放射線のひみつ、中川恵一

福島第一原子力発電所が放射能を漏らすシビア・アクシデントを起こしてからというもの、最近では放射線という言葉を聞かない日はありません。そして放射線の健康被害はけっこう専門的で、すっかり乗り遅れてしまった人もいるでしょう。また、週刊誌や三流ジャーナリスト、それになんらかのビジネス上の利害関係がある人たちが悪質な放射能デマを流しています。原発事故以来、昔の放射線関連の本が多数復刻されましたが、この本はFukushima後に、変な色がついていない正統派の放射線医学者が、ふつうの人が理解できるように、極めて平易な言葉で懇切丁寧にポイントを絞って書き綴った本です。

今、日本人が、そして福島県の人たちが知らなければいけない重要なことを、大変分かりやすく解説しています。放射線マニアにとっては、何ら新しい情報はありませんが、多くの人にとって極めて標準的な知識を与えてくれるでしょう。

過去に、膨大な数の人が被曝し、それゆえに疫学的なデータが得られたのは、広島・長崎の原爆投下と、チェルノブイリ原発事故しかありません。広島・長崎の原爆の包括的な追跡調査では、100mSv以上から、被曝量の増加にほぼ比例して発ガン率が上昇しました。200mSvだと、癌で亡くなる確率が1%ほど上がる計算です。もともと癌で3割程度が亡くなるので、その33%が34%に増える程度です。200mSvというのは、福島原発で作業をしている人以外、ちょっと考えられない線量です。しかし100mSv以下になってくると、ほとんど何も健康被害がわかりませんでした。それは影響が小さすぎて統計的に検出できないという可能性と、人間にはDNAの傷を修復する機能があるので低線量は自己修復機能により健康被害が起きないという可能性があります。

また、これは非常に重要なのですが、この原爆のデータはいっぺんに全身被曝する時のもので、同じ線量をゆっくりと浴びる場合、人間の自己修復機能があるので健康被害が減ることは確かなのですが(5Svをいっぺんに浴びたら死亡するが、1Svずつ5回にわけて浴びてもみな生きている)、これもどこまでダメージが減るのかは正確にはわかっていません。そこで国際放射線防護委員会(ICRP)は安全側、安全側に考えて、低放射線量でも線形的に健康被害がある(20mSvの被曝で癌の犠牲が0.1%増加)、人間の自己修復機能は考えない、というふたつの仮定を使って安全基準を定めています。

世界平均で2.4mSv/年の自然放射線とは別に、追加的な被曝量を1mSv/年未満にしましょう、というのが目標です。ただし原発事故などが起こった場合は、事故が収束するまでは20mSv/年〜100mSv/年ぐらいは許容してもいいでしょう、また事故が収束してからは20mSv/年程度までは許容してもいいでしょう、と指針を発表しています。緊急事態に無理に避難して、(健康被害がもしあったとしたら)非常に微小なリスクを避けるのは本末転倒だからです。

よくわかっていないジャーナリストとか政局に利用している愚かな政治家が20mSv/年の基準を「政府が命より経済を優先している」と非難していますが、それは大間違いです。そもそも、役人が経済を優先してくれていれば日本はこんな状態になっていません(笑)。役人が優先するのはつねに自分の身分です。規則を破って首にならないこと。何かあったときに責任を取らなくてもいいことです。つまり保身です。日本国政府は放射線防護の権威であるICRPに従っているだけなのです。

僕の意見では、これは非常に厳しすぎる基準で、住民の生活を考えずに、ICRPの基準をそのまま当てはめたことに対して日本国政府は責められるべきだと思います。チェルノブイリ原発事故では、当初は広島・長崎の線形モデルを基準に4000人程度の人が癌でなくなると予測されましたが、国連による包括的な再調査では、統計的に有意な健康被害は事故直後に高濃度に汚染されたミルクなどを摂取したことによる甲状腺癌だけであり、それ以外はまったく見つかりませんでした。また、インドのゲララ地方はモナザイトという鉱石のために年間70mSv程度の線量がありますし、ブラジルのガラパリも年間20mSv程度の線量がありますが、さまざまな医学調査で、これらの地域の住人の癌発生確率が高いという結果は全くでていません。

避難所の生活や移住によるストレスの方がはるかに健康被害がありますし、強制移住により所得が減ってしまえば寿命も縮まることでしょう。貧乏人のほうが金持ちよりもはやく死ぬことは統計的に極めて明確な関連性が証明されています。それにもかかわらず20mSv/年という非常にきびしい基準を、ICRPの指針を盲目的に当てはめて、福島の住人を半強制的に避難所に送った政府のお役所体質こそ非難されてしかるべきです。

ベクレルやシーベルトの換算、内部被曝の考え方、そもそも癌とは何なのか、というようなとても興味深いトピックを非常にわかりやすく教えてくれます。放射線を勉強したい人は、ぜひこの本を買いましょう。