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最近の沖縄空手と言えば身体操作、古流云々の解説や謎解きの話題をよく目にする。
確かに沖縄の古典空手の体系やコンセプトには素晴らしいものがある。

それをいち早く感じたからこそ私は30数年前にそれまでに学んだ全ての空手を捨てて沖縄に渡り、
仲里周五郎先生のもとへ弟子入りしたのだ。

当時の沖縄での稽古は本当に厳しく激しいものであった。
そして、そうした訓練の元に得た武技は、私が想像した以上の威力を与えてくれたものと実感している。

しかし、現在マスコミやネット等で見られる沖縄空手と言えば、その殆どが「簡単に身に着く身体法」
「正統・・・」「失われた・・・」等と言った秘伝広告ばかりである。

何の空手であっても大切なことはシッカリとした稽古を積み、道を極めんとする姿勢が根底になくてはならないであろうが、
何故か現在の沖縄空手にはそうした本質が失われ、ただただ理屈やブランドに走る傾向があるように思えてしまう。
そして黒帯の量産・・・・・・。
私の所にも「組織に入りたいので・・・段を認定して欲しい」などのメールが少なくない。

陳腐の様だが、武道の根本には思想がある。生きるために必要な哲学がある。
人間としてより正しく、強く、生きることが武道の求めるものではなかろうか。

悲しいかな、最近”沖縄空手”を名乗るのに違和感を感じる事さえある。