2009年01月26日
持てる力を最大限に使う。
「持てる力を最大限に使う。
決して腕だけでとらえない。」
剣を振るのも、腕で振ってはいけない。
体の動きで振らないと力が入る。
力が入ると刃筋がまがりすたれ打ちになる。
手に頼らないと言う事ですね。
決して腕だけでとらえない。」
剣を振るのも、腕で振ってはいけない。
体の動きで振らないと力が入る。
力が入ると刃筋がまがりすたれ打ちになる。
手に頼らないと言う事ですね。
2008年11月19日
2008年10月09日
よく思うのですが…
よく思うのですが、故 山口師範はどうやって自分の業を確立されたのかと。
大先生の直弟子の方々は本当に皆さん違います。
われわれはその先生方の後を歩いているだけです。
と言うことは私たちも変わっていかねばならないのです。
自分本来のものを見つけるのが、「道」なのですから。
新しく入会されてくる方には、気持ちよく、追求していける場の提供でありたいと思います。
大先生の直弟子の方々は本当に皆さん違います。
われわれはその先生方の後を歩いているだけです。
と言うことは私たちも変わっていかねばならないのです。
自分本来のものを見つけるのが、「道」なのですから。
新しく入会されてくる方には、気持ちよく、追求していける場の提供でありたいと思います。
2008年06月25日
足元から完全に攻める
「足元から完全に攻める」
「足元から跳ね上げる」とか「足下を照らす」とかと同じ意味合いですが、「足元から攻める」。
最近は居着いているとか、上半身でやる人が多いですが、捉えるのは、足元から、腹からでないと、ズレが大きくなってしまいます。
変化をかければかけるほど、下半身でとらえなければダメです。
「足元から跳ね上げる」とか「足下を照らす」とかと同じ意味合いですが、「足元から攻める」。
最近は居着いているとか、上半身でやる人が多いですが、捉えるのは、足元から、腹からでないと、ズレが大きくなってしまいます。
変化をかければかけるほど、下半身でとらえなければダメです。
2008年03月10日
2008年01月10日
後はスピードと気合い
「どこかに固まりがあると、それが自分を邪魔する。
だから取り去る。
後はスピードと気合い。」
と師範がおっしゃった事あります。
抜く、乗るなど体が出来れば、後はスピードと気合いで勝負と言うことだと思います。
だから取り去る。
後はスピードと気合い。」
と師範がおっしゃった事あります。
抜く、乗るなど体が出来れば、後はスピードと気合いで勝負と言うことだと思います。
2007年07月10日
(力が)抜けてくるということは…
「(力が)抜けてくるということは、完全に使えるようにするということです。」
そうです。抜ければいいということではなくて、完全に全身の力を使うために、抜くということです。
改めて姿勢を正したくなってきます。
そうです。抜ければいいということではなくて、完全に全身の力を使うために、抜くということです。
改めて姿勢を正したくなってきます。
2007年05月15日
もっと肩をほぐすように
「もっと肩をほぐすようにして」
肩をほぐすという表現は、今から思うと非常に具体的というか、綺麗で簡潔な表現です。
肩に力が入っているから全てを封鎖するのであって、固まってしまうと思います。
「自分で自分を相殺している、相生相補ですね」
と同じことになってくるんでしょう。
自分の体は難しい。
肩をほぐすという表現は、今から思うと非常に具体的というか、綺麗で簡潔な表現です。
肩に力が入っているから全てを封鎖するのであって、固まってしまうと思います。
「自分で自分を相殺している、相生相補ですね」
と同じことになってくるんでしょう。
自分の体は難しい。
2007年02月14日
重い剣を軽く、軽い剣を重く
「重い剣を軽く、軽い剣を重くね」
剣を上げるのに、体の軸で持ち上げなければ、重い剣は上げられないし、軽い剣に重みをかけるには、軸にそっていないとかけられない。
最近はやりの動きですが、山口師範はずーといい続けて来られたのですよね。
剣を上げるのに、体の軸で持ち上げなければ、重い剣は上げられないし、軽い剣に重みをかけるには、軸にそっていないとかけられない。
最近はやりの動きですが、山口師範はずーといい続けて来られたのですよね。
2006年12月01日
押さえの変化は色々できるんです…
「押さえの変化は色々できるんです。それよりも中心を突く、捉える練習を(相手の動きに応じて)」と師範はおっしゃってました。
いままでのお言葉の延長ですが、肩に力をいれないで、中心で中心を攻めていれば、押さえの変化は色々できるんです。
手を手で押さえようとか、返そうとかすることで、体が固まり、動かなくなっていく。
「最悪ですね。(笑)」と言う事になっていきます。
あー稽古したくなります!
いままでのお言葉の延長ですが、肩に力をいれないで、中心で中心を攻めていれば、押さえの変化は色々できるんです。
手を手で押さえようとか、返そうとかすることで、体が固まり、動かなくなっていく。
「最悪ですね。(笑)」と言う事になっていきます。
あー稽古したくなります!
2006年10月03日
手を持ってするのが合気道ではなくて、
「手を持ってするのが合気道ではなくて、体の働きを(感じる、実践)するのが合気道」
といっておられました。
どうしても片手もち、交差、両手など、手を使う、持たれるからスタートするのが多いですから、結局「手の働き」と勘違いしているのが多いのだと思います。
「手は最後の働き」なのです。
といっておられました。
どうしても片手もち、交差、両手など、手を使う、持たれるからスタートするのが多いですから、結局「手の働き」と勘違いしているのが多いのだと思います。
「手は最後の働き」なのです。
2006年07月20日
間合いを正確に〜
師範が「間合いを正確に〜」とおっしゃってました。
間合いが正確でないと、間に合わない。
間に合うっていうのは非常に大切。
でないと全ての動作が虚しくなります。
仕事も生活も合気道もそう。
自分は間に合ってるのか?
間合いが正確でないと、間に合わない。
間に合うっていうのは非常に大切。
でないと全ての動作が虚しくなります。
仕事も生活も合気道もそう。
自分は間に合ってるのか?
2006年06月29日
おしりで動かない、腹から動く、腹から出るような気持ち。
「おしりで動かない、腹から動く、腹から出るような気持ち。」
確かにおしりを使うように動くと、腹が後ろに行き、前かがみになり、体中の筋肉郡が動く。
腹から出ると、重みが前に係り、背筋が伸び、体の力が抜けてる状態で前進できるし、
相手も良く見える。
いろんな書物読んでも、身体の力を抜くのは、中心軸、そして体幹を使わなければ、力が抜けない。
山口師範のお言葉は、非常に適切で、的を得ていると思います。
確かにおしりを使うように動くと、腹が後ろに行き、前かがみになり、体中の筋肉郡が動く。
腹から出ると、重みが前に係り、背筋が伸び、体の力が抜けてる状態で前進できるし、
相手も良く見える。
いろんな書物読んでも、身体の力を抜くのは、中心軸、そして体幹を使わなければ、力が抜けない。
山口師範のお言葉は、非常に適切で、的を得ていると思います。
2006年04月07日
圧倒的に勝つと同時に.....
「圧倒的に勝つと同時に、働かせながら勝つ。尚且つ相手の中心に座していく。」
難しいフレーズですが、厳しさ、気合い、天地そして宇宙などの言葉を全て含んでいて、的確に稽古の方向性を示してあるフレーズだと思います。
これを読むと背筋を正しますよねー。
難しいフレーズですが、厳しさ、気合い、天地そして宇宙などの言葉を全て含んでいて、的確に稽古の方向性を示してあるフレーズだと思います。
これを読むと背筋を正しますよねー。
2006年01月12日
表裏一体の位置に立つ
「表裏一体の位置に」立つ、攻める。
相手との位置の立ちかたで、一番指針なる言葉だと思います。
ここに立たないと、力を入れてしまう。
「力を入れないで楽に、正確に」
を実践するには、ここに立たないとできないのです。
そう、自分の五感ほど、不確かなものはありません。
客観的に見る目を維持しなければ、いつまでも位置取り、間合いが取れないのではないかと思います。
相手との位置の立ちかたで、一番指針なる言葉だと思います。
ここに立たないと、力を入れてしまう。
「力を入れないで楽に、正確に」
を実践するには、ここに立たないとできないのです。
そう、自分の五感ほど、不確かなものはありません。
客観的に見る目を維持しなければ、いつまでも位置取り、間合いが取れないのではないかと思います。
2005年12月12日
手は(身体、足の内、外に)添うようにして〜
「手は(身体、足の内、外に)添うようにして〜(動かす)」
手の動かす範囲は、身体から逸脱してはいけないと言うことで、身体の中心に添ってうごかすのが、一番楽で効率よいと言う事です。
「中心をしっかり」と言うことに繋がってきます。
今、これを書いていると、師範の映像が甦ります。
手の動かす範囲は、身体から逸脱してはいけないと言うことで、身体の中心に添ってうごかすのが、一番楽で効率よいと言う事です。
「中心をしっかり」と言うことに繋がってきます。
今、これを書いていると、師範の映像が甦ります。
2005年11月18日
もっとのびのびとー
「もっとのびのびとー」と言われていたのも思い出します。
投げよう投げようとして体が固まり、それが邪魔をして投げれなくなる。
気持ちを広くとか、大きくとか余裕を持ってとか、みんな同じ事ですよね。
最近、別の稽古で上記の言葉をしょっちゅう言われています。
確かに初心者では余裕が全然ないのです。
やはりやり方とか、回数、稽古数が少ないと、あせったりして余裕がなくなるのでしょう。
考えながら正確な稽古が必要です。
投げよう投げようとして体が固まり、それが邪魔をして投げれなくなる。
気持ちを広くとか、大きくとか余裕を持ってとか、みんな同じ事ですよね。
最近、別の稽古で上記の言葉をしょっちゅう言われています。
確かに初心者では余裕が全然ないのです。
やはりやり方とか、回数、稽古数が少ないと、あせったりして余裕がなくなるのでしょう。
考えながら正確な稽古が必要です。
2005年10月27日
凝解ですね
「凝解ですね」緑橋、旧光武館でのこと、たしか一教の時、私の後ろを通りながら、つぶやかれました。
あっそうかー!と思ったのを鮮明に覚えています。
言葉だけ色々覚えていたのが、技と一つになった瞬間でした。
あーもっと聞く機会を作っていれば良かった。
あっそうかー!と思ったのを鮮明に覚えています。
言葉だけ色々覚えていたのが、技と一つになった瞬間でした。
あーもっと聞く機会を作っていれば良かった。
2005年10月14日
持っても持たれても同じなんです。
「持っても、持たれても同じなんです。」
とおっしゃいました。
持ってる状態と、持たれている状態を同じにするということは、非常に思いもしなかったというか、当時はすごく衝撃的でした。
そう、゛取り゛だからとか、゛受け゛だとかじゃなく、どちらも意識的にやっていって、やっとどちらでも体の作りが同一化でき、上記の反応ができていくと思います。
やっと分かってきたような気がします。
とおっしゃいました。
持ってる状態と、持たれている状態を同じにするということは、非常に思いもしなかったというか、当時はすごく衝撃的でした。
そう、゛取り゛だからとか、゛受け゛だとかじゃなく、どちらも意識的にやっていって、やっとどちらでも体の作りが同一化でき、上記の反応ができていくと思います。
やっと分かってきたような気がします。