すでに鬼籍に入られているJリーガー、
10人ぐらいかな…と思い調べたところ、合計33名でした。
一覧として残しておきます。

2024/09/30 スキラッチ、崔大植を追加
2024/01/28 横山知伸、レイバットを追加
2023/11/17 スピラール、呂薛安を追加
2023/09/04 サボを追加
2023/08/11 ヨルンを追加


※1993年のJリーグ開幕以降に、各クラブに所属したことのある選手が対象。

※除外した例
・エジバウド(ガンバ大阪)
1992年の天皇杯には出場しているが、翌年の開幕前に交通事故で死去。
・吉田佳泰(ザスパ草津)
J参入前の地域リーグ時代にプレー(2002〜2003)。2016年、胃がんで死去。



●GK

・藤川孝幸 (V川崎 92〜95) Wikipedia

生年月日:1962年10月10日
J通算:26試合

1980年、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の前身となる、JSLの読売クラブに入団。
1995年に引退後、V川崎、神戸、仙台、C大阪、福岡などでコーチを務める。
2017年、北海道リーグの北海道十勝スカイアース代表に就任。
2018年11月15日、胃がんで死去。56歳没。


・真田雅則 (清水 92〜04) Wikipedia

生年月日:1968年3月6日
J通算:J1 243試合
個人タイトル:1999年 Jリーグベストイレブン
日本代表:国際Cマッチ5試合出場

1990年、JSLの全日空に入団。
1992年、翌年のJリーグ開幕に伴い、清水エスパルスに移籍。
2004年に引退後、清水、千葉のGKコーチを歴任。
2011年9月6日、急性心不全で死去。43歳没。


●DF

・山田泰寛 (清水 93〜95) Wikipedia

生年月日:1968年2月13日
J通算:31試合0得点

1990年、JSLのヤンマーに入団。
1992年、翌年のJリーグ開幕に伴い発足した、清水エスパルスに移籍。
1995年、引退。1996年から1997年まで、清水ジュニアユースのコーチを務める。
2000年、富士常葉大学のサッカー部監督に就任。
2013年4月8日、肺臓がんにより死去。45歳没。


・柳想鐵(ユ・サンチョル) (横浜FM 99〜01、03〜04 柏 01〜02) Wikipedia

生年月日:1971年10月18日
J通算:J1 113試合 44得点

韓国出身。
1998年、フランスワールドカップ出場。
1999年、横浜F・マリノスに加入。2000年、1stステージ優勝に貢献。
2001年、柏レイソルに移籍。
2002年、日韓ワールドカップ出場。
2003年、横浜F・マリノスに復帰。1st、2ndステージ共に制し、完全優勝に貢献。
2005年、韓国で引退。
2011年からKリーグの大田、全南、仁川などで監督を務める。
2019年11月、ステージ4の膵癌であることを公表。
2021年6月7日、ソウル市内の病院で死去。49歳没。


・スピラール (名古屋 06〜07) Wikipedia

生年月日:1972年2月11日
J通算:24試合1得点

スロバキア出身。元スロバキア代表。
2006年、名古屋グランパスエイトに移籍。
2007年、ケガもありシーズン後に引退。
2013年9月7日死去。現地メディアにて飛び降り自殺と報じられる。
38歳没。


・今藤幸治 (G大阪 93〜98) Wikipedia

生年月日:1972年4月28日
J通算:133試合4得点
日本代表:国際Aマッチ 2試合 0得点

1991年、ガンバ大阪の前身となるJSLの松下電器産業に入部。
1996年、試合中に痙攣を起こし搬送。その後の検査で脳腫瘍が発覚する。
1998年、シーズン途中にガンバ大阪を退団。
2003年4月17日、愛知県内の病院にて死去。30歳没。


・サボ (福岡 02) Wikipedia

生年月日:1972年5月26日
J通算:17試合2得点

セルビア出身のハンガリー人。
2002年、当時J2のアビスパ福岡に期限付き移籍で加入。同年限りで退団。
2008年に引退し、その後はセルビア国内のクラブで監督を歴任。
2020年12月15日、新型コロナウイルス陽性後、心臓麻痺で死去。48歳没。


・松田直樹 (横浜M、横浜FM 95〜10) Wikipedia

生年月日:1977年3月14日
J通算:J1 385試合 17得点
個人タイトル:2000年、2002年 Jリーグベストイレブン
日本代表:国際Aマッチ 40試合 1得点

1995年、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入。
1996年、アトランタオリンピック出場。
2000年、シドニーオリンピック出場。
2002年、日韓ワールドカップ出場。
2011年、当時JFLの松本山雅に移籍。
同年8月2日、チームの練習中に倒れ救急搬送されるも、心筋梗塞で死去。34歳没。


・レイバット (平塚 99) Wikipedia

生年月日:1977年9月3日
J通算:J1 10試合0得点

オーストラリア出身。
1999年8月、ベルマーレ平塚に移籍。同年限りで退団。
2000年、シドニーオリンピック代表に選ばれ出場。
2008年引退。引退後、病院のリハビリ病棟に勤務。
2024年1月12日、友人と別れたのちに家族と連絡が取れなくなり行方不明届が出される。
1月14日、海岸の低木林にて遺体で発見。地元警察により自殺と判断される。46歳没。


・関本恒一 (鳥栖 99〜02) Wikipedia

生年月日:1978年5月23日
J通算:J2 62試合1得点

1997年、当時JFLのサガン鳥栖に入団。(1999年よりJ2参入)
2002年、引退。引退後、母校の四日市中央工業高校、四日市大学でコーチを務める。
2013年、三重県リーグ2部のFC.ISE-SHIMAで現役復帰。(翌年県1部に昇格)
2014年8月、骨肉腫が見つかり入院。同年限りで退団。
2016年1月23日、大阪府内の病院で平滑筋肉腫により死去。37歳没。


・ダニエル (甲府 09〜11、名古屋 12〜13、大分 14〜16) Wikipedia

生年月日:1982年5月30日
J通算:J1 82試合2得点 J2 115試合5得点 J3 19試合2得点

ブラジル出身。
2009年、ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍で加入。
2010年、完全移籍。クラブのJ1昇格に貢献。
2012年、名古屋グランパスに移籍。
2014年9月、ブラジルのクラブを経て大分トリニータへ加入。
大分在籍中に肺がんが見つかるが、公表をせずにプレーを続ける。
2016年引退。
母国で指導者として活動しながら闘病生活を送るが、2019年2月10日に死去。36歳没。


・ヨ・ヒョジン (栃木 10) Wikipedia

生年月日:1983年4月25日
J通算:J2 28試合0得点

韓国出身。
2010年、栃木SCに期限付き移籍で加入。同シーズン限りで退団。
2015年、韓国で引退。
2019年12月、がんの診断を受ける。
2021年7月31日、ソウル市内の病院にて死去。38歳没。


・宮本卓也 (C大阪 06〜08 山形 08〜12 福岡 13) Wikipedia

生年月日:1983年7月8日
J通算:J1 101試合1得点 J2 106試合0得点

2006年、セレッソ大阪に入団。
2008年、モンテディオ山形に期限付き移籍。J1昇格に貢献。
2009年、完全移籍。
2013年、アビスパ福岡に完全移籍で加入するも、同年限りで引退。
2014年から、C大阪、長崎の下部組織でコーチを務める。
2022年、V・ファーレン長崎U-15コーチとして指導に当たっていたが、
同年5月1日、不慮の事故により死去。38歳没。


・横山知伸 (川崎F 08〜11 C大阪 12〜13 大宮 14〜16 札幌 17〜18 熊本 18 岐阜 19) Wikipedia

生年月日:1985年3月18日
J通算:J1 162試合7得点 J2 48試合3得点

2008年、川崎フロンターレに入団。
2012年、セレッソ大阪に移籍。チームのJ1残留に貢献。
2014年、大宮アルディージャに移籍。
2017年、北海道コンサドーレ札幌に期限付き移籍。翌年完全移籍に移行。
2018年8月、ロアッソ熊本へ期限付き移籍。同年限りで契約満了。
2018年12月、合同トライアウトの翌日、体調不良で病院へ搬送。
脳腫瘍と診断され、摘出手術を行う。
2019年9月、FC岐阜へ加入。同年限りで引退。
引退後は札幌、大宮でフィジカルコーチに就任。
2023年夏、脳腫瘍が再発。治療とリハビリに励むも、2024年1月4日死去。38歳没。


・チエゴ (京都 10) Wikipedia

生年月日:1986年7月22日
J通算:J1 10試合0得点

ブラジル出身。
2010年、京都サンガF.Cに期限付き移籍で加入。シーズン途中で帰国。
2016年11月28日、当時所属していたブラジルのシャペコエンセが
コパ・スダメリカーナ2016の決勝に参加するため、航空機でコロンビアに向かうが、
墜落事故に遭遇し死去。30歳没。


・呂薛安(ろ・せつあん) (湘南18 盛岡18) Wikipedia

生年月日:1999年4月26日
J通算:試合出場なし

中国出身。
中国の江蘇蘇寧足球倶楽部ユースを経て、湘南ベルマーレユースに加入。
2018年、湘南ベルマーレのトップチームに昇格。
同時に当時J3のグルージャ盛岡(現:いわてグルージャ盛岡)に期限付き移籍で加入。
同年限りで退団し、以降は中国国内のクラブでプレーをする。
2023年9月4日、江蘇省鎮江市にて交通事故により死去。24歳没。


●MF

・久高友雄 (G大阪 93 C大阪 95) Wikipedia

生年月日:1963年3月14日
J通算:36試合1得点

1981年、松下電器産業サッカー部(現・ガンバ大阪)に入団。
1994年、当時JFLのセレッソ大阪に移籍。同年のJリーグ参入に貢献。
1995年、シーズン後に引退。その後、セレッソ大阪の下部組織のコーチ、監督を歴任。
1999年夏、検査の結果胃がんが判明。1999年9月22日死去。36歳没。


・崔大植(チェ・デシク) (大分 99) Wikipedia

生年月日:1965年1月10日
J通算:J2 31試合4得点

韓国出身。元韓国代表。
1994年、アメリカW杯代表に選ばれる。
1996年、当時JFLの大分トリニティ(現・大分トリニータ)に加入。
1999年、大分がJ2に参入。初代主将を務める。
2000年、引退。引退後は母国で指導者として活動する。
2024年3月27日死去。59歳没。


・ウーゴ・マラドーナ (福岡 96 札幌 98) Wikipedia

生年月日:1969年5月9日
J通算:49試合13得点

アルゼンチン出身。ディエゴ・マラドーナの弟。
1992年、当時東海リーグのPJMフューチャーズに加入。
1995年、当時JFLの福岡ブルックス(現・アビスパ福岡)に移籍。
27試合27得点でJリーグ参入に貢献。
1998年、当時JFLのコンサドーレ札幌に移籍。
こちらでもJFL優勝に貢献し、Jリーグ参入に貢献。
2000年にアルゼンチンで引退。
2021年、イタリアの自宅にて心臓発作により死去。52歳没。


・ガビリア (湘南 01) Wikipedia

生年月日:1969年11月27日
J通算:J2 23試合4得点

コロンビア出身。
2001年、湘南ベルマーレに移籍。背番号10を背負う。同年限りで退団。
2002年、コロンビアのクラブに所属していた際、練習中に落雷に遭い死去。32歳没。


・奥大介 (磐田 94〜01 横浜FM 02〜06 横浜FC 07) Wikipedia

生年月日:1976年2月7日
J通算:J1 280試合62得点
個人タイトル:1998年、2003年、2004年 Jリーグベストイレブン
日本代表:国際Aマッチ 26試合 2得点

1994年、ジュビロ磐田に加入。
2001年、横浜F・マリノスに期限付き移籍。
2002年、完全移籍に移行。2003年、2004年のリーグ優勝に貢献。
2007年、横浜FCに移籍。同年限りで引退。
引退後、横浜FCサッカースクールのテクニカルアドバイザー、高校サッカー部監督、
横浜FC強化部長などを経て、2014年から沖縄県宮古島に渡る。
2014年10月17日、宮古島市を軽自動車で運転中、電柱に衝突する交通事故を起こし、
搬送先の病院で死亡が確認される。38歳没。


・クレーベル (柏 05) Wikipedia

生年月日:1981年6月27日
J通算:J1 29試合80得点

ブラジル出身。
2005年、柏レイソルに加入。シーズン終了後退団。
2016年11月28日、当時所属していたブラジルのシャペコエンセが
コパ・スダメリカーナ2016の決勝に参加するため、航空機でコロンビアに向かうが、
墜落事故に遭遇し死去。35歳没。


・アルトゥール・マイア (川崎F 15) Wikipedia

生年月日:1992年10月13日
J通算:J1 4試合0得点

ブラジル出身。
2015年7月、川崎フロンターレに期限付き移籍で加入。シーズン終了後退団。
2016年11月28日、当時所属していたブラジルのシャペコエンセが
コパ・スダメリカーナ2016の決勝に参加するため、航空機でコロンビアに向かうが、
墜落事故に遭遇し死去。24歳没。


・オリベイラ (湘南 20〜21) Wikipedia

生年月日:1998年1月25日
J通算:J1 3試合0得点

ブラジル出身。
2020年、湘南ベルマーレに完全移籍で加入。
2021年11月23日、練習に姿を見せなかったことからスタッフが自宅に向かい、
ベッドで倒れている所を発見される。
同日死亡が確認され、検視の結果死因は急性鬱血性心不全であった。23歳没。


●FW

・スキラッチ (磐田 94〜97) Wikipedia

生年月日:1964年12月1日
J通算:78試合56得点

イタリア出身。元イタリア代表。
1990年、イタリアW杯に出場。7試合で6得点を記録し大会得点王となる。
1994年、ジュビロ磐田に加入。同年31得点を挙げ、得点ランキング2位の成績を残す。
1997年、腰痛の悪化のため磐田を退団し、その後引退。
引退後は地元イタリアのパレルモでサッカースクールを開設。
2024年9月18日、パレルモの病院で死去。59歳没。
結腸がんのため2年前から闘病中であった。


・ヨルン (大宮 99) Wikipedia

生年月日:1967年11月18日
J通算:11試合9得点

1998年、当時JFLの大宮に入団。15試合で9得点を挙げる。
1999年、大宮がJ2に参入し継続しプレー。開幕から11試合で9得点を挙げる。
同年5月21日、東京・六本木の路上で中東系の2人組に襲撃され負傷。
左目を摘出し、31歳で選手生命を絶たれる。
引退後はイギリスで自動車販売業、スペインで不動産関係の仕事に携わる。
2007年8月16日、スペインの自宅で死去。39歳没。


・クレーベル (京都 97) Wikipedia

生年月日:1972年10月11日
J通算:10試合1得点

1997年、京都パープルサンガに加入。同年7月に退団。
2004年に引退。
2021年1月2日、新型コロナウイルス合併症により死去。48歳没。


・ケンペス (C大阪 12 千葉13〜14) Wikipedia

生年月日:1982年8月3日
J通算:J1 27試合7得点 J2 71試合35得点

ブラジル出身。
2012年、期限付き移籍でセレッソ大阪に加入。
2012年、完全移籍でジェフユナイテッド市原・千葉に加入。
同シーズンで22得点を挙げ、J2得点王となる。
2016年11月28日、当時所属していたブラジルのシャペコエンセが
コパ・スダメリカーナ2016の決勝に参加するため、航空機でコロンビアに向かうが、
墜落事故に遭遇し死去。34歳没。


・ジオゴ (札幌 11 徳島 12) Wikipedia

生年月日:1983年4月8日
J通算:J2 41試合6得点

ブラジル出身。
2011年8月、コンサドーレ札幌に加入。
2012年、徳島ヴォルティスに移籍。
2021年6月9日、ブラジル国内にてバイクを運転中、柱に激突。
現場にて死亡が確認される。38歳没。


・デルリス (水戸 05 札幌 05) Wikipedia

生年月日:1984年1月9日
J通算:J2 36試合9得点

パラグアイ出身。
2005年、水戸ホーリーホックに期限付き移籍で加入。
同年7月、コンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入。
2010年3月28日、パラグアイ国内で軽トラックを運転中に交通事故を起こし、
救急車で搬送中に死亡が確認される。26歳没。


・アレモン (京都 05〜06 横浜FC 06) Wikipedia

生年月日:1984年4月10日
J通算:J1 10試合2得点 J2 58試合33得点

ブラジル出身。
2005年、京都パープルサンガに期限付き移籍で加入。クラブのJ1昇格に貢献。
2006年6月、横浜FCに加入。24試合で18得点を決め、J1昇格に貢献する。
2007年7月8日、ブラジルのリオデジャネイロ州にて自動車を運転中、
木に激突する交通事故を起こし死去。23歳没。


・工藤壮人 (柏 09〜15 広島 17〜20 山口 19 宮崎 22) Wikipedia

生年月日:1990年5月6日
J通算:J1 192試合60得点 J2 54試合14得点 J3 21試合3得点
日本代表:国際Aマッチ 4試合 2得点

2009年、柏レイソルU-18からトップチームに昇格。
2011年、クラブのJ1優勝に貢献。
2013年、日本代表に初選出。東アジアカップ中国戦にて代表デビュー。
同年のナビスコカップ決勝では決勝点を決め、大会MVPに選出される。
MLSを経て、2017年サンフレッチェ広島に完全移籍。
2019年、レノファ山口に期限付き移籍。
オーストラリアリーグを経て、2022年テゲバジャーロ宮崎に加入。
同年10月2日、練習時間外に体調不良を訴え医療機関に受診。水頭症と診断される。
11日に手術を行うが容態が悪化。21日、入院先の病院で死去。32歳没。


・ターレス (新潟 18) Wikipedia

生年月日:1995年5月18日
J通算:J2 34試合4得点

ブラジル出身。
2018年、アルビレックス新潟に期限付き移籍で加入。同年限りで退団。
2019年、ブラジル国内にてバイクを運転中事故を起こし、
病院に搬送されるも死亡が確認される。24歳没。