依頼者との関係、準備書面の作成など

Yさん。私が心掛けている点をお話ししましょう。


1) 依頼者と弁護士との関係は、委任契約を締結するときが大切です。事件そのものの見通しについて、できる限り客観的な予測をたてることは勿論ですが、依頼者の性格や依頼者が弁護士、裁判官、裁判制度に何を期待しているかをみきわめる必要があります。 依頼者は、往々にして弁護士に対して一体的関与、サポートを期待し、また、裁判官の能力や裁判制度の公正さに対して過剰な期待をもっています。
 多くの依頼者を経験しますと、最後まで信頼関係を維持できるかどうか不安を感じる依頼者は、受任時にわかるものです。不安があるなら依頼を受けなければいいのですが、事件そのものは勝訴の見通しがあり、道義的な正当性もあるという場合、信頼関係の継続に不安があるという理由で依頼を断ることは困難です。そんなとき、私は委任契約の際に、次のような説明をします。

「私は、平均的弁護士が提供する質と量を超えた訴訟活動はできません。裁判官の能力は近時、ばらつきが大きくなっているため、訴訟はギャンブルの要素が大きくなっています。一応の見通しはありますが、事件の結果についてはいかなるお約束もできません。相手方やその代理人を非難する訴訟活動はしません。受任後、私が適切と考える訴訟活動の進め方や解決方針について、あなたが同意されない場合は辞任させていただくことがあります。その場合、着手金は全額お返しします。それでよろしければ依頼をお受けします。」
  以上の説明で依頼を断った依頼者はいません。しかし、そのように説明しても、受任後、訴訟活動の方針について意見が一致せず、着手金を全額返して辞任した例はいくつかあります。着手金を全額返す義務はありませんが、その依頼者とはいかなる問題も残したくないからです。

2) 依頼者が弁護士に話すことを,そのまま準備書面にしてはいけません。準備書面は,弁護士がその見識に基づいて作成する文書です。準備書面に記載することは,依頼者の陳述以外に何らかの裏付けを伴う主張に限る,という姿勢をもって準備書面を作成するべきです。 勿論,「裏付け」のある主張というのは,証拠資料の裏付けだけではなく,客観的事実や争いのない事実から合理的に推認できる場合の主張も含まれます。しかし,何の証拠資料もなく,かつ,諸般の事情から合理的に推認できる事実でもない事実を主張してはいけません。そのような主張で万が一にも事実認定能力やバランス感覚に乏しい裁判官を説得できるかもしれない、と期待して主張することは(ときに説得される裁判官がいるのは嘆かわしいことですが)、弁護士として恥ずべきことです。

弁護士の陥穽

 ゴーン氏の逃亡事件は一般の弁護士にとって重要な教訓である。弁護士は法律と法廷戦術の専門家である。法律解釈や法廷戦術の巧拙、事件処理の熱意には弁護士によって大きな差異がある。依頼者はその弁護士の力量や熱意に期待、信頼して依頼し、少なからぬ報酬を支払う。 もっとも、裁判官は、弁護士の個人的能力よって事件の判断に影響されないよう自戒しているので、弁護士の力量や熱意によって事件の結果が左右されることは少ない。これは刑事事件でも民事事件でも同じである。

 それはともかく、くれぐれも自戒すべき弁護士の陥穽がある。自分を選んで受任を求めてきた以上、依頼者は自分に心服し、コントロールできるはずであり、それが信頼関係である、という錯覚である。しかし、依頼者は、その弁護士の法律と法廷戦術を商品価値とみて利用するだけにすぎない。依頼者から「先生」と呼ばれることに慣れた弁護士は誰しも、自惚れから自由になることは難しい。依頼者から一歩、距離を置いた視点で事件処理するべき必要がここにある。弁護士は狡猾な依頼者に利用される存在になってはならない。くれぐれも自戒するべきことである。


法律相談で法テラスを紹介する場合

法律相談において,相談者の問題解決のために法テラスを利用して弁護士に依頼することが必要と認められる場合がある。そのような場合,私は,法テラスと契約していないので,相談者には,法テラスの無料法律相談を予約して弁護士に依頼するよう助言しているが,果たして予約日の弁護士が親切で有能か,不安がないではない。当たり外れが多いことは事実だからである。

法テラスのホームページをみると,法テラスと契約している弁護士で,事務所に直接,赴いて相談し,依頼できる弁護士の一覧表を公表している。そこで,最近では,上記のような相談者が訪れた場合,その一覧表のうちで,私が,この人なら大丈夫だろうという弁護士を数名,チェックして,この弁護士うちの誰かに電話して相談に行くよう助言している。相談者からは大変,感謝される。結果的に,弁護士を紹介するだけだから,相談料をもらうことはできない。

求釈明

弁護士の訴訟活動として、相手方に対して「求釈明」をしたり、されたりをすることがある。裁判所に対して釈明権の行使を促しているわけだが、それを受けて裁判所が、「その点は裁判所としても関心があるところなので応答して下さい。」と訴訟指揮することもある。「求釈明が出ていますので、応答するかどうか検討して下さい。」という程度ですまされることが多いようである。

私の場合、「求釈明」をするのは、当方の主張、立証を明確にするために相手方の答弁が必要な場合、あるいは、当方に有利な事実関係、証拠資料を相手方から引き出すために必要な場合に限定している。相手方の主張、立証が不備、不明確であることを裁判所にアピールするために「求釈明」をする弁護士が少なくないが、やり過ぎると攻撃的で品格を欠く訴訟活動となるし、そもそも訴訟戦術としても意味が乏しい。

相手方の主張、立証が不備、不明確と思われるなら放置しておけばよい。当然、裁判所も気づいているはずであり、訴訟は有利に運ぶであろう。わざわざそれを指摘して、相手方にそれを補強させる機会を与える必要はない。ときには相手方の虚偽の主張、立証を誘発させ、訴訟の混迷を招くおそれがある。訴訟の進行が停滞するのが困るとか、どうしてもアピールしたいという場合は、せいぜい、「相手方の主張、立証はこれこれの点で不備、不明確である」と指摘すれば足りる。裁判所がそのとおりだと思えば、釈明権を行使するだろう。

不貞行為の慰謝料 最判平成31年2月19日

不貞行為の相手方に対して慰謝料を請求する事件は,本来,裁判制度がとりあげるに値する紛争なのか,という疑問がある。最判平成31年2月19日は,この種の訴訟事件について,最高裁の裁判官がどのように考えているかが垣間見えるようで,興味深い。

同判決はいう。離婚による婚姻の解消は,本来,当該夫婦の間で決められるべき事柄である。従って,夫婦の一方と不貞行為に及んだ第三者は,これにより当該夫婦の婚姻関係が破綻して離婚するに至ったとしても,不貞行為を理由とする不法行為責任を負うことがあるのはともかく,直ちに離婚させたことを理由とする不法行為責任を負うことはない。

この判示が法律論として論じているのは,不貞行為に及んだ第三者は相手方の配偶者のいかなる権利ないし法的利益を侵害するのか,という問題である。夫婦は相互に貞操を守る義務を負うから,不貞行為に関与した第三者は,相手方の配偶者の貞操請求権の侵害に加担したことは間違いない。その限りで不法行為であり,慰謝料請求権が成立する。ただし,不貞行為があり,そのことが原因で夫婦関係が破綻したとしても(因果関係が存在する場合でも),直ちに,離婚させたことによる責任は負わないというのである。

最高裁の裁判官は,夫婦の一方に不貞行為があり,それが発覚したからといって,直ちに夫婦関係というものは破綻するものではなく,また,夫婦として軽々に破綻させてよいものでもなく,婚姻関係の継続の努力をするべきものと言いたいのであろう。相手方の配偶者が「一度だけでも不貞行為は決して許さない」として夫婦関係の破綻を主張し,実際,夫婦関係が破綻して離婚慰謝料を主張したとしても,そのような精神的苦痛は法的保護に値しないと言いたいのであろう。

この最判により,不貞行為によって認容するべき慰謝料の額について,従来の裁判実務が見直され,低額化をもたらす可能性がある。不貞行為に関与した責任とは,「不貞行為の相手方が貞操を守ることを求める相手方の配偶者の信頼を裏切ったことによる慰謝料」にすぎず,「平穏な婚姻生活が破壊されたことによる慰謝料」ではない。貞操を守ることを求める権利ないし信頼というものは,法的保護と道義的保護の境界にあるもので,法的強制になじまず,高額な慰謝料が成立することはありえない。この最判が,不貞行為を理由とする慰謝料請求訴訟が消滅する転換点となるなら結構なことである。

訴訟提起を依頼されたとき

依頼者から訴訟提起を依頼されたとき、弁護士は、権利義務関係を根拠づける証拠資料の説明を聞くことは当然だが、それだけでなく、依頼者と相手方との交渉経過を質問し、相手方の言い分、反論はどのようなものかを確認する必要がある。依頼者はどうしても自分に都合よく事実経過や証拠資料を解釈しているので、相手方の反論を確認しなければ、訴訟の見通しを立てることはできないはずである。
「あなたの言い分に対して相手方はどういう反論をしているのですか。」と依頼者に質問しても、要領を得ないとき、これは注意信号である。依頼者の言い分は一応、筋道はたっているが、相手方の反論に関して何の情報もないとき、このまま訴訟提起の依頼を受けてはならない。依頼者は、弁護士に重要な情報を隠している可能性がある。このようなときは、「まずは、私から相手方に書面を送って言い分を確認してみましょう。依頼を受けるかどうかはそれからにします。」と対応するべきである。

以上が原則であるが、依頼内容が保全処分を申請する場合は、悩ましいことがある。相手方の言い分を確認したために保全処分のタイミングを失うリスクがあるからである。しかし、相手方の言い分が全くわからないのに保全処分を申請すると、相手方から不当な保全処分として損害賠償を請求されるリスクもある。この場合は、代理人として相手方に直接、連絡することはできない。それでも、相手方がどういう反論をもっているのか、という点について、何の説明もできない依頼者は、やはり要注意であることに変わりはない。



以て瞑すべし

Yさん。

自分の依頼者が訴える真実や道理がなぜ裁判所で通らないのか,と悩んでいるのですね。
弁護士が依頼を受ける事件の多くは、依頼者の人生に切実に関わります。あなたも多くの弁護士と同様、いつも受任事件のことが頭を去らず、「もっと適切な法律構成はないか。依頼者の真実を明らかにするにはどうしたらよいか。」と考えていることでしょう。判決で期待した結果が得られなかったとき,別の弁護士が代理人になっていれば別の結果があったのではないか,と自問するとすれば,それは大変,辛いことです。あなたの弁護士人生の先は長いのですが,次のような姿勢を貫いてください。困難ですが,弁護士にはそれが要求されるのです。

ひとりの依頼者のために費やすことができる労力や時間には限りがあります。しかし,「この依頼事件のために,自分は,量的にも質的にも,自分が知る限りのまっとうな弁護士の平均的水準を上回る弁護活動を提供した。」という確信をもって口頭弁論の終結を迎えるようにして下さい。そうすれば,判決の結果は「以て瞑すべし」なのです。そのような姿勢で弁護士をしていれば,生涯に数件ではありますが,「私でなければ,おそらく,この依頼者の権利を守ることはできず,真実を明らかにすることはできなかったろう。」と一人だけで祝杯を挙げることができる事件があるものです。弁護士はそれだけで「以て瞑すべし」なのです。

特別受益の持ち戻し免除と預貯金債権

依頼者から,特定の不動産についてだけを遺言又は贈与で処分したい,ということで案文の作成を求められた場合,注意するべきことがある。依頼者は,預貯金をもっているだろうが,将来の遺産分割において遺産又は贈与された不動産が特別受益となり,持ち戻しの免除が問題となる。預貯金債権は当然分割という取扱だった当時は,持ち戻し免除を明記する必要性を意識することはなかったが,判例変更により,預貯金債権は当然分割されないこととなったので,預貯金債権が遺産中に残ることが想定される事例では,持ち戻し免除の意思表示をきちんと遺言書,贈与契約書に明記しておかないと,将来の遺産分割において持ち戻しの対象となり,預貯金債権の分割内容が依頼者の真意に沿わない結果となるおそれがある。公正証書遺言でも,これまでは公証人が遺言者に持ち戻し免除の意思を確認することはなかったと思われる。今後は持ち戻し免除の意思をきちんと確認しないと,公証人であれ,弁護士であれ,過誤の問題を生じると思われる。

訴訟上の和解

訴訟上の和解では、いろいろな経験がある。

一昔前(といっても20年くらい前まで)は、和解勧告を受けて、裁判官から事件の筋、証拠の評価などの心証を開示されると、いくら自信を持っていた事件でも、「これはどうにも仕方がない、この裁判官が勧める和解案なら何とか依頼者を説得しなければ」、と思わせられる裁判官がいた。人格、識見はもちろん、裁判官が真剣に、理屈も情理もふまえて考え抜いた末の和解案であることが伝わるからである。過去に出会った尊敬するべき裁判官の顔がいくつか浮かぶのであるが、その中のある人は学者に転進し、ある人は高裁の裁判長にもなれず退官し、ある人は自死された。法律家とは、「悩む人」の別称であり、悩むことが法律家としての誠実の証なのである。

訴訟上の和解で悩ましいのは、請求金額から相当、減額して和解に応じる場合、万一、履行されなかった場合には依頼者は立つ瀬がないということである。その場合、和解を無効にして訴訟を継続できればいいのだが、そのような和解条項を決して裁判所はつくらない。和解が成立すれば後は関知しない、というのが裁判所の姿勢である。だから、代理人の弁護士が考えるほかない。たとえば、請求金額から相当に減額す場合は、一括払いとし、和解の日に現金を受領することが考えられる。あるいは、訴訟外で現実に履行する日程を調整し、履行された場合は訴訟を取り下げるが、履行されなければ期日を続行する、という裁判外の合意も考えられる。いずれにしても、弁護士の能力は、法理論だけではなく、いかにして賢明にして確実な和解で解決できるか、にかかっている。









依頼者との関係(3)

Yさん。あなたは、自分のことを、他人から無理に頼まれると断れない性分だと評していましたね。それが本当なら、弁護士にとっては危険な弱点であることを自覚して下さい。

見通しの困難な事件なのに、相談者が受任してほしい、と引き下がらない場合があります。とくに、その事案が、法律的には見通し困難だが、人情としては何とか救済してあげたい、という場合、弱い性格の弁護士は、つい、きっぱりと断ることができず、受任したのかどうかがあいまいに保留してしまい、相談者は受任してもらったと誤解することがあります。その結果、後日、事務処理を遅滞させたと苦情を受けるおそれがあります。弁護士が依頼者のため、好意的に、無償で対応してあげたことが、事務処理を引き受けた証拠だとして、逆手にとられることもあります。

弁護士が依頼者に報酬を請求するためには委任契約書の作成が不可欠ですが、依頼者が弁護士に責任をを追及するためには、委任契約書の作成や着手金の支払いが不可欠というわけではありません。継続的に事務処理をしてくれるとの信頼、期待を与えてしまうと、委任契約上の責任を問われる可能性があります。不公平なようですが、それが専門家責任の厳しさです。

弁護士にとって、「優柔な優しさ」は、自分にも依頼者にも害を与える悪徳であることを自戒して下さい。きっぱりと断ることは、結局、相談者にとっても良いことなのです。もちろん、断る場合の方法は、依頼者の心情に十分な配慮が必要です。

依頼者との関係(2)

Yさん。受任にあたっては、依頼者があなたという弁護士を主体的に、自由な意思決定で選んだ、というプロセスを確保してあげなければいけません。そうしないと、不本意な結果に終わった場合、あなたの事務処理に落ち度がなくても、依頼者はその結果をやむをえないものと受け止めることができません。

法律相談を終えた時点で、相談者から、事件の解決を依頼したい、とあなたに申し出があった場合、待ってましたとばかりに、その場で委任状や委任契約書に署名、押印してもらってはいけません。あなたが助言した法的見解、裁判官が採用する証拠の評価、訴訟の予測は、もしかすると、平均的な弁護士からすると、「ずれ」ているかもしれません。あなたが法科大学院の授業で、判例や学説の理解や適用において、とても優秀な学生であったことは、よく知っていますし、司法試験も平均以上の成績であったとのことですが、真面目で優秀だが非常識な弁護士は少なくありません。裁判官も同様です。そのことは、Yさんがこれから、多くの同僚、先輩弁護士や裁判官に接するうち、経験するでしょう。私やYさんにしても、非常識な法律家達の仲間ではない、という保障はどこにもありません。

私の場合、微妙な法律判断、証拠評価を含む事件の解決を依頼したいという相談者に対しては、私が提供した法的見解、証拠評価、訴訟の予測などは、私としては常識的な法律家の見解と一致すると思っているけれども、もしかすると、「ずれ」ている可能性があること、着手金、報酬にしてもより適切な金額を提示する弁護士がいるかもしれないことを説明し、家族や知人と再度、協議し、他の弁護士のセカンドオピニオンを求めるなりしたうえで、依頼するかどうかを決定するよう、求めることにしています。実際、私が常識と信じた法的見解、証拠評価、訴訟の予測などが、裁判官によって見事に裏切られることがときにはありますし、最近では、それが増えているようです。その原因が私の老化なのか、裁判官の劣化なのか、その両方なのか、よくわかりません。

以上のプロセスをふまえて、それでも依頼を求める依頼者とは、最後まで良好な信頼関係を保つことができます。

準備書面などの作成(1)

Yさん。いうまでもなく,裁判所に提出する書面は弁護士にとって重要なものです。準備書面をみれば,弁護士の力量,品格を判断できます。弁護士の中には,準備書面の中で,相手方の人格非難,説教,当てこすり,皮肉,揚げ足とり等を交えた文章を作成する人がいます。これは弁護士の経験年数に関係がないようで,その人の性格によるのでしょう。このような書面は,依頼者には喜ばれるのかもしれませんが,裁判官には説得力をもちません。

相手方の準備書面に感情的な記載があるとき,反論の準備書面を作成するうちに筆が滑って,こちらも感情的な文章になることがあります。とくに,当事者に激しい感情的対立がある場合,相手方の訴訟活動がいかにも不誠実とみえる場合,相手方の書面の中に,依頼者だけでなく受任弁護士に対する非難も含まれている場合などはそうです。しかし,怒りを感じて準備書面を作成した場合は,プリントアウトした書面をすぐにファックスで直送してはいけません。いったん,送ってしまうと,取り返しがつきません。一晩,寝かしておいて,翌日,もう一度,読み返し,品位ある法律文書といえるか,そのまま送って後悔しないか,確認して下さい。きっと,訂正するべき個所があるはずです。

依頼者の怒りの感情に同調し,感情的,攻撃的な訴訟活動をする弁護士は多いようで,それを売りにする人もいます。Yさんの周囲にもきっといるでしょう。しかし,そのような弁護士は,長年の間に,相手方には恨まれ,心ある人の顰蹙を買い,同僚弁護士からは敬遠され,次第に孤立していきます。攻撃的な訴訟活動にあけくれているうちに,その人の人格も荒んでいきます。その人が困ったときに,手を差し伸べる同僚弁護士はいなくなります。そのような先輩,同僚弁護士を何人も見ています。

攻撃的な訴訟活動が依頼者の不利益になることもあります。私の経験ですが、相手方代理人の準備書面で、当方の依頼者の陳述書が虚偽であると繰り返し、断定的に攻撃するので、当方の依頼者が怒ってしまいました。和解案で当方の全面的勝訴の和解案だったのですが、請求元本だけでなく、遅延損害金の半分(数百万円になります)を支払ってもらうことで依頼者も納得し、和解が成立しました。和解ですから、遅延損害金まで支払わせることは通常はありません。攻撃的な訴訟活動が依頼者を不利益に作用する例でしょう。

弁護士は,文章表現の職人でなければなりません。依頼者が抱く怒り,悲しみの感情を無視せよというのではありません。それを理解し,裁判所に伝えることは大切なことです。重要なのは,依頼者の感情をそのまま表現するのではなく,それを裁判官が無視できないかたちの事実,経験則,法論理に置きかえて構成する能力なのです。

依頼者との関係(1)

Yさん。独立開業された由、大変と思いますが、頑張ってください。2年間の勤務弁護士の経験で、弁護士業が心労の多いものであることを痛感されたのはないでしょうか。生真面目で融通が利かない貴方のことですから、余計にそうでしょう。遠隔地どうしですが、困ったことがあったら、遠慮なく相談してください。私の経験から、貴方の参考になりそうなこと、トラブルをかかえこまない方法など、思いつくままに記して送ることにしましょう。

まずは、依頼者との関係についてお話しましょう。依頼者と円満な信頼関係を形成し、トラブルを生じさせないことは重要なことです。これに失敗すると、紛議、綱紀、懲戒などの問題を抱えこむことになります。たとえ、依頼者の苦情には正当な理由がないとしても、苦情を受けることじたいを回避しなければなりません。

依頼者との円満信頼関係は、訴訟や調停を受任するとき、つまり、委任契約書を作成し、着手金の支払いを受けるときに、どのような説明をするか、によって半ば以上、達成されます。この段階を適当にやってしまうと、トラブルを招くおそれが高まります。委任契約書は、説明内容を明確にしておくために必要です。

たとえば、勝訴判決を得ても回収のみこみがほとんどないと思われるのに、訴訟を依頼したいという人がいます。不法行為による損害賠償請求の事案ではよくあることです。依頼者は、金銭の問題ではない、とにかく相手が許せない、黒白をきちんとつけたい、などと言います。もちろん、そのような気持ちもあるのですが、内心では債権を回収したいという希望も当然にあります。そういう事案では、私は、委任契約書の特記事項に次のように記載して依頼者の了解を求めることにしています。

「依頼者は、本件について勝訴判決を得た場合でも回収のみこみが乏しいことを理解したうえで本件を依頼するものである」

依頼者が、この特記事項を読んで依頼を躊躇するのであれば、それは受任してはいけない事件であり、本人訴訟をすすめます。

また、委任契約書では、委任事務の範囲を明確に記載する必要があります。
依頼者は、紛争全体を単位として委任契約を考える傾向があります。事案によっては紛争の相手方は複数で、請求(訴訟物)もいくつかあり、委任事務の範囲も多岐にわたることがあります。従って、委任契約書では、依頼者と誰との間の訴訟を受任するのか、どの請求(訴訟物)についての訴訟なのか、示談交渉、調停、訴訟、仮処分、執行などのうち、どのステージの事務処理の依頼を受けるのか、を明記します。それぞれのステージによって着手金、報酬はことなるはずですから、次のステージに以降するとき、着手金、報酬がどの程度、増加するのかを委任契約書では明記する必要があります。

たとえば、不貞をはたらいた配偶者に対する離婚請求と不貞の相手方に対する損害賠償請求の事案では、委任契約書において上記の点の配慮が不可欠です。


マチベンの素養

新人の弁護士の方々,とくにマチベンとして活動する方々のために,心得ておくべきことを記しておこう。

これまでに,あなたが法科大学院や司法修習で学んだことは,法律家としての基本的な素養,技術であり,とても重要なことである。弁護士は,隣接法律職と比べると,法律家としてとても重要な素養を身につけており,それをあなたは誇りに思って良い。

隣接法律職にはないあなたの素養とは,法は与えられるものではなく,造られるものであり,法が生成する現場に弁護士は立ち会っている,という姿勢である。隣接法律職の人達の発想は,法とは監督官庁,規制官庁の行政通達,行政解釈そのものである。弁護士はそういう発想をしない。法は判例のかたちで絶えず生成されるものであり,生成する動因は民衆(その依頼を受けた弁護士)なのである。「生ける法」の現場に立ち会うのは弁護士だけの特権である。

しかし,あなたの素養は今のままでは,とても貧弱である。あなたが学んだことは,「法律を武器にしたケンカ闘争の技術論」にすぎず,法廷という特殊な空間では通用するけれども,世間の人々は,そのような素養,技術に,価値を認めていない。つまり,あなたは,今のままにとどまっていたのでは,社会的な有用性が乏しいのである。

まず,必要な研鑽は,税務知識である。世の中は,一人親方であれ,中小企業であれ,大企業であれ,裁判所がどう判断するか,ではなく,税務署がどう判断するか,の予測を中心に活動している。日本の社会では,多くの紛争に関しては,弁護士ではなく,税理士が本当の意味の法律家の役割を果たしている。だから,税理士とは仲良くすることが必要であるが,マチベンも,税法について,最低限の知識をもつ必要がある。勿論,税理士試験を受ける必要はなく,正確な税額計算ができる必要はない。税金を徴収する立場の発想にたって取引をみる視点,課税リスクが生じる取引場面に気付く視点が必要である。譲渡所得課税,相続税,贈与税についての知識がないのに,不動産取引の紛争や,遺産相続紛争に関与してはならない。たとえば,新人弁護士には,相続アドバイザ−3級,FP2級を受験することをすすめる。勿論,これらの試験に合格したからといって,その肩書きを名刺に書いてはならない。弁護士がそれらの試験に合格する知識をもつことは当たり前だからである。

また,マチベンは,取引上の紛争だけではなく,人の内面,感情に関わる紛争を扱う。マチベンにとって大切なことは,自分が関与したために,依頼者の紛争がさらに深刻になるようなことだけはしない,という心構えである。いわば,できるだけ黒子に徹するということである。これができない弁護士が多い。人がいかに壊れやすい存在か,自分の世間智や人間理解がいかに乏しいかを自覚するとき,マチベンは紛争の最前線にしゃしゃり出ることはしない。依頼者に対しては最善を尽くすけれども,相手方も尊重されるべき人であり,紛争に苦しむ人である。そのような立場で事件処理ができるとき,社会は,私たちを「鼻つまみ者」ではなく,本当の法律家とみなしてくれるだろう。







規定ぶり・・・?

法解釈の議論をする文書のなかで,「規定ぶり」という言い回しをみかける。かつては,法令の立案作業に関与する公務員(法制局の職員や行政官僚)が好んで使用していた言い回しであった。「私は法令の立案作業の実際を知っており,弁護士や裁判官とは違って,立法技術については多少の専門的心得があり,そういう立場から論じているのですが・・・」という高踏的なニュアンスを感じさせるので,在野法曹は決して使わない表現であった(はずである)。ところが,最近では,学者も法律実務家もこぞって,「規定ぶり」という言い回しを使う。先日は,相手方代理人の準備書面にも登場し,ついには,法科大学院生の民法のレポートにも登場した。弁護士は官僚意識とは無縁であってほしいものである。私は,「規定ぶり」などという勿体ぶった言い方を好まない。素直に,「文言や文理から素直に解釈すれば,」と言えば足りる。

担保の提供と供託手続で注意するべきこと

勤務弁護士として実務経験を積むことなく独立開業せざるを得ない弁護士の方々は,保全処分や執行停止の手続に伴う担保の提供,供託手続に際して,弁護過誤を生じないよう,細心の注意をしてほしい。たとえば,仮差押手続を依頼され,一定額の担保の提供を条件として仮差押決定を得たが,依頼者は借金があって無資力のため,親族が貸してくれることになり,当該親族が依頼者と一緒に法律事務所に同道してその旨を説明してお金を預けてくれたとする。この場合,弁護士がお金を預かる相手は,依頼者ではなく,親族であるから,預かり金の領収書の宛先を親族とするべきである。それだけでなく,さらに,供託名義人を依頼者ではなく,第三者による供託の許可を得て,親族名義で第三者供託手続をすることが必要である。このような依頼者の債権者や徴税当局は,無資力の依頼者に対する差押の手続を常に準備していると想定しなければならない。上記の手続をしないで依頼者名義で供託手続をなし,依頼者の法務局に対する供託金取戻請求権に対して債権者や徴税当局が差押をしてしまうと,たとえ供託金の出捐者は親族だと主張して第三者異議の訴えを提起しても認められることはない。

情状弁護の目的

刑事事件ではいわゆる「情状弁護」がほとんどである。弁護士は情状弁護で何を目指すべきだろうか。

少しでも軽い量刑を得ることだろうか。それは被告人の期待するところであるが、弁護人の目的では必ずしもない。情状弁護の目的は、被告人に対して自発的な内省と変容の決意を促すこと、被告人の犯罪行為を被告人の生活歴や人格形成過程という広く、深い視点で把握し、法廷に提示することである。検察官が提出した証拠から浮かび上がる被告人の人格像は、必ず、自己中心的で刹那的で規範意識が欠如した低劣な人物である。この人格像とは異なった被告人の人格像を提示することができなければ情状弁護は失敗である。情状弁護活動は、公判審理を通じて、被告人が今後は再犯をおかすことなく、社会に適応して生きるための転機としなければならない。刑事手続がそのような場として機能するためには、検察官からの峻烈な非難の視点とは別に、被告人の犯罪行為を被告人の人生行路の一コマとして把握する「哀しみの視点」を弁護人が提示し、そのうえで裁判官は判決を下した、というプロセスが必要である。

このような情状弁護をするためには、接見を重ねる必要がある。ときには過去の前科事件の記録も閲覧し、家族、知人からも話を聞き、被告人が実際に生活する現実の環境を確認する必要もある。このような国選弁護活動は、弁護人にとって経済的に引き合わないことは当然であるが、弁護人に託された社会的責務としてやらなければならないのである。では、情状弁護活動の質は、誰が、どうやって適切に評価できるのか。それは、被告人と公判を担当した裁判官と弁護人自身だけである。

国選事件を担当し、法テラスへの報告書を作成するとき、おそらく多くの弁護士は違和感を感じているだろう。報酬の多寡はどうでもよい。否認事件であれ、情状弁護事件であれ、認定落ちを獲得したかとか、示談成立に努めたかなどの基準のもとで、自分の刑事弁護活動の「質」の評価を法テラスのような機関に委ねていることに対する強い違和感である。



過誤事例−年金分割請求、許可抗告

弁護士として依頼者のために誠実に事務処理をしているつもりでも、ときにミスは避けられない。
新人弁護士の方は、陥りやすい弁護過誤の事例を学んで依頼者と自分を守るため、全弁協叢書「弁護士賠償責任保険の解説と事例」を熟読することをお勧めする。第1集から第5集まで発行されている。

弁護士倫理に関わる諸規定は、特に研修を受けなくとも社会人としての一定の良識と誠実さがあればそれに抵触することはまず、ありえないといってよい。しかし、弁護過誤は良識や誠実さによっては回避できず、法実務についての経験と知識が不可欠である。

最近届いた第5集を通読してみたが、年金分割の請求期間徒過の事例が重要と思われるので紹介する。「弁賠保険において年金分割請求の法定期間経過の事例が非常に多数報告されている。年金分割の請求期限に十分な注意を払われるよう強く注意喚起しておきたい」とあるので、相当数の弁護過誤が生じているのであろう。

紹介された事例から学ぶべき教訓は、社会保険事務所に年金分割を請求できる期限は原則として離婚から2年であるが、離婚成立後、年金分割の按分割合を定める調停、審判をしているうちに2年が経過することがある。その場合の救済制度として、調停成立、審判確定から1か月以内に限り請求することができる。まず、妻側の代理人になったら、弁護士はこの期間制限を依頼者によく説明する必要がある。紹介事例では、按分割合を定める審判に対して夫が高裁に抗告し、抗告棄却決定が出たが、夫はさらに許可抗告の申立をした事例である。妻側代理人弁護士は、許可抗告の帰趨を確認しようと考えたためか、年金分割請求を直ちにするよう妻に助言しなかった可能性があるという。高裁の棄却決定に対して許可抗告の申立をしたからといって確定を阻止することはできない(棄却決定の告知の日から年金分割請求の期間が進行してしまう)ことをうっかりしていた可能性がある。

似たような問題が生じる事例として、相続人間で遺産分割協議ができないため、さしあたり遺産未分割で相続税の申告をしておいて調停・審判をすすめることがよくある。未分割で申告する場合、配偶者に対する相続税額の軽減などの特例を受けられないが、調停成立後、4か月以内に限り税務署に更正の請求をすれば特例の適用を受けて還付を受けられる。もし、家裁の遺産分割審判に対して抗告があり、抗告審の決定に対してさらに許可抗告や特別抗告があった場合、確定は遮断されないので、それらの帰趨を確認していたら、更正の請求期間を徒過してしまうことになる。




FAQ 動機の錯誤

民法の初学者にとって動機の錯誤はなかなか理解が難しいようである。次のような質問を受けた。

「教科書には、伝統的な通説、判例の立場の説明として、動機の錯誤も動機が表示されて意思表示の内容となった場合には法律行為の要素となりうるとする考え方である、とか、動機が意思表示の内容として表示されたときは、動機でも意思表示の内容となり、それが要素の錯誤と評価されれば意思表示は無効となる、という考え方である、という記述がありますが、その記述の意味がよくわかりません。」

たしかに、動機の錯誤に関する「伝統的な通説、判例の立場」を以上のように要約して説明する教科書が多いが、それでは趣旨がよくわからない。「伝統的な通説、判例の立場」は次のように説明すれば、それなりの合理性をもつことがわかるだろう。

「動機」は伝統的な意思表示理論からいえば、意思表示の構成要素の外にあるものにすぎない。だから、動機に錯誤があったとしても意思表示の錯誤、つまり、表示上の錯誤、表示行為の意味の錯誤(内容の錯誤)の問題は生じない。従って、動機が表示されたとしても、当然に意思表示の「内容」になるわけではない。この意味で、動機が表示されると意思表示の内容になる、という説明は正確ではない。正確にいうと、その動機となった事実関係の存在が、表意者が効果意思を形成するにあたって重要な前提事情となっており、取引通念上もそのようなものと認められる場合には、「本来の意思表示の有効性は動機として表示された事実関係の真実性に依存する」という「別個の内容をもった意思表示」が相手方になされたものと解することができる、という趣旨である。

「伝統的な通説、判例」が上記のような説明を正面からしているわけではないが、動機の錯誤を意思表示理論のなかにとりこむためには上記のような説明をする必要がある。動機の錯誤については理論上の対立はあるが、「伝統的な判例、通説の立場」は上記のような観点から取引の安全に配慮しているので結論に不都合は生じない。









「絶望の裁判所」 瀬木比呂志氏

わが国の司法の現状に対する仮借なき批判の書である。いろいろな評価があるだろうが、記述された内容は、私が弁護士として、相当の期間、訴訟事件を通じて多くの裁判官を観察してきた実感に合致する。遺憾ながら、自己の権利が不正に侵害されたとして市民が救済を裁判所に求めた場合、裁判所が期待に応えて発見してくれる真実、実現してくれる正義の範囲は、以前と比べると、次第に限られた事件になりつつある。また、伝統的な採証法則を無視する事実認定が多く、最高裁判所がこれを破棄することがほとんどなくなったので、判決の予測可能性が失われつつある。裁判所は、瀬木氏のような知性を受容できない組織になってしまい、瀬木氏のような知性を新たに裁判官として迎えることができない組織になったということである。勿論、知的レベルの衰退は法律家全体にいえることで裁判官に限ったことではない。
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