経済学のモデルなんかではほとんど考慮されることがないのだけれど、実は僕たちの人生においてものすごく大切なことがある。
それは仕事には楽しい仕事と生活のための仕事のふたつがあるということだ。
セクシーな仕事と請求書を払うための仕事。
経済学では個人は消費すると幸せになれて、たくさん消費するために生きているとされる。
労働をするのは、消費するためにお金が必要でそれを稼ぐためだ。
しかしこの簡単なモデルは僕の実感でもぜんぜん正しくない。
僕はものすごく高いレストランに行ってもそれ自体にはほとんど幸せを感じない。
ブランド物をたくさん買っても同様に幸せを大して感じない。

しかし一部の仕事、つまり労働にはあらゆる消費を超える幸福の源泉があるような気がする。
世の中にはすごく面白い仕事というのがあるし、反対に面白くないけど生活のためにやらなければいけない仕事がある。

簡単な例をあげると、歌をうたうのが大好きな人がいるとする。
彼女はうたうのが大好きで、歌がとても上手なのだけれども、歌手としては今のところは生活できない。
だから昼間はコンビニやレストランで働いていたりする。
でも夜はバーなどで多少のお金をもらいながらお客さんの前で歌っている。
彼女にとってコンビニやレストランでの労働は、生活のため、請求書を払うための仕事で、まさに経済学が想定するような労働だ。
しかし夜の歌手の仕事は楽しくてセクシーな仕事だ。
これはどんな消費よりも彼女に満足感を与えてくれる。

また同じ仕事の中にもセクシーな部分と、苦痛で退屈な部分が必ずといっていいほど同居している。
トレーディングでは将来の経済状況や売り手と買い手の需給を上手く予測して、実際にポジションを取ったりするのはエキサイティングだ。
でも会社で仕事をしていると、クライアントのためにくだらない金融商品をプライシングしなければいけなかったり、ミドル・オフィスが間違えてブッキングしたものを直したりとか、つまらないこともたくさんある。
会社全体の戦略に従ったりしなければいけないこともある。

本の編集者にしたって、興味深い著名人と実際にいろいろと会って話せることはとても面白くて刺激的な仕事かもしれないけど、やっぱり朝から晩まで文章を読んで本にしていくのはつらい部分もあるだろう。
それに会社で働いていたら、なんといっても自分が出版したくないような本を担当させられることもある。
自分の哲学というか美学みたいものを曲げないといけない。

僕は昼間は会社で働いているけど、週に何日かはこうしてエッセイなんかを書いている。
それがそれなりの人の読まれて、いろいろな感想を聞けるのはとても面白かったりして、少なくとも高級レストランで食事をしたり、ブランド物をたくさん買うのよりは楽しい。
でも昼間の会社での「生活のための仕事」に比べるとぜんぜん儲からない。
それでもiPhone4iPadを経費で買ったり、もいくらでも経費で買えるし、たまに興味深い人に会って食事しながら取材したりして、それでもさらにあまるぐらいは稼げるのだけれども。

おそらく僕たちのほとんどは生活のための仕事というものから開放されることはない。
だったらその中でも少しずつ楽しい仕事を増やしていくことが賢明なのではないだろうか。
例えば原理的には僕なんか文筆活動だけで食べていくこともできるのだけれど、文筆活動の楽しさというのは「生活のための仕事」があってこそ楽しいのかもしれないと思ったりもする。
それに「楽しい仕事」だけにすると、その「楽しい仕事」の中から「生活のための仕事」がでてくるようになるのかもしれない。
うまくいえないけれど「楽しい仕事」と「生活のための仕事」というのは車の両輪のような関係があるのだろう。

少なくとも僕にとっては、消費するだけの人生というのは、大変味気なくつまらないものに思える。
社会に何のモノもサービスを供給せずに、消費し続けるだけの人生なんて、ある意味で牢屋にずっと入っているみたいで地獄のような感じさえする。

とりあえず楽しくて、セクシーで、面白い仕事の割合を高めていくことが、当面の僕の目標です。