私の写真集「風に吹かれて」の紹介、解説を行います。

写真を見て「懐かしむ」とはどういうことか? 写真集『Your village―― 故郷+〈故郷〉』について 

アサヒカメラ、日本カメラ等に掲載された「文章」の再録は、削りました。
 やっぱり私が書いたものでなければ、私のブログなんだし、無意味ということで。
 ただし、改めて、それらの文章について、私が考えたことを書くというかたちでの言及はあり得ます。
 特に、金村修さんが、「間(あいだ)」という雑誌に書いてくれたものは、大変に難解、かつ面白いもので、それについて考えることは、写真について、もっとも根底的に考えることにつながるので、いつか(必ず)「逐語解釈」をやってみようと思っているのですが、その前に、柳本尚規、史歩の写真集『故郷+〈故郷〉』に付された柳本尚規の文章(これまた「難解」だが、その「難解さ」の根っこは金村修論文と共通しているに違いない、と思っているわけですが)について考えたことを、少し長いですが、アップしておきます。



 久しぶりに、写真について、少し長いですが。

  「風に吹かれて」の写真展以来、四ヶ月を越えたが、私がもっとも印象的に覚えているのは、通りすがりにフラリと現れた近所のおじさんやおばさんが、異口同音に「懐かしい」と言ったことだった。
 「懐かしい」は、写真を見る人の「常套句」だが、よく考えると不思議だ。
 近所のおじさんやおばさんは、私の写真の何に反応して「懐かしい」と言ったのか。
 それとも、「お世辞」だったのだろうか?
 正直言って、「常套句」とは、通常「お世辞」に等しいが、私には彼らがお世辞を言っている風には思えなかった。
 ある人(それは、若い女性だったが)など、見本としておいてあった『風に吹かれて』を、優に30分以上、私の目の前で食い入るように一ページ一ページ見、最後に「いくらですか?」と言った。
 私は「しめた!」と思い、「3980円です」と言うと、彼女は舌打ちして「足りない」とつぶやき、「また来ます」と言って帰ってしまって、それきりだったのだが、彼女は、まったく別の用事(集金かなにか)で画廊を訪れたので、私に「お世辞」を言う義理なんか何もないのだった。
 そこで私が想起したのは、柳本尚規、史歩親子による、写真集『Your village—— 故郷+〈故郷〉』に記された柳本尚規の文章だった。

 《「故郷は人が孤独でないことを告げる」。/そう思うようになってから、私は(柳本の故郷の)北海道へ行ってもたくさんの写真を撮らなくなった。というより、一処では一つ二つのシャッターしか切らなくなった。自分の目より鮮鋭なカメラを使わなくなった。小さなカメラのファインダーをのぞき、特別な気分ではない気分でシャッターを押した。そこにいる実感を味わい、ただそのことを残しておけばいいのだから。フィルムが私の記憶を保管してくれるのだから。》

 東尾久のおじさんやおばさんたちや、集金にやってきた女性は、私の写真に、柳本の言う〈故郷〉——「人が孤独でないことを告げる故郷」——を見たのだ、そう私は思ったのだった。

 しかし、何故、そういう心理が醸成されるのか。
 柳本は、次のように説明している。
 常に変貌して定まらない「記憶」をフィルムに焼き付け、保管する装置——それがカメラであるが、そのことを知れば、我々はそれに安んじて、「特別の気分ではない気分」で写真を撮ることができる、と。
 実際、柳本父子による写真集『Your village——故郷+〈故郷〉』に収められた写真はそういうものであったし、私の『風に吹かれて』もまたそうであってほしいと思う。
 しかし、「特別の気分でない気分」と「人が孤独でないことを告げる故郷」、換言すれば「人々に開かれた故郷」がどのような理屈でつながるのか、柳本は書いていない。
 もちろん、これは一つのアフォリズムとして書かれているのであり、そしてアフォリズムとは、「説明不能の言い切りにこそ、その魅力が潜む」(『遊歩のグラフィスム』平出隆)体のものなのだが、その「魅力」を確かなものとするには、「言い切り」に甘んじているわけにはいかない。
 要するに、どういう理屈でそうなるのか、理解しなければ、アフォリズムはアフォリズムとして成り立たないはずなのだ。
 そんなふうに考えている時、否、考えあぐねているとき、偶々入手した保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』(草思社)の一節が目に入った。

 《「私」「人間」「世界」というような言葉が出てきたときに、読者はそれらを“かたちのあるもの”として読んでいるのではないだろうか。“かたちのあるもの”として読む(考える)とは、言い方を変えると“外側から見る”ということだ。…(略)…/世間では物事をモデル化して語ることができる人を「頭がいい」というけれど、そんなものはたいした頭のよさではない。/…(略)…大事なのは、(“私”、“人間”、“世界”というものを)誰も(外側から)見たことがないということを知ることだ。…(略)…「外側から見ること」ないし「俯瞰すること」は、人間の認識にとって欠かせない能力であるのは、間違いないが、欠かせないが故に私たちは自覚なしにいろいろなものにそれを使ってしまっている。》

 唐突な引用になったが、要するに、“私”、“人間”、“世界”といった言葉で示されるもの(いわゆる「抽象物」)は実体をもたず、したがって、それを「見る」こともできないが、何故か、人は、それを「見る」ことができると思い、「見る」ことができるならば、それは「実体」として存在しているだろうと考える。
 この「堂々回り」に気がつくことが、小説入門の第一歩である、と保坂和志は言うのだ。

 一般的に、人は、「もの」を見るとき、その「外側」を見ている。 端的に、それが「かたち」、あるいは「外見」であるが、それは、そのものの真偽(本質)とは関係ない。
 たとえば、「見えているリンゴ=表象」は、見ている限り、蝋細工か本物か、すなわち「食べられる」か「食べられない」か、判断はつかない。
 「食べられるか、食べられないか」について、判断を誤ることは、リンゴに巣食う虫のみならず、我々にとっても命取りになり得る重要な問題であるはずだが、我々はあまり気にしない。
 では、我々は何を気にするのか?
 我々は、「見えているもの」が、見えている通りに「外」に実在すること、そのことを重要視する。
 より正確に言えば、あらゆる「見えているもの」は、内的表象として「私」の目に映っているだけであるが、その「内的表象」を自分の「外」に投影し(疎外し)、それが「外」に実在すると判断する、その判断が正当性をもつこと、そのことを、我々は重視するのだ。
 この知覚の習慣は、人の知性(意識)の大本を成すもので、実際には見ることのない、“私”、“人間”、“世界”、そして“故郷”も、自分の「外側」に見えている、すなわち「外に実在している」かのように思い(ブレンターノは、このことを「意識は常に何ものかについての意識である」と定式化し、現象学の先駆けとなったのだったが)、果ては、「写真に撮ることだってできる!」と考えてしまうのだ。

 『Your Village——故郷+〈故郷〉』は、「故郷は現実、〈故郷〉は夢想」と思っていたという柳本の述懐から始まる。
 柳本は、しばしば自分の故郷である北海道を息子の史歩とともに旅したが、その旅は、柳本自身にとっては「現実」を確かめるためのもの、息子にとっては「夢想に肉付けして、本当の現実に近づくため」のものだと柳本は理解していた。北海道は、柳本自身にとっては「現実の故郷」であるが、東京生まれの史歩にとってはそうではないからである。
 それを、柳本は「夢想の故郷」と名づけた。
 ところが、その旅で、北海道の川を見ている時、息子の史歩から「何を見ても何かを思い出しているようだ」と言われ、「気が重くなる」。
 現実だと思っていた、故郷・北海道は、夢想の故郷だったのか?
 たしかに、「故郷」は、それを見る人の「内側の目」によってのみ、見られる。
 事実としてはそうかもしれないが、それは人を孤独にし、人の気持ちを重くするだけだ。
 この「重い気持ち」は、イタリアの小説家パヴェーゼの小説の一節を思い出すことで打ち消され、柳本は解放される。
 それは、「故郷は人が孤独ではないことを告げる」という文言だった。

 《「故郷は人が孤独でないことを告げる」。/そう思うようになってから、私は北海道へ行ってもたくさんの写真を撮らなくなった。というより、一処では一つ二つのシャッターしか切らなくなった。自分の目より鮮鋭なカメラを使わなくなった。小さなカメラのファインダーをのぞき、特別な気分ではない気分でシャッターを押した。そこにいる実感を味わい、ただそのことを残しておけばいいのだから。フィルムが私の記憶を保管してくれるのだから。》(『Your Village——故郷+〈故郷〉』)

 「人が孤独ではないこと」を告げるメディアこそ、「写真」であったのだ。
 しかしこれは、素朴に見えて、実際は極めて難解な文章であると私は思う。(「アフォリズム」は常にそうなのだけれど。)
 では、どこがどう難解なのか?
 柳本は、自分の故郷に対する反省的意識(知)を徹底化する果てに、その反省そのものが自己滅却せざるを得ない次元に立ち至ったのであり、そして、その次元において、彼の故郷は「知」の次元ではなく、見えているものが見えている通りに存在する「像」の次元の性格をもつことになるのだ。
 そうしてはじめて、柳本の故郷は万人に開かれ、「人が孤独でないことを告げる」。
 心物2元論で言えば、理性(知)の力で「心」と「物」に分けられた世界は、「像」によって再び一つにつながるのだ。
 それが、柳本尚規、史歩の『Your Village——故郷+〈故郷〉』である。

 ここで再び保坂和志に話を戻すと、保坂は次のように書いている。

 《人間が人間として心から知りたいと思うことは、すべて外から見ることができない。つまり、その外に自分が立って論じることができない。それを知ることが哲学の出発点であり、芸術 (『書きあぐねている人のための小説入門』では、「芸術」ではなく、「小説」と書いているが、保坂本人も「ここは広く芸術と言うべき」と述べているので、以下「芸術」とする。)もまた完全に同じなのだ。哲学は社会的価値観や日常的思考様式を包括している。芸術も、社会や日常に対して哲学と同じ位置にある。つまり、哲学、科学、芸術の三つによって包含されているのが、社会・日常であり、その逆ではない。…(略)…/日常が芸術のいい悪いを決めるのではなく、芸術が光源となって日常を照らして、ふだん使われる美意識や論理のあり方をつくり出していく。》

 ここで「芸術」を「写真」に置き換えれば、保坂の言葉は、そっくりそのまま『Your Village——故郷+〈故郷〉』について語る言葉になるにちがいない。
 すなわち、被写体である日常のありようが(外から)写真のいい悪いを決めるのではなく、写真自体が光源となって日常を〈日常〉として、すなわち「像」の性格をもつものとして照らすことで、ふだん使われている美意識や論理のあり方として一般的な〈日常〉、故郷なら、〈故郷〉をつくり出すのだ。
 こうして「故郷は〈故郷〉となる。あなたの故郷と私の故郷は、《故郷》となって一緒になる」(柳本)のだ。

怖いもの見たさ

「風に吹かれて」には、鳥、それも飛べない大型の鳥の写真が多い。

 ダチョウとかエミューとか、飛べないことはないが、フラミンゴとか。

 下の写真は、井の頭自然文化園のエミューだ。

 
トリ追加修整2

 
 では、ダチョウとかエミューとかフラミンゴが好きなのかというと、そうではない。

 むしろ、嫌いなのだ。 

 二本脚で歩く様子を見ていると、ぞっとしてしまう。

 この写真を撮ったずっと後だが、中国の怪異小説集『聊齋志異』を読んでいたら、こんなのがあった。

 ある役人が一軒のひどく荒れた屋敷を一時的に借りていた。

 ある晩、庭の方で、ぶうぶうと、機織り女が水を吹くような音がするので役人の妻が、二人の腰元に様子を見にやらせた。

 腰元が窓の紙に穴をあけて様子をうかがうと、背の低い、背中の曲がった老婆が庭を走り回りながら、伸びたり縮んだり、まるで鶴のように歩きながら,水を吹いているのだった。

 驚いた腰元が、妻に知らせると、妻も起きて、腰元と一緒に窓の元に集まって腰元の明けた穴からその様子をうかがった。

 と、水を吹いていた老婆は、その様子に気づき、窓に近寄ると、水を吹きかけた。

 妻と腰元はあっと驚いて、倒れた。

 翌朝、主人が三人を発見したが、妻と腰元の一人は死んでいた。 

 しかし、一人の腰元は間もなく息を吹き返し、先夜の出来事を告げた。

 主人が、腰元の言う、老婆の消えたところを掘り返すと、腰元が言った通りの、背の低い、白髪の老婆の死骸がみつかったが、それは「生けるがごとき」気味悪さだった。

 文庫本で1ページ足らずの短いもので、今まで読んだ怪談の中でもっとも気持ちの悪い 一編だったが、読み返して驚いた。

 作者は、これに「噴水」と名づけているのだ。

 すごいセンスだと、今更ながらに驚いたのだが、それはともかく、私は、井の頭自然公園のエミューの写真を見て、『聊齋志異』を思い出したのだった。

 要するに、腰元が「怖いもの見たさ」で窓の紙に穴をあけたように、私は、エミュー舎の金網にレンズをくっつけたのだった。

 もし、エミューがそんな私に気づいたら……。

 実は、エミューは京都市動物園でも撮っているのだが…やっぱり、「気づいて」はいないようである。

エミューtif

私の「高慢と偏見」

「風に吹かれて」を出してからも、ああすればよかった、こうすればよかったと思うことしきりである。

 じゃあ、どうすればよかったのか、というと、もっと「過激」でもよかったのではないかと思うのである。

 「過激」というと、語弊があるが、要するに、自分が自分の基準で「よい」と思うものを、もっと積極的に、自信をもって押し出せばよかったと思うのだが、実際のところ、それが、そう簡単なことではない。

 たとえば、私は、下のような写真を、そのような意味で「過激」だと自負し、載せたのだった。

ナカノ、青梅街道

 しかし、今思うに、下の、小泉純一郎が首相であった頃の首相官邸のすぐ下の道路の写真なんかのほうが、「過激」だと思う。

タメイケ1

 下の写真の場合、なんで乗用車が走っているのだろう、なんで方向指示器を出しているのだろう、と、いくつかの発見がある。

 もちろん、乗用車が走っているのは用事があるからだし、方向指示器を光らせているのは、右折しようとしているからだが、「写真」になると、それだけではすまないものがある。

 正直言って、客観的にみれば、どっちもどっち、五十歩百歩かもしれないが、中野新町の青梅街道の歩道橋から写した写真には、「発見」がないように思うのだ。

 しかし、それが「ある」ように思い込んだには、それなりの歴史がある。

 それは、グラフィケーションの編集部にいた頃だから80年頃だと思うが、仕事で、渋谷の東横デパートのビル(今はなんと言うのか知らないので、覚えている名前で呼ぶことにする)を、桜ヶ丘寄りにある歩道橋の上から撮ったことがあるのだが、そのまったく何の変哲もない写真を見て私は、何故か、「いい=過激だ!」と思い込んでしまったのだった。

 その写真はもう手元にないけれど、思うに、東横デパートの名物であった「地下鉄がデパートの2階を走っている」のが面白かっただけかもしれない。

 いや、それならそれでいいのだ。

 問題は、青梅街道の写真が、東横デパートの写真の「変哲のなさ」を「過激だ=いい写真だ」と思い込んだ、その「思い」のコピー、すなわち、「二次情報」に過ぎないのが、問題なのだ。

 他人の作品を真似るならともかく、自分で自分を真似るなら、それはオリジナルな行為とみなしてよい——ということには、ならないのだ。

 本音を言うと、あれも、これも載せておけば……と、今更に思うことが多くて……でも、そんなふうに思ったところで、それ自体、「思い」に過ぎない。

 オースティンじゃないけれど、それこそ、ある意味、「高慢と偏見」なのかも。


写真の本質としての「つまらなさ」について

 シャッターを押せば写る、「写真」は、本質的に「つまらないもの」であると、私は「風に吹かれて」に書いたのだった。

 ただ、普通は、その「つまらないもの」を面白く見せるために、各自、 いろいろ工夫するのだが、私の場合、写真の「つまらなさ」を、写真の本質として考えているだけなのだ。

 ことのはじまりは、多摩芸術学園における、最初の「写真講評」の時間だった。

 私は、はじめて提出した「作品」を、先生から「つまんねー写真だなー」と叱られたのだったが、 私はそれに反発するのではなく、同意することから写真を始めたのだった。

 友人の美術家、堀浩哉は、それを、〈自らの作品に対する「つまんねー」に同意し、それを引き受けるとは、どういうことだったのか〉と、問題を整理してくれたのだが、まさにそうなのだ。

 写真集「風に吹かれて」は、 自らの作品に対する「つまんねー」に同意し、それを引き受けた結果なのだ。

 たとえば、下の写真。

シンジュク路地4


 これは、新宿厚生年金会館の裏あたりの貧民街、というと、住民に失礼だが、そこの路地である。

 撮影時、公明党らしき、ちょっと美人の議員の選挙ポスターが目に入ったことを覚えているが、別にそれを撮ろうと思ったわけではなく、むしろ、それを写真の視野に収めることで、写真全体の「つまらなさ」を強調しようとしたのだった。

  まあ、信じようと信じまいと、だが。

 しかし、今改めて考えるに、「ことのはじまり」は、多摩芸術学園の写真の授業よりもっとずっと前、小学校2年生のときの「お絵描き」の授業にあった。

 私は、子どもらしく、一本の線の上にトラックを乗せたのだが、担任の先生(女性で、優しくて、私はとても好きだった)が、「こんな風には見えないでしょ」と言った。

 私は、直ちにそれを理解し、同意したが、じゃあ、どうやって「見えている通り」に描けばいいのかわからず、「お絵描き」の時間が苦痛になってしまった。

 その後、私は、平山先生という、「絵の先生」のもとに通うようになったが、平山先生は、小学生の私に対し、ベートーベンの石膏像のデッサンなどを強いた。

 できるわけがないっ!

 それでも、それなりに「見えている通り」に描く技術は習得したらしく、図画の時間にディズニーの記録映画「砂漠は生きている」の一場面を描いたら、諸先生の絶賛を招き、金色の札をつけて、近隣の小学校で開かれた展覧会に展示された。

 私はそれを見て、恥ずかしくてたまらなかった。

 そんな最中、私は、スタートカメラという、子ども用カメラを手に入れ、それで遠足先の「ユネスコ村」に展示されていたヨーロッパの民家の模型を(実物の半分くらいの大きさだった)撮ったのだったが、結果を見て、それが「見た通り」に写っていることに驚愕し、かつ、その「つまらなさ」に愕然としたのだった。

 なぜ、「つまらない」のか?

 一般的に、人は「もの」を見るとき、その「外側」を見ている。

 それが「かたち」であるが、それは、そのものの真偽(本質)とは、関係ない。

 たとえば、見えているリンゴ(=表象)は、それが食べられるか、食べられないか、外見(かたち)では判断できない。

 このことは、命取りになり得る重要な問題だが、人はあまり気にしない。

 では、人は何を気にするのか?

 「見えているもの」が、実際にそこ(=外)に存在すること、人は、そのことを重要視する。

 この視知覚の習慣は、人間の意識の根本を成すもので、実際には見ることのできないもの(概念的存在)も、「外に見えている=実在している」かのごとく思ってしまうのだ。

  写真は、この「視知覚の習慣」に棹さすものとして、そのことを暴露する。

 それが、写真の本質としての「つまらなさ」である。 

 私は、そう思っているのだ。 

不思議かもしれないが、不思議ではないかもしれない

 これが、グラフィケーションの編集室だ!

 マルス

 って、本当に、何の変哲もないが、これを撮ったことは覚えている。 

 今見ると、いかにも「コンポラ風」の立ち位置で、昔はそれがいやだったのだが、『風に吹かれて』をつくる過程で、客観化されたというか、受け入れることができるようになったのだった。

 それはさておき、件の京都在住の方が、妻がもっていた「グラフィケーション」の記事を読んで、「風に吹かれて」を購入し、開いてみたら、その「グラフィケーション」の編集室の写真が載っていたので、「なんと不思議なことが!」と、びっくりしたというわけだ。

 確かに、驚いただろうなあ。

 種を明かせば、なんてことはないのだが。

 ちなみに、その方は、便所の一角に置き、用を足しながら、眺めているそうであるが、その感想は、「渋いですねぇ」だった。

 何がって、写真ですよ。もちろん。
 
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