私が空手道と言う武道に出会ってから有に40年以上の年月が経ってしまった。
驚くことなかれ、その昔空手道とは殺人マシーンの如く必殺の拳を持って人を打ち倒す危険な武術であり、
現在の様に町道場がひしめき合い、公共の施設での活動などとは無縁の代物であった。
それ程昔の空手道には危険な香りが漂っていたのだ。
私が正式に入門した道場も少年部などはなく、生徒は大人のみで3,4人、着替えの時でさえ緊張感から皆一言も喋らずに黙々と帯を締め準備をする、組手ではよく鼻血や口を切って出血し、稽古翌日は決まって腕は紫色に脹れ、足を引きずって学校へ行ったものだ。
そして、そんな痛みさえもが空手道を修行しているという充実感と、より強くなってゆく自分への誇りに思えたものである。(血に染まった道着を見ては優越感にしたったものだ)
そうした時期を経て時は近代の空手道へと進み、私自身も歳を重ねながらその普及の動向を見てきた。
本当に発展・変化したものだな、と感じる次第だ。
あの必殺の武術が、本当に多くの子供に愛好され、あれほど脅威であった黒帯も多く生み出されている。
そこには昔、私の見てきた空手道の面影はない。
空手道はより健全に、明確に、そして明るく一般の社会に受け入れられる武道として発展してきたのである。
文化の発達から情報の充実も目覚しく、空手道の迷信や逸話も現実的見解をもって振るいにかけられる時代である。技術の修得も速い。
しかし、ここでひとつ言わせて貰うならば、我々の時代の空手道は真に一撃必殺の時代であったのだ。
皆それを信じていたのだ。
それは技のみを指した意味ではない。
道場へ足を運ぶと言うことは、大怪我をするかも知れない恐怖心との戦いが皆の心にあったものだ。
だから余程の決心が無くては入門することが出来なかったし、入門後にも道場に通うには相当腹を括らなければならなかった。
たとえ自分が一撃で倒れようが、それを覚悟で道場へ通う姿勢に空手道の精神があった。
その気迫だけは今の修行者には理解が出来ないものであろう。
あの時代の空手家達は皆”心に一撃必殺を宿していた。”
驚くことなかれ、その昔空手道とは殺人マシーンの如く必殺の拳を持って人を打ち倒す危険な武術であり、
現在の様に町道場がひしめき合い、公共の施設での活動などとは無縁の代物であった。
それ程昔の空手道には危険な香りが漂っていたのだ。
私が正式に入門した道場も少年部などはなく、生徒は大人のみで3,4人、着替えの時でさえ緊張感から皆一言も喋らずに黙々と帯を締め準備をする、組手ではよく鼻血や口を切って出血し、稽古翌日は決まって腕は紫色に脹れ、足を引きずって学校へ行ったものだ。
そして、そんな痛みさえもが空手道を修行しているという充実感と、より強くなってゆく自分への誇りに思えたものである。(血に染まった道着を見ては優越感にしたったものだ)
そうした時期を経て時は近代の空手道へと進み、私自身も歳を重ねながらその普及の動向を見てきた。
本当に発展・変化したものだな、と感じる次第だ。
あの必殺の武術が、本当に多くの子供に愛好され、あれほど脅威であった黒帯も多く生み出されている。
そこには昔、私の見てきた空手道の面影はない。
空手道はより健全に、明確に、そして明るく一般の社会に受け入れられる武道として発展してきたのである。
文化の発達から情報の充実も目覚しく、空手道の迷信や逸話も現実的見解をもって振るいにかけられる時代である。技術の修得も速い。
しかし、ここでひとつ言わせて貰うならば、我々の時代の空手道は真に一撃必殺の時代であったのだ。
皆それを信じていたのだ。
それは技のみを指した意味ではない。
道場へ足を運ぶと言うことは、大怪我をするかも知れない恐怖心との戦いが皆の心にあったものだ。
だから余程の決心が無くては入門することが出来なかったし、入門後にも道場に通うには相当腹を括らなければならなかった。
たとえ自分が一撃で倒れようが、それを覚悟で道場へ通う姿勢に空手道の精神があった。
その気迫だけは今の修行者には理解が出来ないものであろう。
あの時代の空手家達は皆”心に一撃必殺を宿していた。”
コメント
コメント一覧 (4)
(僕だけでなく道場のみんなが)
他流との交換稽古はかなり激しく組手をした思い出があります。
あれはあれで正しく「空手道」ですね~
これら全ての異なりは”良し悪し”ではなく、時代時代の個性や背景によるものだと言う事だろう。
我々の時代は試合も一般的ではなく、自分の力を試す場所が道場か路上の喧嘩しかなかったのだ。
ただ、近年昔の非合理的な考え方や練習法を見下す発言をネット他で見る事があるが、あの時代に空手を習うという事は、余程のやる気と覚悟が必要であったという事実を近代空手人は理解するべきであろう。
竹刀で「そうじゃないだろう!」でバッチン、「それでいいんだよ!」でバッチン、と何をしても叩かれながら基本を繰り返しました。
「気合を出せ!」と言われるのでヤケクソで大きな声を出し続けていると「バカヤロー、ただ出せばいいってもんじゃないんだ!」と叱られ、蹴りの軸足を払われ「しっかり立って蹴れ!」と怒鳴られました。組手で指はしょっちょう突き指、腕は腫れ上がり、口も切ったり顔が腫れたりの毎日。駅から寮までが上り坂で毎晩重い足を引きずりながら歩いてました。
楽しみとしては、先輩の道場に出稽古に行って稽古が終わると、そのまま道場で車座になり酒を
飲みながらいろいろな話に花を咲かせる事もありました。いいことも悪いことも、そんな時代であり今ではいい思い出となってしまいました。
それが今では、空手にそんな時代があったことも知らず空手バカ一代も知らず、ブルース・リーも知らない親達が、空手道場は躾もしてくれて体も鍛えてくれる、と子供たちを通わせる時代になりました。karateが共通語で世界中の人と知り合える時代にもなりました。なんとも幸せなことです。合宿が楽しみ、なんてのも夢のようです
しかし、館長も言われているように、私も根底の気持ちは昔のまま持ち続けているつもりです。大学時代のような稽古を今しても、それはそれとして受け止めついていけると思っています。ただ、体がついていけるかは分かりませんが(苦笑)
話が変わりますが、ボクシングの映像を丸ごと録画したブルーレイディスクをお送りします。DVDでないのがご不便かもしれませんが、4試合丸ごと入っております。
MIYAさんを見ていると武骨空手の片燐を十分に感じとれますね。
やはり様々な意味で昭和は空手道の高度成長期であったと思います。(問題もありましたが)
勿論近代の空手道にも昔のものに比べて優れている部分も多々見取ることも出来ます。
しかし、ここで大切な事は、今後更にそれらを素晴らしいもの、高度なものとして継続して行くためには不十分であるということ。
今後は本当の意味で生涯武道としての実践、そして、偽りの無い真の修行と技法を提示してゆくのが我々の役目であると思います。
頑張りましょう。