論者によっては、およそ民事法を学び、研究しようとする者にとって要件事実論を学ぶ効用は絶大であるとか、初学者のときから要件事実論に親しむ必要があるといった議論もみられますが、私はそこまで要件事実論の効用を強調する立場には立ちません。法律実務家でない人にとって要件事実論を学ぶことにそれほど意味があるとは思いませんし、要件事実論を身に付けることとすぐれた民法解釈の研究業績を残すことは全く別の素養、能力と思います。逆に、要件事実論の思考枠組みにとらわれることは、体系的な構想力を弱める副作用があるとさえ思います。また、要件事実論は訴訟物の概念、弁論主義、主張責任、証明責任の観念と深く結びついているので初学者に要件事実論を教えることはかえって混乱させるおそれがあると思います。

それはともかくとして、法律実務家をめざしている学生に対しては、私としても要件事実論を学ぶ必要性を強調せざるをえません。法律実務家はなぜ要件事実論を身に付ける必要があるのかというと、訴訟手続に不可避的に伴う「証拠調べを尽くしても事実の存否は不明」という事態に対応せざるをえないからです。たとえば、原告が被告に対してある貸金返還請求権の存在を認めてもらい、その給付命令を得るために、原告は必要最少限、どの範囲の事実について主張し、立証する(裁判官にその事実があるとの確信を抱かせる)必要があるのでしょうか。訴状に書いたことの全てでしょうか。勿論、そうではありません。原告にとってその必要最少限の事実を権利根拠事実といいますが、権利は実体法規定から発生すると観念しますから(法規説といいます)、権利根拠事実は個別の実体法規定の解釈によって導かれます(障害事実、消滅事実についても同様です)。

訴訟物として貸金返還請求権を提示する場合、それを理由づけるための事実として、返還約束、金銭の交付、返還時期の定め、その到来の各事実を主張する必要があると説明されています。その意味は権利根拠事実として必要最少限度の事実は以上の事実に尽きるということであり、逆に、その事実が一つでも欠けると、貸金返還請求権の存在を理由づけたことにはならないということです。そんなことは民法の条文には正面から記述されていませんが、民法解釈としてそのように解することが妥当と考えられているわけです。ここで皆さんに注意を喚起しますが、要件事実論の教科書、参考書に記述されていることは通説的な見解であり、一応、実務で通用している要件事実論ではありますが、決して唯一絶対の見解ではなく、結論を暗記しようとしてはならない、ということです。要件事実論では、具体的な権利や法律効果が発生するために必要最少限の事実は何か、主張責任、立証責任の対象となる事実はAの存在という事実なのか、Aの不存在という事実なのか、その事実の主張責任、証明責任はどちらの当事者に分配されるのか、といった議論をしますが、その議論をするためには正確な実体法の解釈論をふまえつつ、当事者の立証上の公平、真実に合致する蓋然性などの要素をも考慮しなければならず、すぐれて価値判断を要求する議論ですから論者によって考え方が分かれることは当然にありうることであり、唯一の正解となる要件事実論など存在しないということです。重要なのは、実務で通用している要件事実論はどのような民法解釈論に立脚しているのか、民法の基本原則とどのように関連づけようとしているのか、ということを理解することです。

法科大学院の学生向けの教科書などをみますと、「要件事実論は実体法解釈の問題である」という記述をよく見かけます。これは一面、正しいのですが、一面、不正確でもあります。要件事実論の議論は上記のように、民法解釈論をふまえた議論ではありますが、それに尽きるものではなく、当事者の立証上の公平や真実に合致する蓋然性という訴訟手続の実際を考慮せざるをえない議論なのです。そしてそのような要素は実体法の解釈論の中に納めきれないものがあるといわざるをえません。そのことを指摘しないで「要件事実論は実体法解釈の問題である」と強調することは一面的な理解であり、実体を直視しない議論といわざるをえません。しかし、そのことを理解したうえで、「要件事実論の議論においては、その正当性は実体法解釈の問題として正当化するように極力、議論する必要がある」という趣旨であるならば、上記の記述は適切なものです。要件事実論の議論においては、「事実の不存在の証明は悪魔の証明だから」、「消極的事実の立証は困難だから」、「そのように分配することは当事者の公平に合致しないから」などといった根拠付けを安易に用いる傾向があります。しかし、立証困難、不公平、といった価値判断が濃厚な根拠付けをされますと議論がそれ以上、すすみません。立証困難とは言えない、不公平とはいえない、という反論は水掛け論になってしまい、論争は単なる価値判断の表明になってしまいます。法律的な議論はいつもそうですが、結論を発見するプロセスと結論を正当化するプロセスを自覚的に分けて議論する必要があります。すぐれた法律論とは、直感的に発見された結論を体系的に、制度論的に、正当化する議論のことです。要件事実論においても事情は変わりません。立証困難、不公平というのは、直感的な発見のプロセスに属します。しかし、それは端的にいいますと個人の信条告白に類するものであり、他者、とくに論争の相手方を説得する力は脆弱なものです。自分の主張する要件事実論は民法の基本原則、根本的な制度趣旨、規範の相互関係からみて適合的であり、そこから根拠づけることができるのだ、という議論であって始めて論争の土俵ができ、よりすぐれた議論がどちらなのかという比較か可能となり、より優れた要件事実論はどちらなのか、という結論の予測ができるのです。

新司法試験でも出題者はこのことを強く意識しています。通説的な要件事実論を暗記していれば答えが出るような問題は、少なくとも論述試験では出題されませんし、民法の基本原則、制度論から正当化する要件事実論が展開できなければ評価されないでしょう。