2006年10月

2006年10月24日

三十路

昨日30歳になりました。特別感慨深いものはないけれど、もう30年も生きたんだなぁというのが唯一感じたことです。
夜、TVをつけたら吉田拓郎とかぐや姫の『つま恋コンサート』をやっていて、最後まで見入ってしまいました。この2組がここで野外コンサートを開催するのは31年ぶりで、観客も当時を知る人が多いようです。31年前ということは、ちょうど生まれる1年前。3万人以上の団塊世代の観客が若かりし青春の頃に戻ったような勢いで弾けているのが印象的でした。
31年の年月をよそに、まだまだ元気な拓郎やお客さんを観ていると、生まれてこのかた30年っていったって、まだまだたいしたことないじゃん、と思いました。一寸気が楽になったかな、という感じです。
一昨日、イタリアへ旅行に行っていた母が戻ってきました。ツアーだったので、有名どころの『最後の晩餐』とか、『ピサの斜塔』とか、バチカンのなんとか教会とか、いろいろ観て周って楽しんできたようです(ここに書くほど興味のある話は無し)。ところが昨晩、なんと店の階段から転げ落ちて足を捻挫(!)。今日から松葉杖生活です。みな口を揃えて言うことは「イタリアから帰ってきてからで良かった!」。
母親の帰国と入れ替わるように、今度はご隠居が明後日からウズベキスタンに旅立ちます。母親の観光旅行とは違い、ご隠居の旅は本人曰く「買い付け」とのことですが、私も母も実はあまり期待はしていないので、まずは見聞を広めてきてくれれば、と思っています。
しかし親父が居ない間、怪我人を一人で介護しなければいけないと思うと・・まずは早めに治ってくれることを祈るしかないな。


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2006年10月10日

群言堂展

0b97bca8.jpg6日から2Fで『群言堂・石見銀山ものづくり展』を開催しております。当店で群言堂さんの作品展を開催するのは初めてですが、初日から「待ちに待った」お客様が数多く来店し、群言堂のファン層の厚さにまず驚きました。群言堂を長く愛用しているお客様から諸々のお話を聞くと、「主催者が一番何も知らないのかも」と赤面したくなることもしばしばです。
約7年前、私がまだ大学生で今の仕事に片足を突っ込んでいた時、東南アジアのラオスでお会いしたのが群言堂の松場登美さんでした。お互い現地の伝統工芸を観てまわるグループに入っていており、その時初めて松場さんからご夫妻で主宰している群言堂のお話をいろいろと聞かせて頂きました。最初に印象に残ったのは人口500人で交通の便も悪い「石見銀山」を拠点にして、服飾ブランドを全国展開しているということ。「皆いなくなって寂れていく街をどうにかしたいと思って」始めたものづくりが次第に都会でも認められるようになった群言堂。その後も都市に拠点を移さずに石見銀山に残って歴史的な町並みの保存や地域文化の再生にも尽力している松場さんご夫婦の活動は、「情報発信は東京から」というのが常識だと思っていた私にとってかなり衝撃的でした。
それからしばらくご無沙汰しておりましたが、今年に入って、今度は旦那さんの大吉さんと秋田でお会いする機会がありました。そこではファッションの話は二の次で、田舎から発信できる面白いことにはどんなことがあるかとか、田舎らしいスローライフをどうやって実現できるかとか、とにかくそんな話に花が咲き、夢を追い続ける大吉さんの器の大きさにすっかり魅せられてしまいました。その後東京での出版記念パーティーにお邪魔し、今回の展示会の開催が決定した次第です。
私にとっての群言堂の魅力とは「常にポジティブな姿勢で田舎に生きている」ことです。秋田で暮らす私にとって、もちろん郷土はかけがえの無いものですが、愛するがゆえ(!)なんとなくネガティブな思いで地元を見てしまうことが多々あります。それを一つ一つあげていけばキりが無いのですが、この生まれ育った街が年々衰退し、若者がどんどん県外に出て行き、必要無いものばかりが作られてお金が使われる、などなど。そんなネガティブな発想からは何も生まれてくるわけがなく、そうなると「やっぱ都会がいいかな」という考えに行き着いてしまいます。しかし群言堂はあえて人口500人の村に腰を下ろして、「都会には出来ない、田舎だからこそ出来ることがある」とグローバリゼーションに対抗するかのように、地方から文化を掘り起こして事業を展開している。しっかりと作られた製品にも、松場さんたちの思想を感じ取ることができます。こうした群言堂の活動に、これから秋田で暮らしていく私たちにとっても何らかのヒントがあるかもしれないと考えています。
大吉さん曰く「石見銀山に来るなら世界遺産になる前の今年がいい」とのこと。一度行ってみたいけど、果たして時間があるかな・・。

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2006年10月06日

10年来の夢・Part2

6e849bef.jpg(前回からの続き)
かくして10月2日、ファイズ・アリー・ファイズの公演に行くことが即決定しました。平日の営業日に店主がフケて東京へ遊びに行ってのか、という自省の念など今回ばかりはこれっぽちもなく「これに観ないうちは死ねるか」という固い決意(?)で行ってまいりました。
この公演は単独ではなく「フェスティヴァル・コンダロータ・ラマダンの夜」という妙に長い名前のイベントで、イスラム圏のミュージシャンが3夜連続演奏を披露するというもの。ファイズは初日でイランのカイハン・カルホールという音楽家も出演するんだとか(そちらも演奏自体は素晴らしかったのですが、なんでファイズの単独公演にしなかったんだという思いは最後まで残りました)。
開演と同時にファイズのパーティー(カッワリーではグループのことをこう呼ぶ)が登場。舞台に敷かれた絨毯の上にメンバー全員が座ったところで、ファイズ登場。この時点で胸がドキドキ・・。
ハーモニウムで曲のイントロが始まる。これはもしや、と思って間もなく、まるでヌスラットが乗り移ったかのような声で始まった曲はまさしく『Allah Hoo』。
ヌスラットのスタンダード中のスタンダードにしてキラー・チューン。恥ずかしながら、曲が始まった早々からボロボロと涙が流れてきました。その後もヌスラットの代表曲を中心とした構成で演奏が続き、時には感動なのか興奮なのか判らない涙が出たり、演奏にのせられハイになったりで、夢のような1時間半はあっという間に過ぎていきました。
ファイズの声はたしかにヌスラットの声質に似ているし、歌い方鼓舞しまわしにも相当な影響を感じますが、決してコピーしているという感じには見えません。なんと言っても師匠の神懸り的な技は唯一無二なので、それにはまだ及ばないのは致し方ない。ファイズの歌う姿はまるで民族の伝統と師の遺伝子を受け継ぎながら、その山を越えんと苦闘する若獅子のように見えてきました。変幻自在な即興とコーラスの連続で聴くものを最高潮まで高揚させていく彼らの歌は、五感に響く、というより魂を振り動かされるような興奮を覚えます。演奏者は勿論、会場の熱気もスゴイ。これはCDで聴くよりはるかにライブに尽きます。
ファイズのボーカルも超絶ですが、バックのタブラ(パーカッション)の演奏がこれまた素晴らしい。ホントにこれ一人でやってるのか、と疑ってしまうような、超絶なテクニックでいまだにあれはどうやっているんだろうと不思議でたまりません。
アンコールの『Mustt Mustt』(ここまでやったら最後はこれしかないっという感じの定番)で幕が下り、これで俺の十年来の夢が実ったな、と感慨に耽りました。しかし人間というものは欲深いもので「こんなに素晴らしいんだったら、御大ヌスラットのライブはさぞかし素晴らしかったんだろうな。」とか結局満たされない欲求もまた出てきたりして・・。
しかしそんな事はもういい。次はファイズの単独公演を観に行く(おそらくこれだけ盛り上がれば次もあるだろう)。そしてヌスラット直系のラーハットとリズワン&ムアザン・カッワリー。彼らが来るんだったら、やや苦手意識のあるロックフェスだろうがどこでも観に行きたい。ヌスラットが遺した音楽を飽きて聴かなくなるまで(そんなことは多分無いけど)彼らの生カッワリーを聴きたいという欲望は麻薬中毒のように一生付きまといそうだ。
そんなに好きだったらパキスタンかインドに住んでみたら、と言われそうだが、それだけはご勘弁を、ですf(^^;)。

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2006年10月05日

10年来の夢・Part1

9094d400.jpg長い間探し求めていた物を手にした時、ずうっと会いたかった人に出会えた時など、そんな時ってどんな感情になりますか?もちろん「感動」という一言で済ませることもできるけど、何か求め続けていた時の思いや、夢が叶った後の空虚さなどが複雑に絡み合って、なんだかよく言葉に表せないけど押さえ切れない思いで胸一杯になるのではないかと。
自分の記憶の中で最初にあったそんな思い出は幼稚園か小学校低学年の時。その頃"三度の飯より"プロレスが好きで(今でもその影響は続いておりますが)、いろいろな人気レスラーのプラスチックで作ったフィギュア、所謂ソフビ人形を当時集めておりました。ある日、近所の公園にそれら宝物を持っていって遊んでいたのですが、帰ってきたらなぜが一体足りない。しかもそれが超大物アブドーラ・ザ・ブッチャーのだったんです。あわてて公園に戻ってみたものの愛しのブッチャーのお姿は無い。あまりのショックに大泣きした記憶がありますが、翌日からブッチャーを売っている店は無いかと秋田市中の玩具店をくまなく探してみたものの、とっくに製造中止になったとかでどこにも売っていない。そんなこんなで、とにかく毎日「ブッチャーが無い!」と言い続ける日々が始まりました・・。
そして神様がそんな哀れな子どもに救いの手を差し伸べる日が遂に来ました。ある日、「ブッチャーがあった!」という朗報を家に届けてくれた天使のような方がいたのです。それもなんと家から二駅行った所にあると某スーパー(当時はフードセンターという名前だった)にあるとのこと。興奮した状態で親とそのスーパーに行ってみたところ、愛しのブッチャーはなんと洗剤の景品としてアタックかなんかの箱に何体もぶら下がっているではありませんか。なんでブッチャーが洗剤の景品なんだという疑問はさておき、その時はただただ嬉しくて、ブッチャーの入った袋がホッチキスで留められた洗剤を大事に抱きかかえながら家に帰りました。ブッチャーを袋から開けて悦に浸りながら眺めていたのですが、よくよく見るとなんか本物に似てない。まるでカンフー映画の悪役のデブみたいだ。「無くしたのもこんな顔だったかなぁ、でも多分同じだ。でもこのブッチャー履いているタイツ、今の黒いのじゃなくて白いよなぁ。」とか、なんで発狂するくらいこれを欲しがっていたんだろうとか、なんだか嬉しいんだけど微妙な心境になりました。結局そのブッチャーは外へ遊びに行く時のお供になることも無く(多分無くした時より精神年齢が微妙に高くなっていた)部屋に飾る置き物となり、今でも思い出として大事に取ってあります。
さて、なんでこんな話を書いているかと言うと、先日私にとって10年間の悲願であった「ある人の音楽を生で聴く」ことの擬似体験をすることができました。その悲願は絶対叶わぬ夢だったのですが、今回はおそらく失われたブッチャー人形を洗剤の景品でゲットできた時よりも遥かに感動して、念願が叶った時の瞬間を楽しむことができました。
ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン(写真)。私が一番敬愛する音楽家です。というのもこの人の音楽を聴き始めて10年以上になりますが、その間飽きずにコンスタントに聴いているのは彼のアルバムをおいて他に無いのです。簡単に説明しますとヌスラットはパキスタン出身で、スーフィーというイスラム教の一集団の中で演奏されるカッワリーという音楽を代表する歌手。よく友達に話すとそんなマイナーな、とか揶揄されますが、おそらく西欧などでは彼より有名な日本人のミュージシャン、いやアジア人の音楽家は皆無であると言っていいくらい(ラヴィ・シャンカールとは微妙か)広く知られているんだ、というのが私の口癖(苦笑)。有名かどうかなどどうでもよく、とにかく圧倒的で歌唱力と神の領域へと聴衆を導く即興のアンサンブルは、私の拙い文章などではいくら言葉を連ねても書き足りないくらいスゴイのだ(と私は思っている)。
彼のことを初めて知ったのは、大学の時『デッドマンウォーキング』という映画のサントラに彼が参加しているのを聴いてから。それが見事にハマってしまい、アルバムを買い集めだしたのですが、なんと言ってもこの音楽は生で聴かなきゃだめだというのが、CDを聴く度に感じることでした。90年代前半までは何回も来日公演をやっているし(一度は現在の天皇陛下の前で御前演奏までしている)、そのうちまたやって来るだろうと期待をしていたのです。そして1997年の夏のある日、新聞の社会面を読んでいた私の目が点になりました。なんとそこには「訃報。ヌスラット・ファテ・アリハーン氏」の文字が・・・。
「これで俺の夢は永遠に潰えた」と、本当にガッカリでした。その後彼のグループは甥のラーハットが引き継ぎ、素晴らしいアルバムまでリリースしたのに全然日本に来る気配は無し。最近もたまに「ラーハット 公演」などと検索にかけて、来日公演がある情報を今か今かと待っているのですが、残念ながら未だ引っかかった試しはありません。
そんな数ヶ月前のある日、音楽雑誌を立ち読みしていたら『わが師・ヌスラット・ファテ・アリハーン』というアルバムを出したミュージシャンの記事を見つけました。よく読むと、彼も同じくカッワリーのグループを率い、ヌスラットに後継者として扱われたこともあったとか。しかも今年10月来日公演があるという。あわてて雑誌を買って家に帰り、ネットでそのミュージシャンの情報を調べました。
彼の名はファイズ・アリー・ファイズ。公演日は10月2日で会場は渋谷シアターコクーン。行ってみたら失敗、ということがないよう、彼の名前を検索にかけて視聴できるサイトを何個か見つけてみた。そこで聴いた彼の声は「えっ、ヌスラットにそっくりだ・・」。
(Part2に続く)

kazukuti at 01:57|Permalink 店主の日常 

2006年10月01日

祇園精舎への道

7c2e876b.jpg刺繍で有名なインドのとある街。だいたい仕事ができそうな業者の目星が付いて、翌日から本腰を入れて商談しようと思いきや、彼らは異口同音にこう言った。
「明日は州が定めた祝日なので休業日です。工房ももちろんお休みです。」
こっちが明後日帰るって知っているんだし、自営業者なら休日でも一寸仕事してもいいんじゃないかと思うのだが、皆そんな気はさらさら無いようだ。休日は絶対仕事をせん!という気概をひしひしと感じる。しょうがなく最終日に気合を入れて頑張ることにし、郷の掟に従って一日水を入れることにした。
−さてどうしよう、何もすることがない。−
これは困ったことだ。遊びに来ているならまだしも、仕事で来ているのに丸一日何もしないというのは気持ち的に耐えられない。何か有意義なことをしなくては。
この街から数時間行った所に日本でいう"祇園精舎"の遺跡があると、今回来る前にインターネットで読んでいた。いちおう仏教徒の端くれとしてそこにでも詣でてみようか。そう決めたところで「休日でも仕事してくれる」、「場所と行き方を知っている」運転手を探したら、難なく見つかった。
インドでは祇園精舎のことをサヘートと呼び、その隣接する古代の城塞都市の遺跡をシュラヴァスティーまたはマヘートと呼ぶようだ。ここは仏陀が説法を行った場所として、仏教徒にとってはまさに聖地だが、日本人には平家物語の冒頭に出てくる「鐘の音」の方がなんとなく馴染み深いと思う。
街から車で片道4〜5時間ほど。田舎の村や小さな街を幾つも通過しながら、ようやく祇園精舎に着いた。
強烈な太陽の日差しに照りつけられながら遺跡の中を散策する。静かな木立と草原の中に、煉瓦を積み重ねた建物の基壇が点々と続く。木陰には瞑想する僧がいたり、ブッダに思いをめぐらしているのか(もしくはただ日景で休んでいるのか)佇んでいる人がいたり、さらにはサルの群れがいたり。遺跡自体に圧倒される何かがあるわけではないけれど、静寂な雰囲気が聖地の趣を感じさせる素晴らしい場所でした。
そこでふと思いだしたのは、以前カンボジアのアンコールワットで見た有名な落書きのことだ。それは江戸時代の初めごろ、森本右近太夫というお侍(浪人だったかな)が、親の菩提を弔うため、日本から遠路はるばるアンコールワットまで参拝したことを自ら記したものだ。おそらくアンコールワットに行った日本人の大半はこの落書を見たのではと思います。私はその近くを通ったらカンボジア人の男性に「森本だろ。こっちだこっちだ。」と頼みもしないのに案内され、たどり着いたらチップだったかお線香代だったかを強請られました(苦笑)。
この落書の中で森本はアンコールワットこそ祇園精舎であると書いている。彼は祇園精舎という聖地に参りたいがため、わざわざ海を越えカンボジアにまで来ていたのだ。残念ながらそこは本当の祇園精舎ではなかったのだけど、その熱意と信仰心には頭を下げざるをえなかった。
考えてみれば自分はただ今日仕事の予定が無くなったからという理由だけでこの祇園精舎に立っている。森本は飛行機も蒸気船も無い時代に、祇園精舎に参拝したいという一心で日本からカンボジアまで行った。信仰心に差があるのはしょうがないとしても、同じ日本人として森本さんになんか申し訳ないと感じる。
マヘートと言われる城塞都市の遺跡を散策していたら、近隣の村々から人が集まり小さな市が立っていた。売っているものはほんとごく僅かなんだけど、とにかく集まってきた人の数がスゴイ。そこには大きな木があって、その木陰の半径15メートルくらいの間はほとんど隙間無く人が集まっている。その集まり方がなんともインド的というか・・。まず幹の周囲には白い帽子を被り立派な髭をたくわえた、いかにもムスリムのリーダー的な方々が、その周りは一般の農夫さんといった男たちで、その周りはサリーを着た女性たち。そして木陰から外れた日の当る場所には、なんとも気の毒な人たちが(ご想像にお任せします)。「市場の写真を取れるかな」とカバンからカメラを取り出した瞬間、誰かの合図があったのか一斉に女性たちがサリーで顔を覆い、一番奥の立派な男性が「写真は撮るな」といった合図を私に送ってくる。その雰囲気や仕草が何か狂気のように感じて、恐る恐るその場を後にしました。全く知らないところでは迂闊な真似はできないとつくづく思う。
祇園精舎の往路でも感じたのは、インドは田舎でも人が多いということ。日本では街から農村部に行くと途端に人口密度が減るけれど、インドではもしかして逆なのかと思うくらい、田んぼのあぜ道でもどこでも人の姿がある。最近の天井知らずなインドの人口増は農村部が起因している新聞か本で読んでいたが、なるほどと実感した。
仏教の中で語られる哲学的なことはさておき、さまざまな国や地域の仏教の造形を見ると、釈迦や仏教からイメージされる姿はそれぞれ千差万別だ。おそらく日本人の私には身近なところのお寺に祀られた仏像や美術館で観た仏画の中に、釈迦や仏教のイメージを知らず知らずのうちに感じていたと思う。今回祇園精舎を訪ねてみて、そこがインドのごく普通の農村の中にあることを確認し、「釈迦も仏教も生まれはインドだった。」という至極当前のことが、実は自分のイメージの中に潜んでいなかったのだと気付かされた。菩提樹の下で弟子に説法する釈迦の姿は、美しい仏画の中で描かれている神々しいお釈迦様とお弟子様ではなく、あの大きな木の下でひしめき合うインド人たちの姿に、私の中では変わりつつある。

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