一般に資本主義というのは金持ち優遇で貧富の格差がはげしい社会システムだと考えられています。
一方で、社会主義とは社会全体の活力を失うものの、格差という点では平等な社会システムだと考えられています。
なので、鳩山由紀夫前首相のような超金持ちが社会主義者だったりすると、ひとつのパラドックスのように感じられます。
また、昔は資本主義経済の申し子のようだった勝間和代女史も、自己啓発の指導者として大成功すると、とたんに社会主義的になってきて、高額所得者の所得税は昔の70%ぐらいにしないと格差が広がってしまうなどとおかしなことをいいはじめました。
自身が高額所得者の勝間女史がこのようなことをいいだすのは、やはり何か矛盾しているように思えます。
別の例をあげると、かつては自由市場経済による競争政策を徹底しようとしていた中谷巌氏なども、一橋大学の名誉教授になったり、大手シンクタンクの理事長に就任すると、いつのまにか「資本主義はダメだ。ミャンマーはGDPが低くて貧しくてもみんな幸せだ」とかわけのわからないことをいいだしました。
これも中谷氏自身が資本主義社会の成功者なのに、そういったことを否定するというのは不思議です。

しかし、僕にいわせてもらえば、これらはパラドックスでも何でもありません。
むしろ、その背景をしっかりと理解すれば、このような社会主義化は、あからさまな人間の欲望がむき出しの状態になっているにすぎないことが浮き彫りになってきます。

まず、第一に資本主義が激しい格差を生み、社会主義が平等だという前提が大きく間違っています。
確かに資本主義社会では、個人が稼ぐ金額や、個人が持つ金融資産には大きな格差が生まれます。
しかし、それはあくまで金銭的なものであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
実際のところ、現代社会では、年収が数千万円でも、年収が300万円でもそれほど生活は変わりません。
毎日、フランス料理のフルコースを食べたら体をこわしてしまいますし、広すぎる家に住んでいても不便なだけです。
一方で、一杯300円で食べれる美味しい牛丼屋はたくさんありますし、ユニクロの1000円のジーンズもなかなかのものです。
実際のところ、現代社会では、ある程度以上の収入があれば、お金というのはゲームのスコア程度の意味しかなくなってきます。

一方で、社会主義社会は恐ろしいほどの格差を生み出します。
社会主義国家では、自由市場による生産を否定するので、官僚がどこに工場を建て何を作るのか決めます。
一部の政府幹部が、これらの経済を計画していくので彼らに絶大な権限が集中します。
となりの北朝鮮を見てもわかると思いますが、いったん権力の座についた者たちは、都合の悪い市民を捕まえ、時に処刑したりします。
実際に、旧ソ連や東欧の国々など、社会主義システムを採用した国家では、ほぼ例外なく政府による市民の虐殺が行われました。
人の命も簡単に奪っていたのですから、権力者たちによる強姦など(もっとも逆らうと大変な目に合うことがわかっているので、みな表面上は嬉々として受け入れたと思いますが)は広く行われていたことは容易に想像できます。

このように考えると、鳩山由紀夫のような人物が社会主義者になるというのは、むしろ必然のような気がします。
確かに鳩山由紀夫は大金持ちですが、だからといって資本主義社会では何の尊敬も権力も得ることはできません。
所詮、金で買えるものは限られているのです。
いくらお金を持っていても、能力がなく、他者の役に立たない人間が一時でも高い地位につくと、市民から非難され、罵倒されるのです。
資本主義社会では、現在進行形で優秀な人間しか評価されないのです。
だからこそ、鳩山由紀夫も一部の民主党幹部も、日本を社会主義化して政府の権力を増大させ、自分たちがその権力の座に座ることを本能的に追い求めていたのでしょう。

それでは勝間さんや中谷さんの社会主義化に関してはどのように考えればいいのでしょうか。
その前に、資本主義社会と社会主義社会のもうひとつの違いについて理解しておく必要があるでしょう。
資本主義社会では、多くの経済活動が自由市場にゆだねられます。
そこには競争があり、当然、勝者もいれば、敗者もいます。
いいモノをより安く作れる生産者が莫大な富を築く一方で、価格や質で劣る生産者は駆逐されていきます。
ユニクロが大成功する影で、多くの衣料品店がつぶれたのです。
そして、そういった成功者達もまた、遅かれ早かれ、よりすぐれたライバルの出現により淘汰されていきます。
競争的なプロ・スポーツを見てもこのことがわかるでしょう。
ワールドカップを見ていても多くのサッカー選手が20代です。
体力が衰えてきた選手は、より若くて優秀な選手にどんどん置き換えられていくのです。
資本主義が大成功し、人類に恐ろしいほどの豊かさをもたらしたのは(そして、一部の人に資本主義が嫌われているのは)、この新陳代謝のためです。
資本主義社会では、失業や会社の倒産は、実は社会が進歩していくために本質的に必要なプロセスなのです。
本題から外れますが、日本経済がなかなか成長しないのは、このような経済の新陳代謝を様々な規制や因習で阻んでいるのですから当然といえば当然なのです。

一方で社会主義国家は、政府により経済が計画されますからこのような市場による競争はありません。
いったん権力を握った政府幹部たちは、その権力故に人々が畏怖し、より強大な権力を持っていくことになります。
そして、社会主義国家では、そういった権力者にどうやって気に入られるか(あるいは嫌われないか)の競争が市民の間に起こります。
とはいえ、社会的地位、あるいは身分の変動は、資本主義社会よりはるかに固定的になるでしょう。
そういった身分もまた政府によりコントロールされるからです。

このように考えると、資本主義社会の成功者が社会主義的になるのは、むしろ当然のように思えてきます。
なぜもっと多くの成功者が社会主義者にならないのかとさえ思えます。
資本主義社会の本質は下克上です。
だったら、いったん成功したら、新たな規制を作ったりして挑戦者が自分の地位を脅かさないようにするのは当然ではないでしょうか。
危険を犯して必死で今にも崩れてしまいそうな橋を渡りきったら、次の者が渡ってこれないように橋を壊してしまえばいいのです。
暴力で覇権を握った者、あるいは国が、また暴力で自らの地位を奪い取られないようにするために、平和を強く説き、暴力を最も重い罰則でもって禁止するのと一緒です。
競争を勝ち抜いた成功者が社会主義的なことをいいだしたら、僕たちはかなり注意して聞かないといけないでしょう。

最近の政府の肥大化を、僕は大変心配しています。