STAP細胞という、マウスの体細胞から多能性幹細胞を作り出す、iPS細胞とは違った新しい方法の発見で、小保方晴子さんらが英Nature誌に論文を発表した。これは、当初は、酸に体細胞を晒すだけで比較的簡単に作れる、ということで世界中から大きな注目を集めた。

しかし、その後に、数々の実験データ捏造疑惑が浮上し、また、小保方さんの博士論文にも大量のコピペやデータ捏造が発覚し、大騒動になった。多くの識者が、鬼の首でも取ったかのように、コピペを攻撃した。そして、そのような博士論文を通した早稲田大学や指導教官らが糾弾されている。

また、疑惑の英Nature誌の共著者でもあるチャールズ・バカンティ教授が、小保方さんの博士論文の学位審査員に名を連ねているのだが、今日のニュースで、小保方さんの博士論文を読んでいないし、送られてきてもいなかった、とじつに正直に発言して、また、いろんな識者から叩かれまくっている。

こういう議論を聞いていて、あ〜、サイエンスやエンジニアリングの最前線で研究している人たち(以下、一流理系研究者と呼ぶ)と、世の文系学者というのは、こんなにも感覚が違うものなのか、と溜息が出た。

ぶっちゃけた話、出来の悪い学生の博士論文なんて、自分が直接の指導教官じゃなかったら、読まないのがふつうである。たくさん博士課程の学生を抱えていたら、指導教官でも読まないだろう(笑)。むしろ、読んでいたら暇人で、無能な研究者だと思われる。なぜならば、人の博士論文を読むのは、時間の無駄だからだ。仮に新しい知見があるのならば、どっかのジャーナルで出版されている、あるいは投稿中のはずで、そちらを読めばいい。一流の理系研究者は、科学の最前線で新しい発見をするため、あるいは巨額の金が動きうる企業の研究開発においてライバル企業を出し抜くために、世界的な競争をしているのだ。そのためには一分一秒でも惜しんで研究したい。そういう「雑用」に時間を割くのは無駄だというのが、一流の理系研究者の感覚だ。まあ、口では言わないだろうけど(笑)。

それに、ぶっちゃけた話、博士号なんてどうでもいいのだ。どうでもいいから、審査もいい加減にやっても、ぶっちゃけた話、現実問題としては大した問題じゃない。理学だったら、自然の新しい法則を発見することが重要であり、工学だったら役に立つ(=金になる)技術を開発することが全てなのである。そこに学位は関係ない。まあ、欧米だと博士号がないと研究職に就けないから、そういう意味では、自動車の運転免許的な意味合いはある。

しかし、日本は伝統的に博士号を軽んじてきた国であり、別に博士号がなくても企業で研究して、世界的な成果を上げた研究者はたくさんいるのだ。たとえば、青色発光ダイオードの中村修二さんとか、生体高分子の同定および構造解析の研究でノーベル賞をもらった田中耕一さんなんかは、主要な研究成果を出したときには、博士号を持っていなかった。しかし、日本のどんな博士号持ちの文系学者より彼らは世界的に尊敬されている。まあ、有名になった後に、いろんな大学が名誉博士号みたいなものを必死で授与しようとするから、いまでは博士号を持っていると思うが。

理系の研究では、博士号は言ってみればふつうの自動車免許みたいなものである。それで一流の理系研究者がやっていることは、まあ、言ってみればF1レースなのだ。その舞台は、世界的なジャーナルであり、特許であり、企業でプロダクトを作るための研究開発だ。F1レースに自動車免許は役に立つかもしれないし、あったほうがいいが、なくてもいい。どっちでもいい。まあ、欧米だとそれがないと、研究職に就けないので、自動車免許なしでF1レースに参戦するのは、ほとんど不可能なのであるが、日本はそうでないのだから、そんなに博士号にこだわることもないと思う。

なので、一流の理系研究者は、誰かの博士論文で、たとえば過去に行われた研究の紹介だとか、実験方法などで、他の論文の同一箇所をコピペしていたとしても、そんなこと気にしてる人はいない。まあ、一流の理系研究者はだいたい論文を書くのも上手いので、自分では多少言い回しを変えたり、いい感じにまとめるだろうが。本質的じゃないところのコピペなんて、どうでもいいのだ。みんなF1レースに勝つことに必死になっているのに、そんな昔受けた自動車免許の筆記試験のちょっとした形式とかのことを話されても興味が無い。

そもそも、優秀な学生は博士号を取る前からF1レースを走っていて、何通かすでに世界的なジャーナルに論文を載せているのだ。だから、博士論文を書くなんて、すでにF1レーサーになっている人が、「そういえば、お前、レギュレーションが変わって、いちおう自動車免許いるらしいぞ」と言われて、しょうがなくめんどくせーなーとぶつぶつ言いながらやるのである。だから、最小限の時間で、それらのすでに発表された自分の論文からのコピペを多用して、ちゃちゃっと書いてしまうのが正解だ。博士論文なんて、世界の誰も評価しないからだ。指導教官も、そんな雑用は早く終わらせたい。そして、すぐにF1レースに戻らないといけない。ライバルの研究者たちは、自分が博士論文を書くなんて下らないことをやっているうちに、実験を進めているかもしれないからだ。

一流の研究者予備軍の学生にとっては、博士論文を書くなんて、雑用でしかないし、指導教官というか共同研究者にとっても、それを形式的に審査するなんて、これまた雑用でしかない。一方で、研究なんて嫌いな学生が、小保方さんほどではないにしても、ちょっとインチキして博士論文を書いて、学位を取ってしまうかもしれない。まあ、それはそれで問題だが、そういう学生は、学位を取った後は、別の分野でがんばろうと思っているのがふつうなので、まあ、記念に学位ぐらい与えたところで、特に誰にも実害はない。それで、早稲田大学は実際にそういう学位をたくさん与えているが、まあ、そんなに青筋立てて怒るほどのことではない(笑)。

もちろん、小保方さんは実験を捏造した疑いが極めて強く、それは断罪されてしかるべきだが、それ以外のコピペとか博士論文の審査のことで、外野がギャーギャー言ってることは、一流の理系研究者にとっては、どうでもいい話と言ったらどうでもいい話なのである。

あ〜、学位の権威だとか、形式とかにひたすらこだわる文系学者の人たちって本当に頭悪いんだなって思ってしまったわ。