2016年11月

2016年11月13日

Sun,November 13:指示の階段を降りていく。

本来、主体性を発揮してもらい、自らが責任を持って業務に着手することでのやりがいを追って欲しいため、業務テーマについては「目的」軸で話す、お願いすることにしている。

しかし、「目的」軸から自身の業務の落とし込みができるとよいのだけれども、できない場合、次に「戦略」軸で話すことになる。「これこれの目的のために、こうした戦略でいくと良いよね?なのでこの戦略に基づいたアクションを考えて、動いてみてちょうだい」。

これで実行できれば、及第点。

しかししかし。これでもあいにく、アクションに落ちない、あるいはアクションがずれる、ということも少なくない。
とすれば、「戦術」軸で行くしかない。「この戦略のためには、こうした戦術・実効策が必要だよね?それ、やってみて」。

従来、主体性の発揮、当事者意識の醸成、やりがい・モチベーションの観点から、徹底的に「目的」軸での指示・会話にこだわってきたのだけれども、実際はなかなかこれではうまく動かないのもまた現実。

最近は、「指示の階段を降りていく」「いま、この件、このメンバーは、どの階段にいるのか」について意識しコミュニケートすることにしている。

いちいち指示・口出し、にはなりたくないのだけれども、見えていないことは実行・実現されないので、これはいたしかたないことでもある。

kazuyuki0329inoue at 18:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年11月11日

Fri,November 11:知恵の出し方=知恵の借り方。

大きなことから小さな業務プランまで、知恵の出し方についても「デキる人、デキない人」の差は存在する。

どこにあるか、というと、それは「知恵の借り方」にある。
デキない人ほど、自分(だけ)でうんうんうなって考え続けている。唸り続けていたら、ある日突然、「ひらめいた!」と素晴らしい解決策やアイデアが飛び出してくるなんてことは、100年、1000年続けても、まず起こらないだろう。

デキる人ほど、自分にはない知恵を借りてくる手順がうまく、動きが速い。ここに大きな差が存在しているのだ。

「知恵を借りてくる」というと、どこかにある類型のものをそのまま持ってくると考える人が多いが(それでも、それもないよりはましと言えばましだが…)、そういうことではない。

新しいパターンを生み出すべく、別の場所から借りてくる、とか、知恵そのものを借りてくるのではなく、その分野に対する専門性や知見が多い人を見つけてきて、その人にオリジナルで知恵を出してもらう、のだ。

こうしたアクション力も、各人の仕事力に大きな差異を生み、それが累積してまた、経年での仕事レベルの差が生まれる。

理解力、とは、上記のようなことを理解しているか否か、ということを指している。



kazuyuki0329inoue at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年11月10日

Thu,November 10:「出来ませんでした、すみませんでした」で済む人、済まない人。

雇われ社員は、新人であれ中間管理職であれ、(本来はあってはならないが)経営幹部であれ、事業や個々の業務がうまくいかなかったら、「出来ませんでした、すみませんでした」で済むといえば済んでしまう。

経営者は、そうはいかない。「出来ませんでした」はあり得ない。出来るまでやるしかない。出来ないなら、辞めろ、という話。

だからこそ経営者というものは、社員から「出来ませんでした、すみませんでした」と言われるときが、おそらく最も腹立たしく、表では「そうか、、しかたないな」「どうすればリカバリーできるか、考えてみよう」等と言いつつ、内心、“甘いこと言ってるんじゃない”、と腸煮えくり返っている生き物なのだと思う。

kazuyuki0329inoue at 20:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年11月09日

Wed,November 9:2009年から日本で起きた政治の混迷と同様のことが、今度は米国で規模を大きくして起こる。

トランプ氏が勝利した。

政治的発言は、さほどの信条を持ち合わせている訳でもないし、主義主張がある訳でもないので控えたい。ただ、僕は現実の経済と経営を見ている立場の人間なので、その観点で思うところだけ、履歴・備忘を兼ねてコメントしておこうと思う。

2009年8月30日に、以下のような投稿をしていた。

「Sun,August 30:20世紀との決別<政治編>。」
http://blog.livedoor.jp/kazuyuki0329inoue/archives/51577117.html

当時、日本は、「とにかく変化を選択した。しかし、その変化の内容は分からない」。
いまのアメリカもまったく同じ国民心情なのだと思う。

気持ちはわからなくもない。しかし、行先の不透明な変化ほど、災厄をもたらすものはないということを、僕ら日本国民は、その後、いやというほど味わわせられることとなった。

トランプ氏が、すべてこれまでの発言通りのことをやれるということはないだろう。
さすがに米国の政治システムがそこまで機能不全に陥るとは信じたくない。

しかし、大いなる混迷を彼がもたらすことは、間違いない。その行きつく先は…。

そもそも、一貫性の論理からして、あの悪趣味なトランプタワーを借金しまくって立て続けてきたような男が、田舎の労働者層の弱者の立場に本気で立つということが、あるはずないのは、分かり切ったことなんだけど…なぁ。。

kazuyuki0329inoue at 17:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

Wed,November 9:策を知ると、策が鼻につくようになる。

専門柄、動機づけや口説き、感情調整や心理操作なんてことについて、新人時代以来(なんせ、新卒でリクルートに入社した最初の仕事が、自社の新卒採用。その後、広報、情報誌の創刊といった、人の心理に関わる仕事ばかりに従事したもんですから)、現場でもオフサイトでも学び続けてきた。

結構どっぷりのめり込んで学んできているので、自分の性にも合っていたのだろうな。

一時期は、その“テクニック”を使うことに没頭していた時期もあったことを、告白しよう。社外でも社内でも、プライベートでも、「口説き落とせてナンボ」的なところがあった時期もあり、実際、口説く力には相当自信を得たというのも事実。なんでも、と言えば言い過ぎだが、概ねのことは口説ける自信があった。

しかし、ある時期になると、そういうことを常に意識している自分というものが、非常に虚しくなるものだ。
30代前半中だったと思うが、内心自己嫌悪にも陥り、その後はテクニック的なことから入るのは辞めたし、そういう小策を弄する人を見ると嫌悪感を感じるようになる。

いまでも、あからさまにそうした「コミュニケーションテク」で活きている人物は、そこここに存在している。もしかしたら、本人は自覚がないのかもしれないが、ちょっとした世渡り上手というのは、仕事の本質があれば、それは処世術的に悪くもないけど、世渡り一本の小手先で生きるようになると、中堅クラス以降になるとかなりたちが悪い。

結局のところ、組織内に埋没して小市民で終わるか、あるいは後半戦のキャリアで失墜し、若かりし頃の栄華はいまやどこにという感じのシニアになってしまうのを、結構見てきた。

僕自身は、こういう事情で、そうしたことに、通常の人よりはかなり敏感なところがあるので、周囲にそうしたタイプが寄ってくると、正直、鼻についてならず、うっ、、となってしまう。

自社内にはこういうタイプは、絶対に置けないなぁ。。

kazuyuki0329inoue at 10:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年11月08日

Tue,November 8:ここ最近、気になることなど。

ここ最近、気になっていることや注目している動向について、当社のメルマガなどで触れ始めているが、早速、中途半端な書き散らしにならないように、気をつけねば、だ。

先週は「マッキンゼーは、どう作られたのか」。戦略ファームというものが、どうやってビジネス界に登場しその存在を確立したかについて、改めてトレースしている。

今週は、明日配信の当社メルマガにて、「近い将来、人事考課はなくなる?」。米国大手グローバルカンパニーではこの数年来、個人の業績考課を廃止する動きが加速しつつある。その背景やたどり着こうとしているものを眺めてみると、非常に興味深いものがある。

当然、これらのことをたかだか1000w程のメルマガで書き切れるはずもなく。「以降、続く」をフォロー仕切れないまま終わらないように気をつけなきゃなぁ。お題はまだまだ、盛り沢山。とすると、どこで何を展開していくか、設計しておかないと…。

kazuyuki0329inoue at 22:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2016年11月07日

Mon,November 7:結局のところ。

この半年ほど、経営における「何か、新しい手法」「何か、別のやり方」という青い鳥を探し続けていた(ような気がする)。

モノの本を渉猟し、人に会い聴き、熟考し、夢想し。結局のところ、グルリと巡り、周回し出発地点に舞い戻ったような気がしたのが、つい先日のこと。
なんのことはない、経営の奇策などないし、突き詰めてみれば、原理原則は変わりなく、既に自らの手の中にあったのだ。

ということで、まあ、改めてこれまで通り行くぞ、とある意味吹っ切れもしたし、その上で、このブログでも同じようなことをまた書き連ねていくのだろうとも思う。それもまた、よし。

経営とは、繰り返し繰り返し、再確認と再発見をし続ける旅なのかもしれない。なんてね。

kazuyuki0329inoue at 23:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

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