昨日の国会議事堂前の集会には、母(77歳)と同年代と思しきお年寄りも沢山足を運んでいらっしゃいました。
高見の見物のつもりでその場に来た私は、その方々の姿を拝見し、自分の浅はかさと自らの精神性の貧しさを感じさせられました。
国会議事堂に向かう途中、母と逸れてしまった私のバッグには母の水が。群集の中で身動きが取れなくなってしまい、母を捜すことを諦め、集会に参加する振りをしていました。でも、私の気持ちは、国政にではなく、母が熱中症などで倒れないことを祈っていました。
19:30頃、アジテーションの主導権がシールズと言う若者たちが主宰する団体に移された。その頃、私の周囲には体調不調を訴える老人がいた。
「この方だけでも、バリケードの外に出して、帰宅するルートを確保して下さい」と警官にお願いしたけれども、組織の歯車でしかない警官は、「それはできません」の一点張り。
そして、私がいた場所の周囲では、何故かシュプレヒコールの連呼が始まった。その中心には、ハンドマイクを持って絶叫している若い長髪の男性がいた。その彼に、「この状況だと主催者の演説が聞こえないし、参加している方々の安全確保が第一なので、アジテーションはやめて欲しい」と伝えた。すると、「ボクは、個人としてこの集会に参加しています。何か問題でもあるのですか?」と言った。再度、私が言わんとすることを伝えたところ、「分かりました。演説中はやめます」と私の提言を受け入れてくれた上、「支援者から、飲料水の差し入れがあります。飲みますか?」とも言われた。
昨日、一番印象的だったのは、民主党の岡田代表や日本共産党の志位委員長の演説なぞではなく、道端に座っていた老人たちの姿です。
その目は、「私たちが体験した辛い思いをあなた方にはさせないわよ」と力強く語っているように感じました。
この「声なき声」こそが、この国の宝なのではないでしょうか。
高見の見物のつもりでその場に来た私は、その方々の姿を拝見し、自分の浅はかさと自らの精神性の貧しさを感じさせられました。
国会議事堂に向かう途中、母と逸れてしまった私のバッグには母の水が。群集の中で身動きが取れなくなってしまい、母を捜すことを諦め、集会に参加する振りをしていました。でも、私の気持ちは、国政にではなく、母が熱中症などで倒れないことを祈っていました。
19:30頃、アジテーションの主導権がシールズと言う若者たちが主宰する団体に移された。その頃、私の周囲には体調不調を訴える老人がいた。
「この方だけでも、バリケードの外に出して、帰宅するルートを確保して下さい」と警官にお願いしたけれども、組織の歯車でしかない警官は、「それはできません」の一点張り。
そして、私がいた場所の周囲では、何故かシュプレヒコールの連呼が始まった。その中心には、ハンドマイクを持って絶叫している若い長髪の男性がいた。その彼に、「この状況だと主催者の演説が聞こえないし、参加している方々の安全確保が第一なので、アジテーションはやめて欲しい」と伝えた。すると、「ボクは、個人としてこの集会に参加しています。何か問題でもあるのですか?」と言った。再度、私が言わんとすることを伝えたところ、「分かりました。演説中はやめます」と私の提言を受け入れてくれた上、「支援者から、飲料水の差し入れがあります。飲みますか?」とも言われた。
昨日、一番印象的だったのは、民主党の岡田代表や日本共産党の志位委員長の演説なぞではなく、道端に座っていた老人たちの姿です。
その目は、「私たちが体験した辛い思いをあなた方にはさせないわよ」と力強く語っているように感じました。
この「声なき声」こそが、この国の宝なのではないでしょうか。