過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか? 池田信夫

この前紹介した、コーエンの「大停滞」は、20世紀半ばまでに大きなイノベーションは出尽くしていて、今後は先進国は経済成長を続けていくのはむずかしいだろうというテーマであった。なるほど、テレビも冷蔵庫も洗濯機も自動車も、確かに50年前からあった。そして最近のコンピュータの進歩は中間管理職の職を奪い、次々と生み出されるインターネット・サービスは雇用も所得も生み出していない、という。コーエンの議論はある種の説得力がある。

しかし、1900年12月31日、19世紀最後の日、アメリカ合衆国特許庁長官は演説の中でコーエンと同じようなことを言っていたのである。
「科学技術はこの100年に飛躍的に進歩し、すべての発見は終わった。自然現象の原理原則は明らかになり、明日から始まる20世紀は、19世紀に発見されたこれらを応用する世紀になるだろう」
その後、ライト兄弟は飛行機ではじめて空を飛び、もうすでに完成されたはずの物理学の世界では量子力学が飛躍的に発展し、原子爆弾やコンピュータなどの全く新しい原理に基づく技術が出現した。

機械が人間の仕事を奪っているという話もコインの片側を見ているに過ぎない。嫌な単純作業を機械がやってくれるようになったので、人間はよりクリエイティブな仕事に専念できるのだ。

そこで今日紹介する本は、経済学者の池田氏の「過剰と破壊の経済学」である。この本を読めば、現在進行しているイノベーションの深い意味を理解できる。そして、コーエンの本は、時流に乗った軽薄な内容であったという他なくなる。

コーエンがイノベーションの枯渇と言っているこの20年ほどの期間こそが、実は進化論でいうカンブリア大爆発というほどのイノベーションを引き起こしている時なのだ。その背後にあるのがひとつの経験的に導かれたムーアの法則とよばれる経済法則である。「半導体の集積度は18ヶ月で2倍になる」インテルの創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱したこの法則は、急速な変化を続けるコンピュータの世界にあっていまだ生き続けている。そして大量に普及したコンピュータが、世界中のすべての人をネットワークにつなげようとしている。ITの爆発的なイノベーションは、既存の産業構造や経済システムそのものを破壊し、全く新しい世界を創造するほどの威力を持っているのだ。

しかしこのイノベーションは全ての人を幸せにするわけではない。情報産業の主役を大企業から一人ひとりのユーザーに移したこの破壊的イノベーションは、ITで武装した個人が直接グローバルにつながる世界を実現した。この極めて民主的な世界は平等なユートピアとは程遠く、既存の権威や肩書きが意味を失い、すべての個人が対等に競争を強いられ、情報処理能力の優劣で所得格差が拡大していく孤独な世界なのだ。

君は、生き延びることができるか?