前回の中学受験のエントリーには思いがけず多くの反応があった。
そして、多くの人たちがひとつの大変興味深い問いにたどりついたようだ。
「そんなすごい小学生たちはいったいどういう大人になったのか」という問いだ。
そして今回はその問いに答えていこうと思う。

結論からいうと「みんなただの人になった」が答えだ。
もうちょっというと、ただの人だけど、やっぱり普通よりちょっと高収入で、ちょっとばかり社会的地位の高い人たちだ。
残念ながら世界的な企業家やノーベル賞級の科学者というのはほとんどいない。
(逆に言えば、こうした企業家や科学者の圧倒的多数は、昔はふつうの小学生だったわけだ)

具体的にいうと、理系だと年収1500万円ぐらいの勤務医か年収700万円ぐらいの大企業のエンジニア、文系だと年収1000万円ぐらいの官僚や弁護士ぐらいが典型的な進路だ。
やはり彼らは母親のいうことを素直に聞いて勉強するタイプなので、とにかくリスクをとらない安定志向なんだ。
それに彼らはとにかく試験が好きで、試験が得意なので、医者や弁護士のような資格職に人気がある。
しかし、こういう資格職は、お役人によってはげしく規制されているので、貧乏にはならないが、それほどお金持ちになれるわけでもない。
まあ、そこそこいい収入という程度だ。

もちろん、お医者さんになることや弁護士になることは、世間一般でいえば十分すぎるぐらい立派なことで、成功した部類に入るだろう。
でも、日能研や四谷大塚の模擬試験で全国順位1桁台を連発し、圧倒的な力の差を見せつけていたあの神童たちの将来が、大学病院でひーこらひーこら風邪を引いた老人の相手をしている年収1500万円の平凡な勤務医というのは、やはり少々期待はずれといわざるをえまい。
もう一度いっておくと、お医者さんというのは金融業のような賎業とは違い社会的地位も高くすばらしい職業とは思うが、あの天才小学生達の将来だとすればなんとも小さくまとまったという感じがするのである。

それにやはり12歳の時に人生のピークがきちゃったという早熟の人もたくさんいて、20歳を過ぎるとそれはそれは絵に描いたような凡人になってしまう。
そんな彼らを見ていると、僕はPC98時代のダービースタリオンのスティールハート産駒を思い出さずにはいられない。
あの超早熟のスピード・マイラーを次々と産み出した知る人ぞ知るゲームの中の名主種牡馬だ。
しかし、こいつらみんな早熟で、クラシックの皐月賞のころにはもうピークがすぎちゃってて全然走らなくなっているんだ。

今の世の中で世俗的な成功、つまり富や名声を得ようと思ったら、スポーツ選手などの特殊な職業を除けば、能力のピークを30代、40代にもってこないといけない。
その辺、早熟タイプは非常に辛いといえる。

それでは本命のサイエンスの分野はどうかというと、これがおどろくことに全然冴えないのだ。
よく知られていることだけど、大学受験では圧倒的な偏差値を誇る東大医学部からノーベル賞がひとつもでてない。
(もちろんノーベル賞がそんなにえらいわけでもないけど、他の尺度でみても東大医学部がライフサイエンスの世界でプレゼンスが高いかというと、あのスカウターがぶっ壊れるほどの受験偏差値から思えば、世界の中ではまったく地味としかいいようがないのである)

開成高校や灘高校を最上位の成績で卒業して、東大の物理学科や数学科でもトップクラスの学生が、どんなに天才なのかと思うかもしれない。
しかし、研究となると、これが全然大したことがないのだ。
実は、受験勉強や学部の勉強でいい成績をとるということと、学術研究するというのは、ぜんぜんちがうスポーツなのである。
これはゴルフとサッカーぐらいちがうといっていい。
簡単に説明すると、学術研究というのは、今まで誰もやったことがないことをやらないといけないのだけれど、これは教科書を勉強するのとは似ても似つかないものなのだ。
もちろん、教科書の知識は必要だけど、それはあくまで必要条件。
テストでは、教科書を正確に覚えて、手際よく問題を解かなければいけないけど、実際の研究では、教科書なんて必要な時はいつでも読めばいいし、問題を解くのにどれだけ時間をかけてもいい。
そもそも教科書に載っていないことをやらないと研究とはいえない。

僕は大学の学部でそんなに勉強をしたわけじゃないけど、なぜだか新しいことをして論文を書くのが得意だったので、世界的な学術誌にわりとポンポンと掲載されていたのだが、こういう受験でもトップ、大学の成績でもトップというひとでもそんなことがぜんぜんできない人が多かった。
いや、ほとんどの人ができなかったといっていい。
アカデミックの世界では、人類の知識のフロンティアをどれだけ広げられるかで評価されるので、大学の成績がいいとか、ましてや受験勉強がどれだけできたなんてことは何の価値もない。
ゼロ評価だ。

そして、そういう勉強の天才たちは、大学院で5年間もかけて、テーラー展開の3次の近似を4次まで拡張しましたみたいなしょうもない論文を三流ジャーナルにやっとのこと掲載してもらい、なんとか博士号をとっていた。
僕は、彼らのような勉強天才が、なんでそこまで頭が悪いのか不思議でしょうがなかった。
いったいどんな頭の構造をしていたら、そこまで勉強が有能なのに、研究が無能なのだろうか。
そして、困ったことに、アカデミックの世界では前者の価値は、完全にゼロなのだ。

まあ、僕はその後いろいろ思うことがあって、NatureとかScienceに論文を書いても、知らない人は何も知らないし、そんなことより何千万円も稼いで美味いものを食べた方がよっぽど幸せだと思い、金融機関に就職したわけだけど。
あの時の決断は今でも人生最良の決断だったと思っている。

こうやって、僕がのん気にブログを書いている間にも、やっとのこと博士号を取った元神童の人たちは、ポスドクや非常勤講師を転々としていた。
そして、最近、とうとうアカデミックな仕事がなくなってしまう人もでてきた。
(正直いってちゃんとした論文をかけないなら当たり前だ。同情の余地はない)

そんな彼らが今どうなったか?
ホームレス?
さすがにそんなことはないよ。
自分が一番輝いていたあの場所、温かくて、やさしくて、とってもいい香りがする母なる大地。
そう、SAPIX日能研四谷大塚の先生になって、小学生にいきいきと授業をしているよ。