橋下知事人気も手伝ってか、最近は地方分権や道州制がさかんに議論されています。
僕も地方分権には大賛成ですし、その最終的な形態としては道州制しかないと思っています。

その理由のひとつは、世界でとても豊かな国(=一人当たりのGDPが高い国)は大体人口が500万人〜2000万人ぐらいだと言うひとつの経験的な法則があります。
スイスやベルギーのようなヨーロッパの小国、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドのような北欧諸国、アジアでは香港やシンガポールがこれぐらいの規模です。
アメリカは連邦政府で、各州に徴税権や法律を作る権限がありそれぞれの州がやはり小さな国のように機能しています。

人口が少なすぎると電力供給や社会保険や国防のようなスケールメリットを必要とする分野で効率が悪くなります。
また、人口が多すぎると政策の決定プロセスに非常に時間がかかりますし、国内の大小さまざまな利権団体や既得権益層が政治力を持ってしまい国全体の利益を阻むと言う大問題があります。

おそらく人口500万人〜2000万人ぐらいがグローバル経済の中で繁栄する最適サイズなのではないでしょうか。

僕が思い描く道州制は大前研一が15年も前から提唱している考えにとても近いです。
各州が徴税権を持ち、独自の法律を作ります。
そして日本の中央政府は、外交、防衛、環境、金融政策などの各州単位ではできない分野に特化します。
つまり、地方はほとんどひとつの国家としての権限と責任を持つことになるのです。
どうやって優秀な人材を集めるか、いかに世界で戦える企業を作るか、世界中から人を集める魅力的な観光資源をどうやって開発するのか、そして生み出された富を地域全体を豊かにするためにいかに使っていくのか。
そう言った極めて責任のある政策運営を地方が担っていき、また地方同士がはげしく競争をしなければいけないのです。
そして地方同士の競争の結果、日本全体がどんどんレベルアップして豊かになっていく。
これが本来の道州制の姿です。

ところが日本の現状は東京で稼ぎ出した税金を日本全国の地方に配ると言うただの所得の再分配です。
ちょっと前まで愛知県もトヨタ自動車などの世界的な製造業がありお金を他の地方に配る側でしたが、今年からはトヨタ自動車も赤字で東京からお金をもらう側に成り下がってしまいました。
結局のところ、東京のサラリーマンが朝から晩まで働いて稼いだお金を田舎に配るだけなのが今の日本の姿なのです。

どうも全国の知事達が盛り上がっている「地方分権」と言うのは、霞ヶ関に「もっと金くれ。でも口は出すな」と言ってるだけのような気がします。

地方で教育を受けて地方で育った人材が東京でお金を稼いでいると言うのも事実です。
そう言う意味で、地方の全ての子供達によい教育の機会を与えるために東京から地方への所得の再分配は絶対に必要でしょう。
この場合は全国民に教育バウチャーを配って市場原理をうまく働かせるのがいいでしょう。

また、最低限の医療を受けるための所得の再分配も必要です。
しかし、東京から地方への所得移転は、そう言ったミニマム・スタンダードを保証すると言うことだけに限定するべきです。

全国の地方知事に言いたい。
自分で金を稼いでからモノを言ってはどうだろうか?

それとも道州制にして政策の自由を取り戻せば、自らの州が富を作り出す自信がおありなのだろうか?