イタリア・マフィア、シルヴィオ・ピエルサンティ、朝田今日子(翻訳)

仙谷官房長官が自衛隊のことを「暴力装置」と呼び、大騒ぎになったようです。ツイッターやブログなどでもこの発言をきっかけに国家論が盛んに語られています。僕自身はいつも実質的、本質的なことは何かということを考え、行動しようと心がけているので、言葉尻をとらえて批判したりすることには全く興味がありません。多くの識者がすでに論じているように自衛隊というのは軍隊で、暴力装置であることは間違いないでしょう。もちろん警察も暴力装置です。そして社会はそういった暴力装置を必要としています。



僕は、国家というのは小さい方がいい、なるべく民間の活動に介入しない方がいいと常に思っていますが、警察や軍隊のような暴力は国家が独占するべきであるとも思っています。世界を見渡してみても、国家が暴力を独占し、その暴力が暴走しないようにする仕組みがうまく作られた国だけが発展し、豊かになっています。国家による暴力装置の独占と、その管理は社会が発展するための必要条件のようですね。もちろん、こんなことは政治学や歴史を勉強した人にとってはあたり前のことかもしれませんが。

さて、そこで今日はこの本を紹介したいと思います。イタリア・マフィアの詳細についてのルポルタージュです。一昔前の南イタリアはマフィアの力が非常に強くて、それこそ国家の暴力装置である警察に匹敵していました。ようするにイタリアでは国家による暴力の独占に失敗していたのです。そして社会の至る所に根を下ろしたマフィアは、麻薬取引などのお馴染みのビジネスはもちろんのこと、企業活動のさまざまな分野で莫大な利益を稼いでいました。

この本はマフィアの凄惨な暴力の実態を赤裸々に記述しています。やはり暴力というのは権力の最大の源泉なのです。みかじめ料を払わない農民や店主が、新人マフィアの箔付けに殺害されます。こうやって組織のために人を殺すたびに出世します。またマフィアを起訴した勇敢な検察官や、マフィアに不利な判決を出した裁判官もどんどん殺されました。有力な政治家とマフィアがつながっていたり、逆にマフィアと敵対する政治家は殺されたりします。新聞記者も殺されます。またマフィアの中でも身内を裏切ったマフィアはことさら残虐な方法で殺され、時にその家族までみな殺しにされます。こうやってマフィアの権力を脅かす人間を徹底的に排除していくのです。この本には、実際にそのように殺された検察官、裁判官、政治家、新聞記者などが詳細に書かれています。

またマフィアはある意味で企業体であり、政治団体でもあります。企業や政党が民衆から嫌われては生きていけないように、マフィアもまた民衆から必要とされなければいけません。民衆に恐れられると同時に、民衆に尊敬される部分もなければいけません。自分の島のなかで経営に困っている店があれば、そこでマフィアがたくさん買い物をしたりして、助けたりします。阪神大震災の時も日本の暴力団がいち早く救援活動に駆けつけたのは有名な話ですね。アメリカン・ギャングスターのような映画を見てみても、やはりマフィアがクリスマスに七面鳥をスラムの貧しい人々に配っていました。

今でも中南米の貧しい国々では、安月給の国家の警察より、大規模な麻薬ビジネスを行うマフィアの方が力を持ってしまっています。こういう国々では正規の軍隊とマフィアが本当に銃撃戦をしたりして殺しあいます。日本にももちろん暴力団はありますが、まさか警察や自衛隊と本当にケンカしようとする暴力団はいないでしょう。実力の違いが当たり前ですが、圧倒的だからです。警察と本当にケンカしたら日本の暴力団はあっという間に壊滅させられるでしょう。だから日本の暴力団は麻薬や売春、地上げ、示談交渉、やみ金の借金取り立て、飲食店のみかじめ料などのビジネスを警察に捕まらないように隠れてやったり、フロント企業を使って違法と合法の間のビジネスをやっているのです。そういう意味で、暴力団というのは利益を追求する民間の企業活動と何ら変わりません。しかし暴力装置としての実力は、当たり前のように、自衛隊や警察とは全く比べ物になりません。しかしそれが当たり前じゃない国も世界にはたくさんあるということです。

この本に書いてあるように、昔の南イタリアはひどい状態でしたが、今ではどうなっているのでしょうか? 本を読んで、その辺が気になりました。

最後にひとことつけ加えると、確かに国家による暴力の独占に失敗した社会はマフィアが蔓延ってそれなりに困ったものですが、かつての社会主義国家のように国家が独占した暴力が暴走することの方がはるかに悲惨な結果を国民にもたらすのも事実です。そういう意味では北朝鮮の暴力装置なんて暴走した日には、かなり大変なことになるでしょうね・・・