2012年02月20日

 4 『俺のスラウェシ展』も2週目に入ったところで、現地で収集した古陶磁についていくつか書いていきたいと思います。

 ご隠居の「たそがれ見聞録・スラウェシ編2」にも書かれていましたが、スラウェシ島のマカッサルとその周辺の港町では中世以来、海上交易によって繁栄したことを示す中国をはじめアジア各地の古陶磁が発見されています。これらの貿易陶磁はスラウェシに限ったことではなく、日本を含むアジア各国の港湾都市遺跡、そして遠く中近東やアフリカ、ヨーロッパにも分布しています。『スラウェシ展』で出展されている古陶磁はまさに海の交易史を物語るものばかりです。


5 オランダ東インド会社(VOC)のロゴマークが入った明芙蓉手染付皿(左)と江戸中期頃の古伊万里染付皿。17世紀、オランダ東インド会社はスラウェシ島にほど近いモルッカ諸島の香料交易のため、マカッサルに拠点を構えていました。当初、中国の明との交易を行っていましたが、王朝が清へと交代するにあたって陶磁器の取引を日本の伊万里焼に切り替えたようです。背後に掛けられてあるトラジャで発見したインド古更紗布も恐らく東インド会社がスラウェシ島にも運んで来たもの。


7 スラウェシで発見される中国陶磁は10〜11世紀頃の北宋時代にまで遡ります。こちらの白磁水注(宋)は現地の村に伝えられていました。金属の蓋と注ぎ口は後で装着したもの。土中から発掘した水注を村での儀式用の器に転用された珍しい例です。








10 日本では平安末〜鎌倉中期にあたる南宋時代に作られた龍泉窯の陶磁器は海中(沈没船)から主に発見されるようです。日本でも中世の遺跡から数多く出土している鎬蓮弁文青磁碗。宋時代の活発な海上交易がうかがわれます。





9 茶道では香合として用いられる蓋物の器・合子(ごうす)の小品は中国(明)、ベトナム(安南)、タイ(宋胡録)など15〜16世紀にアジア各地で作られたもの。本来は香合としてだけではなく、朱肉や墨を入れる文房具や化粧品の容器として作られていたようです。写真中央下の宋胡録(すんころく)の合子は南国の果物・マンゴスチンを模っています。桃山〜江戸時代、茶人の中では「柿の蔕(へた)」の愛称で知られていました。



8 スラウェシ島で収集した古陶磁の中には「こんなものも?」と驚いた品もありました。こちらは昨年4月のミャンマー出張で窯跡から出土したという破片を何十個も見てきたビルマの中世陶器。スラウェシの蒐集家も出てきた時は想定外の品だったらしく「これはビルマの陶器だよ」と説明してもなかなか信用してもらえませんでした(苦笑)釉の処理などに粗さが目立つ「下手もの」(実用品)ですが、この地にもたらされた貿易陶磁の多様さを感じさせられる品です。

(16:47)