所感

2015年05月01日

格差というものが問題として取り上げられて久しい感じがします。これまで貧困といえば途上国にのみ起きる事象で、先進国で起こることは無いだろうと信仰されてきました。けれど、実際には日本でもアメリカでもそれ以外の様々な国で貧困は発生してきています。これは別に不思議なことでもなんでもなくて必然であるように自分には感じられます。

資本主義の構造上貧困は無くならない。経済屋は大抵の場合近視眼あるいは視野狭窄なので、資本主義というと経済活動を自由化するか否かとかそういう方向にすぐに話を持っていく傾向がありますが、資本主義が抱える問題の本質はそこではありません。経済屋が実態をつかむ能力を持っているのであれば、ここまでに至る以前に何らか根本対策を打っているでしょう。それが出来ていないことが、無能な集団であるということを実証しています。

資本主義というのは錬金術では無いってことです。無から有を作り出すということは出来ないのが原則です。出来ることは見かけ上の価値を引き上げるという行為だけです。だから配布の手法を変化させたところで問題は解決しません。原料を加工すると高い製品が出来上がるというのが一番単純な価値の引き上げ原理ですが、それはあくまでも見せかけなので思ったように成立するとは限りません。

例えば、最近の例ですと、液晶テレビなんてのがありました。テレビは今時1家庭に複数台あって当たり前の機器で、ブラウン管のテレビは行き付いてしまって利益が出せない。けれど、液晶なら20万だの30万だのという値段を付けてもまだまだ売れるという市場がある。とこぞって各社製品を投入しましたが、あっという間に値段は数分の一まで下落しました。今ではその値段ですら売れなくて国内メーカーは撤退なんてことになってます。パソコンだってそうだし、スマホだって同じようなものでしょう。結局見かけ上の価値なんてものはすぐにサチュレーションを起こします。世界全体が貧しかった頃はその速度は遅かったですが、現在では物凄いスピードで進行しますので、数年もあればサチってしまいます。

資本主義は自転車操業で動いている仕組みですから、バランスを崩せば即座に破綻というリスクを常に負っています。価値そのものを市場に委ねてしまうことで産業に柔軟性を持たせることは出来ましたが、同時に不安定な土台の上に楼閣を構築することになりました。きっちりとした価値の上澄みが担保出来ないという状況になってしまっています。 価値=金という図式を過剰に追求してしまった結果相対的に生産力が不確定になっています。

価値の大衆化が大きな要因です。売れているもの=良いものという価値観が蔓延してしまった。、流行を追いかけるなんてのが普通に行われている状況になってしまっています。本当の価値とは何かというのを追求することをしなくなって久しいです。少なくとも生活水準が困らない程度以上になった時点で、価値基準の策定手段を修正するべきだったんだと思いますが、それをしなかった為に売れれば正義的な価値観が根付いてしまいました。様々な製品は消耗品と化します。消耗品に十分に高い価値を付加することは難しいくなります。完全に悪循環してしまっています。

付加価値が付きづらいとなると、どこかから価値を搾取して、それに利ザヤをのせて転売するという産業の基本を効率化するしかありません。搾取する先がこれまで途上国メインであったから途上国で貧困が起きてきたのですが、徐々に途上国と呼べなくなってくるまで成長すれば搾取できる量は減る訳で、他から搾取するしかなくなってきます。すると国内からも搾取するというようになってきて、それが顕在化してきたから先進国でも貧困が見られるようになってきたということでしょう。資本を移動させているだけだからどこかが豊めばどこかが貧しくなるというのは道理な訳です

成長が確約されている内は先食いで多めに還元することもできたでしょうが、それが怪しくなればかさ上げされた分以上の還元はされなくなります。だから現象として収入が少なくなって貧困が発生するようになる。じゃあ結果平等的に富を分散すればいいんじゃね?なんて馬鹿な妄想をする奴もいるようですが、そんなことをすれば、巨大資本に丸ごと飲み込まれることでしょう。価値の設定を市場に委ねてしまっている限りそこから抜け出すことは出来ません。資本を可能な限り集中させなければ、見かけ上のかさ上げすら難しくなる。

安く仕入れて
安く作り
高く売る

これが高い利益を上げる方法ですが、安く仕入れることが難しくなり、高く売ることが難しくなった。だから安く作るに一番力が入ることになります。最低賃金が上がらないのも、運送業が火の車なのもそれが理由。実際に手足を動かす労働の賃金が低いのは、それをいくらやっても価値を生み出せないからに他なりません。無理して安く作ることを規制すれば、今度は企業自体が疲弊していくことになります。二進も三進もな状態です。

これらの問題を打開する方法はそう簡単ではありません。とりあえずというなら一番手っ取り早いのはどこかの国を焼野原にしてしまうことでしょう。適当に悪をでっち上げて攻撃し途上国以下に叩き落としてしまい、そこから再搾取するのが最も簡単です。実際幾つかの国は過去そうやって経済をつなげて来ているし、日本でも有権者が愛してやまない愛国精神豊かな政治屋も意識してかどうかは知りませんが、それを実行しようとしているように見えます。国内で解決することが無理なんだから自分より弱い相手を見つけてそこにババを押し付けてしまうというのは簡単な解決法です。

それが本当に実現可能か否かは問題じゃありません。実現できると思う政治屋が居て、国民の支持を一定数以上得てしまえばそれでいいのです。実行した後どんな結果になろうと誰も責任を負わないというのが近代民主主義の素晴らしい特徴です。効果が短期で見込めて判り易いので恐らく一定以上の賛同は容易に得られることでしょう。

後は大義名分だけですが、情弱育成が順調に進んでいますから、意識操作もそれほど難しいことではないでしょう。記者会見一発で絶対的な敵を作成するのも現状なら可能なんじゃないかと思えます。相手の都合なんかお構いなしに表面だけ繕ってやれば全国民の敵なんて簡単に作り上げることが出来ます。某帝国が既に実証済です。

様々な状況が戦前に近づいて行っています。ひょっとしたら自分たちもより強い相手から搾取される側に回されるかもしれないとは考えられないんでしょうね。ほんの何十年が前にあった悲惨な事実も理解できていません。本当にビバ民主主義です。まぁそうならなくても経済のグローバル化が進むことで格差は益々広がっていくしかなくなるでしょう。嫌がったところで黒船には逆らえないというのは今も昔も変わりません。ちなみにグローバル化を進めてもやはり資本の移動が起きるだけなので、再編成する間の延命は出来ると思いますが、結局価値観のリビルドが出来ない限りすぐに収束に向かうでしょう。その時の最下層の悲惨さは現在を遥かに超えていると思います。

本質的に解決するとなると世界を再構築するレベルのパラダイムシフトが必要になると思います。全世界が全滅寸前まで崩壊するとかそういうカタストロフィがいるかもしれません。アメリカとEU、ロシアに中国が同時破綻とかすれば変わるかもしれませんね。細々と延命措置を取っている間に病状は益々悪化していくことでしょう。手の施しようが無いという状態まであと少しあるいはすでにそうなっているかもしれません。栄枯盛衰とはまさにって感じですかね。そういう意味では今だけ楽しければそれがサイコー、将来なんか知ったこっちゃないって刹那的に生きるのは無責任ではありますが正解なのかもしれません。

マイルドヤンキーなんて言葉が作られたようです。低所得ながらもQOLが高いなんて言われてますが、彼らのやり方が長く続くはずはありません。何せパラサイト前提で下手すれば将来的には子供たちにまでたかろうという目論見になっていますから酷いもんです。子供が自分達と同じ選択をした時に、自分の親と同様の援助ができるかといえば出来ないでしょう。長くもったとしても三代、はやければ当代で消滅するような愚かな選択をしているあるいは甘んじている連中が無視できない数で存在しています。

しかも彼らは保守的だというのだからこれはもう悪いジョークにしか思えません。キーワードが「絆」「家族」「仲間」らしいですから排他主義丸出しで大爆笑です。ヤンキーは馬鹿だったとしても反社会性という正常な感覚を持っていたように思えますが、マイルドになってついに感覚まで馬鹿に成り下がったかという印象です。滅んでいくのは必然ですね。散々搾取された挙句ポイ捨てが関の山でしょう。自業自得だと思います。当面のサバイバル手段としては悪くないとしても、それを肯定し目的化してしまえば単なる奴隷です。日本もここまで行き付いたかと愕然としてしまいます。

資本主義という仕組みが先進国に生まれたというだけで一定以上の生活を保障してくれるという幻想は完全に崩れました。これからは国籍や人種は関係なく弱肉強食が強化されていくでしょう。マイルドヤンキーよりも有能な途上国の人間はいくらでもいるでしょう。いずれ中国やらインドやらの下層労働者かそれ以下の扱いを受けることになる。それはそう遠くないかもれません。アベみたいな奴をありがたがっているとそれが加速されていくことでしょう。馬鹿につける薬は残念ながらまだ発見されていません。とりあえず自分が生きている間なんとかもってくれれば後は野となれ山となれかもなと思っています。

※ 徴兵制復活とかさせてゆとり辺りが大量に戦死したりすれば日本が変わるチャンスかもれない


(23:14)

2015年02月11日

自転車の運転が酷い。以前にも書いたけれど、改善されるどころか悪化している。所謂ママチャリや学生が以前は最悪だったけれど、今はそれらが可愛らしく感じられるようになってきました。MTBやらクロスやらロードやらのスポーツ系のチャリがそれにも増して酷いからです。スポーツ度が増すにしたがって悪くなり、ロードに至ると限界を超えてます。極々々一部にはマナーの良い運転者も居るようですが、ほとんど全ての連中は劣悪です。大体スポーツ仕様の車両で公道走るなって感じです。

基本的に自転車を車両とすることに無理があります。歩道を走れないような構造のロードは欠陥車なので、走行禁止にするべきでしょう。原付ですら30km/h制限がかけられているのに、あんな適当な乗り物に速度制限が無いとか異常です。もちろん法律上どうこうというのは理由になりません。法律が完全無欠に正しいなんて、信仰があれば空だって飛べると言ってるに等しいです。法律がなんと言おうが悪は悪でしかありません。当然外国だとどうこうも無意味な主張です。自転車の取るべき道は二つ。今迄通り歩行者のオプションとしてのポジションで行くか、車両として行くかです。

歩行者として行くなら、当然車道走行は原則禁止。クロスやロードバイクの販売、使用も禁止です。その代り車両からは保護されます。逆に歩行者は保護しないといけません。危険な追い抜きやベルなどでの威圧行為は厳禁です。個人的にはこちらを採用するのが適切だと思います。歩道が狭い? なら降りて押して歩けばいいんじゃね?

嫌なら自転車など乗らなければいいのです。自転車は現在の交通社会でほぼ唯一なくても大きな問題にならないという稀有な乗り物です。どのような理屈をこねたところで、一人乗りで大した荷物も積めず長距離走行が中途半端に苦手なスポーツ系自転車は最も有用性が低い乗り物です。自転車のために自転車以外を規制するなら、自転車を徹底的に規制するべきでしょう。スポーツ系は公道走行禁止にするのがもっとも適切です。諦めて競技場で走らせてください。

じゃあ車両扱いにするというなら、免許制度、登録制度、強制保険制度、原付と同等の安全装備(ミラー、ウィンカー、ブレーキランプ、高照度の前照灯、安全基準を満たしたヘルメットの装着等)の義務化これが絶対条件です。つまりモペッドと同等にすればいいってことです。一つでも欠けているようなものを車両とは認められません。繰り返しますが、法律の問題ではないです。法律は不完全なものであるというのは前提です。当然 ある程度以上の大きさのバッテリーを搭載する必要があるでしょう。免許がある以上、取り締まりや違反金、罰金、免停、免取りもあります。登録がありますから税金が発生します。当たり前です。車両ですから。でもそれらに賛成する自転車乗りを見たことがありません。偉そうなことを言っても奴らの化けの皮も薄っぺらいって感じです。本当に自転車の地位向上を目指すなら積極的に免許制を推進すれば良いと思うんですけど、そうはしない。あららって感じです。

ちなみWikipediaのモペッドの項にこんな記載があります。
----------
日本の公道で運用するためには、国土交通省が定める道路運送車両の車両保安基準に基づき、以下の部品を装備することが義務づけられている。

前照灯(ヘッドライト)
警音器(クラクション)
後部反射器(赤色)
番号灯(ナンバープレートランプ)
後写鏡(バックミラー)
速度計(スピードメーター)
尾灯・制動灯(テールランプおよびブレーキランプ)
方向指示器(ウインカー)

このうち、速度計と尾灯・制動灯、方向指示器については、構造により平地での最高速度が20km未満となる車両については義務とはならない。
----------
この発想をまんま自転車にも採用すればいいんですよ。簡単なことです。そうすれば、不要なスポーツ系チャリだけを排除することができるでしょう。

自転車を支持する連中の話を聞くと、良いとこどりしかしていない聞くに値しない意見ばかりです。権利を得よう(あるいは行使しよう)と思うなら責任を果たす。責任を回避したいなら権利を放棄する。こんな当たり前なことすら理解していない連中が乗っているから自転車はあれほど酷い運転を平然とするのでしょう。気持ち程度のライトを付けるとか、手で合図を出すとか馬鹿かと。緊急時ならともかく手で合図するからウィンカー要らないよねって自動二輪や車は存在してないのが何故か考えてから物を言ってほしいですね。現時点でスポーツ系のチャリを平然と車道で走らせている奴は屑と断定できます。車道を走る自転車はぶつけても、その結果死亡しても罪にならない。遺族に車の修理代を請求できるってことにするのも一つの手だと思うね。


(22:41)

2013年01月06日

正月早々酷い歯痛に悩まされて三が日は寝たきり。4日に朝一で歯医者に行って神経を抜いてもらったものの腫れが完全に引かず引き籠り状態。ってことで、更新もサボっていました。とは言え、明日からは仕事なので、今日からボチボチペースを戻しつつと思っています。

大変遅ればせながら、明けましておめでとうございます。


(23:55)

2012年09月03日

東北の地震以降なのかどうか定かではありませんが、自転車が増えてきたように感じられます。エコとか言うなら歩けよって感じです。その癖駅の近くの路上に堂々と駐車して電車に乗ったり、会社のそばの標識にチェーンで繋いでいたりするのですから、フザケンナって感じです。基本的に自転車はウザいので、全面禁止が適切だと思っています。特にロードレーサーと呼ばれるタイプは超が付くウザさで、即時利用禁止にしても良い位です。

何がってあれは段差のある道を走行するというのを前提に設計されていないらしく、歩道を走りたがらない。下手するとその程度でパンクするという欠陥製品らしい。そのくせ速度だけはそこらの原付以上に出たりする。車両と言う意識が変にあったりするので堂々と車道の真ん中を走ってたりもする。団体でぞろぞろと走ることがあるのもこれまたウザい。集団になるとトンでもを平気でやらかすというのは、自転車に限らずで、群れているやつの無責任度合いは殺意を覚える程です。

ネットでちょっと検索してみると判るけれど、自転車は軽車両であるから車道を走るのは当然で、歩道を走れるなんて法律の方が歪んでいるとかのたまったりします。もし、自転車を含む軽車両が車両だって言いたいなら、少なくとも原付と同等の基準、つまりブレーキランプ、ウィンカー、十分な明るさの前照灯、ナンバーによる登録、強制保険の加入、免許制等々。すべてクリアしてから言ってほしい。出来てないのなら、車両だと主張するな。ママチャリと同じレベルで走って欲しい。なんだかんだでママチャリなんかは遠慮がちに走っているから許されている訳で、条件をクリアできず無責任な状態で車両を名乗るなんてトンでもないです。

純粋にマナーという意味では見る限り高校生が最悪で、それに比べればロードレーサーの方がマシだと思います。が、邪魔度合いでは圧倒的にロードレーサーです。責任を果たせてない内から権利だけ主張したり、そもそも論を振りかざすというのも気に入りません。世界の国々がどうであろうが、それが正しさの保証にはならないなんてのは当然のことで、その点を鑑みない連中のお粗末さは呆れかえります。

奴らの態度はまさしく「弱者であることに胡坐をかく」の典型です。厳しく行動を制限するべきでしょう。自転車は(あるいは軽車両はでもいい)歩道のみ走行可として、相手は常に歩行者で自転車よりさらに弱い立場で、相手がふざけた歩行者でも事故を起こせば無条件に自転車に賠償責任って状態にするのが適切でしょう。段差だらけの歩道でノロノロ歩く歩行者の後ろを付いていけばいいんじゃないでしょうか。彼らが他の車両にそうしろと言っていることなんだから、当然自分達は出来るんでしょう。

歩道を走るとしてもトンでもな運転をする奴は一定数以上出てくるんでしょう。実際今でも何も考えていないとしか思えない運転で歩道を走る自転車は数えきれない程存在しています。まぁそれでも車道に飛び出すとかを考えれば、死傷者数はその方が減るでしょう。馬鹿保護の観点からも自転車の車道走行は禁止が望ましいです。けどやっぱり自転車そのものを全面禁止にしてしまうのが一番なんでしょうね。少なくとも都市圏では自転車なんて中途半端な乗り物は必要だと思いませんし。


(14:43)

2011年04月08日

たけしがやってるニッポンのミカタを見てる。オンエアーを見るのは珍しいんだけど、久しぶりに見ました。で、見ながら、「馬鹿だからだろ」と「死ねばいいのに」と繰り返し思いました。つい口をつくこともしばしば。

解決については、そんな単純じゃねーよってのが多かったですね。馬鹿だからの方が余程説得力がある話が多かったように思えます。まぁ流石にそう放送することは出来ないでしょうが。

結局、考えないで依存する。イメージや感情を先行させる。実質的な意味を理解しようとしない。刹那的なメリットに過剰に反応する。などなどと言った連中が堂々と幅を利かせてかつ増殖しているというのが原因でしょう。勿論そういう連中を馬鹿と呼びます。

まぁそういう人達に一定の権限を持ったように感じさせて、その癖権威に従属させて奴隷として扱うというのがこの国の為政者の方針なんで、国家戦略の勝利と言えます。しかしそれって自分の足を食ってるのと同じで、悪い循環を生むというのは当然です。

今をどう乗り切るか? そういう馬鹿を切り捨てるというのが一番な方法。というか、それ以外で解決する策があるなら是非お聞かせ願いたいものです。「みんなで協力して」的な風潮が強いですが、それってみんなで不幸になる。みんなが馬鹿になる。みんなが愚かになると同義です。

一人一人が力を合わせることが大事なんじゃなくて、一人でも乗り切れる人間を増やすのが重要です。力を合わせるというと美徳のように思われがちですが、馬鹿同士が傷を嘗めあっているだけのように思えます。感覚として楽で綺麗ならば良いんだって流されると破滅に向かうだけでしょう。


(22:53)

2011年02月17日

毎回毎回興味深い犯人が出てくるんですが、猟奇的な話が多いが為にどうしてもキ印というのが多い。勿論キ印に自由を与えるなんて何をされても文句を言うなという感じですが、ですが、今回の話はそれとはちょっと違う。その点が興味深かった。

この世の中で一番生きる価値が無いのは、自己責任能力が欠如している輩、そして徒党を組みたがる連中。それを端的に表しています。表現上チンピラというような描き方がされていますが、実際にはそうではなくて、所謂大衆という連中は似たもの同士です。

自己責任能力が欠如しているから、何をしても問題無いと思ってる。自分の境遇を社会の責任だとか周囲の責任だとか考える。一人では何も出来ないから群れを組みたがる。群れると傍若無人ぶりがエスカレートする。酷い話です。

問題はそういう連中でも自由を与えるという社会体制こそが正義だと思われているという現実。無責任な連中に与えるべきなのは明確なのに、無条件に生物学上の人間であると言うだけで自由が保証される。そんなことをしていれば、こういう凶悪な犯罪や社会の退廃が起こるのは必然でしょう。そして、そういう連中が一定以上の数を越えた途端にその状況を解決出来ないというのが近代民主制の最大の問題点。

恐らく世界で最も進んだ民主制を精度として持っているのに、市民の民度が日本と同じかそれ以上に低いが為にアメリカという国は酷い状況になっています。そろそろ近代民主制の限界というのを理解して、自らの権利を放棄するという事をしない限り、この悪循環は止まる事はないでしょう。

某国では独裁者が酷いことをしたとされ、追い出されましたが、その行為の責任を明確に出来るという点において独裁制の方が近代民主制より遥にマシです。同じくらいの無駄遣いをされているこの国では誰か責任を取ったでしょうか。それどころか誰にも追求することさえ出来ません。だから変えることも出来ない。

経緯だけを見て民主制は素晴らしいと考えるのは愚かしい行為です。結果まで見れば果たしてどっちが好ましいのか容易に結論を出す事は出来ないんじゃないかと思います。


(22:39)

2011年01月02日

特番二日目はとんねるずのスポーツ王。なんか一日一番組位しかないなぁ。まぁ長いからそれでもいいのかもしれませんが。まぁゲストも豪華な感じはするし、そういう意味ではお正月って感じはしますが、けど正月らしい番組って本当に無くなっちゃいましたね。いや、見ていないだけなのかもしれないけど。

何れにしてもこういう番組を見るのって正月位しかないですから、結構楽しめます。
しかし、CMは多いわ長いわってことで録画じゃないととても見る気にならないですね。それでCM飛ばされていたんじゃ意味なしだと思うんですが、本気で懲りないですね。


(23:58)

2011年01月01日

新年恒例の格付け見ました。味系とかは見ていてもサッパリ判らないんですが、試せるのはとりあえず音感。これだけは毎年毎年テレビだけでも完璧に判る内容です。生で聞いていたら益々判るんじゃないのかという気がしますが、はずす人も毎年居るんですねぇ。

そして、悲しいかな難しいのが演出。これ判らんわぁ。っていうか、プロの監督でも間違えるんだから仕方ないのかもしれません。それにしても食い物とか判らないもんなんだなぁ。素材云々と言っても、味付けの問題もあるしなぁ。

テレビ的には4組消えて、仲間爆弾爆発の方が楽しいと思うんですが、そうならなかったのはちょっと残念。なんか予選の方が重くなってしまっているようで、そこが気持ち悪いです。いい加減飽きも来ているのかもしれないので、何か新要素が欲しい所かもしれません。


(22:39)

2010年09月09日

たばこが値上がりするそうなので、買いだめしようかと思っています。今回はとりあえず1000円とか異常な値段にはならず100円ちょいアップなので、個人的には致命傷ではないのですが、その値上げ分が、店に行く訳でもメーカーに行く訳でもなく役所に行くと思うと1円でも少なくするのが世の中の為だと思うので、まとめ買いするつもりです。選挙なんかに行くよりもよほど世の中の役に立つ行動でしょう。

で、禁煙ファシズムは今現在も順調に進行中です。ちょっと検索すれば判るんですが、たばこが健康に被害を与えることは事実。という書き方をしている人の多いこと多いこと。はて、学術的に有意性のある証明というのは未だかつて見たことが無いんだが、どこかで発表されたんだろうか? あるならぜひ紹介して欲しいものです。興味深いですから。役所が言ってるとか、公共機関が言ってるとか、メーカーが言ってるとか、医者が言ってるとか全部証明になんかならないし、訳のわからない統計が幾つあろうが何の根拠にもならないなんてのは当然です。

にも関わらず、あたかも事実であるように語られる。あくまでも可能性が考えられるという域を出て居ないはずなんですがね。するとね、たばこが健康に影響が無いことを証明しろとか言い出す大間抜けまで出てくる。じゃあ、お前が悪魔じゃないことを証明して見せろってことだわな。

健康を云々言うなら酒なんて、それが理由で一体何人の人間が事件や事故に巻き込まれていると思ってるんでしょうね。かなりの人間がそれこそ命を落としているはずです。酔っ払いが原因の車や列車の事故だけで年間何件起きてるか認識あるんでしょうか。人の命が大事だと主張するなら、まず酒を禁止するべきだろ。

それから車やバイクね。商用車はともかく、レジャーなんてものの為にガソリン燃やして排気ガス垂れ流して、高速が安くなったって渋滞かましているわけだ。それの健康被害はどうしてくれるんだろうね。しかも、それだけじゃなくて、一体何人の人達がそれで命を落としていると思っているんでしょうか。もう可能性とかじゃなくて純然たる事実ですよ。遊びに行くために車に乗るなんて全面的に禁止するのがいいだろうね。

でもそういうことを言う奴はほとんど居ない。それは何故か。結局自分の頭で考えて居ないからですよ。周りの雰囲気に感化されて悪者を見つけて集団リンチしているだけ。もうテロリスト以下の行為ですよ。さらに気分が悪いのは、自分達は良いことを主張しているという感覚で奴らが居る事。正義の押し売り程迷惑なものはありません。まさしくファシズム、ナチズムと同じ発想で成立しています。

って、そういうとヒステリックな反応を示すんだろうなぁ(笑) なんせ自分達は正義で、ファシズムは、喫煙は悪であるというシンプルな考えで生きている幸せな愚か者達なんでしょうから。もう、生かしておく意味も見つけられませんね。いやホント。


(11:26)

2010年07月09日

選挙に行かない。というと無責任だというアホが大量に湧きます。参加しないことを無責任というなら、参加したことによる責任はどう取ってくれるんだ? って言いたくなるんですが、選挙に行きさえすればその結果には無責任で居ることはどうやら平気らしいです(爆) そりゃあ数カ月で内閣支持率が二桁も動くわなって納得することしきりです。

棄権も白票も意味が無い。ちゃんと選択してマシと思えるところに入れるべきだとか訳わからんこと言ってる間抜けも居ます。真に受けた真面目な人が多すぎて、万一共産党辺りの弱小野党が第一党にでもなってしまった時に、あんたら責任取れるんだろうね。こういうことを平気で言える奴の無責任ぶり厚顔ぶりには本当に開いた口が塞がりません。っていうかね、そういう奴って自分がマジョリティだっていう確信があるんだろうな。だからこういうことを平気で言える。どうせそんな票は数が集まらないだろうという判断が裏に入っていること見え見えです。少数意見なんて多数派に対する牽制程度に使えれば良いとそう考えているからこういうことが言えるんでしょう。あー嫌だ嫌だ。胸糞が悪くなる傲慢な考え方ですね。

近代民主制の政治屋にとって深刻なダメージを与えるには、対外的に誰がどう見てもこの国の民主制度は崩壊していると理解できる数字を残すことですよ。投票率が1割切った国政選挙が何度か続けば、どんなに強弁したとしても選挙制度の見直しをせざるを得ないと思いますよ。なんだかんだ言っても投票率が4割とか5割とかある内は、民主的手続きを経て承認されたという名分(手続的正義に依る権威の確立)が成立しますからね。そういう言い訳をさせない。制度自体にコミットしないということが重要なファクターな訳です。

そもそもになりますが、考えてみてください。貴方の意見が多数派なら投票になんか行っても行かなくても貴方の意見は採用されます。同時に貴方の意見が少数派なら投票に行っても行かなくても貴方の意見は採用されません。それが数の暴力、多数決というものです。白と黒だけじゃなくて中間だってあるだろって? それで当選した少数派政党が日和って巨大政党と連立。これまでの主義主張はかなぐり捨てて連立ってのをこれまでに何回も見ましたがね。牛歩?そんなもの決定がやや遅れる程度で、所詮決定打にはならないですよね。だって、数こそ正義というのが大前提におかれているんですから、1票でも多ければ結局勝ち、逆に1票でも少なければ負けってことなんですよ。

政治なんて真面目に考えるだけ損です。何故なら大多数の有権者とやらは真面目に政治なんて考えていませんからね。統計的な意味での平均以上に真面目に頑張ったところで馬鹿を見るだけ。それが近代民主制という制度ですよ。まして無記名無責任で政治参加した気になれる訳ですから、真面目になんか考える方が愚か者ってことです。スポーツとかの国際大会の時にだけにわかナショナリストになっているアホ丸出しの連中に何を言っても無駄ってのと同じです。選挙も祭か何かと勘違いしているだけですからね。悲しい限りですが。

その辺を踏まえて現在の選挙というものがどういうものかもう一度冷静に考えてみましょう。サイコロを振って誰に投票するか決めても結果は同じようなもんです。なら誰かが代表でサイコロを振れば十字軍みたいにぞろぞろ投票所まで出向かなくても同じ確率で同じ決定をすることが出来るでしょう。真面目に考えない連中の投票で当選者を決めるなんてその程度のギャンブルと確率的に変わりません。

じゃあ、有権者の大半が真面目に政治を考えて、判断できるだけの知識も有したら?はい、彼らに任せておけば自分が投票に行っても行かなくても適切な判断がされるってことですね。それが近代民主制のジレンマなんですよ。統計的平均値の人(達)の独裁。良く言っても全体主義。それが近代民主制の正体ってことです。みんなが投票で政治参加している気分にさせられているかもしれませんが、その実はその程度のことしか出来ていないってことですよ。そんなものに踊らされて馬鹿丸出しですね。

政治結果に対する責任の所在が曖昧である。その一点だけで僕は近代民主制は賛同に値しないと確実に判断できます。そして予言しましょう。今回の選挙の結果で日本の状況が良くなるということは無いでしょう。近代民主制とその根本となっている資本主義という社会制度に限界が来ているのですから、その上で何をやったところで大きな変化起るはずがありません。茶番以下の自慰行動でしかないでしょう。


(18:19)