自分のアタマで考えよう、ちきりん

この本は人気ブロガーちきりんの読みやすい「ロジカル・シンキング入門書」である。マッキンゼーやBCGなど、有名ファームのコンサルタントたちが同様の趣旨の書籍をすでに多数出版しているが、その中でも、ちきりん女史の本はわかりやすく書かれており、その点だけを取っても本書は安心して推薦できる。しかし、今日僕が書くことは、自分のアタマで考えることの『危険』について、である。現代社会、いや太古の昔から、自分のアタマで考えるということは、群れのヒエラルキーの中で生活する人にとって極めて大きなリスクを内包しているのである。

近年の進化生物学、考古学の研究によると、太古の人類は血縁を中心にしたグループで生活しており、食料がなくなれば、あるいは食料があった時も、他のグループを襲い、若い女以外は皆殺しにして、残された若い女をレイプしていたようである。遺跡などで発見される人骨をくわしく調べると、成人男性の約25%は他の人間に殺されている、ということである。そして人類は、このような環境の中で、何十万年と営々と生き延びてきたのだ。すなわち、人間の本能は、こういった環境に適応するように設計されている。あるいは、そういう本能、つまり心を獲得した人間だけが生き残ってきた。

こういった人類の過去はそれほど驚くことではない。チンパンジーなど、比較的好戦的な猿の研究によると、チンパンジーの群れは今でもこういった生活をしているのである。はぐれたオスのチンパンジーが、たまたま他のチンパンジーの群れに遭遇すると、高い確率で集団リンチされ殺害されてしまう。アマゾンの奥地などで生活する原住民の中には、そのような好戦的なグループも確認されている。現代社会でも、暴走族同士の抗争事件や、レイプ事件が、人類のチンパンジーとの類似性を雄弁に物語っている。そして、実は成人男子の多くの死因が他殺というのは、先進国でも、ほんの60年ちょっと前の第二次世界大戦の終結まで続いていたのだ。

このような環境に適応するには、群れの内部でのヒエラルキーが非常に重要なのだ。獲得した食料や、若いメスの分配―すなわち回す順番―は、厳格なヒエラルキーに基づいて行われる。こういったヒエラルキーを守らないオスは、より上位のオスにより懲罰を受け、時に死に至る。

現代の先進国は、法治国家、資本主義などという上品な衣を羽織ってはいるが、一皮むけば、人間社会の内側は未だにむき出しの欲望が渦巻くサル山同士の武力闘争、あるいはサル山内部の権力闘争そのものなのである。つまり、企業同士の競争はサル山同士の武力闘争であり、企業内部の出世競争はサル山内部の権力闘争なのだ。そのような現実を前にすれば、企業内の一介のサラリーマンが自分のアタマで考える、そしてそれを高らかに表明することがどれほど危険な行為か分かろう。

以上は、オスの行動原理を中心に解説したが、メス同士も、どのグループに回されるか、また、グループ内のどのオスに犯られるか、をめぐって熾烈な競争をしていたのである。そして、それは現代でもある意味では変わらない。

幸運なことに我々が住む先進国では、国家間の戦争は究極的な暴力である核兵器の相互確証破壊により抑えられ、国内では絶対的な暴力装置である警察や軍隊とそれを管理するための仕組みである法治国家、シビリアンコントロールという幻想により、平和に生きていくことができる。そして、高度に発達した現代の資本主義社会の恩恵で、人間が生きていくための衣食住を担う産業が、全人口のわずかな割合の労働力でまかなえるようになった。結果的に、豊かな先進国ではほとんどの経済活動が、女同士の見栄の張り合い競争、男同士のどちらが上かを確認し合う行為、そして男と女の虚飾に満ち溢れた恋愛、あるいは性愛のために存在することになった。近年の経済のグローバリゼーションとは、女の見栄、男の権力欲、男女の限りない性欲が、国境なきボーダレス・ワールドの中で世界規模で展開されていくことに他ならない。

企業経営者やマネージャーは、確かに社員や部下に「自分のアタマで考えろ」と声高に叫ぶ。しかし、それは()付きであることを理解しておかないと、本来サル山と変わらない現代のコーポレーションの本質を見誤ることになる。すなわち簡単に組織の中でルーザーとなってしまうのだ。人類の歴史を無視した、浅薄な授業を繰り返す欧米のMBAプログラムで教えられたことを真に受けて、企業価値の最大化だの、コーポレート・ガバナンスだのと訳のわからないことを口走る、若いオスは、外資系投資銀行というサル山の中では真っ先に嘲笑され、見世物にされ、時にはリンチの対象になる。そして、彼らにはMost Baka Associateのレッテルが張られ、昇給も昇進も永久になくなる。上の人間が下の人間に言う「自分のアタマで考えろ」というのは、あくまで上の人間が命令した業務内容の中で、ちょっとした改善を効率よくやれ、ということであり、そもそもこの仕事ってどういう意味があるのか、などということは決して考えてはいけないのである。

現代の世界の企業において、従業員のリソースの約7割ほどが、誰が誰の上司であり、部署と部署の間の暗黙の上下関係、どのプロジェクトが誰の面子で遂行されているのか、などの確認作業に費やされている。そのために膨大な数のミーティングや、ニューヨーク―ロンドン―東京間の頻繁なカンファレンス・コールが実施されるのだ。残りの2割のリソースはコンプライアンス、すなわち監督当局の人間に対して、われわれ民間人は、あなたたち政府の選ばれた官僚よりも下位の身分ですよ、ということを絶え間なくアピールする行為に費消されるのである。残った、約1割のリソースで、ようやくモノやサービスを生産しているのだ。そして、これは一流のグローバル企業の話で、多くの企業では、わずか5%以下のリソースしか、モノやサービスの生産には割り当てられない。

以上のような人間社会の構造は、そのバックボーンの社会システムが資本主義か、あるいは共産主義かによらない。共産主義社会において、自分のアタマで考えた人間が、次々と絞首台に送られた現実を思い出せば、人間組織というものが、いかに自分のアタマで考える人間を嫌悪してきたのか、自明であろう。

自分のアタマで考えるとはそれほどの覚悟がいる所業である、ということはぜひ自覚しておいてもらいたい。