩んでいる。
電気屋にも何度か見に行ったし、パンフレットももらってきたが、私には不要な機能が付きすぎている。「あなたの手作りを応援します♪」といったようなキャッチコピーも書かれているが、「あなたの手作り」の「あなた」は、楽しんで手作りをしている人のことだろう。実用としての手作りを余儀なくされている私にとっては、応援するなら必要最低限の機能で壊れにくいミシンを作ってくれと、言いたい。
知人に愚痴を言っていたら、「通販生活(カタログハウス)のミシンがいいよ。持ってるけど、あれ、いいよ。いらない機能は付いてないし。」と言ってくれた。「なんなら、貸してやるよ。使ってみてよかったら買えば?」と言っていたのだが、彼女は、最近、お孫さんの服を縫い始めてしまったので、借りるわけにもいかなくなった。
アックスヤマザキというメーカーの山崎範夫の電子ミシンで、使用後返品OKの商品だ。機能はいたってシンプルで、直線縫い、ジグザク縫い、まつり縫いと、ボタンホールのみ。不要な飾り縫いの機能はないし、手入れも簡単そう。
だったら、買ってみればいいじゃない・・・と、なりそうなのだが、「買うぞ!」と、パソコンの前に座ると、何故か他の事を始めてしまう。 要するに、買うのを躊躇しているのだ。何がそうさせているのかと言えば、新品購入の怖さからなのだろうか。それとも、基本的にミシンが好きではないからなのだろうか。どうも電動のミシンは苦手なのだ。足踏みミシンが懐かしい。
ミシン本体は樹脂製である。当然、反応が考えられる。本体の揮発が済んだとして、縫っている時、縫った後の、ミシン油の影響などはどうなのだろう。
夏の間に縫ったものの、型紙と自分の体型が合わず縫い直しを必要としているベストが机の上に放置されて久しい。手縫いなので糸をほどくのはさほど大変ではないと思うし、シャツと違ってベストは袖がないので楽なのだが、ちくちく縫ったあの労力を再び、と、思うと、直す気になれない。ああ、ミシンがあったら・・・。
ミシンが欲しい・・・新品のミシンは欲しくない・・・でも、ミシンがあったら楽だろうな・・・でも、新品の反応が出るのは嫌だ・・・欲しい気持ちと欲しくない気持ちの綱引き状態は続く。
どなたか、同病の方で自分の服は自分で作っているという方がいましたら、アドバスをいただけると嬉しく思います。
追記:
コメントをいただいて、調べなおしたら、シンプルな機能のミシンもそれなりに生産されているようだ。私の行動圏内と、ネットの検索力の範囲内では、見つからなかっただけのようだ。そうだよ、皆が望んでいるのは、シンプルな機能のミシンなんだよ!と、ちょっと嬉しくなった。
しかし、どの機種を買ったとしても、新品であることには変わりないのだが…。
ミシンを買おうかどうか、去年からずっと悩んでいる。
電気屋にも何度か見に行ったし、パンフレットももらってきたが、私には不要な機能が付きすぎている。「あなたの手作りを応援します♪」といったようなキャッチコピーも書かれているが、「あなたの手作り」の「あなた」は、楽しんで手作りをしている人のことだろう。実用としての手作りを余儀なくされている私にとっては、応援するなら必要最低限の機能で壊れにくいミシンを作ってくれと、言いたい。
知人に愚痴を言っていたら、「通販生活(カタログハウス)のミシンがいいよ。持ってるけど、あれ、いいよ。いらない機能は付いてないし。」と言ってくれた。「なんなら、貸してやるよ。使ってみてよかったら買えば?」と言っていたのだが、彼女は、最近、お孫さんの服を縫い始めてしまったので、借りるわけにもいかなくなった。
アックスヤマザキというメーカーの山崎範夫の電子ミシンで、使用後返品OKの商品だ。機能はいたってシンプルで、直線縫い、ジグザク縫い、まつり縫いと、ボタンホールのみ。不要な飾り縫いの機能はないし、手入れも簡単そう。
だったら、買ってみればいいじゃない・・・と、なりそうなのだが、「買うぞ!」と、パソコンの前に座ると、何故か他の事を始めてしまう。 要するに、買うのを躊躇しているのだ。何がそうさせているのかと言えば、新品購入の怖さからなのだろうか。それとも、基本的にミシンが好きではないからなのだろうか。どうも電動のミシンは苦手なのだ。足踏みミシンが懐かしい。
ミシン本体は樹脂製である。当然、反応が考えられる。本体の揮発が済んだとして、縫っている時、縫った後の、ミシン油の影響などはどうなのだろう。
夏の間に縫ったものの、型紙と自分の体型が合わず縫い直しを必要としているベストが机の上に放置されて久しい。手縫いなので糸をほどくのはさほど大変ではないと思うし、シャツと違ってベストは袖がないので楽なのだが、ちくちく縫ったあの労力を再び、と、思うと、直す気になれない。ああ、ミシンがあったら・・・。
ミシンが欲しい・・・新品のミシンは欲しくない・・・でも、ミシンがあったら楽だろうな・・・でも、新品の反応が出るのは嫌だ・・・欲しい気持ちと欲しくない気持ちの綱引き状態は続く。
どなたか、同病の方で自分の服は自分で作っているという方がいましたら、アドバスをいただけると嬉しく思います。
追記:
コメントをいただいて、調べなおしたら、シンプルな機能のミシンもそれなりに生産されているようだ。私の行動圏内と、ネットの検索力の範囲内では、見つからなかっただけのようだ。そうだよ、皆が望んでいるのは、シンプルな機能のミシンなんだよ!と、ちょっと嬉しくなった。
しかし、どの機種を買ったとしても、新品であることには変わりないのだが…。
2011年10月05日
最近は、朝早くに寺にお参りに出かけている。昼でも何かの行事のあるときでなければ閑散としていて、ほとんど人はいないのだが、朝の境内は、昼の境内とは何か違う空気に満たされている。お参りを済ませた後、併設の公園を少し歩く。
木にソフトボール大の緑色の実がたわわに実っている。何か柑橘類の類であることは分かる。しかし、何の実なのか分からない。毎年、気になる。

こちらは、柿と石榴。
この間まで青かった柿もかなり色付いてきた。遠目から見てもよく分かる。橙色に実る柿を見ると、秋であることを実感する。
石榴も大きくなってきている。割れるのを待っているのだが、まだ、なかなかそこまでは熟さない。
寺に併設の幼稚園の園庭にある柿と石榴。
柿は渋柿なのか、毎年、このまま放置され木に付いたまま鳥についばまれるか、地に落ちて土に返る。石榴も同じ。特に果物が好きというわけではないが、採られるまま放置されている果物を見ると、一つ採って食べてみたいと思ってしまうのは、生き物としての本能なのだろうか。それとも、単に私が食い意地が張っているということなのだろうか。
あちこちで、実る秋を目にする季節になった。
そうか、秋は実りの時期なのだと、短絡的に結論付けようとしていたら、庭で芽生えを見つける。少し前、鉢に蒔いたニゲラが発芽して、かわいい双葉を土の間からのぞかせていた。植物によっては、芽生えの時期でもあるのだ。
実る秋と、芽生えの秋。どちらも豊かな季節。
寺の果物を撮っている時、携帯の画面に反射して自分の顔が映った。腫れぼったい目をした浮腫んだ顔。
実った果実を剥いて食べる剥く実の秋は歓迎だが、浮腫みの秋はいただけない。
暑かった夏、汗などで余分な水分は外へ出ていた。急に涼しくなった今、余分な水が体内に溜まり始めている。スポーツの秋ともいうことだし、少し体を動かして、水分を含めて余分なものを体外に出す努力を始めなくてはならないようだ。先日からの化学物質攻撃で、かなり要らないものが体内に蓄積しているのも感じる。かなり、体調がよろしくない。
最後は、寺の境内で見かけた眠り猫。
2011年10月04日
先日の記事に、知人から「彼岸花は歩くのを知ってますか?」と、悪魔のささやきがあった。彼女は私が調べ魔であることを知っていて、わざとこのような謎めいたことを言ってきたのだろう。困った知人だ。
しかも、彼女からの悪魔のささやきのある前から、私自身も彼岸花について、ちょっと気になっていたことがあった。
今年はうちの近所で、やけに彼岸花が目に付くのだ。私だけかと思っていたら家の者も「今年は彼岸花が多いよね。あそこの角にまで咲いてて。」と言う。「あそこの角」とは、実は、私も気になっていた場所で、去年、そこに咲いていたかどうか記憶が定かでない。しかも「あそこの角」は、道の脇の電柱の横で、誰かがわざわざ球根を植えるような場所ではないのだ。
他にも新しく宅地化された場所の電柱の脇に咲いているのを見つけた。既に家が出来ていてそのお宅の庭の一角なのだが、まだ、庭の整備にまで充分な手が回らず、庭の中でも雑草が茂って放置されている一角に咲いている。この家の人がわざわざ植えたのだろうか、しかも、雑草の中に。
彼岸花は鱗茎で増えることは知っていた。百合などもそうなのだが、百合は種でもよく増える。百合の種は種の周りに薄い膜のようなものが平たく覆っていて、風で飛ばされやすいような形をしている。しかし、彼岸花の種は、風で運ばれるのに具合のいいような形はしていない。去年だったか、一昨年だったか、枯れた彼岸花に種が出来ているのを見つけこの形では、こぼれて近くに増えるくらいしか出来ないだろうにと、思ったのだ。
前述の電柱脇のこれらの彼岸花は、私がよく通る川沿いの道に沿って咲いている。しかも、この川の脇の道をずっと行くと、彼岸花がたくさん咲いている。鱗茎で増えるのであれば、元となる茎の周りに広がって群生して生えているはずだが、この川沿いの彼岸花は、ぽつりぽつりと離れた箇所に咲いている。一体、どうやって増えているのだろうと、不思議に思っていたのだ。
そこへ、知人が「彼岸花は歩くのを知っていますか?」とくれば、好奇心が刺激されてしまおうというものだ。

昨日は、自室に避難で他にやることもなかったので、こんなもの↑まで作ってしまった。(具合が悪いなら寝ていればよいのにとも思うのだが、好きなのだ、こういうどうでもいいようなことが。)
川沿いの道の彼岸花の分布なのだが、どうも川下に向って彼岸花の分布が広がっていっている様子なのだ。
写真ではぽつりぽつりとしか写ってないが、満開だった時期は、赤い●で記した場所にかなりの本数が咲いていた。既に枯れてしまっているものと、今、盛りのものとある。
そして、昨日、偶然、川上のほうに、より群生している一角があることを発見。いつもは、この彼岸花のある未知の手前で左に曲がってしまうので気が付かなかったが、昨日、たまたま、余所見をしていたら赤い色が目に入り、引き寄せられるように行って見ると、彼岸花だった。
燃えるようなという形容をされることがあるが、群れて咲く彼岸花はまさに炎のように見えた。
植物の種子は、鳥に実を食べてもらい糞として地に落としてもらったり、風に乗ったり、動物の毛にくっ付いたり、様々な方法を使って種子を遠くへ運ぶ。では、彼岸花はどうやって、その種子を遠くへ運んでいるのだろうと、疑問に思い調べてみた。
そして、驚いた。
彼岸花には種子は出来ない!
ネットで調べて出てきた検索結果は、ほとんど同じで、どこかからのコピー&ペーストのようなので、出典は記せないが、書かれている内容は、「日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、雄株、雌株の区別が無く種子で増えることができない(遺伝子的には雌株である)。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。」ということだった。
三倍体とは、染色体のゲノム(1組)を3セット持っているという意味のようで、他に二倍体などがあるようだ。(ウィキペディア 倍数性参照)
それにしても、日本に存在する彼岸花は全て遺伝的に同一であるとは、驚いた。
そして、種子が出来ないことも驚きだった。なぜなら、私は彼岸花の種を見たのだ。
・・・多分、と、弱気になってきてしまった。
私が見たのは本当に彼岸花の種だったのだろうかと不安になり、その場所を確認に行ってきた。
確かに、私が以前、見た場所に彼岸花は咲いていたのだが、そのすぐ脇に、多分、枯れたなら類似の形態になるだろうと思われる花が咲いてた。もしかして、この種を彼岸花の種と思ったのだろうか。
しかし、しぶとく彼岸花に種は出来る証拠を探し、枯れかかった花に種子が出来つつあると思わせる膨らみを見つける。
ただし、これは結果が出るまで、もうしばらくは待たねばなるまい。これで、膨らみの中には何も無しだったら、笑ってしまうが、まあ、それはそれでいいだろう。
でも、あの膨らみは・・・と、諦めきれず、調べを続行。知ったからといってどうなるわけでもないのだが。
そして、彼岸花に似た花で種子ができるショウキズイセン(鍾馗水仙)という花があるのを見つける。おー、これか!と、思いきや、この花は彼岸花と似た形だが色は黄色をしているようだ。これではない。
赤い彼岸花の他に白い彼岸花を何かの写真で見たことがあるが、園芸種でないものは、赤いシナヒガンバナと黄色いショウキズイセンの自然交雑種だということだ。
川沿い彼岸花観察をしていて、よく見ると白い斑が入っている花を見つけた。やはり、ここに咲いている彼岸花は、普通の彼岸花とは違う品種なのだろうか。
もう一つ、シナヒガンバナ(支那彼岸花)という彼岸花も種子をつけることを見つける。中国原産の彼岸花で日本の彼岸花より早咲きで、花はやや小形ということだ。小振りな花を咲かせることから、コヒガンバナ(小彼岸花)との別名もあるようだ。
植物分布調査 Photo Garellyでこれらのヒガンバナの花の画像が見られます。(ページの下のほう)
個人の方のブログなのだが、早咲きの彼岸花(コヒガンバナ)についての記事を見つけた。
goro's 花 Diary 「早咲き彼岸花」
熊本国府高校では、校庭に数種類の彼岸花が咲いているようで、HPで紹介している。
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kokufu/koutei/higanb.html
また、この高校では、コヒガンバナを種子から育てる試みをしているようで、その育苗日記を公開していた。
「コヒガンバナ育苗(発芽)日記」
彼岸花は、なかなか興味深い花であることが分かってきたが、川沿いの彼岸花の謎は解けぬまま。
川沿いにぽつぽつ点在して咲いている彼岸花は、今が盛り。しかし、それよりも前に咲いてしまい、既に枯れている彼岸花もある。もしや、そちらがシナヒガンバナなのだろうか?枯れた花に膨らみが見えているのも先に咲いたほうの彼岸花だ。普通のヒガンバナとシナヒガンバナの見分け方は、花の大きさということになるようなのだが、私の知っている彼岸花は、この川沿いの彼岸花で、これが私にとっての彼岸花のスタンダードなので、大きいか小さいかといわれても比較の仕様がないので判断できない。とにかく、種子が出来る時期が来るのを待つしかあるまし。
しかし、私が知りたいのは、今咲いているほうの彼岸花がどうやって増えていっているのかということで、調べてはみたものの、問題の解決にはならなかった。知人の言うように、彼岸花は歩いているのかもしれない?
長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。コンパクトカメラで撮ったのであまりよい画像ではありませんが、最後にヒガンバナの画像。



しかも、彼女からの悪魔のささやきのある前から、私自身も彼岸花について、ちょっと気になっていたことがあった。今年はうちの近所で、やけに彼岸花が目に付くのだ。私だけかと思っていたら家の者も「今年は彼岸花が多いよね。あそこの角にまで咲いてて。」と言う。「あそこの角」とは、実は、私も気になっていた場所で、去年、そこに咲いていたかどうか記憶が定かでない。しかも「あそこの角」は、道の脇の電柱の横で、誰かがわざわざ球根を植えるような場所ではないのだ。
他にも新しく宅地化された場所の電柱の脇に咲いているのを見つけた。既に家が出来ていてそのお宅の庭の一角なのだが、まだ、庭の整備にまで充分な手が回らず、庭の中でも雑草が茂って放置されている一角に咲いている。この家の人がわざわざ植えたのだろうか、しかも、雑草の中に。彼岸花は鱗茎で増えることは知っていた。百合などもそうなのだが、百合は種でもよく増える。百合の種は種の周りに薄い膜のようなものが平たく覆っていて、風で飛ばされやすいような形をしている。しかし、彼岸花の種は、風で運ばれるのに具合のいいような形はしていない。去年だったか、一昨年だったか、枯れた彼岸花に種が出来ているのを見つけこの形では、こぼれて近くに増えるくらいしか出来ないだろうにと、思ったのだ。
前述の電柱脇のこれらの彼岸花は、私がよく通る川沿いの道に沿って咲いている。しかも、この川の脇の道をずっと行くと、彼岸花がたくさん咲いている。鱗茎で増えるのであれば、元となる茎の周りに広がって群生して生えているはずだが、この川沿いの彼岸花は、ぽつりぽつりと離れた箇所に咲いている。一体、どうやって増えているのだろうと、不思議に思っていたのだ。
そこへ、知人が「彼岸花は歩くのを知っていますか?」とくれば、好奇心が刺激されてしまおうというものだ。

昨日は、自室に避難で他にやることもなかったので、こんなもの↑まで作ってしまった。(具合が悪いなら寝ていればよいのにとも思うのだが、好きなのだ、こういうどうでもいいようなことが。)
川沿いの道の彼岸花の分布なのだが、どうも川下に向って彼岸花の分布が広がっていっている様子なのだ。写真ではぽつりぽつりとしか写ってないが、満開だった時期は、赤い●で記した場所にかなりの本数が咲いていた。既に枯れてしまっているものと、今、盛りのものとある。
そして、昨日、偶然、川上のほうに、より群生している一角があることを発見。いつもは、この彼岸花のある未知の手前で左に曲がってしまうので気が付かなかったが、昨日、たまたま、余所見をしていたら赤い色が目に入り、引き寄せられるように行って見ると、彼岸花だった。燃えるようなという形容をされることがあるが、群れて咲く彼岸花はまさに炎のように見えた。
植物の種子は、鳥に実を食べてもらい糞として地に落としてもらったり、風に乗ったり、動物の毛にくっ付いたり、様々な方法を使って種子を遠くへ運ぶ。では、彼岸花はどうやって、その種子を遠くへ運んでいるのだろうと、疑問に思い調べてみた。
そして、驚いた。
彼岸花には種子は出来ない!
ネットで調べて出てきた検索結果は、ほとんど同じで、どこかからのコピー&ペーストのようなので、出典は記せないが、書かれている内容は、「日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、三倍体である。故に、雄株、雌株の区別が無く種子で増えることができない(遺伝子的には雌株である)。中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。」ということだった。
三倍体とは、染色体のゲノム(1組)を3セット持っているという意味のようで、他に二倍体などがあるようだ。(ウィキペディア 倍数性参照)
それにしても、日本に存在する彼岸花は全て遺伝的に同一であるとは、驚いた。
そして、種子が出来ないことも驚きだった。なぜなら、私は彼岸花の種を見たのだ。・・・多分、と、弱気になってきてしまった。
私が見たのは本当に彼岸花の種だったのだろうかと不安になり、その場所を確認に行ってきた。
確かに、私が以前、見た場所に彼岸花は咲いていたのだが、そのすぐ脇に、多分、枯れたなら類似の形態になるだろうと思われる花が咲いてた。もしかして、この種を彼岸花の種と思ったのだろうか。
しかし、しぶとく彼岸花に種は出来る証拠を探し、枯れかかった花に種子が出来つつあると思わせる膨らみを見つける。ただし、これは結果が出るまで、もうしばらくは待たねばなるまい。これで、膨らみの中には何も無しだったら、笑ってしまうが、まあ、それはそれでいいだろう。
でも、あの膨らみは・・・と、諦めきれず、調べを続行。知ったからといってどうなるわけでもないのだが。
そして、彼岸花に似た花で種子ができるショウキズイセン(鍾馗水仙)という花があるのを見つける。おー、これか!と、思いきや、この花は彼岸花と似た形だが色は黄色をしているようだ。これではない。
赤い彼岸花の他に白い彼岸花を何かの写真で見たことがあるが、園芸種でないものは、赤いシナヒガンバナと黄色いショウキズイセンの自然交雑種だということだ。川沿い彼岸花観察をしていて、よく見ると白い斑が入っている花を見つけた。やはり、ここに咲いている彼岸花は、普通の彼岸花とは違う品種なのだろうか。
もう一つ、シナヒガンバナ(支那彼岸花)という彼岸花も種子をつけることを見つける。中国原産の彼岸花で日本の彼岸花より早咲きで、花はやや小形ということだ。小振りな花を咲かせることから、コヒガンバナ(小彼岸花)との別名もあるようだ。
植物分布調査 Photo Garellyでこれらのヒガンバナの花の画像が見られます。(ページの下のほう)
個人の方のブログなのだが、早咲きの彼岸花(コヒガンバナ)についての記事を見つけた。
goro's 花 Diary 「早咲き彼岸花」
熊本国府高校では、校庭に数種類の彼岸花が咲いているようで、HPで紹介している。
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kokufu/koutei/higanb.html
また、この高校では、コヒガンバナを種子から育てる試みをしているようで、その育苗日記を公開していた。
「コヒガンバナ育苗(発芽)日記」
彼岸花は、なかなか興味深い花であることが分かってきたが、川沿いの彼岸花の謎は解けぬまま。
川沿いにぽつぽつ点在して咲いている彼岸花は、今が盛り。しかし、それよりも前に咲いてしまい、既に枯れている彼岸花もある。もしや、そちらがシナヒガンバナなのだろうか?枯れた花に膨らみが見えているのも先に咲いたほうの彼岸花だ。普通のヒガンバナとシナヒガンバナの見分け方は、花の大きさということになるようなのだが、私の知っている彼岸花は、この川沿いの彼岸花で、これが私にとっての彼岸花のスタンダードなので、大きいか小さいかといわれても比較の仕様がないので判断できない。とにかく、種子が出来る時期が来るのを待つしかあるまし。
しかし、私が知りたいのは、今咲いているほうの彼岸花がどうやって増えていっているのかということで、調べてはみたものの、問題の解決にはならなかった。知人の言うように、彼岸花は歩いているのかもしれない?
長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。コンパクトカメラで撮ったのであまりよい画像ではありませんが、最後にヒガンバナの画像。



2011年10月03日
昼食の準備をしようと階下へ行く。何やら不穏な気配。台所の隣の部屋の襖が閉まっている。寒くもない季節に、普段は開いているこの襖が閉まっている時は要注意なのだ。果たして、障子を開けると、真っ先に目に入ったのが床に無造作に放置された防虫剤。そしてめちゃくちゃな部屋の中。
一瞬で状況を判断し、ピシャリと襖を閉じる。「何やってんの!衣類の入れ替えは終わったんでしょ?!」と部屋の中にいる家の者に向って叫ぶ。「だってぇ〜。」答えにならない答えが返ってくる。
「あと何日くらい掛かるの?」問いを変える。「終わらないの!」と逆切れされる。これまた、答えになっていない。
いつやるとか、あと何日くらい掛かると、知らせてもらえれば、こちらも対策の立てようがあるのだが、彼女は、何事も彼女の気分しだいでいきなりやり始める人なのだ。今さら性格を変えてくれと頼んだところで無理なので、こちらが柔軟に対応するしかないのだが、身体的に問題を抱えていると、それも難しい。今日も、いきなりだったのだ。
防虫剤の成分は重いのか、階下で衣類の入れ替えをしていても2階の自室でドアを閉めてしまっているとさほど影響はない。(だから、気付かなかったのだが。)ヘアスプレーなどは、階下で窓を開け放して窓際で使っても、2階のドアを閉めた自室に居ても呼吸困難になるので、物質によって、その特性は様々であることを実感する。
とはいえ、できることなら防虫剤が露出した状態になっている家にはいたくないのだが、先日からの諸々の化学物質で、外に避難して午後いっぱいベンチに座っているだけの体力もない。今日は、ドアを閉めて部屋にこもって寝ているしかあるまい。
しかし、その前に昼食。
先日、倒れた時は、今日と同じく台所の隣の部屋で衣類の入れ替えをしていた。また、台所で昼食の用意をしていたら同じことが起きるだろうと、台所を使うことを断念。朝のうちに言ってくれていれば、握り飯でも作って避難の準備でもしておいたのにと、思うが、今さら言っても始まらない。仕方なく、外で何かを買って食べることにする。しかし、外で売っているもので安心して食べられるものはない。先日の避難の時にパンを食べたが、その後、体調がよくない。続けてまた外食というのも気が進まぬが、仕方がない。
とりあえず、コンビニに水を調達に行く。弁当売り場に行くが、どうしても手が出ない。サンドイッチも裏を見るととてもではないが食べられないし、パンコーナーでも同じこと。少し遠いが店で作って売っているパン屋まで行くことにする。しかし、パン食では野菜が足りない。野菜が欲しいと思い、コンビニのサラダ売り場に立つ。切った野菜がパックに入っているだけなので原材料を見ても野菜の名前ばかりで添加物などの記載はない。しかし、ならば安全かというと、農薬の使われた野菜を生で食べる勇気はない。しかも、どんな水、または洗剤で洗われたのだろうと考えてしまう。でも、体が野菜を欲しがっているのを感じていて(化学物質を摂取してしまうと、その分解にビタミンやミネラルが大量に消費されるようで、いつも以上に体が野菜を欲しがるのだ)、野菜ジュースをカゴに入れ、レジに並ぶ。普通のメーカーの野菜ジュースで、私にとって安全かと言われると、そうとも言い切れないが今日の場合は、これが最大の妥協点だろう。しかも、野菜ジュースでは、気休め程度にしかならない。つくづく、外に出て食事をしなくてはならない時、安心して食べられるものがないことを感じる。
子供の頃には、コンビニなどなかった。大学生の頃、雨後の筍のようににょきにょきとコンビニが街に出現し始めた。当時は、課題の制作で作業が夜中まで続いてしまうことがしばしばあり、真夜中でも買うことの出来るコンビニのおにぎりをなんと便利でありがたいものかと思ったものだが、発症後は、コンビニのおにぎりを含め弁当類、その他は薬品臭くて口に出来ない。自分が特別な体だから食べられないだけで、普通の人にとっては安全だと考えるべきなのか、私にとって安全でないものは、他の人にとっても食べ続ければ何らかの害が生じるものを考えるべきなのか、発症後に口に出来なくなったものを前にすると、複雑な気持ちになる。
発症後、出不精になっている。あまり外出できない原因の主なものは、体調のせいによるのだが、体調がよいときでも、少し遠出をしようと思っても、食事をどうするかと考えてしまうと、出かけるのが嫌になってしまう。友達と会うのも、一緒にランチとか喫茶店でお茶というわけにはいかなくなった。発症当時と比べると、症状はかなり軽減されてきているのだが、それでも、そういう場所で、安全かどうか分からないものを口にして具合が悪くなった場合、一緒にいる相手に迷惑や心配をかけることになるので、会う場所といえば、寺の公園となってしまう。
マクロビオティックのレストランやカフェなど、特別な場所へ行けば、私でも外食は可能なのだろうが、安全な食事が特別な場所へ行かないと得られないというのは、考えてみれば奇妙ことのようにも思える。
一瞬で状況を判断し、ピシャリと襖を閉じる。「何やってんの!衣類の入れ替えは終わったんでしょ?!」と部屋の中にいる家の者に向って叫ぶ。「だってぇ〜。」答えにならない答えが返ってくる。
「あと何日くらい掛かるの?」問いを変える。「終わらないの!」と逆切れされる。これまた、答えになっていない。
いつやるとか、あと何日くらい掛かると、知らせてもらえれば、こちらも対策の立てようがあるのだが、彼女は、何事も彼女の気分しだいでいきなりやり始める人なのだ。今さら性格を変えてくれと頼んだところで無理なので、こちらが柔軟に対応するしかないのだが、身体的に問題を抱えていると、それも難しい。今日も、いきなりだったのだ。
防虫剤の成分は重いのか、階下で衣類の入れ替えをしていても2階の自室でドアを閉めてしまっているとさほど影響はない。(だから、気付かなかったのだが。)ヘアスプレーなどは、階下で窓を開け放して窓際で使っても、2階のドアを閉めた自室に居ても呼吸困難になるので、物質によって、その特性は様々であることを実感する。
とはいえ、できることなら防虫剤が露出した状態になっている家にはいたくないのだが、先日からの諸々の化学物質で、外に避難して午後いっぱいベンチに座っているだけの体力もない。今日は、ドアを閉めて部屋にこもって寝ているしかあるまい。
しかし、その前に昼食。
先日、倒れた時は、今日と同じく台所の隣の部屋で衣類の入れ替えをしていた。また、台所で昼食の用意をしていたら同じことが起きるだろうと、台所を使うことを断念。朝のうちに言ってくれていれば、握り飯でも作って避難の準備でもしておいたのにと、思うが、今さら言っても始まらない。仕方なく、外で何かを買って食べることにする。しかし、外で売っているもので安心して食べられるものはない。先日の避難の時にパンを食べたが、その後、体調がよくない。続けてまた外食というのも気が進まぬが、仕方がない。
とりあえず、コンビニに水を調達に行く。弁当売り場に行くが、どうしても手が出ない。サンドイッチも裏を見るととてもではないが食べられないし、パンコーナーでも同じこと。少し遠いが店で作って売っているパン屋まで行くことにする。しかし、パン食では野菜が足りない。野菜が欲しいと思い、コンビニのサラダ売り場に立つ。切った野菜がパックに入っているだけなので原材料を見ても野菜の名前ばかりで添加物などの記載はない。しかし、ならば安全かというと、農薬の使われた野菜を生で食べる勇気はない。しかも、どんな水、または洗剤で洗われたのだろうと考えてしまう。でも、体が野菜を欲しがっているのを感じていて(化学物質を摂取してしまうと、その分解にビタミンやミネラルが大量に消費されるようで、いつも以上に体が野菜を欲しがるのだ)、野菜ジュースをカゴに入れ、レジに並ぶ。普通のメーカーの野菜ジュースで、私にとって安全かと言われると、そうとも言い切れないが今日の場合は、これが最大の妥協点だろう。しかも、野菜ジュースでは、気休め程度にしかならない。つくづく、外に出て食事をしなくてはならない時、安心して食べられるものがないことを感じる。
子供の頃には、コンビニなどなかった。大学生の頃、雨後の筍のようににょきにょきとコンビニが街に出現し始めた。当時は、課題の制作で作業が夜中まで続いてしまうことがしばしばあり、真夜中でも買うことの出来るコンビニのおにぎりをなんと便利でありがたいものかと思ったものだが、発症後は、コンビニのおにぎりを含め弁当類、その他は薬品臭くて口に出来ない。自分が特別な体だから食べられないだけで、普通の人にとっては安全だと考えるべきなのか、私にとって安全でないものは、他の人にとっても食べ続ければ何らかの害が生じるものを考えるべきなのか、発症後に口に出来なくなったものを前にすると、複雑な気持ちになる。
発症後、出不精になっている。あまり外出できない原因の主なものは、体調のせいによるのだが、体調がよいときでも、少し遠出をしようと思っても、食事をどうするかと考えてしまうと、出かけるのが嫌になってしまう。友達と会うのも、一緒にランチとか喫茶店でお茶というわけにはいかなくなった。発症当時と比べると、症状はかなり軽減されてきているのだが、それでも、そういう場所で、安全かどうか分からないものを口にして具合が悪くなった場合、一緒にいる相手に迷惑や心配をかけることになるので、会う場所といえば、寺の公園となってしまう。
マクロビオティックのレストランやカフェなど、特別な場所へ行けば、私でも外食は可能なのだろうが、安全な食事が特別な場所へ行かないと得られないというのは、考えてみれば奇妙ことのようにも思える。
2011年10月02日
昨日来客、再び、避難。
来客は、香水や整髪料などの明らかに私にとって害となる化学物質を付けていなくとも、意識せぬ間に服や髪等に付いてしまっている物質を持ち込むことになる。さすがに6人もの来客ともなると、それらの物質は応える。しかも、昨日は機材などの持ち込みもあったため、かなりぐったりとなってしまった。
客間ではなく、父の仕事場に来た。父の仕事場は、私の部屋と同じ階にあるた。おまけに、父の仕事場との境には、先日、貼った障子(この日のために貼ったのだが)。自室で寝ているわけにも行かず、台所に避難。椅子を2つ並べて横になっていたものの、体が熱っぽくなってきてだるい、頭が重くなる。風邪で熱が出たときのような症状が出てきてしまった。
自分の来客なら、事前に私の病気のことを話し了解をもらえるが、家の者の元への来客、しかも、仕事関係となると、私の病気に対しての配慮を求めることは出来ない。私にとって不都合のある客が来たら逃げるのみ。
いつもの場所に避難。要するに、また、寺の境内に併設の公園に行った。
体調がよくて、空いた時間が出来たというのであれば、ちょっと一息、喫茶店にでも行ってこよう♪と、うきうき気分にもなれようが、体調が悪くて本当は横になりたいのに別の場所で時間を潰さなくてはならないというのは、かなりうんざりする時間を過ごすということになる。しかも、行ける場所は限られている。もっとも、行ける場所があるだけありがたいわけで、これで雨でも降っていたら、どこへ避難すればいいのだろうと思ってしまう。
自分が居るべき場所でない所で、ただ時間が過ぎるのを待つのは、なんとも複雑な心持になる。私の場合、頻繁に避難しなくてはならないことが生じる生活ではあるが、長くてもほんの数時間の避難で家に戻ることが出来る。震災後、半年経った今でも、避難生活を続けている方々がいらっしゃる。本来の自分の生活圏の外で生活していることで、生活が不便だという以外に、自分の居場所でない場所にいることの不安感や焦燥感など、簡単に言葉には出来ないような複雑な気持ちを抱えて過ごされているのであろうことを思うと、胸が締め付けられる思いがする。
昨日は、土曜日だったため、寺の公園には、それなりの人数の人々が居た。ベンチに横になるのもはばかられ、公園内をふらふら歩く。
公園には金木犀のニオイが漂っていた。数日前に見たときは、まだ、花芽は硬い緑色だったが、遠くからでも金木犀の木にはオレンジ色が見える。もう、咲いたかと近づいてみると、まだ、蕾のままだった。蕾でさえこれほど匂うのだから、開花したらどれほどの匂いになるのかと、ちょっと怖気づいてしまう。
まだ、この程度なら近づけるが、満開になったら、息苦しくて近づけない。
蕾が多くある箇所を選んで何気なく撮ったのだが、何やら呼ばれた気配がして、撮った蕾を見ると、なんだか変。
しばらく凝視して、何か変だと感じた原因がカマキリだったことに気付く。葉に成りきって動かないのだ。葉に隠れていて、全体がよく見えなかったので、私があれこれ方向を変えて見ていると、さすがにカマキリのほうも、私のことを「アレは何だ?」と、思ったのか、カク・・カク・・・・と、カマキリ特有のカクカクとした動作で頭を動かし始めた。
実は、カマキリは、結構、好きなのだ。
カマキリを見つけたことで、 体の不調<好奇心 と、なってしまい、ちょっと元気が出る。
再び撮ると、カマキリは、しっかりカメラ目線(?)
ところで、カマキリには、この世界はどう見えているのだろうと思ってしまった。カマキリの目は複眼なのは知っているが、そういうことではなく、原発の事故後、目には見えないが変わってしまった世界を昆虫達はどう感じているのだろうかと。
隣の市でかなり高い数値が検出された。
金木犀の他に銀木犀もあることを思い出し、銀木犀の開花具合を確認に行く。
こちらは、金木犀より固い蕾。そういえば、去年も銀木犀の方が、やや後に咲いていたことを思い出す。名前には銀と付いているが、色はややクリーム色がかった白。同じような形の花が咲くが、オレンジ色の目立つ金木犀に比べ、おとなしく控えめな感じがする。しかし、ニオイの強烈さは、ほとんど同じ。
寺の境内と公園の金木犀は全部で4〜5本ある。これからしばらくは、何かあっても、ここに避難するのは、ちょっと苦しいだろう。
先日の避難の時、異界の入り口かと見えた彼岸花は、近づいてみれば錆びたトタンと古タイヤを背景に、なんだか裏寂れた花に見えてしまった。先日の魔力は消えていた。
先日のブログに知人が謎のコメントをくれた。どうやら私を挑発(?)している様子。
「彼岸花は歩くのを知ってますか?」
こういうことを言われてしまうと、何?何?と、私が反応してしまうのを、彼女はよく心得ている。
*
一応、ブログに書く以上、カマキリが複眼であることを確認するためにネットで調べていて、カマキリの目は色が変ることを見つけてしまった。
カマキリの目は複眼(ふくがん)です。黄緑色の目が、夜には黒くなります。これによって、カマキリは夜でも目が見えているのです。ですから、夜にかつどうするこん虫もたべることができます。(教室生物ワールド カマキリ より)
ああ、こうやって、どうでもいい知識ばかりが増えてゆく。。。
来客は、香水や整髪料などの明らかに私にとって害となる化学物質を付けていなくとも、意識せぬ間に服や髪等に付いてしまっている物質を持ち込むことになる。さすがに6人もの来客ともなると、それらの物質は応える。しかも、昨日は機材などの持ち込みもあったため、かなりぐったりとなってしまった。
客間ではなく、父の仕事場に来た。父の仕事場は、私の部屋と同じ階にあるた。おまけに、父の仕事場との境には、先日、貼った障子(この日のために貼ったのだが)。自室で寝ているわけにも行かず、台所に避難。椅子を2つ並べて横になっていたものの、体が熱っぽくなってきてだるい、頭が重くなる。風邪で熱が出たときのような症状が出てきてしまった。
自分の来客なら、事前に私の病気のことを話し了解をもらえるが、家の者の元への来客、しかも、仕事関係となると、私の病気に対しての配慮を求めることは出来ない。私にとって不都合のある客が来たら逃げるのみ。
いつもの場所に避難。要するに、また、寺の境内に併設の公園に行った。
体調がよくて、空いた時間が出来たというのであれば、ちょっと一息、喫茶店にでも行ってこよう♪と、うきうき気分にもなれようが、体調が悪くて本当は横になりたいのに別の場所で時間を潰さなくてはならないというのは、かなりうんざりする時間を過ごすということになる。しかも、行ける場所は限られている。もっとも、行ける場所があるだけありがたいわけで、これで雨でも降っていたら、どこへ避難すればいいのだろうと思ってしまう。
自分が居るべき場所でない所で、ただ時間が過ぎるのを待つのは、なんとも複雑な心持になる。私の場合、頻繁に避難しなくてはならないことが生じる生活ではあるが、長くてもほんの数時間の避難で家に戻ることが出来る。震災後、半年経った今でも、避難生活を続けている方々がいらっしゃる。本来の自分の生活圏の外で生活していることで、生活が不便だという以外に、自分の居場所でない場所にいることの不安感や焦燥感など、簡単に言葉には出来ないような複雑な気持ちを抱えて過ごされているのであろうことを思うと、胸が締め付けられる思いがする。
昨日は、土曜日だったため、寺の公園には、それなりの人数の人々が居た。ベンチに横になるのもはばかられ、公園内をふらふら歩く。公園には金木犀のニオイが漂っていた。数日前に見たときは、まだ、花芽は硬い緑色だったが、遠くからでも金木犀の木にはオレンジ色が見える。もう、咲いたかと近づいてみると、まだ、蕾のままだった。蕾でさえこれほど匂うのだから、開花したらどれほどの匂いになるのかと、ちょっと怖気づいてしまう。
まだ、この程度なら近づけるが、満開になったら、息苦しくて近づけない。
蕾が多くある箇所を選んで何気なく撮ったのだが、何やら呼ばれた気配がして、撮った蕾を見ると、なんだか変。しばらく凝視して、何か変だと感じた原因がカマキリだったことに気付く。葉に成りきって動かないのだ。葉に隠れていて、全体がよく見えなかったので、私があれこれ方向を変えて見ていると、さすがにカマキリのほうも、私のことを「アレは何だ?」と、思ったのか、カク・・カク・・・・と、カマキリ特有のカクカクとした動作で頭を動かし始めた。
実は、カマキリは、結構、好きなのだ。
カマキリを見つけたことで、 体の不調<好奇心 と、なってしまい、ちょっと元気が出る。再び撮ると、カマキリは、しっかりカメラ目線(?)
ところで、カマキリには、この世界はどう見えているのだろうと思ってしまった。カマキリの目は複眼なのは知っているが、そういうことではなく、原発の事故後、目には見えないが変わってしまった世界を昆虫達はどう感じているのだろうかと。
隣の市でかなり高い数値が検出された。
金木犀の他に銀木犀もあることを思い出し、銀木犀の開花具合を確認に行く。こちらは、金木犀より固い蕾。そういえば、去年も銀木犀の方が、やや後に咲いていたことを思い出す。名前には銀と付いているが、色はややクリーム色がかった白。同じような形の花が咲くが、オレンジ色の目立つ金木犀に比べ、おとなしく控えめな感じがする。しかし、ニオイの強烈さは、ほとんど同じ。
寺の境内と公園の金木犀は全部で4〜5本ある。これからしばらくは、何かあっても、ここに避難するのは、ちょっと苦しいだろう。
先日の避難の時、異界の入り口かと見えた彼岸花は、近づいてみれば錆びたトタンと古タイヤを背景に、なんだか裏寂れた花に見えてしまった。先日の魔力は消えていた。先日のブログに知人が謎のコメントをくれた。どうやら私を挑発(?)している様子。
「彼岸花は歩くのを知ってますか?」
こういうことを言われてしまうと、何?何?と、私が反応してしまうのを、彼女はよく心得ている。
*
一応、ブログに書く以上、カマキリが複眼であることを確認するためにネットで調べていて、カマキリの目は色が変ることを見つけてしまった。
カマキリの目は複眼(ふくがん)です。黄緑色の目が、夜には黒くなります。これによって、カマキリは夜でも目が見えているのです。ですから、夜にかつどうするこん虫もたべることができます。(教室生物ワールド カマキリ より)
ああ、こうやって、どうでもいい知識ばかりが増えてゆく。。。
2011年10月01日
ついに9月も終わり、10月になった。もう、これで、熱中症の心配はなくなった。長かった夏がやっと終わった。
6月も7月も8月も9月も、ほとんど同じ日数なのに、6、7、8月のそれぞれの1か月間のなんと長く感じたことか。ああ、やっと6月が終わった、ああ、やっと7月が終わった。ああ、やっと8月が終わった・・・。ほとんど活動が出来ない状態で、暑さに耐え、夏が早く終わることのみを念じて過ごした時間。
それに引き換え、少し涼しくなりやっと動き出せるようになった9月は、あれもやらなくては、これもやらなくてはと、気ばかり焦り、体が付いてゆかず、あっという間に終わってしまった感じだ。
時間の長さの感じ方は、自分の状態によってこれほども変るもなのだと、改めて実感する。
*
夏の間の暑さに加え、新品の冷蔵庫や張り替えた障子紙の反応で、体内の化学物質濃度が上昇してしまったところに、塗料、香水、防虫剤の3点セット。なかなか応えている。
脳みその中で何が起きているのか、どうにもこうにも通常通りの神経伝達が行われてくれていないようで、電子レンジを開けるつもりが冷蔵庫を開けて「あれ?今、自分は何をしようとしてたんだ?」、洗面に何かを取りに行って「あれ、何を取りに来たんだ?」、部屋に戻り「そうだ、タオル」と何故か台所へ向う。台所へ行って、自分の行動がかみ合っていないことに気付き「違うでしょ!」と自分で突っ込みを入れる。思考と行動、前後の思考が繋がらない。体内に溜まってしまったものが軽減して症状が消えてゆくのを待つしかないだろう。体もだるく、異常に眠い。体が休めと言っている。実際、一日のうちで横になっている時間は増えた。
とはいえ、ブログ休止を決めた数ヶ月前に比べれば、かなり体は楽になってきている。
体力の低下と共に気力が落ちてくる中、頑張ろうという気持ちを維持していくことは難しい。投げやりになってしまえば、食事などの体調管理もいい加減になってきてしまう。すると、ますます体調は悪化する。そうならないために、「とにかく今日一日をなんとか過ごすこと」に気持ちを集中させて、じりじりと一歩ずつ歩みを進めて、夏の終わりまで歩いてこられた気がする。寺で手を合わせ「どうぞ、今日一日を」と願ってきた。
ブログの休止中、記事のコメント欄、及び拍手のコメント欄にたくさんの応援のお言葉をいただき、本当にどうもありがとうございました。拍手のほうのコメント欄にご記入下さいました方には、お返事が書けませんでしたが、皆様のお言葉に、どれだけ励まされたことか。
自分の体の世話に疲れ、抱えているもの全てを手放して消えてしまいたいと思う気持ちと、見守ってくれている人がいる、心配してくれている人がいる、頑張らなくてはという気持ちの間で、揺れ動いていた夏。
ブログを止めていた夏の間、パソコンに向わない生活は肉体的には楽だった。しかし、精神的には、書くことによって救われていた部分もあることを感じさせられた。外界との接触は気力を維持していく上で必要なものなのかもしれない。周りと繋がっていることの安心感。自分がそこに居ていいことの安堵感。
また、だらだらと書き始めたものの、身体的な負担がないとは言い切れない。短くちょっとだけ書けばよいのだろうが、出来ない性分で困ったものだ。
休止前の体の状況では、秋になってもブログの再開は難しいかもしれないと感じていた。発症後、書いてきた記事をネット上だけでなく残しておこうと、ブログ本にした。
そして、その量に自分で驚いた。これほどたくさん書いてきたのかと。
情報発信というほどの大それたことはしていないが、この病気を発症したことによって、自分の中に生じてしまった疑問をなんとなく書いてきたものの、読んでくれる人がいなかったなら、ここまで書き続けられなかったと思う。パソコンの前に居る私には見えないが、文字の向こうに読んでくれている人がいる、疑問に思って一緒に考えてくれる人がいる。繋がりと共感と、そういったものに支えられてきたのだろうと、これだけの量になったブログ本を目にした時、感じた。
夏の間、心配して気にかけていてくださった皆様、ずっとこのブログを呼んでいてくださる皆様、本当にどうもありがとうございます。
体の具合と相談しながらになりますので、きまぐれで書いたり書かなかったりになるかもしれませんが、今後とも、よろしく願いいたします。
*
夏の疲れが出始める頃なのでしょうか、このところ風邪を引いている知り合いや、うっかりミスで怪我をしてしまった人、持病が出てきてしまった人、いろいろと不調を訴えている人が多いように感じます。
どうぞ、皆様、お体に気をつけてお過ごし下さい。
6月も7月も8月も9月も、ほとんど同じ日数なのに、6、7、8月のそれぞれの1か月間のなんと長く感じたことか。ああ、やっと6月が終わった、ああ、やっと7月が終わった。ああ、やっと8月が終わった・・・。ほとんど活動が出来ない状態で、暑さに耐え、夏が早く終わることのみを念じて過ごした時間。
それに引き換え、少し涼しくなりやっと動き出せるようになった9月は、あれもやらなくては、これもやらなくてはと、気ばかり焦り、体が付いてゆかず、あっという間に終わってしまった感じだ。
時間の長さの感じ方は、自分の状態によってこれほども変るもなのだと、改めて実感する。
*
夏の間の暑さに加え、新品の冷蔵庫や張り替えた障子紙の反応で、体内の化学物質濃度が上昇してしまったところに、塗料、香水、防虫剤の3点セット。なかなか応えている。
脳みその中で何が起きているのか、どうにもこうにも通常通りの神経伝達が行われてくれていないようで、電子レンジを開けるつもりが冷蔵庫を開けて「あれ?今、自分は何をしようとしてたんだ?」、洗面に何かを取りに行って「あれ、何を取りに来たんだ?」、部屋に戻り「そうだ、タオル」と何故か台所へ向う。台所へ行って、自分の行動がかみ合っていないことに気付き「違うでしょ!」と自分で突っ込みを入れる。思考と行動、前後の思考が繋がらない。体内に溜まってしまったものが軽減して症状が消えてゆくのを待つしかないだろう。体もだるく、異常に眠い。体が休めと言っている。実際、一日のうちで横になっている時間は増えた。
とはいえ、ブログ休止を決めた数ヶ月前に比べれば、かなり体は楽になってきている。
体力の低下と共に気力が落ちてくる中、頑張ろうという気持ちを維持していくことは難しい。投げやりになってしまえば、食事などの体調管理もいい加減になってきてしまう。すると、ますます体調は悪化する。そうならないために、「とにかく今日一日をなんとか過ごすこと」に気持ちを集中させて、じりじりと一歩ずつ歩みを進めて、夏の終わりまで歩いてこられた気がする。寺で手を合わせ「どうぞ、今日一日を」と願ってきた。
ブログの休止中、記事のコメント欄、及び拍手のコメント欄にたくさんの応援のお言葉をいただき、本当にどうもありがとうございました。拍手のほうのコメント欄にご記入下さいました方には、お返事が書けませんでしたが、皆様のお言葉に、どれだけ励まされたことか。
自分の体の世話に疲れ、抱えているもの全てを手放して消えてしまいたいと思う気持ちと、見守ってくれている人がいる、心配してくれている人がいる、頑張らなくてはという気持ちの間で、揺れ動いていた夏。
ブログを止めていた夏の間、パソコンに向わない生活は肉体的には楽だった。しかし、精神的には、書くことによって救われていた部分もあることを感じさせられた。外界との接触は気力を維持していく上で必要なものなのかもしれない。周りと繋がっていることの安心感。自分がそこに居ていいことの安堵感。
また、だらだらと書き始めたものの、身体的な負担がないとは言い切れない。短くちょっとだけ書けばよいのだろうが、出来ない性分で困ったものだ。休止前の体の状況では、秋になってもブログの再開は難しいかもしれないと感じていた。発症後、書いてきた記事をネット上だけでなく残しておこうと、ブログ本にした。
そして、その量に自分で驚いた。これほどたくさん書いてきたのかと。
情報発信というほどの大それたことはしていないが、この病気を発症したことによって、自分の中に生じてしまった疑問をなんとなく書いてきたものの、読んでくれる人がいなかったなら、ここまで書き続けられなかったと思う。パソコンの前に居る私には見えないが、文字の向こうに読んでくれている人がいる、疑問に思って一緒に考えてくれる人がいる。繋がりと共感と、そういったものに支えられてきたのだろうと、これだけの量になったブログ本を目にした時、感じた。夏の間、心配して気にかけていてくださった皆様、ずっとこのブログを呼んでいてくださる皆様、本当にどうもありがとうございます。
体の具合と相談しながらになりますので、きまぐれで書いたり書かなかったりになるかもしれませんが、今後とも、よろしく願いいたします。
*
夏の疲れが出始める頃なのでしょうか、このところ風邪を引いている知り合いや、うっかりミスで怪我をしてしまった人、持病が出てきてしまった人、いろいろと不調を訴えている人が多いように感じます。
どうぞ、皆様、お体に気をつけてお過ごし下さい。
2011年09月30日
夏の終わりの昼下がり中年女がぽつりと独り
緑茂った公園で
ベンチに座ってパンを食む
遠くに見える曼殊紗華
光を浴びた赤い華
そこより異界へ行けようか
*
暑さもおさまり、熱中症の心配がなくなった今も、毎日、寺に通っている。
昨日は、お参りの際、「今日一日無事過ごせますように」と願わなかったせいなのか、久しぶりに倒れることとなった。
昼頃、窓から揮発性のきついニオイが流れ込んできた。ニオイの他、目への刺激。ちょっとクラクラし始める。かなり近い距離からのニオイと判断。ペンキ等の塗料のニオイのようであったため、どこでどのくらいの規模の塗装工事をしているのか偵察に行った。風の向きから判断して検討をつけて風上から回り込んでみる。果たして、塗装屋のバンを見つける。一般の住宅ではなく、工場の敷地内だったため工事の詳細は見えなかったが、「ああ、これじゃあね・・・」と、部屋に流れ込んできたニオイに納得。
とりあえず、帰宅。少しニオイはおさまってきていたようだったので、台所の窓を閉め、昼食の支度にかかる。
で、倒れた。・・・が、熱中症ではない。
家の者が衣替えをしてたようで、締め切ってしまった部屋の中に、私にとっての危険レベルに充分な防虫剤が充満していたのに気付かなかったようだ。防虫剤はニオイがないので、刺激から判断するしかないのだが、体の異常は塗装工事のものだと思っていたのだ。台所で床に崩れ倒れ動けなくなっているのを家の者が見つけて台所から引っ張り出した。
すっかり忘れていたが、衣類の入れ替えのたびに、毎度のことなのだ。
昨夜から、何やら家の者ががさごそやっていたのは知っていた。どうやら、昨日の夜中に衣類の入れ替えを始めていたらしい。
昨夜は、妙に神経がピリピリして苛立ち夜半過ぎまで寝付けなかったし、今朝は、ずっと咳き込んでいた。しかし、イライラしていたのは、別の精神的なことが原因だと思っていたし、咳は風邪を引いたのだと思っていた。他の不調と化学物質による体の異変を見分けるのは難しい。
障子貼り以後、いや、新品の冷蔵庫以後だろうか、化学物質の暴露に遭い続けている。体内の化学物質の蓄積量がかなり増えてしまったのか、一時は反応が出なくなったものにも反応が出始めていた。踏んだりけったりという言葉があるように、悪いことは続くもののようで、一昨日は、家の者が室内でセメダインを使い、今朝は来客の香水にも遭っていた。そして、塗料と防虫剤。とくれば、もう・・・。
台所から引っ張り出してもらった後、自力で勝手口から這い出し、コンクリートの上で横になり回復を待った。幸い、塗装のニオイは流れてこなくなっていた。家の中と外とで空気が違うのが分かる。少し動けるようになった後、一番近くの寺の入り口に避難させてもらおうと、家の者に引っ張っていってもらうが、生憎、工事の車が来ていた。大きな寺まで引っ張っていってもらう。いつもの避難先の公園は境内の向こう側にあるのだが、公園まで行く気力はない。境内の灯篭脇の日陰になっているベンチを見つけそこで横になる。幸いなことに境内に人気はなかった。
発症後、初めてベンチに横になったときは、苦しいことよりもベンチに寝ていることが居心地が悪くやるせない思いに駆られたものだが、慣れとは怖いもので、今日など、開き直って平気でベンチに寝ている自分に気付いた。もっとも、周りに人がたくさんいたら話は別なのだろうが、初めてベンチに寝たときは、人がいなくても、何かやってはいけないことをしているようで身を小さくしていたのだ。
ベンチから見上げる空は雲ひとつなく青かった。日向では汗ばむ陽気だったが、風が通る日陰は心地よく、開き直って横になっているとはいえ、やはり自分がそこでそうしていることは不本意であった。どうしてこんなことをしていなくてはならないのだという自分のなかで消化しきれない思いがあり、青い空の中に溶けて消えていってしまえればいいのにと思ってしまう。
しばらく、人気がなかった境内にも、起き上がって座っていられるくらいに回復してきた頃、人影が増してきた。やはり、お寺さんが見守っていてくれたのだろうか。
いったん、家に戻り、外出の支度をして再び、外に出る。以前、同じようになった時は、握り飯を作って水筒を持って公園に避難したが、今回は、倒れた場所が台所だったので、再び台所に入るのはやめて、外でパンと飲み物を調達。
昼食の時間をとうに過ぎた頃、公園のベンチで独りパンを口にした。いつもと同じベンチに座り、いつもと同じ風景を見て、いつもと同じことを思う。
居場所がない。
本当は、横になっていたいのだ。でも、家で暴露してしまうと、横になって休める場所がない。私は、まだ、避難できる公園が近くにあるだけよい。避難できる場所もない同病の方もいることを思うと、居場所がないなどと言うのは贅沢なのだが、心理的な意味合いで居場所がないのだ。
自分のせいで、家の者に不自由を強いている。家の者に衣類の入れ替えをするなとは言えない。彼女は私には防虫剤は使っていないと言ってはいるが、私は押入れの中に、防虫剤の箱を見つけている。彼女の言葉が本当なのか、それとも、偽りなのか、それは問題ではない。問題は、私の生き方と家の者たちの生き方が著しく異なる方向に向っていて、それなのに同じ家に住んでいるということが問題なのだ。
一番よいのは、私が他の場所で生活をすることなのだが、それが叶わない現実。私も苦しいが、家の者も苦しいだろう。他人に苦痛を強いていることもまた、私にとっては苦痛なのだ。
パンを食べ終わった後、家で衣類の入れ替えが終わるまで、ぼーっとベンチに座ったまま時間をつぶす。遠くに一塊の彼岸花が見えた。日陰の緑の中、そこだけ日が差し、彼岸花の赤い色がやけに鮮やかだった。
その花が彼岸花だったせいなのだろうか、その周りだけこちらの世界とは別の世界のような不思議な雰囲気をたたえていた。あそこが異界への入り口なら、その扉を開いてあちらの世界へ行ってしまいたい。赤い花から目が離せなくなる。
しかし、彼岸花は、あちらの世界への入り口などではない。この世で、どれほど身の置き場がなかったとしても、消えてしまうことは出来ない。
パンを買いに行く途中に、ススキを見つける。苦しいー、横になりたいー、もう嫌だー、消えてしまいたいーと、トーンダウンしていても、「あー、立派なススキだ」と、ちゃっかり写真を撮る余裕があるのだから、まだ、限界までは追い詰められていない。大丈夫。
苦しい中でも、呑気な自分が顔を出してくれることで救われている。案外、私は能天気な性格なのかもしれない。
そういえば、と、わが身を振り返る。夏の間、熱中症にならないようにということだけに気持ちを向けて生活してきた。暑くて窓を開け放してあるため、近隣の洗剤類の化学物質には悩まされていたものの、生活の中での化学物質にはいつもより無頓着になっていたような気がする。
衣替えは、心替え。心替えというと変だが、私にとって家の者の衣替えの時期は、次の季節に向けて心構えをリセットする時期ということなのだろう。
来年こそは、同じ目に遭わないように気をつけねば。
2011年09月29日
よりによって障子を貼っている途中、知り合いから電話があった。ややパニック状態で電話に出たものの、後日、彼女のところへ電話の話の訂正にでかけなくてはならなかった。
事情を説明し、なぜ、こんな時期に障子の貼り替えをしているのか説明する。そして、反応が出てしまって、すぐに来られなかったことを詫びると、私の病気のことを知っている彼女は、「糊かい?」と言う。反応は糊ではないと答えると、どうして和紙の障子紙に反応するのかと訝し気な顔をされた。
一般的な障子紙の原料はポリエステルであること、私が取り寄せた紙は原料は楮だが製造工程で化学物質が使われていることなどを説明する。「へー」「はー」「ふーん」と、驚かれる。多分、私もこの病気になっていなかったなら、障子紙は和紙、日本家屋で使われている素材は天然のものと思い込んでいただろう。見た目は変らずとも、知らず知らずのうちに生活の中で自然素材と化学物質が入れ替わっている事実に気付くことはなかったかもしれない。
そんなのどっちだって構わないという人もいるだろうし、ならば購入時に気をつけようという人もいるだろう。その事実に対して、どう考えるかということは、個人で違っていて当然だと思う。でも、製品を選ぶ時、知らないで天然素材だと思い込んで選ぶのと、見た目は同じでも原料、製法は違ったものであることを知って選ぶのとでは、何かが大きく違うと思う。
*
反応が出て、障子を取り去ってしまうと、開放感が生まれ、何だか部屋が広くなったような気がした。
これが冬だったら、寒くてかなわないが、夏なので、この方が風通しがよくなってかえってよいではないか、などと、呑気なことを考えていたが、続く数日間の猛暑にそんなことも言っていられなくなった。
この部分に障子がないと、エアコンが使えないのだ。障子を外した時点で、そこまでは考えていなかった。
暑さに耐えようかと思ったが、反応の後遺症で体調が優れないうえに35度を越す暑さでは、再び熱中症になってしまうのではないかと、去年の悪夢がよみがえる。
エアコンの冷気が逃げないように、何か遮るものをと、障子のあるべき場所にタオルケット2枚を画鋲で留めて吊るしてみた。
「ふっ、ふっ、ふっ、これならどうだ!」と、エアコンのスイッチを入れると、エアコンからの風にタオルケットはぴらぴら揺れて、冷気はどんどん逃げてしまう。ならば、と、2枚の端を洗濯バサミで留めてみるものの、隙間からスースー冷気は抜けてゆく。がっかり・・・
うーん、うーん、うーんと、考えて、タオルケットの端を互いに少し重ねて止めてみると、あれまあ、これがよい感じ。隙間はできないし、裾も捲れない。
ほんのちょっとの工夫で、これほども変わるかと、「なんて、頭がいいんだろう」と一瞬、自惚れるも、こんな単純なことに初めから気付かなかった自分に、「頭が回ってないなぁ」と、自己嫌悪。反応が出てしまっていると、思考回路が充分に機能してくれない。こんなことを思いつくのにさえ、数十分を要してしまう。ああ、情けない。
とりあえず、障子なしでもエアコンが使えた。よしよし。
*
冬は反応が出た場合、障子を外すと寒すぎるので、ならば、夏に、と、単純に考えていたが、真夏に障子を貼り替えてみて、夏は夏で障子の貼り替えにはあまり適さない時期だと思った。
基本的には、発症者自身が自分で貼り替えをすることはお勧めしないが、もし、どうしても自分でやらなければならない場合、気温の高い夏では、貼っている作業中に化学物質の揮発量が多いため吸い込んでしまう量が多いと思われる。
貼った後、数日の日干しを要することを考えると、晴れの日が続く時期を選ぶ必要がある。反応が出てしまう間、障子を外しておいても寒すぎない季節、暑すぎない時期。そうなると、春か秋ということになるのだろうか。
貼り替えに使う紙の選択も難しければ、貼り替える時期の選択も難しい。
障子の貼り替えで、これほど苦労するとは、思ってもみなかったが、障子を通して、いろいろと考えることが出来た。それはそれで、私にとってはよい経験だったのかもしれない。
事情を説明し、なぜ、こんな時期に障子の貼り替えをしているのか説明する。そして、反応が出てしまって、すぐに来られなかったことを詫びると、私の病気のことを知っている彼女は、「糊かい?」と言う。反応は糊ではないと答えると、どうして和紙の障子紙に反応するのかと訝し気な顔をされた。
一般的な障子紙の原料はポリエステルであること、私が取り寄せた紙は原料は楮だが製造工程で化学物質が使われていることなどを説明する。「へー」「はー」「ふーん」と、驚かれる。多分、私もこの病気になっていなかったなら、障子紙は和紙、日本家屋で使われている素材は天然のものと思い込んでいただろう。見た目は変らずとも、知らず知らずのうちに生活の中で自然素材と化学物質が入れ替わっている事実に気付くことはなかったかもしれない。
そんなのどっちだって構わないという人もいるだろうし、ならば購入時に気をつけようという人もいるだろう。その事実に対して、どう考えるかということは、個人で違っていて当然だと思う。でも、製品を選ぶ時、知らないで天然素材だと思い込んで選ぶのと、見た目は同じでも原料、製法は違ったものであることを知って選ぶのとでは、何かが大きく違うと思う。
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反応が出て、障子を取り去ってしまうと、開放感が生まれ、何だか部屋が広くなったような気がした。これが冬だったら、寒くてかなわないが、夏なので、この方が風通しがよくなってかえってよいではないか、などと、呑気なことを考えていたが、続く数日間の猛暑にそんなことも言っていられなくなった。
この部分に障子がないと、エアコンが使えないのだ。障子を外した時点で、そこまでは考えていなかった。
暑さに耐えようかと思ったが、反応の後遺症で体調が優れないうえに35度を越す暑さでは、再び熱中症になってしまうのではないかと、去年の悪夢がよみがえる。エアコンの冷気が逃げないように、何か遮るものをと、障子のあるべき場所にタオルケット2枚を画鋲で留めて吊るしてみた。
「ふっ、ふっ、ふっ、これならどうだ!」と、エアコンのスイッチを入れると、エアコンからの風にタオルケットはぴらぴら揺れて、冷気はどんどん逃げてしまう。ならば、と、2枚の端を洗濯バサミで留めてみるものの、隙間からスースー冷気は抜けてゆく。がっかり・・・
うーん、うーん、うーんと、考えて、タオルケットの端を互いに少し重ねて止めてみると、あれまあ、これがよい感じ。隙間はできないし、裾も捲れない。ほんのちょっとの工夫で、これほども変わるかと、「なんて、頭がいいんだろう」と一瞬、自惚れるも、こんな単純なことに初めから気付かなかった自分に、「頭が回ってないなぁ」と、自己嫌悪。反応が出てしまっていると、思考回路が充分に機能してくれない。こんなことを思いつくのにさえ、数十分を要してしまう。ああ、情けない。
とりあえず、障子なしでもエアコンが使えた。よしよし。
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冬は反応が出た場合、障子を外すと寒すぎるので、ならば、夏に、と、単純に考えていたが、真夏に障子を貼り替えてみて、夏は夏で障子の貼り替えにはあまり適さない時期だと思った。
基本的には、発症者自身が自分で貼り替えをすることはお勧めしないが、もし、どうしても自分でやらなければならない場合、気温の高い夏では、貼っている作業中に化学物質の揮発量が多いため吸い込んでしまう量が多いと思われる。
貼った後、数日の日干しを要することを考えると、晴れの日が続く時期を選ぶ必要がある。反応が出てしまう間、障子を外しておいても寒すぎない季節、暑すぎない時期。そうなると、春か秋ということになるのだろうか。
貼り替えに使う紙の選択も難しければ、貼り替える時期の選択も難しい。
障子の貼り替えで、これほど苦労するとは、思ってもみなかったが、障子を通して、いろいろと考えることが出来た。それはそれで、私にとってはよい経験だったのかもしれない。
2011年09月28日
とりあえず、起きて生活しているものの、体は重く、思うように行動できない。体調を崩した春以来、生活半径は極端に狭まっている。支払いなどのどうしても避けられない用件で銀行や郵便局に行く以外は、外出と言えば、毎日通っている近くの寺と同じ町内の知人の店に顔を出しにいくくらい。涼しくなってきたことだし、少し散歩でも再開しようかと思っているのだが、なかなか体がそこまでいかない。
寺の門へ向う道では、少し前から団栗が膨らみ始めている。
まだ緑色をした団栗は、実り始めは、実の部分より帽子の方が大きくアンバランスなのだが、その様子が、なんとも可愛らしい。仲間と一緒に皆で木に付いている青い団栗は、茶色くなって落ちた団栗より、なんだか楽しそうに見える。風が葉をゆする音がそう思わせたのか、小さな団栗たちが、なにかこそこそと楽しげな内緒話をしているように感じた。昨日、寺にお参りに行くと、本堂の階段の前に枯葉が一枚、吹き寄せられていた。木製の階段に映る影も心なしか秋の様相を帯びてきている。
いつもは、お参りを済ませるとすぐに帰ってきてしまうのだが、心地よい風に誘われて、昨日は隣接の公園に足を伸ばす。オウチの木には、丸々とした実が鈴なりについていた。
実り始めの季節。団栗でもそうだが、熟す前の実は、緑色をしているため、気をつけて見ないと葉の緑と混ざり見落としてしまう。しかし、見つけたときは、なんだか嬉しい。
狭い行動半径の中でも、気を付けて見れば、季節の移り変わりの気配を見つけることが出来るものだ。
ただひたすら「暑いー、辛いー、動けないー」とぐったりして、何も出来ずに停滞してた私などと違い、植物達は、夏の暑さの間もそれに見合った成長を続け、こうして実りの時期に至ったのだなと、立ち止まったまま先に進むことが出来ない自分が見えてくる。体が思うようにならないもどかしさと、苛立ち。
そのまま公園を散策していると、金木犀に花芽を発見。うわー、これが全部咲いて匂うのか・・・と、金木犀の強烈な匂いを思い出し苦笑する。
今の時期、実る木がある一方で、これから咲く準備をしている木もある。
あせらずとも、自分のペースで進め。それぞれの木が咲く時期も実る時期も異なるように、人間だって、皆が皆、同じでなくてもよいのだから。
気を取り直して、寺から帰る道、団栗の小枝が道に落ちていた。行きには落ちていなかったのに。早く仕事を再開しなくては、と、しばらく前から、団栗を作っているのだが、体が付いてゆかず、なかなか作業がはかどらないでいる。早く仕上げて納品しないと、時期が終わってしまう。本来なら、季節に先駆けて装うものを作っているので、店舗に並ぶのは、ひとシーズン先をいっていなくてはならないのに。気持ちは焦るものの、作業台の前に座っても1時間もしないうちに、しんどくなって隣の部屋で横になる日々。今年のシーズンには間に合いそうにないから諦めて別のものを作り始めたほうがよいかと思っていた。
道に落ちた団栗は、「焦らなくてもいいから、作りなよ」と、言ってくれた様な気がして、拾って持って帰ってきた。今の私には、その時に目の前にあるものを丁寧に作ってゆくしかない。焦ったところで、よい結果は出ないだろう。作業台の上に置いた団栗は、しばらくは、私のお守りとなってくれることだろう。
2011年09月27日
手順に従い、障子の桟に糊を塗る。糊は、障子用のものではなく、反応が出ないことが確認済みのヤマト糊を水で薄めて使った。しかし、でんぷん糊が腐敗もせずに長時間保存が利くわけがないので、何らかの保存剤は使われているのだろうと思うと、ちょっとした糊付けではなく、障子貼りで大量に使っても反応が出ないかどうか、心配ではあった。(しかし、他のものの反応が大きすぎて、ヤマト糊に反応したかどうかは確認できず。)説明書によると、桟の外周には多めに塗り、桟には楊枝の爪楊枝くらいの太さに糊を塗れを書いてある。そんな器用なことでないよ、と、思いつつも、桟には慎重に糊を塗ってゆく。障子の桟の全てに糊を塗った後、端を仮止めしてある障子紙をころころと転がして貼ってゆくことになっている。その通りにした・・・のだが、何か変?
障子紙を広げても桟の糊で障子が濡れないのだ。最初、紙が厚いせいで表まで染み出してこないのだと思ったのだが、いくらなんでもそんなに厚いはずがない。もしや、と、仮止めテープを剥がしてみると、クルクルクル・・・と、障子紙は丸まってしまった。紙が桟にくっ付いていない。桟を触ってみると、乾いている。桟全部に糊を塗っている間に、先に塗った部分の糊はすっかり乾いていたのだ。くっ付くはずがない。慎重にやりすぎで、時間が掛かりすぎてしまったか。
慎重に塗るのをやめ、大雑把にぺたぺたと塗り、再度、紙を載せる。それでも、最初に塗った部分は糊が乾いてしまい、くっ付かない。しかも、くっ付いている部分とくっ付いていない部分があるので、全部剥がしてやり直しも出来ない。この時点で失敗は分かっていたが、修正も出来ないため、取り合えず、周辺の余分な紙を切ることにする。
と、ここで、また問題発生。
半乾きの時に切るようにと書いてあるのだが、半乾きの状態が難しい。一般的なポリエステルの障子紙でも塗れている状態で切るときれいに切れないが、楮の場合、それ以上に悲惨な状態になった。糊の乾きが早いので、周辺部だけでもしっかり付いて欲しいと、たっぷり糊を塗ったのがいけなかったのだが、乾きすぎると余分な部分まで紙がくっ付いて取れないし、湿りすぎていると、このようになる。最初は、「いやぁ〜、さすが楮、繊維が強いねぇ。」などと思っていたが、だんだん、イライラしてくる。
幅ぎりぎりのところで作業をしているため、余分な紙を切るのに障子の横にしゃがむわけにもいかない。障子の両脇に足を置き、障子をまたぐ格好で立ち、前屈しながらの作業。普段使わない太ももの裏側から臀部にかけての筋肉がピクピクしてくる。まるで筋トレ。障子を貼って、筋肉痛とは、聞いたことがない。やっていて、情けなくなる。
障子を寝かせて貼るときは、両側に人一人しゃがめるだけのスペースを確保できる場所でやりましょう。(書くまでもないことだが。)
とりあえず、不要部分を切り終わる。そして、案の定、紙を載せる前に糊が乾いて紙が付いていない箇所があちこちにあることが判明。仕方がないので、爪楊枝の先に糊を付け、浮いている部分に隙間から無理やり糊を入れるという姑息な修正法を試みる。
1枚を貼るのに1時間以上かかり、とりあえず、1枚終了。
2枚目からは、作戦を変える。糊を桟の1段塗ったら障子紙を転がして載せてしまう。そして、次の段に糊を塗り、その分だけ紙を転がす・・・。それでも、左側から塗り始めて、右側を塗り終わって紙を載せるころには、左側が所々乾いてしまう。1段全部塗るのはやめ、1段の上半分ずつだけ塗って紙を載せと、試行錯誤し、なんとか作業と糊の乾きの時間の折り合いが取れるようになった。
夏の暑い日の真昼間に障子貼りをする場合、糊の乾きが早いことを考慮して作業しましょう。もっとも、そんな時に障子は貼らないほうがよいのだが。(書くまでもないことだ。)
余分な部分の切断も、やっているうちに程よい半乾き加減が分かってきて、きれいに切れるようになってきた。
そして、太陽は高くなり、気温も上昇。次なる問題発生。
作業をしながら、汗が障子紙にぽたり。下を向いて作業をしているため、顔の汗が落ち始めたのだ。首にタオルを巻き、汗をぬぐいながらの作業。汗で失われた水分を補給するため、水を飲みながらの作業。冬の障子貼りでは考えられない。
やはり、真夏のしかも猛暑日に障子貼りなど貼るものではない。いくら私が物好きでも、翌日の来客がなければ、こんな日に好き好んで障子貼りなどしなかった。急な来客などなければ、横になっていたいような日だった。とにかく、早く終わらせて早く横になりたいとの一心で作業を続けた。
数時間にわたる格闘の末、なんとか4枚の障子を貼り終えた。苦戦した割には、きれいに仕上がった。皺もなく、今まで貼った障子の中で一番のできばえと言っていいくらいの仕上がり。障子をあるべき場所に戻し、満足、満足。一般的なポリエステル素材の障子紙より、厚くしっかりした紙という印象だが、貼ってみると厚みからくる見た目の重たさは、さほど感じられない。
貼って間もなく、障子紙に障子の枠の角をぶつけたが、意外なことに、凹みはしたものの破けなかった。丈夫さを実感。
近づいてよく見ると、繊維の絡まりあい具合がポリエステル素材のものと、やや異なっていた。不思議な斑模様が見える。画像は、分かりやすくするために画像処理を加えてあるので、実際には、これほど斑には見えない。やはり、黄ばんで穴や継ぎ当てだらけの障子がはまっているのと、純白のまっさらな障子がはまっているのとでは、場の雰囲気が違う。ピンと心地よく張り詰めた清清しい緊張感のある空間に変った。
これで、めでたし、めでたし、と、なるはずだったが、障子をはめ、使った道具類を片付け、部屋に戻り一息ついた頃、「なんだか変?」と、体の異変に気付いた。
化学物質に接した時特有の微妙な緊張感が体に走っている。頭が締め付けられる感じ、胸部に圧迫感を感じ息苦しい。「?」「?」「?」と、ぼんやり考えているうちに頭痛が始まり、これは、間違いなく反応が出ていると結論付ける。原因は、どう考えても障子紙だろう。
慌てて、外して別室に移す。障子を取り去ると、先ほどまでの反応も徐々に薄れてきた。やはり、障子が原因だった。
おそらく作業をしているうちに「ランナーズハイ」のような状態になっていたのだろうと思う。作業中は、障子紙からの化学物質に対する反応が体に生じなかったのか、気付かなかったのか、とにかく、この障子には反応がでないと感じていた。
「ランナーズハイ」とは、マラソンなどで長時間走り続けると気分が高揚してくる作用で、エンドルフィンの分泌によるものとの説がある。エンドルフィンは、脳内麻薬と呼ばれ、モルヒネ同様の作用を示す物質だ。
普通の状態では反応が出るものでも、状態がハイになっていると体の化学物質に対する反応も普通ではないのかもしれない。
一息ついて、状態がハイではなくなった途端に、反応が出たようだ。
自覚症状として反応がなかったにしても、作業中、障子紙からの化学物質を吸っていたことは確かなので、その分の化学物質は体内に蓄積してしまったのだろう。障子を別室に移した後も、徐々に反応が現れ、当日の夜から翌日は、ぐったりしてしまった。
とりあえず、数日、ベランダで日干しをしたものの、あまり直射日光に当てていると、障子の枠のほうも傷んできてしまうので、その後は、別室に放置したままとなっている。
この障子紙は一般的なポリエステルのものより丈夫だということなので、これで、反応が消えてくれば、2〜3年は、貼り替えなくとも大丈夫だろう。

