2012年02月

2012年02月28日

AlayaVijana秋田Live

 私がお手伝いしている音楽イベントの告知です。

alaya 『AlayaVijana(アラヤヴィジャナ)秋田Live』
2012年3月16日 午後7時開演
会場:秋田市・カフェ・ブルージュ
料金:3000円(1ドリンク&軽食付き)

 AlayaVijanaとは昨年一昨年、当店主催の『インド古典音楽LIVE』に出演されたシタール奏者・ヨシダダイキチさんの主宰する音楽ユニット。UAさんやユザーンさん等をゲストに迎え日本〜アジアの伝統音楽をベースに様々な活動をされております。

 今回は秋田市出身の歌い手・さとうじゅんこさんとギタリスト・藤枝暁さんをメンバーに迎えての公演!AlayaVijanaの最新作『火と薪』の収録曲から秋田民謡まで(!)多彩なステージにご期待ください。



 チケットはカフェブルージュさんと当店で発売中。詳しくはAlayaVijana秋田Live・HPにて。

*3月17日は能代市・感応寺さんで開催される「迦陵頻伽聲 春のうたライブ」にAlayaVijanaが出演されます。

kazukuti at 13:41|Permalink 店主の日常 

2012年02月20日

南洋の古陶磁

 4 『俺のスラウェシ展』も2週目に入ったところで、現地で収集した古陶磁についていくつか書いていきたいと思います。

 ご隠居の「たそがれ見聞録・スラウェシ編2」にも書かれていましたが、スラウェシ島のマカッサルとその周辺の港町では中世以来、海上交易によって繁栄したことを示す中国をはじめアジア各地の古陶磁が発見されています。これらの貿易陶磁はスラウェシに限ったことではなく、日本を含むアジア各国の港湾都市遺跡、そして遠く中近東やアフリカ、ヨーロッパにも分布しています。『スラウェシ展』で出展されている古陶磁はまさに海の交易史を物語るものばかりです。


5 オランダ東インド会社(VOC)のロゴマークが入った明芙蓉手染付皿(左)と江戸中期頃の古伊万里染付皿。17世紀、オランダ東インド会社はスラウェシ島にほど近いモルッカ諸島の香料交易のため、マカッサルに拠点を構えていました。当初、中国の明との交易を行っていましたが、王朝が清へと交代するにあたって陶磁器の取引を日本の伊万里焼に切り替えたようです。背後に掛けられてあるトラジャで発見したインド古更紗布も恐らく東インド会社がスラウェシ島にも運んで来たもの。


7 スラウェシで発見される中国陶磁は10〜11世紀頃の北宋時代にまで遡ります。こちらの白磁水注(宋)は現地の村に伝えられていました。金属の蓋と注ぎ口は後で装着したもの。土中から発掘した水注を村での儀式用の器に転用された珍しい例です。








10 日本では平安末〜鎌倉中期にあたる南宋時代に作られた龍泉窯の陶磁器は海中(沈没船)から主に発見されるようです。日本でも中世の遺跡から数多く出土している鎬蓮弁文青磁碗。宋時代の活発な海上交易がうかがわれます。





9 茶道では香合として用いられる蓋物の器・合子(ごうす)の小品は中国(明)、ベトナム(安南)、タイ(宋胡録)など15〜16世紀にアジア各地で作られたもの。本来は香合としてだけではなく、朱肉や墨を入れる文房具や化粧品の容器として作られていたようです。写真中央下の宋胡録(すんころく)の合子は南国の果物・マンゴスチンを模っています。桃山〜江戸時代、茶人の中では「柿の蔕(へた)」の愛称で知られていました。



8 スラウェシ島で収集した古陶磁の中には「こんなものも?」と驚いた品もありました。こちらは昨年4月のミャンマー出張で窯跡から出土したという破片を何十個も見てきたビルマの中世陶器。スラウェシの蒐集家も出てきた時は想定外の品だったらしく「これはビルマの陶器だよ」と説明してもなかなか信用してもらえませんでした(苦笑)釉の処理などに粗さが目立つ「下手もの」(実用品)ですが、この地にもたらされた貿易陶磁の多様さを感じさせられる品です。

kazukuti at 16:47|Permalink イベント 

2012年02月12日

『俺のスラウェシ展』始まりました

e1 2月10日から『俺のスラウェシ展』スタートいたしました。"俺"ことご隠居が催事の一週間前から飾り付けを始めるほどの気合いの入った今回の展示会。お知らせした段階から骨董のお好きなお客様からたくさんの問い合わせやご予約を頂きました。やはりコレクターの方々がお求めになりたいのは、出品されている陶磁器の中でも名品というべきものばかり。販売済みで展示用にお借りしている名品もありますが、連日品数は減っておりますので、ぜひお早めにご覧いただければ幸いです(陶磁器の話は後日改めてブログに書きます)


e4 古陶磁がスラウェシの「海の民」の遺産なのに対し、トラジャの絣布(イカット)や木工品などは「山の民」の遺産。民族色豊かな造形がインドネシアの多様な文化を感じさせてくれます。




e6 ご隠居と私がスラウェシ島で撮影してきた写真はPCのスライドショーでご覧いただけます。インドネシアや中国陶磁に関する本のコーナーも。背後の布はトラジャの古更紗布。とにかく長い!




IMG_0310 インドネシア各地のバティック(更紗)やイカット(絣布)、アタの工芸品をはじめとする雑貨も出品しております。

 『俺のスラウェシ展』は3月3日まで(期間中無休)

 小松クラフトスペース

kazukuti at 14:26|Permalink イベント 

2012年02月09日

たそがれ見聞録・スラウェシ編5

5.ママサの古渡り更紗

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 伝統的な結婚式や葬式が継承されている土地には古い布が残っている可能性が高い。一昨年、400年前インドで作られた古渡り更紗を幸運にもスマトラで発見したが、トラジャにもあるはずだと期待するのは伝統的な葬式が続いているからだ。

 しかも、最近、70km離れた古い建築様式が残っているママサに車が通れる道路が出来たというのを知って古渡り更紗を期待したのだった。

 ところが現地に行って初めてママサに直接行く道路は車では通れない、迂回しなければ行けないということを知ったのだった。それでもとにかくも古渡り更紗だ。

 行きます、どこを通っても結構です。古渡り更紗が手に入るならと勇んで車に乗った。

59 ママサへの道路はただの悪路でなかった。めたくそ凸凹道に揺られた。俺は日頃、アルコールで胃袋を鍛えていているので大丈夫だったが、30代のトラジャ人運転手は何度も吐くほどだった。路肩が大きく深い谷底に崩れ落ちた箇所、土砂崩れで車1台がやっとのことで通れる狭い箇所、落下して道を塞いでいる大きな岩を避けて通らなければならない箇所などがある。車で通ること事態が危険極まりない。そんな山道を11時間掛かって走り抜きママサに到着した。

60 ホテルはトラジャ風民家で1泊800円、1人分400円でマイルドセブンより安い。天井も壁も竹で編んだ壁面を使っている。入り口には野球のボールほどある巨大クワガタが椅子に座っていた。はじめ黒くコーティングしたオモチャかなと思ったがここは日本ではない。そんなモノがこの山奥にあるはずが無いと気が付いた。近寄るとひげを少し動かした。本物だった。野生動物が棲む世界に人間が迷い込んだような世界だ。部屋には当然のように蚊、ゴキブリ、トカゲなどがいた。

 誰にも相性の悪い虫や昆虫がある。三代目はなぜかゴキブリが苦手だ。嫌いなモノほど目に入るらしい。目ざとく見つけゴキブリだ!ゴキブリだ!と1人で騒いだ。大きいだけでゴキブリはなにもしない。

 それでも三代目は直ぐに家主にスプレー式の殺虫剤らしきモノを借りてきた。すぐさま吹きかけると、ゴキブリは少し動いて立ち止まる。さらに夢中になって噴霧を続けるとゴキブリもノシノシと歩いて物陰に隠れたが、死んだ気配はない。姿がみえなくなって余裕がでたのか、手にしたスプレー缶をしみじみ眺めて、「なんだコレ?」と三代目が叫んだ。殺虫剤だと思っていたのは、清涼感が漂うエアクリーナーだった。こんな山奥で殺虫剤があるわけないだろうに。ここはママサだ。

16 インドネシアには200以上の民族と言語がある。インドネシア語が標準語として決められたのが独立後で今でもインドネシア語を話せないインドネシア人が人口の30%もいるそうだ。だからか辺鄙なママサでインドネシア語を話しても中々通じない。現地人同士はトラジャ語で話す。古渡り更紗探しは難渋した。トラジャ人の運転手がトラジャ語で通訳してくれるのだが、俺のインドネシア語がいい加減なのでチンプンカンプンの会話が延々と続く。日本語の「ありがとう」はインドネシア語で「テレマカシー」、トラジャ語では「クレスマナ」。とにかく「クレスマナ」と言えば皆喜ぶ。バカの1つ覚えで何処でも、だれにでも「クレスマナ」、「クレスマナ」の連発だ。

 結局、目指していた400年前の古渡り更紗は見つからなかったが、200年〜300年前程度のインド産の古い更紗やトラジャで生産された100年程度前の古い染め布が手に入った。布もあったゾー!

 帰路、マカッサルまで再び恐怖のママサ街道を我慢の11時間だった。

隠居人・小松正雄

(了)

◆ママサへの道のりやトラジャの葬儀などを携帯電話で撮影した動画はこちら↓



kazukuti at 23:41|Permalink ご隠居コーナー 

2012年02月08日

たそがれ見聞録・スラウェシ編4

4.トラジャのバイク・タクシー

16 お葬式が済むとお棺を村の洞窟や切り立った岩に横穴を開けた岩窟墓に安置する。トラジャ社会は未だに階層社会が存在していて、それぞれの貴族階層、一般階層、奴隷階層の地位によって墓の位置が決まる。階層が違う同士で結婚すれば女性の所持している階層が継承される女性上位社会だ。貴族階層は一番高い見晴らしの良い場所だがお棺を安置するには足場が必要で労力とお金が掛かる。現代でも階層は決まっているが富裕の程度は所属する階層と一致するわけでもなく、奴隷階層でも豊かな人が沢山いるそうだ。肩書きだけの階層社会になったようだ。
 
 洞窟墓を見学しに行こうとバイク・タクシーに乗った。トラジャは急勾配の坂道が多いので車よりバイクが幅を利かせている。タクシーはない。後ろにお客を1人乗せて走るこのバイク・タクシーと2人掛けカートを後ろから押すバイク力車・ベモだけだが、ベモは馬力が弱く平地しか走れない。

57 少し小太りのお兄ちゃんの後ろに乗ったが、掴まるモノが何もない。運転シートとボディーの僅かな隙間に指先を入れて必死に掴まっていた。運転手のお兄ちゃんは立派なヘルメットを被っているがお客用はない。凸凹道を巧みに避けながらお客様の安全を無視して40km〜50kmの猛スピードで走る。バイクは元々一人乗り用に作られた乗りモノで同乗者の乗り心地など設計上考慮されていない。不慣れな乗り物で左右に上体を振られバランスを取るのが大変だ。運転手のお兄ちゃんに抱きつきたくなったが格好が悪いので我慢していた。

 しばらくして行き交うバイクを見ると同乗者は腕を組んだり、手を自分の膝の上に置きゆとりを持って乗っている。若い女性などは横座りで軽くシートに手を掛けた程度だ。怖がっているのは俺だけかと気が付き、腕を組んだりしてみたがやはり怖くて駄目だった。ご夫婦に子供2人を乗せて4人乗りで走っているバイクがいた。これはもう、曲芸の世界だ。舗装された平地での5人乗りはハノイで見たことがあるが、悪路の4人乗りはトラジャの曲芸だ。小学低学年生の小さな女の子がヘルメットも被らず足を精一杯伸ばして運転していた。これも曲芸だが危険だ!トラジャの警察は何をしているのだ!取り締まれ!

 高校時代、若者達の間でバイクが流行して俺も欲しかった。バイクに乗って遠出するのが目的ではない。当時、映画「ローマの休日」がはやり、グレゴリー・ぺックが運転するスクーターにオードリー・ヘップバーンが後ろから腕を回して乗っていたシーンが印象的だった。俺も後ろの席に可愛い女の子を乗せ、後ろから腰に腕を回させて走ってみたかっただけだ。

 そんな俺だがここトラジャではやっとの思いでバイク・タクシーにしがみつき、ようやく洞窟に到着した。

35 洞窟へ連なる道には岩の窪みを利用してお棺が安置され、お棺の上にはドクロがゴロゴロ転がっていた。洞窟に入るとあちこちの窪みに安置されてはいる。お棺は朽ち果て、骨とドクロがむき出しになっているのもある。南国の気候風土のせいか、陰湿感は感じられず、「ゲゲゲの鬼太郎」の世界に入り込んだ気分で骨やドクロには笑いを誘われる。この様相が気に入ったのか「ここは現代アートを超える!」と叫んで三代目は写真撮りに夢中になっていた。洞窟の上部には出窓風の棚がある。タウタウ人形と呼ばれるお爺さん、お婆さんの姿をした木像の人形が並んで、良くぞ来てくれたと喜んでいるようだった。

隠居人・小松正雄

(続く)

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kazukuti at 20:21|Permalink ご隠居コーナー 

2012年02月06日

たそがれ見聞録・スラウェシ編3

3.トラジャ人とお葬式

54 マカッサルから北上し、悪路を車で13時間掛かってトラジャ族の中心地タナ・トラジャに到着した。スラウェシ島中部、標高800m〜1000mの高地に位置しているので緑にすっぽりと隠れ里のように四方を囲われ赤道直下にも関わらず朝晩は涼しい。



55 トラジャ族は日本の弥生文化と共通の文化を持っている。高床式住居、高床式穀倉、稲作、殯(もがり)の風習、などの文化が似かよっているため日本の研究者に倭族トラジャとして呼ばれている。と言うことは祖先は同じ、我々日本人と親戚?親近感が涌いた。

 トラジャと言えばコーヒーだけではなく、お葬式が有名だ。トラジャ族はお葬式の盛大さが来世の幸せを保証すると古くから考えているので、熱を入れて盛大に開催する。沢山のお金が掛かるのでお葬式を行うために生きていると言われるほどだ。

30 それを見物する為にわざわざ、物好きな外国人観光客が遠路はるばる、フランス、ドイツ、イギリスからやってくる。山奥の街にとっては貴重な収入源だ。外国人観光客に配慮して日曜日を除く毎日、どこかの村でお葬式が開催される。

 俺は葬式に参列するのが嫌いだ。先日も新聞の死亡欄を見て知人のお祖父さんが亡くなった事を知ってしまった。仕事上の知り合いで亡くなった本人とは親しくもないし、マダムでも三代目でもどちらが参列しても差し支えない間柄だ。お互い出掛けたくないので参列を押し付けあったが最後は一番暇で服装が簡単な俺が嫌々参列した。そんな俺もトラジャの葬式となると好奇心が沸く。物好きにもカメラ片手に早速、見学に出掛けた。

28 村は縁戚関係で構成され、住居と別に葬式会場が用意されていた。トラジャでは水牛が貨幣だ。水牛1頭には豚15頭の価値がある。特に白色の水牛が上等で高価だ。お葬式の規模はこの水牛の数がバロメーターになる。5〜6頭は小規模、10〜20頭は中規模、50〜60頭は大規模、時には100頭の葬式もあるらしい。水牛は豚と同様日常は働かず田んぼの中で遊んでいる。ただ飼育されハレの屠殺日を待っているだけだ。会場に入ると中央に水牛6頭が既に首の動脈を鉈で切られ無残にもゴロゴロと死んでいた。100頭を超える豚が生きたまま次々と足を縛られて竹竿で担がれ運び込まれて行く。竹製バーベキューの準備が出来次第、刺身包丁を細くしたような鋭い刃物で首を一突きされると豚は一声キューンと叫んでイチコロだった。係りの者がナイフを取り出し、慣れた手つきで内臓を開き、血が飛び散らないように上手に解体してゆく。食べられる内臓と血が太い竹筒の中に入れられ、後で焼かれた。内臓を取り除いた豚はバーベキュー台に載せられ丸焼きにして表面を焦がす。焦がし終ると適当な塊に切り分けられる。大きな水牛も同じように解体するが、生肉のまま切り分けていた。水牛の周りにはハエがどんどん群がりだし、終いには村のハエが全て集まってきたようなハエ・カーテンが出来て向こう側の景色が曇ってしまう程だった。

56 屠殺場でお葬式を開催しているようにもおもえるが、これは文化の違いで日本人がマグロの解体ショーを見ながらマグロの刺身を食べているようなものだろう。トラジャ人は水牛や豚の解体風景を楽しみながらお茶、お菓子、ご飯主体の簡単な食事をしながら談笑していた。ビールや駄菓子、タバコなどを売る出店まで登場して商売していた。その日のお葬式は埋葬者が高齢の御婆さんだったので参加者数300名程度の最も小さい規模だという話だった。参加者は帰り際、引き出物の肉の塊を手にぶら下げて帰って行った。お祭りなのかお葬式なのか、いずれにしろ日本人の親族たちによる儀式だった。

 しばらくは、鶏肉だけにしよう。そう決めた。

隠居人・小松正雄

(続く)

kazukuti at 20:53|Permalink ご隠居コーナー 

2012年02月01日

たそがれ見聞録・スラウェシ編2

2.古陶磁の宝庫

china 南スラウェシの州都・マカッサルは古くは唐の時代から中国との海産物交易が始まり、今から500〜300年前にはナマコと胡椒、丁子、ニクズクなどの香料で世界的に繁栄を誇った時代があった。
 
 マカッサル族は海洋民族である。偏西風を利用してオーストラリアの北海岸に船でナマコを採りに出掛けて行った。採ったナマコを現地で干し(干したナマコをイリコと呼ぶ)、薫蒸したものを持って再び偏西風を利用してマカッサルに戻ってきた。スラウェシ島の東側には香料諸島と呼ばれるモルッカ諸島がある。こうした島々の香料交易の中継基地としてもマカッサルは繁栄した。「海のシルクロード」として貴重な陶磁器や布がナマコや香料の対価として世界各地から入り込んだ歴史がある。マカッサルは古くから歴史の舞台に君臨していたのだ。

 1600年代に入ると欧州の列強であるポルトガルやスペイン、オランダ、イギリスが大砲携えた大船でスラウェシ島に香料を求めてやって来た。その400年後、遅れ馳せながら俺も陶磁器や布を求めて小金を携えて出掛けるのだ。


fuka 旅に出る前、秋田市内の中華料理店「盛」へ験かつぎにナマコ料理を食べに行った。事前にお願いをしていたので、盛さんは張りきって準備して待ってくれていた。大きな皿に俺の手のひらサイズもある大きなナマコが盛り付けられた料理が出された。椎茸のような色をしたナマコはヌルッとした舌ざわりと少し香ばしい風味が混ざり合う。喉越しが良く抜群に旨い。これぞスパイスの達人、盛さんが作る料理だ!

 中国人にとってナマコ料理やフカヒレ料理は、高価な陶磁器と交換しても食べたいと思うほど貴重な食材とされている。本当かどうか試してみたかったのだ。旨い!旨い!お金が有れば俺もいつも食べたい!ヨシいける「これならある!」と一人でつぶやいた。

 バリ島から飛行機で1時間半でマカッサルに到着する。人口120万の赤道直下の港街だ。気温が40度にも上がり地面から煮立つような暑さだ。観る程のものは何も無く外国人の観光客は滅多に来ない。

 初めての街は先ずは博物館から、と定石通り博物館を目指した。中に入ると期待した程の展示物は何も無く、入館料を払うのもばかばかしいと思ったが、ジェントルマンの俺は態度には出さない。館長らしき老人がイスに座っていたので、ノートに用意しておいたインドネシア語を読んで色々と質問した。老人は久し振りに出会った日本人を見て喜んだ様子で、知っている日本語を思い出しながら語り出し、インドネシア語と日本語のチャンポンで会話が弾んだ。

 老人の紹介で何人かのコレクターやディーラーに会う事ができた。インドネシア海域には沢山の沈没船が確認されている。スラウェシ島の海岸周辺でも沈没船が発見され、時折ダイバーが陶磁器などの品々を引き上げてくるらしい。数日かけて彼らの所有している自慢の品々をゆっくり見て回ったが、「これぞ!」という逸品には出会わなかった。

394148_331527090221545_147335208640735_966627_1416428344_n 現地で顔なじみが増えてきた頃、一人のディーラーから紹介され、高級住宅が建ち並んでいるエリアの一軒の邸宅に案内された。リビングルームに招かれ挨拶を交わそうとしたその時、ガラスケースの大きな飾り棚が目に入った。中に置かれているのは中国陶磁の名品ばかりである。三代目は挨拶するのも忘れて近寄り、腕を組んで「ん〜」と唸った。名刺を差し出すよりも先に扉を開けるよう依頼したが、家主も自慢の逸品を目ざとく認めてくれたのが嬉しかったのか、急いで鍵を外して扉を開けてくれた。手に取ってじっくり眺めた目利きの三代目は一言「凄い!」

 中央にはなんとオランダ東インド会社のマークVOC入りの古染付皿が鎮座していた。あったのだ!ついに俺の予感が的中、サイババも驚く先見の目があったのだ。

隠居人・小松正雄

(続く)

kazukuti at 18:01|Permalink ご隠居コーナー