仏教の基本的主題は「苦からの脱却」である。
仏教では、現実の社会は苦に満ちたもので、その苦の根本原因は「無知」であるという。
自己と世界を正しく認識しないから、物事に対する誤った執着や煩悩が生れ、そこからさらに迷い、
苦しみが生れる。
それらから脱却するためには、自己と世界の真実のありようを正しく体得することが不可欠となる。
釈尊は、その真理の体得者である。

釈尊の体得した真理とは、それに続く者たちに、唯一絶対の教義として押し付けられるようなもの
ではなく、経典のどこを読んでも、釈尊が菩提樹の下で瞑想して得た真理そのものついて叙述する
ものは見当たらない。四諦八正道という「正道」があるだけである。

正道を歩む過程において真理は立ち現れ、正道の過程において体得するものなのだろう。
真理とは一人一人が主体的に真理を探究する過程において立ち現れる。
だから釈尊は、「修行者は、人を頼りとしてはならない。自分自身を頼りとするように」と「法燈明
自燈明」を説かれた。

しかして、仏教には聖典はない。
どんな経典を探求するにせよ、真理は、その経典の探究の過程において立ち現れる。
どんな行を探求するにせよ、真理は、その行の探求の過程に立ち現れる。

故に、どんな経典や行を選択するにせよ。
一人一人が主体的に追い求める過程のおいて立ち現れるということが真理なのだろう。

真理を、主体的に追い求める者に幸あれ!