世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち、マイケル・ルイス、東江一紀(翻訳)
(The Big Short: Inside the Doomsday Machine, Michael Lewis)

ちょっと前に出版されて話題になっていた本でしたが、僕はAmazonで買ってそのまま机に積んでありました。今回の金融危機に関する本はそれこそ山のように出版されていて食傷気味だったからです。それでクリスマス・シーズンでちょっと仕事も暇になってきたのでしょうがないので読んでみることにしました。しばらく読み進むと、僕はひどく後悔することになりました。なんでもっとはやくこの本を読まなかったのだろうかと思ったからです。それほどこの本は傑出したノンフィクションです。世間的には全く無名で、どちらかというと住宅ローン債券に関しては最初は素人だったみっつの小さなヘッジファンドを通して物語は進行していきます。彼ら無名のヘッジファンド・マネジャーたちは巨万の富を得るのですが。

世界同時金融危機に関しては、ジャーナリストや経済学者が書いた本が多く、そのどれもが正直いって僕には腹に落ちない部分がありました。ジャーナリストが書いた本の多くはひどく複雑な話を簡単にまとめすぎていて論理が破綻していました。経済学者はマクロ経済学的な意味付けや金融システムの観点から金融危機を論じていました。しかし僕は住宅ローン仕組債とは幸か不幸か全く縁がなかったのですが、それでも証券会社ではたらく人間としてどうもそういうマクロ的な話はどこか遠い世界の話のように思えました。現場で高尚な金融システムのことを考えている人間なんてどこにもいないからです。自分が関わっている金融商品を使っていかに合法的にたくさん稼ぐか。そして会社のために稼いだ金をどれだけ自分のポケットに取り戻すか。良くも悪くも証券会社のフロントの人間はそれだけを考えていますし、またそれが義務であるともいえます。そして会社は自社の社員にカモられないために社員をひどく神経質に監視し、また管理しようとしています。そんな状況で、なぜ何兆円も損失を被るリスクを数々の金融機関は許容していたのか。また住宅バブルの崩壊により住宅ローン仕組債が暴落することに賭けたヘッジファンドや証券会社のトレーダーが一夜にして数千億円という天文学的な利益をたたき出すのですが、いったいどういう仕組みでそんなことが可能だったのか、ほとんどの本に具体的な記述がありませんでした。ちなみにひとりのトレーダーがこんな短期間に兆円単位の金を稼いだのは、あるいは失ったのはいうまでもなく人類史上はじめてのことです。

住宅ローンとは庶民が住宅を担保に入れて金融会社からお金を借りることです。するとお金を貸している債権者には毎月の返済と金利が入ってきます。このキャッシュフローをごっそりまとめて切り刻んだりすればいろいろな面白い住宅ローン債券が作れます。それでこの住宅ローンをごっそりまとめた金融商品にムーディーズやS&Pという権威ある格付け会社が、それを売る投資銀行に頼まれてアメリカ国債並みの格付けをどんどん付けていくのです。なぜならそれぞれのローンは焦げ付く可能性があっても、ローン同士の相関は弱いので、全体としてはリスクが分散するというナイーブな仮定をそのまま信じ込んだ、あるいは信じこまされたからです。トリプルAの格付けがついたこれらの複雑な金融商品を保険会社などの世界中の機関投資家が買いました。

それではこのような金融商品をどうやって空売りするのでしょうか? それにはCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)というデリバティブ商品を使います。CDSは債券のデフォルトをヘッジするための金融商品です。たとえばトヨタ自動車の社債を保有している人がいるとしましょう。トヨタ自動車が倒産したら、この社債のかなり部分が吹き飛んでしまうでしょう。たとえば100円の社債で倒産して30円しか返ってこなかったとします。ここでこの社債のCDSを買っておけば、それ売った人から損失分の70円を貰えます。そのかわりCDSを買った人は、最初に決められたお金をこの保険料としてCDSを売った人に払い続けなければいけません。たとえば年間1%とかです。つまりトヨタ自動車の社債を100億円持っている人は、毎年1億円ずつ払えばトヨタ自動車が倒産しても損しないのです。

しかしトヨタ自動車の社債を持っていない人がCDSを買ったらどうなるでしょうか? この場合、毎年1億円払えば、トヨタ自動車が倒産したら最大で100億円儲かることがわかります。つまりCDSとはルーレットで数字に賭けるような非対称のギャンブルなのです。ルーレットではピッタリの数字が当たる確率は32分の1ですが、そのオッズも30倍以上です。めったに当たらないけど当たったらがっぽり貰えるのです。つまりたった1億円を賭けるだけで、もし予想通り会社が潰れたら100億円儲かるチャンスに張ることができるのです。さらに面白いことがわかります。社債に投資するには、あたり前ですがその社債が実際に発行され流通していないといけません。しかしCDSなら社債に投資したりデフォルトに賭けたりすることが社債がなくてもデリバティブの売り手と買い手さえいればどれだけでもできるのです。つまり実物資産がわずかしかなくても、無限大の大きさの市場を作り出せるのです。

それでトリプルAがついている債券が、実はサブプライムがたっぷり入ったとんでもないクズだと気がついた男がいました。幼少期に片目を失い、後にアスペルガー症候群と診断されるサイオン・キャピタルのマイク・バーリです。バーリは医師で株式投資家でした。勤務中に書いていた投資ブログがあまりにも秀逸で予想が次々に的中するので、投資家からいきなり資金を託されてヘッジファンドをはじめたという異色の人物です。彼は住宅ローン仕組債を原資産とするCDSを思いつき、さまざまな投資銀行に提案していきます。つまりそういった仕組債が約束していたキャッシュフローを支払えなくなったときに、CDSの買い手が売り手から保険金を受け取るのです。トリプルAの格付けが付いていたので、そういったCDSはわずか1%程度の保険料で買うことができました。これで当たれば、つまり住宅バブルが崩壊すれば一気に100倍になる大穴馬券を買うことができました。

しかし、こんなCDSをいったい誰が売ってくれたのか? そもそも格付け会社はなぜトリプルAなんていう格付けをつけたのか? そしてトリプルAだというだけで何の分析もせずにそんな債券を機関投資家はなぜ山のように買ったのか? そして住宅バブル崩壊による金融危機により、なぜ世界中の金融機関は住宅市場の規模からは考えられないほどの莫大な損失を出したのか? 僕が今まで読んだ本にはこういった根源的な疑問に対して、腹に落ちる答えが書いてありませんでした。しかしマイケル・ルイスのこの本を読んで、全てが具体的に、生々しくわかりました。重要な現場のプレイヤーたちがノン・フィクションとして実名で登場します。数十億円のボーナスを受け取った後に数千億円の損失を銀行に与えて、そのままパッと会社を辞めて楽しく生活をしているトレーダーも実名ででてきます。

世界的なベストセラー(暴露本)、ライアーズ・ポーカーを書いて、ウォール街の帝王と呼ばれたソロモン・ブラザーズ会長のジョン・グッドフレンド(元上司)を辞任に追いやっただけの男です。物語としても秀逸で本当に面白い本でした。これは今年一番面白かった本かもしれません。