GATHER SHOESExcellent Italian Greyhound

2007年05月22日

浅草キッド

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・ビートたけし / 浅草キッド

ニール・ヤングの音楽が面白いのは結局の所、殆ど音楽的要素に拠らないんじゃないかと言う結論にたどり着きそうな感覚と、トム・ウェイツの80年代後半からの作品が音楽的にはさほど悪くないのに糞つまらないのはどこか似ている。この二つの現象に共通しているのは楽曲への人生の刻まれ具合とでも言いましょうかね。ニール・ヤングが所謂ミュージシャンというよりはレコードへ自分の人生そのものを刻んで発表する随筆家に近い感覚のアーティストだとすれば、70年代〜80年代中盤のトム・ウェイツは自分の置かれている環境にちょっとしたうらぶれたネガティヴさとセンチメンタリズムの華を添えて美しく綴る詩人タイプでした。ですがトム・ウェイツはご存知のとおり映画俳優をやったりして所謂セレブ化が進んで以降その“詩”に対する存在的バックボーンを失ったため評価がそれほどよろしくないんじゃないかと。例えばビル・ゲイツが大瀧詠一の「びんぼう」をカヴァーして発表しても(しねぇけどさ)嫌味なだけという感じのイメージというかね。その点ニール・ヤングなんてのは何年かに一回出される音楽日記なもんでその時々思ってることがあられもなく吐き出される上にその内容が近頃の赤ん坊より純粋で正しくて、傷付き易いセンシティヴなもの。それなもんだからニール・ヤングがどんだけ似たような、でも美しい曲を書いたり、似たような、でも格好良いギターソロを弾いても存在的バックボーンを失ってないから賞賛される訳ですよね。で、今日のビートたけしさんの『浅草キッド』なんですが一応これはコンピレーション(そういうと格好良いけど選曲的な観点で見ればば不完全なベスト盤といった所か)で、最後に収録されている「浅草キッド」が表題になった物。たけしさんといえば最近だとなんだか教育知的バラエティ番組の司会だったり、世界的な映画監督だったりとなんだかメディアにとって都合の良い部分ばかりがフォーカスされがちですけど本来もっと滅茶苦茶で捨て鉢で、センチメンタルな存在だった(僕がギリギリひょうきん族世代なもんでそういう印象があるのかも)。んでそういうたけしさんのイメージというか人生が丸ごと詰まってるのがこのアルバムで、たけしさんのベスト盤みたいなのは何枚か出ててる上に曲数もあんま多くないけど一番好きなアルバムなの。音としては80年代のニューウェーヴを期を通過したロックンロール(DEVO辺り)とキャバレー用演歌がごちゃごちゃしている。どの曲も酒と女と男どもの立ち小便の臭いが充満してて音楽を聴こうなんて心構えで聴くときついかもしれない。それで上に書いたようなニール・ヤングの音楽を聴くような感覚で聴くのが凄く楽しいと思うの。本人の作詞はその表題曲の「浅草キッド」しかしてないし、曲調もかならずじも声に合ってるとは思えないものが多いけど、世界としてこのアルバムが一番統一感があって完成されてる。トム・ウェイツが失ってしまった“うらぶれ感”を当時人気絶頂のお笑い芸人が全く違う音で出せていたということを含めて一度ぐらいは聴いてみてもいいんではないでしょうか。

kazemati822 at 00:18│Comments(0)音楽 

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