2007年06月

2007年06月29日

相対性理論

 近隣同士の小中学校のPTA本部役員と校長先生が一堂に会して、情報を交換したり、子どもたちのための活動をより円滑にすすめるため、親睦をふかめたりする協議会を開催しているところは結構多いかと思います。そんな会を、私どものPTAの場合は、小学校2校と中学校1校で幹事を持ち回りで、各校の総会が終わった6月に毎年開催しております。今年度は本校が担当幹事校でした。会場設営やらホスト・ホステス役でかなり気を遣いますが、無事に終わってホッとしております。当日は、一通りの各校からの連絡・報告事項やら自己紹介が終わると、どちらかというとこちらがメインでしょうか?アルコール付の懇親会になります。そこでアインシュタインもビックリの発見をしました。私は宴会となると、たいてい人より酔っ払うのが常です。ところが今年から、PTA関係の飲み会では異変がおきています。今年から本部役員に入っていただいたNさんが、私よりはるかに先に酔っ払うもんで、私がいまひとつ酔っ払えなくなりました。この現象を『宴会の相対性理論』と名付けました。このNさん、「よっぱらいの基本形」「教科書どおりのよっぱらい」という感じで、誰もついていけません。それでいて、的を得たことも言っていただけるのでたよりにしています。先日も、秋に予定のPTA主催のコンサートで、私が人集めに苦心していると、(600人以上入る会場ですので最低でも400人は集めたいと…)、「そんなの本当に好きな人だけ来てもらえればいいじゃないっすか―会場なんか無理にいっぱいにしなくてもいいじゃないっすか―」と、まさに目からうろこ、本当にそうだなと思いました。

 宴会というと、波乗りの仲間との飲み会も当時(20数年前)は年に2,3回くらいやってました。若い頃は、みんな酒が好きなのではなく、雰囲気が好きなだけでしたので回数も少なかったです。結構無茶な飲み方をしていまして、1次会はだいたいどこかの座敷でやりまして、ビールの空き瓶が座敷をぐるっと1周するとお開き、2次会はカラオケスナックというパターンが多かったと思います。どこでも派手な飲み方をして、裸になったり、トイレで頭洗っちゃったりして出入り禁止になったお店もあります。恥ずかしい限りです。お店の方すみません。現在、自分のことをすっかり棚にあげてこどものしつけをしています。


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2007年06月23日

ピタゴラスの定理

 6月は食育月間、毎月19日は食育の日だそうです。それに合わせて?6月19日にPTAでは給食試食会を開きました。1年生の保護者を対象にして、給食センターのセンター長や、栄養士の方にお話をいただきながら、給食を試食しました。質疑応答もありまして、保護者の皆さんの心配事は中国野菜のことが多かったようですが、センターの方の丁寧な説明を聞き、皆さん心配が薄らいだようです。
 ところで、「食育」という単語はいつくらいから言われ始めたのでしょうか?私が学生の頃は知育・徳育・体育というのはよく耳にしましたが、私の勉強不足かもしれませんが、食育というのは聞いたことがありませんでした。PTA活動をしておりますと、『食育』とか『安全・安心』といった単語を頻繁につかったりしますが、逆に言えばそれだけその単語の意味から遠ざかった世の中になってしまっているということで悲しい限りです。

 いつも通り後半は波乗りの話ですが、今日は先輩たちの話。これがまたとんでもない先輩たちばかりで、とても普通のものさしに納まらない連中ばかりでした。
 千葉大原の神社下で車上荒しを捕まえた時、警察の事情聴取に「ピタゴラスの定理を使ってつかまえました。」と真顔で言っちゃう先輩。
 朝一で波乗りに行く予定が、ガス欠の為、隣に停めてあった親父さんの車からホースでガソリンを抜こうとして、ガソリンを飲んじゃう先輩。
 私の車では、ボンネットに乗って波をチェックしたり、ピーナッツの殻を車内にばんばん捨てるくせに、自分の車だとトランクにまで新聞紙を敷いている先輩。
 小田原厚木道路の縁石に、居眠り運転で乗り上げちゃってるのに助手席で熟睡していて起きない先輩の奥さん。
 呑みすぎで、気分が悪くなって吐いている私を介抱しながら、私の頭に吐く先輩。この先輩は、渋谷のレストランで酔っ払って、自動演奏のピアノを弾いて出入り禁止になりました。さらに、大磯あたりの畑の脇で、我慢できず「野糞」をしていたところ、お百姓さんに見つかり咎められると、しゃがんだまま「うるせーな」と逆切れしていました。
 以上は、でたらめのほんの一部ですが、まったくこんな調子でいつも大笑いしていました。その日のこと、せいぜい翌日の波のことしか考えずに…。


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2007年06月18日

鼓膜

 PTAの研修視察がありました。例年ですと、参加者は申し込み締め切り時には20名に届かないくらいで、個別に声をかけて、やっと30名ほどになっておりましたが、今回は、〆切前に既に30名になっておりました。来年度以降のこともありますので、初めて参加された方に、参加動機を伺いましたら、「近場だから」という理由が一番多かったようです。今回、執行部も少し楽をしたいこともありまして、市内で応急救護の講習会+会食会にしてみました。やはりバスに乗って、○○狩りとか、蕎麦作りというのもそろそろ飽きられているのかなと感じております。昼食懇親会では、おいしいお酒をいただき、それだけでやめておけばよかったのですが、なかなか少しだけというのが出来ない性質でして、場所を変えて呑み続け、かなり酩酊してしまいました。その日の夜の小P連の総会のきつかったこと。懇親会では迎え酒状態でした。

 私は、波乗りでも結構無茶なことをしてちょこちょこ細かい怪我はしましたが、幸いにも大怪我はしたことはありません。はっきり記憶に残っているのは、吉浜でスケッグが腿にささったのと、大原で鼓膜を破いたことぐらいでしょうか。
鼓膜を破いた時のこと ― 冬の大原で、かなり、というかめちゃくちゃオフショアが強かった日、波は頭以上ありました ― プルアウトした際に風に飛ばされた板で耳を強打しました。痛みはそのうち治まりましたが、耳に違和感が…。鼻をつまんで息を吐くと耳からピーピー音がします。なかなかいい波だったので残念でしたが、海からあがって、医者に診てもらうことにしました。どこに耳鼻科があるのか知らない私は、とりあえず大原の駅前の交番で場所を教えてもらうことにしましたが、交番では、おまわりさんと暴走族が喧嘩の最中でした。おまわりさんが教えてくれた医者は、暴走族に言わせると、「ヤブ」だからやめといた方がいいということでしたので、いやな予感はしましたが、他に当てがありませんし、駅から近くでしたのでそのお医者さんに向かいました。
―そこでのこと― 石畳を踏んで開き戸を開けると(医院というより地方に良くある、旧家を保存した記念館のようでした)、待合にはだれもおらず、すぐ診察してもらえました。鼓膜が破れているという診断のあと、確か化膿止めだったでしょうか、注射をしますということでした。おばあちゃん看護婦さんが、私のひじの表側をアルコール綿で拭いてくれて、注射器を持ったおじいちゃん先生の方を向くと、いきなり全然拭いていない肩に注射されました。
 この話、誰に話しても信じてもらえないのですが(証人はその時付き合っていた彼女=今の女房です)、あのときの暴走族ならきっと分かってもらえると思います。


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2007年06月11日

日本記録保持者

先日、PTAの本部役員会がありました。役員会の後は、男性の役員だけでかるく一杯やるのが恒例になっています。段々生ビールに枝豆の美味しい季節になってきました。呑みながらの話題は、まじめななもんで、子どもたちの事がほとんどですが、先日は昨年度の反省も踏まえて、そろそろ来年度の役員予定者のめぼしをつけていただくようお願いしました。
例年、役員人事は難航しますが、皆さん断られる理由は「忙しいから」がほとんどです。「忙しい」のは、どなたも忙しいのですが…。仕事や家事で、本当に忙しい中で、上手に時間管理して、さらっと涼しい顔をして、人の嫌がる役をやる―そんな方が素敵に思います。
私は別の理由で、「忙しい」とは金輪際言わないものと決めています。以前、私は都内のホテルに勤めており、総務・人事を担当していましたが、当時はバブル全盛期で、忙しさといったらもうめちゃくちゃなんですね。昼食を食べられればいい方で、夕方になって、今日、昼食食べたっけ?なんていう日が結構ありました。そんなわけで、このとき以上に仕事が「忙しい」と感じることはもうないだろうな、(単純な労務としての仕事ですが)と勝手に決めつけてしまいました。
同じようなパターンで「疲れた」も言わないようにしています。「はじめまして」の投稿にも書きましたが、私は高校時代、水泳部に在籍しておりました。入部した動機は、サッカー部の入部の手続きに行こうと思ったら、長蛇の列で、待つことの嫌いな私は面倒くさいので、その列の最後尾の隣にあった水泳部の方に入部の手続きをしてしまいました。泳ぐことは多摩川で台風の時も泳いでいましたから得意でしたが、水泳がタイムを争うスポーツという認識はまったくありませんでした。入ってから知ったのですが、なんとその水泳部には日本記録保持者もいて全国でも屈指の部だったのです。その後の私の泣きべそはお察ししていただけると思います。合宿なんて言いますと、私の種目は「ブレスト」でしたが、フリーの日本記録保持者の隣のコースで、私がブレストで同じインターバルで泳がされちゃうんですから、もうホントに地獄なんですね。そんなわけで、こちらも生涯、これ以上「疲れる」ことはないだろうな、と決めつけました。

話し変わって…。
 波乗りを始めた頃は、ディスコも大ブーム(死語?)でした。私も悪い先輩によく連れて行ってもらいました。アース、コン・ファンク・シャン、バーノンバーチ、シック…懐かしいです。最近は、私と同年代の方が担当しているんでしょうか、こういったディスコソングが、TVのドラマなどで流れたりして、何かとても得した気持ちになります。


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2007年06月05日

路傍の石

今日はPTAの会計処理を数件お願いする為、お昼くらいに学校に行きました。PTAの会議は夜が主体ですが、昼間学校に出かけることも少なくありません。昨年度の統計をとってみましたら、1月と8月を除いて、平均して月に15日間PTA関係の会議・打ち合わせ等に出ていることが判明しました。私自身は、半ば好きで、半ば諦めてやっているのでいいんですが、家族には本当に申し訳ないと思っています。
帰り際、学校の廊下で、子どもたちの読書ランキングが目に留まりました。上位は既に数百冊読んでいる子もいて、感心させられるとともに、自分自身の子供のころを思い出し、かなり情けなくなりました。というのも私は、30代後半まで、まともに最後まで読んだ本は2冊しかありませんでした。それも20歳をすぎてから読んだものでした。幼い頃から、じっとしているのが苦手でしたが、勉強が得意でなかったからというのが、理由のすべてだと思います。
今から思うと、かなり恥ずかしいのですが、そのうちの1冊、山本有三の「路傍の石」には強烈に影響を受けました。「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」この一節は、本当に響きました。さらに、「言い訳でランプはともらない。」には、もうごめんなさいです。私は非常に単純で、(読んだ本の分母がなんといっても2ですから…)それからというもの、「言い訳でランプはともらない」がバイブルか宗教のようになってしまい、自分自身でもなるべく不平・不満は言わなくなったつもりでいます。さらに、思考が極端になってしまいまして、それまで大好きだった野球やサッカーは全然観戦しなくなりました。何故かと言いますと、野球やサッカーは、アナウンサーや、解説者までもが、「今のはどうみてもストライクですね―」とか、「今のはPKですよね―オフサイドですよね―」の連発で、審判に対する不満ばっかりで、『路傍の石』的でないんですね。そんな訳で、スポーツというと、ラグビーか格闘技しか観なくなってしまいました。
そんな私が、40を過ぎて、先輩の元PTA会長の影響で、暇さえあれば本ばかり読んでいるんですからわからないものです。

少しだけ、波乗りの話。千葉を拠点にサーフィンを始めたわけですが、やっぱり朝飯は御宿の「早起きパンや」。そして昼飯はなんといっても大原の「かねよ」でした。かねよの「肉ピー」は最高でした。その頃はカレーライス(たまねぎたっぷり)を追加しても全然太らなかったんですが…。


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2007年06月03日

児童文学論

昨日は、学校美化デーでした。普段子どもたちが手の届かないところを中心に、教職員の先生方と保護者の約60名が参加して学校をきれいにしました。きれいになったプールサイドや昇降口を見て、皆さん、ささやかな達成感を感じておられるようでした。こういった活動をするといつも感じますが、PTAの役員はもともと自動的に参加するものと本人たちも思っていますが(諦めていますが)、一般の会員の方でいつも積極的に参加してくださる方には、本当に頭がさがります。

また私が波乗りを始めた頃の話しですが…
初めてサーフィンをしたのは、千葉の大原の漁港でした。K大学の先輩に連れて行ってもらったんですが、波待ち・パドルからテイクオフと教科書通りのことを教えてもらい、もちろんスープではありましたが、いきなり立てて、なんとも今までにない感覚を味わったものでした。その後、しばらくして初めて波のショルダーをすべれたのは、忘れもしない柳島でした。この時の感動は今でもはっきり覚えています。そして、このときから、はっきりと、どっぷりとサーフィンに浸かっていったのです。天気図をチェックして、明日は絶対波があるということになると、もう我慢できないんですね。前の晩から出かけて、海の近くまで行って車の中で仮眠をとったり、友だちと、くっだらない話をしたりして夜が明けるのを待っていました。殆どが朝一だけやって、帰りに大学にいくという生活でしたから、帰りは朝日がまぶしくて目がショボショボして、眠気との戦いが大変でした。
優先順位の第1位が常にサーフィンにある状態でしたから、大学の方は自然におろそかになり、1年の時の履修届けはマークシートのつけ方が良くわからず、「考古学」「児童文学論」というまったく予期せぬ科目を履修することになってしまいました。そんな調子ですから、4年の時は小学生より忙しい時間割になってしまいました。
やがて、湘南方面への日帰りサーフィンでは満足できず、友人・先輩たちと千葉の大原に6畳2間の家を借りて、そこを拠点に波乗りをすることとなりました。


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