ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや
  うらぶれて異土の乞食となるとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさとおもひ涙ぐむ
  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや
  遠きみやこにかへらばや
 

 よしやうらぶれて異土の乞食となるとても(異土とは古里では無い場所)、よもや乞食となるとても帰るところにあるまじや、と室生犀星は、その書、小景異情で謳った。21歳で、その古里・石川は金沢を捨て上京。文人として立身したき想いを断ち切れずの上京ではあったが、金に窮するとその古里・金沢に度々、帰郷し、叔父に無心した。だが、そんな詩人の現実の隘路愁盲には、こんにち興味はない。あるのはこの詩が未だに燦然と光芒を放っているという事実のみ、ばかりである。

 

 


 


 

    室生犀星

 

 小景異情は1913年度の作だから、今から100年近い前の作、ということになる。そんな言わば古臭い作が未だに国語の学習や詩文の啓示作として、その命を終わることなく読み継がれているのは何故、だろう?。文学史的にはかの萩原朔太郎が、北原白秋の主宰する「朱欒」に掲載された室生犀星の「小景異情」に衝撃を受けた、とされる。明治の新体詩運動以来の口語体詩への試み、ゆえに流暢な韻文でなければならないなどといったいわゆる無意識化の拘束がこの詩にはよもや見られない。「小景異情」はまさに流暢な韻律などというこじんまりとした世界観にこだわらない口語体詩として、朔太郎以下様々な異能士に衝撃を与えた。のち朔太郎は犀星と親交を結び、山村暮鳥と共に人魚詩社を設立するなど、生涯に亙る盟友ともいうべき存在になるのだが、
 やはりこの詩には現実を直視し、たゆまぬ明日への希望を捨てぬ者へのさやかな応援歌として揺ぎ無い何かが、ある。
 100年立っても、ひとののし上がろうという欲求は、ああ、変わらぬものなのだとちょっと斜めに嘆いてみるべきか、いやそういった、人生をそれこそ判りきったかのような醒めきったかのような呟きを越えた先に、やはりこの詩は存しているような気がする、とでも論じてみせるべきだろうか?。
 この詩は100年、持った。ならばその深さを僕は改めて覗いてみたくもなるというものだ。ひとの情緒は時代と共に変遷すれど、言葉の中の深奥は恒に永遠普遍なるものであるということなのであろう。