第一話 語りのある街第三話 真壁のまちづくり その二

2007年10月03日

第二話 真壁のまちづくり その一

今日は真壁のまちづくりについて語りましょう
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昭和62年3月、関東鉄道筑波線が廃線となり、真壁町は国道、鉄道のない町となりました。もともと国道はなかったのですが、鉄道の廃線は真壁町の衰退の始まりでした。 
平成になると、バブル景気の崩壊とともに、この地域の活力源である石材業も、安価な外国産の石に押され衰退し、真壁町は活力を失い始めました。住民たちは「何もない町」と誇りまでを失い、真壁町は発展に終止符を打たれたようなものでした。
このような閉塞感のある時代の中で、真壁の持つよさに気づいた人たちがいました。真壁町の市街地は江戸初期につくられた町割りがそのまま残り、さらに、江戸後期から大正期にかけて建てられた蔵や門などもあちこちに姿を残していました。
平成5年になると、「真壁に残る蔵や門を保存し後世に伝えたい」と、数名の住民たちがディスカバーまかべという会を立ち上げました。その当時は「蔵や門を保存して何になる」という見方が大半でしたが、彼らは、街並みフォトコンテストや蔵のコンサート、瓦版の発行を行いながら、少しずつ賛同者を増やしていきました。
また、ほぼ同じ時期に、「商店街に人を戻したい」と仲町商店会が花いっぱい運動を進める一方、仲町の有志たちが空蔵を活用した仲町休憩所をオープンさせました。
「何もない町」と感じていた住民が大半を占める中、地元に残る蔵や門の保存や活用、花いっぱい運動は、自分たちの手でできることから町をよくしていこうとする住民たちの思いの現れであり、これが真壁再興の第一歩となりました。

今宵はここまでといたしましょう。  
その二へつづく




kaze_artist at 23:37│Comments(0)

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