kawabata
俯く川端、立ち上がれ風
  私の中の発火点、遠い日の記憶・・・そのシリーズァ慇鄰執成』

 このひとに関し、語るべき紙数は際限が無い。10代の頃、私は川端のようでありたい、と奔放に思い小説まがいのものを書いてはみたけれど、その歴然とした違いによほどの才の違いを感じて、じっと黙さざるをえなかった。偽らざる、かつての私の無才ぶり・・・。

 文体を好む。世界を好む。様々な識者が語る、文学界でのきっとした佇まいも好きだ。だからこそ、この世界の文聖に思想的に挑んだ太宰が、ひじょうに猛々しく感じられて、そこに世間の概念とは違う、私の中の太宰像が出来上がった。太宰はある時、「誰しもがみな、人の子です」と語り、かの三島は、「晩年の川端さんは思想的には綴るもの、全て破綻しておられる」と正直に糾弾している。20代に入り、大人的社会の渦の中にどっしと腰を据えざるをえなくなり、私はそんな煩瑣な日常の最中、川端康成作の小説に立ち返ったとき、挑むものではなく包み込むものなのだなと察した。それ以来、私はこの身辺に何か嫌なことがあるとゆっくり川端作を紐解いてみたりして自身を慰めたりしたものだった。

 しんみりとした哀感がそこには、ある。いまでこそ私の内面的には芥川作の方が、この身によりつまされてしまうことも多いのだけれど、文聖に学ぶ手法はまだまだその深奥、懐広く、読む度にこのちんけな私に何かを訴えかけてくれるものばかりで、様々な感慨を抱かせてくるもする。川端は私にとって、自身を省みて、いろいろと教えを享けるべき偉大なる先人、とまれ、川端康成は私にとって小説技法の神様、である。
 
 かわばた・やすなり【川端 康成】 1899年6月14日-1972年4月16日
 日本初のノーベル文学賞受賞作家、小説家
 大阪市天満此花町生まれ。幼くして両親を亡くし、祖父母と共に大阪府下三島郡へ転居した。その後、8歳で祖母、16歳で祖父が亡くなり、母の実家に引き取られた。1917年に第一高等学校に入学。1920年、東京大学英文科に入学するが、翌年国文科へ転科。大学時代に第 6 次の「新思潮」を発行し、そこで発表した作品をきっかけに、菊池寛に認められ、交流を持つようになり、文壇への道が開けた。

1924年に大学を卒業し、横光利一らとともに同人誌『文芸時代』を創刊。この同人誌には、新感覚派(感覚的にとらえた現実を知的に構成していく作風)と呼ばれた、新進作家が集まった。

1968年にノーベル文学賞を受賞し、『美しい日本の私』という講演を行った。その3年後に、門下の三島由紀夫の割腹自殺などによる強度の精神的動揺から、ガス自殺した。73才だった。はてなダイアリーより。

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