法律の初学者のために説得力ある法的議論のしかたについて説明しておこう。

法的議論は、それが結論としてどんなに受け入れがたい議論であれ、法的三段論法の形式に則っている限り、法的議論としては成立するのであり、それを「間違い」と評価することはできない。法的議論を評価する視点は、「正しいか、間違いか」ではなく、「説得力があるか、乏しいか」である。説得力ある法的議論をするにはどうすればいいか。

法的議論を組み立てるときの実際のプロセスは、まず、論者にとって望ましい結論、直感的に妥当とみえる結論を仮定的に設定する。次に、その結論に到達することが可能となる大前提、小前提の組み合わせを可能な限り、多く想定し、もっとも説得力がある組み合わせを最終的に法的議論として選択する。では、法的議論の説得力とは何か。法的議論の説得力は、三段論法の大前提の議論、小前提の議論のそれぞれの場面で問題となるが、ここでは大前提における説得力についてみてみよう。

大前提の議論では、適用されるべき法規範の内容に関する議論をする。「法解釈」とか「規範の定立」というのがこれである。具体的紛争では、法律上の争点として、民法のある条文や契約書のある条項の意味が問題となることがある。このとき、当事者は、当該条文や条項を解釈し、当該事件を含む一定類型の事実関係については、当該条文や条項は、自分に有利な一定の意味をもつ法命題を含んでいることを主張する必要がある。初学者の議論や答案は、抽象的法命題から具体的法命題を導出するプロセスを疎かにする傾向があり、実定法の条文から直ちに事実をあてはめて結論を導くことが法的三段論法であると考えがちである。しかし、これでは、結論に至る必然性がわからない。法的三段論法の説得力の核心は、抽象的な条文から具体的法命題を導出する部分にあることを認識する必要がある。人身損害賠償請求訴訟において、注意義務の内容をどのように措定するか、という場面が典型である。

かように「法解釈」とは、条文などの法規範の意味を、より具体的な法命題へ転換する作業である。条文などの法規範は、個別の具体的紛争を離れて一般的、抽象的なかたちで記述されるから、法規範が適用されるか否かが不明確な事例が必ず、生じる。法解釈の目的(有用性)は、適用されるか否かが不明確な領域をもつ法規範を、できる限り、適用される領域を明確とし、予測可能性のある法規範として記述することにある。ある議論が法解釈論として意味があるのは、抽象的な法命題をより具体化し、その適用領域を明確ならしめ,法適用の予測可能性を高める場合に限る。抽象的な法規範を何ら具体化していない解釈論は,同語反復であり、説得力を云々する以前の問題であり、解釈論として無意味である。しかし、法解釈論と称して、実は同語反復にすぎない例は学説でも判決でもしばしばみられる。

説得力ある議論であるためには,具体的紛争の解決として,妥当な結論をもたらすものでなければならない。健全な社会通念、常識的感覚,正義・公平の観念、社会秩序といった価値観念に合致することである。一般人の素朴な法感情といってもよい。これは,直感的,印象的なものであり,特別の説明がなくても共通の理解として肯定されることが多い。

しかし、具体的妥当性だけでは説得力ある解釈論とはいえない。それが全体の法体系・法原理・法原則によって根拠づけられ、論理的に導くことができること,少なくとも矛盾しないことが必要である。解釈という作業は多かれ少なかれ「法の創造」という性質をもつけれども,建前上、解釈者は実質的な立法権限をもつべきではないから、抽象的法命題を,それを支える法体系,法原則から、必然的、合理的に導出、根拠づけた議論であるという外形を解釈論は装う必要がある。また、根拠を明示することによって、解釈論によって提示された法命題の適用範囲が妥当する領域を限定し、適用範囲を予測可能なものとすることができる。このような理由で、法解釈論の説得力とは、具体的妥当性だけではなく、それ以上に、形式的な正当化、根拠付けを必要とする。だから、相手方が提示した解釈論への反論は、その議論の体系的,法原理との矛盾、不適合性と具体的妥当性の欠如という観点からのみ、なされなければならない。相手方の議論の背景にある党派的利害、偏見などを暴露することは、それが事実であるとしても、相手方の法的議論の正当性を批判したことにはならない。