横光利一 「雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。」川端康成『伊豆の踊り子』


 日本文学史、その昭和文壇において史実に残るほどの潮流、そのひとつが、新感覚派と称する一群です。横光利一、そして川端康成に代表される、新感覚派のまさしく新感覚とは、何か!?、何を指して新感覚と論ずるのか!?、多くの識者が論評なされておられる。

 川端はともかくとしても、横光に至っては、普段、文学に造詣の浅い人々にとっては、とんと馴染みの薄い名、であるやしれませんね。『機械』『春は馬車に乗って』『睡蓮』或いは、この作、そのタイトルぐらいは記憶の裡に留まっているのかもしれない。残念ながら世間の俎上からは全く遠のいてしまっておりますけれど、だがかつて強烈な個性を有したこの作家が、綺羅星の如く、満天、それこそ輝いた時期が、あるのです。その時期こそ、昭和文壇史において新感覚なる造語がもてはやされた時期と重なる。新感覚派とは一時期、文壇の寵児とでも、大迎、言えなくも無い、一大潮流でした。


新感覚派とコンミニズム文学


川端康成記念会


川端康成・略年譜


川端康成『雪国』を読む


早稲田と文学・横光利一


横光利一・研究の部屋「新感覚派について」


川端康成文学賞 - Wikipedia


川端康成*空の片仮名

 新感覚派-新感覚主義、その定義は横光の論文にあるとおり、或いは各々識者に置かれては様々な定義がなされておりますけれど、やはりどこか論述的と申しますか、一般の方々にはひじょうに判り辛い。私は、論説を肥やして、いやに難解にしたくはありませんので、私なりに私なりの定義付け、解釈を施してみたいと思います。
 新感覚、この感覚とは、まさしく写実、或いは自然主義文学に対するアンチテーゼ、ではなかろうか!?、たとえば或る対象物をそのもの、あるがままに映し出す、この描写、表現技法を写実と位置づけられようなら、翻って対象物、もしくは見えざる物に対し、その心に想起した観念を違う対象に置き換えて映し出す、或いは描き出してみましょうというのが、新感覚、新感覚主義というものでは、ないのか!?
 康成の名品に『雪国』がありますね。この冒頭、「夜の底が白くなった」という一文が出てくる。普段、私達は雪が降り始めて、「夜の底が白くなったねぇ?」などと言いません。ですが、この一文、さも平易な一文であるにもかかわらず、すぐこの一文を読んで、ああ、雪が降ってきたのだな、或いは雪が降り積もっているのだな、と判然とできます。ここに川端の、引いては新感覚派の、引いては新感覚主義の、その主義主張のなんたるかが隠されているような気が、私にはするのですがいかがなものでしょう?、『伊豆の踊り子』における、「雨脚が・・・すさまじい早さで麓から私を追って来た」なる一文、この一文にも、通常私達が用いない、追って来るという表記が見られる。
 では、何故、川端や横光は、こういった文章を綾織る必要があったのか?、対象物を在るがまま描写しているだけでは伝えきれない、言わば心の襞みたいなもの、この感覚の綾を紡ぎ出したかったからに他ならないのではないのでしょうか?、
 文学は読み手によって、千差万化、いかようにも異なる心象風景を形作ってくれます。その心象風景の、川端、横光なりの感性の発露、そのひとつの結晶体が、『雪国』であったり『春は馬車に乗って』だったのだと断じても、さも当たらずに遠からじ、そうそう手ひどい批判は受けますまい。
 「海浜の松が凩に鳴り始めた。庭の片隅で一叢の小さなダリヤが縮んでいった。
 彼は妻の寝ている寝台の傍から、泉水の中の鈍い亀の姿を眺めていた。亀が泳ぐと、水面から輝り返された明るい水影が、乾いた石の上で揺れていた。」横光利一『春は馬車に乗って』より。
 三島が自決し、川端が自殺して、昭和文学はここに終焉したのだとはっきりと論じられる識者もおられる、昭和文壇史の一潮流。文学の一大主義が、世論の俎上に全くと言ってよいほど登らない現在、やはり新感覚派-新感覚主義もいつぞやか闇に葬られる時が来るのでしょうか?・・・昭和文学は、否、新感覚主義は、未だに私には遠からじ?。