週末は結構遅くまで寝ているので、大体すんなりと眠りにつけない。だから月曜日は寝不足でいつもだるい。やれやれ、今日も眠れそうにないな。僕は眠ることを諦めてブログを書くことにした。少し贅沢に18年物の山崎でもオン・ザ・ロックを飲みながら。それからiPhoneにヘッドフォンをつなげた。Linkin Parkの"Somewhere I Belong"がかかっていた。

さて、今日書きたいことは僕の会社の話、そして金融業界の話だ。僕はグローバル金融機関で働いている。日本では証券会社ということになっている。僕はそこでひとりのトレーダーとして金融業界のいろいろなことを見てきた。いいことも、悪いことも。この業界は今や複雑なITシステムに依存していて、多くの取引が世界中を駆け巡るコンピュータ・ネットワークの中で行われている。まるで半導体を製造する会社のように、金融機関も装置産業になってしまっているのだ。

それでそういった多数のプログラムが最先端のコンピュータ・サイエンスに基づく洗練された代物かというと、ぜんぜんそうじゃない。どいつもこいつも腐臭を放つとんでもないガラクタばかりだ。ほんの一部の人間しかわからないぐちゃぐちゃのソースコード。仕様書なんてないか、あっても間違っている。当然、マニュアルなんてものはない。いつも間違った結果を出すプライシング・プログラム。それでその間違いを修正するために作られた、システムとは別のぐちゃぐちゃのスプレッド・シート。もしこの世界の終わりというものがあったとしたら、そこはこんな混沌とした場所なのだろうと思う。

別に僕がたまたま所属する会社のITがとりわけダメだというわけでもない。大企業の社内システムなんてどこでも似たようなもので、何の救いもない混沌としたプロジェクトが、同じく何の救いもない混沌とした組織の中に多数浮かんでいるのだ。しかし僕たちトレーダーはそんな誰からも見放されたシステムを走らせ、何らかの秩序を導きださないといけないのだ。

しかしこの混沌には理由がある。プログラマーにとってわかりやすいプログラムを書き、読みやすい仕様書やマニュアルを書く理由など何もないからだ。巨大な金融機関の中でどうしても必要なシステムがあって、そのシステムを理解できるのが、そのプログラマーひとりだけだったとしたらどういうことが起きるのだろう。そのプログラマーの職は必ず守られ、会社はそのプログラマーが離職するリスクを減らすために高い給料を払わなければいけなくなる。

巨大金融機関という小宇宙の中にあって、二級市民のごとく扱われているプログラマーたちにとって、他の人間が絶対読めないような複雑な暗号をソースコードに忍ばせておくことは、自らの人間としての尊厳を守るためにどうしても必要なことなのだ。そのプログラムがなければ仕事ができないとなれば、大きな損失を出してイライラしたトレーダーから怒鳴られる可能性を、幾ばくか軽減することができる。

また複雑怪奇なシステムは保守や拡張が絶望的に難しいだけではない。それを使うのも同じく絶望的に難しいのだ。これは実はトレーダーにとっても悪い話ではない。普通に使うと間違った答えしか出てこないからトレーダー特製の手作りパッチが奇妙奇天烈に絡み合ったシステムを使って、会社が抱えている複雑なポジションを正しくヘッジできるのが、そのトレーダーだけということになれば、大きな損失を出したところで会社はトレーダーを首にすることはできない。システムをどんどん複雑にしていくのは、既得権益を守るための常套手段だ。

しかしよく考えれば、このグローバル金融機関という小宇宙、あるいはコスモは確かに巨大な世界だが、それとてひとつの会社であることには変わりない。本当の世界と比べたらとてもとても小さな存在だ。プログラマーにしたって、保守や拡張が非常に困難なシステムをどんどん作り上げていったら、それは会社全体の生産性を落とすことにつながる。会社の収益が悪化すれば、プログラマーの給料も減ってしまうかもしれない。でも給料がちょっと減ってしまうかもれいないというリスクのために、自らを簡単に置き換え可能な人間にしていつ首になってもおかしくないというような危険なことをするだろうか。そう考えれば答えは明らかだ。

さて複雑怪奇なのはITシステムだけじゃない。社会のソースコードでもある法律や規制はさらにその上を行く。金融業界を取り巻く規制は迷宮といっていい。最近は金融危機を克服するためにポール・ボルカー前FRB議長が中心となって金融規制改革法案が作成された。この「改革」法案の草案は2400ページを超えたという。こういった規制に金融業界は迷惑をしていると世間で思われているが、それは半分本当で、半分嘘だ。それはシステムをどんどん複雑にするプログラマーと、そんなシステムを使わされるトレーダーの関係に似ていなくもない。法律や規制が複雑怪奇になればなるほど、金融業界は新規参入者を遮断できる。一歩間違えばすぐに犯罪になるような複雑な金融規制が張り巡らされた金融の世界で新参者がビジネスをするなど、何の装備も持たずにアラスカのマッキンリーに登るようなものだ。つまり自殺行為。実際に何十年も国際金融を牛耳っている顔ぶれはほとんど変わっていない。

世界同時金融危機の震源地となったのはどこなのか思い出してみよう。巨大ヘッジファンドか? ゴールドマン・サックスのような巨大投資銀行なのか? もちろん違う。それはふたつの政府系の金融機関だった。フレディ・マック(連邦住宅金融抵当金庫)とファニー・メイ(連邦住宅抵当公庫)という、半分民間で半分官営の金融機関の実質的な破綻で、世界はいよいよ金融危機に落ちいったのだ。これらはもっとも規制され、政府からもっとも監督されている金融機関だ。莫大な公的資金を注ぎ込まなければいけなかったのも、AIGという保険会社だ。保険会社も非常に厳しく規制されている。そして皮肉なことにもっとも規制がゆるいヘッジファンドは、何一つシステミック・リスクを引き起こすことなく、自らの責任で破綻していった。暴落する金融商品を底値で拾いはじめ、マーケットに枯渇していた流動性を供給したのも大金持ちが自分の責任で相場を張っている規制されていないヘッジファンドたちだったのだ。

それでも政治家や官僚は国民に「何かした」ことを誇らしげに報告するために、何らかの新しい規制を作らなければいけない。金融業界もビジネスをする上で本当に困る規制をちょっとずつ外しながら、そんな政治家や官僚に歩調をあわせていく。まるで長年付き添ってきた熟年夫婦が社交ダンスを踊るように。

こうやって僕が生活するコスモの中をちょっとばかりのぞいてみると、経済評論家が声高に叫ぶ「既得権益を打破してフェアでオープンな市場経済を」などというスローガンが絵空事であることがよくわかる。ひとつの会社の中でさえ、多くの社員が会社全体の利益よりも、自らの既得権益を優先するのに、寄生する先がほぼ無尽蔵の富を吸い出すことができる日本という大宇宙だったら誰が国民全体の利益なんて気にするだろうか。だから僕は確信するのだ。日本がこれから復活することはないだろうなって。