〈不可分・不可同・不可逆〉という言葉に出会ったのは竹村牧男先生の書物からであった。これはキリスト者滝沢克巳の言われたことだという。
要は、「神」と「人」とは、区別することはできる(不可同)が、切り離すことはできない(不可分)、そして、あくまで「神」が先で「人」は後という秩序は逆にできない(不可逆)、というのである。
これを聞いたとき私は、龍樹の否定即肯定という「即」の哲学が重なった、というより、〈不可分・不可同・不可逆〉の出会いによって「即の真理」が開けていったようである。

〈不可分・不可同・不可逆〉とは「他力のみ」ということでもあるのだが、「他力」は余りにも手垢が付き過ぎてその本来の意を失っている。そして西田の「逆対応」とか大拙の「即非の論理」とかは、禅に傾きすぎていて私には馴染めなかったが、観音信心に賭けている身としたら〈不可分・不可同・不可逆〉が身心に染みていったのである。

仏教の基本は「世間虚仮・唯仏是真」につきると思うが、世間と仏は別々にあるのではなく、それは「即」関係にあるとするのが「即」という空の論理ある。「世間虚仮」即「唯仏是真」である。そしてこの即の関係が〈不可分・不可同・不可逆〉という具体的分析で明確になってくるのである。

これを「生死と涅槃」「煩悩と菩提」「穢土と浄土」等に置きかえてもいいだろう。これらがすべて〈不可分・不可同・不可逆〉なのであり、これは即という空の論理でもある。

私はこの真諦を観世音菩薩と呼んでいるが、この観世音菩薩と私(仮我)の関係こそ〈不可分・不可同・不可逆〉のである。そしてあくまで「不可逆」、照らされ生かされいるである。いつでも照らされ生かされいるから「これでいいのだ!」と言えるのである。そして私は天才バカボンのパパが好きになった。

〈不可分・不可同・不可逆〉だから「これでいいのだ!」

      静かに―――南無観世音菩薩。