――小川一乗『大乗仏教の基本思想』98頁〜――
……仏教というのは、あくまでも現在に立ち、現在からものを
見るのです。ですから、自分のただいまの行為の中に自分の過
去を見ます。したがって、それは過去世が前提となって現在世
があるというのではないのです。あくまでも自分の現在の行為
の中に過去と見るということであり、しかもそれは、単なる一
世代先の過去世ではないでしょう。もっと言えば、単なる過去
世ではなくして、無始曠劫を経た過去を見るわけでしょう。先
の世で悪いことをしたから、善いことをしたからという、そん
な短絡的な発想ではなく、自分のただいまの行為の中に自分の
無限の過去を感得していく。そういう見方が釈尊の佛教の基本
であり、仏教における業の基本なのです。
流転の自分を見ていく場合に、すぐに私たちは、過去世があっ
て現在世があると実体的に考えるけれども、過去世があるかな
いかとかは関係がないのです。現在という一点に立って自己を
省察していくときに、自分の業の流れを現在に立って感得して
いくという、その一点こそが重要であると思うのです。そして
それこそが釈尊の因果論なのです。
…後略…
―――――――――――――――――――――――――
「自分のただいまの行為の中に自分の無限の過去を感得していく」
現在という一点に立って―――――南無観世音菩薩!
……仏教というのは、あくまでも現在に立ち、現在からものを
見るのです。ですから、自分のただいまの行為の中に自分の過
去を見ます。したがって、それは過去世が前提となって現在世
があるというのではないのです。あくまでも自分の現在の行為
の中に過去と見るということであり、しかもそれは、単なる一
世代先の過去世ではないでしょう。もっと言えば、単なる過去
世ではなくして、無始曠劫を経た過去を見るわけでしょう。先
の世で悪いことをしたから、善いことをしたからという、そん
な短絡的な発想ではなく、自分のただいまの行為の中に自分の
無限の過去を感得していく。そういう見方が釈尊の佛教の基本
であり、仏教における業の基本なのです。
流転の自分を見ていく場合に、すぐに私たちは、過去世があっ
て現在世があると実体的に考えるけれども、過去世があるかな
いかとかは関係がないのです。現在という一点に立って自己を
省察していくときに、自分の業の流れを現在に立って感得して
いくという、その一点こそが重要であると思うのです。そして
それこそが釈尊の因果論なのです。
…後略…
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「自分のただいまの行為の中に自分の無限の過去を感得していく」
現在という一点に立って―――――南無観世音菩薩!