仏教経典のすべては釈尊入滅後、何世紀もかけて仏弟子たちに
よって書かれたものであり、そこのインドの社会風土の思想や、
釈尊の考え以外の仏弟子たちに思想が多く紛れ込んでいるとい
うことに心する必要があるという。

そんな中で、『スッタニパータ』は『ダンマパダ』と並び仏教
最古の教典と言われる。殊に文献学上は『スッタニパータ』が
古層と最古層の分かれる中で、第四章・第五章が最も古く釈尊
の直説を最も残したものと言われる。

私はその『スッタニパータ』を参学しているが、最古層と言わ
れる第四章・第五章を読むとき、中村元博士が言われた「釈尊
は仏教を説いていなかった」という意味が理解される。そして
並川孝儀先生も指摘してように、釈尊の説法の目的は「今ここ」
の実践的態度を強調することにあったということである。

過去や未来の存在を否定したわけではないが、それらの思いは
妄執や苦しみだけを生み、苦しみの原因となる煩悩を生滅せる
には妨げであると考えからであると言うことである。

過去世のこだわり、来世のこだわりこそ煩悩であり苦しみとい
うことだろう。だからこそ「現法涅槃」(1087・1095)を説き、
涅槃の境地を「現在において」体得し、「世間にいながら」執
着を乗り越えると強調される。

これは大乗の「生死即涅槃」ではないのか。大乗は釈尊の原点
に帰ったのだと思う。

涅槃照らされて今ここにある――法灯明・自灯明。