相続税に関してはもっとたくさん取った方がいいと言う人もいれば、そんなのは取らない方がいいと言う人もいる。
一代で大金持ちになったような人が意外と相続税率はもっと上げた方がいいと言う持論を持っていたりする。
ホリエモンとかビル・ゲイツは相続税をたくさん取った方がいいと言っていた。
その理由はやはりフェアーに競争をするためにはその方がいいと思っているからだろう。
資本主義の社会では機会平等、結果不平等が基本だ。
努力をしたもの、才能があるもの、リスクをとって成功した者が大きな富を得るべきであり、たまたま親が金持だったと言うだけの者が富を得るのはおかしいと言うことだろう。

また、自分の力で成功した(と思っている)人と言うのは、自分の「能力」にとても自信を持っているのが普通だ。
人間と言うのは自分が有利になるような価値観を、当然の「正義」や「道徳」として社会に広めたい(押し付けたい)と無意識に思うものなので、こう言う人は「能力」だけが成功するかどうかを決めるフェアーな競争が常に行われる社会が実現することを自然と望むことになる。
それが勢いあまって生まれた時はみんなゼロからスタートの機会平等の社会がいい、よって相続税は極端な場合100%でもいいと公言したりすることになる。

もちろん、誰しもが自分が有利になるような社会を望もうとするわけだけど、例えば東大法学部を出た人が、世の中は東大法学部卒の人だけが出世できるような社会を作るべきだと望んだところで、それが世の中の「正義」や「道徳」として普及することはないだろう。
やはり「正義」や「道徳」として普及するには社会全体にとって利益のある価値観であるかどうかがとても大切で、そうでなければ多くの人から受け入れられることはないからである。

この場合「フェアーな競争が常に行われる社会」と言うのは確かに社会全体をどんどん発展させていくことにつながるので、機会平等と言うのは人間社会にとってある程度普遍的な価値観として社会にインプリメントされて行くことになる。
その点、後者のような学歴差別の価値観は人材の適材適所を妨げ社会全体の発展をむしろ阻害することになるので「正義」や「道徳」として社会に普及することはない。

ずいぶんと脇道にそれてしまったが相続税に賛成の人は要するに「機会平等」と言う社会の価値観に重きを置いているわけだ。

次に、相続税に反対の人の意見を聞いてみよう。
実は竹中平蔵やミルトン・フリードマンのような人たちは相続税に反対している。
それは資本主義の原理原則に反するからだ。
まず、所得税を課税した後に残った財産にまで課税するのは完全な二重課税であり税制の整合性から言ってよくない。
しかし、もっと重要なことは相続税と言うのは資本主義と根本的に相反する考え方であると言うことだ。
資本主義と言うのは、自分が社会に価値を提供したりたまたま運がよかったりして自分で作り出した富を自分で所有できることを保障し、そしてその富を自分が何に使おうがまったく自由であることも保障しているのだ。
だったら自分が稼いだお金を何に使おうが自由なのだから、そのお金を自分の息子や娘にあげたからと言っていったいどうして文句を言われなければいけないのだ?
それに両親から美貌を受け継いで女優として大成功して巨万の富を築くのはいいが、両親から財産を引き継いでその財産を使って事業を興したり投資をしたりして成功した人はダメだと言うのはおかしいではないか?

要するに、相続税に反対の人は、資本主義では自分の財産を何に使っても自由であるべきなのだから、自分の財産を子供にあげるのも自由であるべきだと言うわけだ。
私有財産を国が取り上げるのは共産主義の発想だ。

もちろん、大多数の人たちはこう言うことは考えないで、ただ単に浅薄な嫉妬心に駆られて「相続税で金持ちからお金を奪い取ってやれ」ぐらいにしか思っていないし、民主主義国家ではそんな庶民の嫉妬心が社会の正義となり実際に国がその通りのことをするのだけれど。

実は、僕もつい最近まで相続税は100%でもいいぐらいだと思っていた。
やはり機会平等が社会にとって何よりも重要ではないかと考えたからだ。
ところがよくよく考えてみると、相続税が100%、もしくは100%に近い社会と言うのはとんでもない社会であることが分かってきた。

例えば、親といっしょに住んでいるパラサイト・シングルの太郎さんの家を考えてみよう。
この家は太郎さんのお父さんがローンで買って、会社を65歳で退職した時に退職金でローンを全て払い終わっている。
しかし、不幸なことにこのお父さんは心臓に持病があり、とうとう発作で死んでしまったのだ。
取り残された太郎さんと太郎さんのお母さんが悲しみでうちひしがれている間もなく国税局のひとがどかどかと家にやって来て「この家は相続税として今日から国が所有します。期日までに退去してください。もし国から買い戻す場合はXXXX千万円期日までに支払ってください。後、お父さん名義の銀行口座は全て凍結しました」と言い渡すわけである。
さすがに、このような極端な例は同居していた場合の持ち家は相続できるとか特例を作れば回避できるかもしれないけど。

先祖代々続く着物屋さんさんとかそう言った伝統工芸も相続税が重すぎて親から子に継承できなくなるだろう。

以上のような困ったことも相続税の問題点だが、僕が思う相続税の最も恐ろしいことろは、脱税を防ぐために国家が国民のもっとも基本的なプライバシーである私有財産を常に監視し続けること正当化してしまうことである。
たかが国なんて言うものにそのような個人のプライバシーを踏みにじるような権力を与えてよいのだろうか?
何より個人の自由を尊ぶ人間としては、そのような国家の横暴は到底容認できるものではない。

と言うことで、相続税は機会平等の点から考えて当初は賛成だったのだが、相続税を課税する際にあまりにも国家に強大な権限を与えなければいけないと言う副作用に気づき、僕は相続税ゼロ論者になったのであった。
国民のプライバシーと言う点から考えると、相続税はあまりにも問題が多すぎる。
相続税を課税するために国家に与えられる強大な権限は、ちょっとしたはずみですぐに共産国家や独裁国家へと突き進ませてしまう大いなる危険を秘めている。
相続税などと言うものはその課税の実務的な部分に想像を働かせればゼロしかありえないだろう。

やっぱりどう考えても現在のような資本主義の世界では消費税が圧倒的にすぐれている。
この事に関してはまた今度ゆっくりと述べよう。