2008年05月22日
二丁目
九州男児というと、僕は真っ先に西郷隆盛を思い浮かべる。それも、史実に基づいた姿ではなく、上野公園に佇むあの銅像の姿だ。
太い眉、骨ばった輪郭、ぎょろりとした目、大きな体。
そんな僕のイメージと、寸分違わぬ外見を持つ九州男児、本山健(23歳)。大衆居酒屋のテーブル席で、僕らは向かい合っている。
本山が飲んでいるのが芋焼酎でなく、レモンサワーなのが少しだけ惜しい。
鹿児島で生まれ育った本山は、十八歳のときに故郷を離れ、上京した。
夢を叶えるために、希望を抱いて上京した・・・のではない。彼の場合、故郷から離れざるを得ない状況に陥ったのだ。
「知り合いの彼女を妊娠させちゃったんだよね。それでちょっとやばくなって、鹿児島にいられなくなったんだ」
当時を思い出したのか、少しだけ後ろめたそうに、本山は語る。その筋の人の女というわけではないが、それなりに危険な女性に手を出してしまったらしい。
「で、東京に逃げてきて、とりあえず新宿に来たんだけど、お金も無いし仕事も無いから、ホームレスに混じって毎日公園で寝てたりしたんだ。あ、そう言えば、歌舞伎町の風俗に行って、ぼったくられもしたよ(笑)」
「風俗?」
僕は思わず聞き返した。
放浪生活の身でありながら、風俗に行ったという神経に驚いたのだ。
明らかに優先順位が違うだろう。何日分もの食費を捨てることになる訳だし、彼がまずしなくてはならない仕事探しも、何かとお金がかかる。
大物なのか、ドスケベなのか。それとも歌舞伎町の魔力なのだろうか。
とにかく、本山はそんな目に遭いながらも、新宿に留まって路上生活を続けた。
やがて、ひょんなことがきっかけで、彼は本格的に新宿の住人となる。
「ゲーセンにいたら、知らないおっさんが話しかけてきたのね。何してるんだ?って。家出してきたんだよとか話してたら、何か意気投合してさ、うちの店で働かないか?って誘われたんだ」
本山は誘われるままに男に着いていったのだが、その店というのが、新宿ならではだった。着いた先は、新宿二丁目のゲイバーだったのだ。
本山はいわゆるノンケで、ゲイではない。
しかし、彼に与えられた仕事は、バーでホストとしての接客をするだけではなく、それ以上のサービスだった。つまり、客と体の関係を持たなければならなかったのだ。
嫌ではなかったのだろうか?
「嫌だよ!本当にあれはねー、辛い!」
苦笑いしながら、本山は答える。
では、なぜすぐ辞めなかったのか?
「逃げ出そうっていつも思ってたよ。本当辛かったもん!だってさ、おっさんが来て、×××してくれよとか言うんだぜ・・・」
この先は、とても書けない。
しかし本山は約二年間、新宿のゲイバーで働き続けた。ゲイに囲まれた環境はともかく、彼は性格的に水商売に向いていたようだ。
その間、実に色々な体験をしたという。
ゲイ向けのビデオに出演したこともあった。
毛じらみをうつされたこともあった(もちろん、男性客に)。
レズビアンの女性に惚れたこともあった。
僕はライターとしてではなく、一般青年の好奇心として、次のような質問をぶつけた。
「ちなみに本山さん、掘られたことはあるんですか?」
すると本山は、少しだけ苦笑して答えた。
「掘られたことは無いよ。けど、掘ったことはある」
さすがの彼でも、超えたくない一線はあったらしい。
やがて本山は二十一歳になり、ようやく水商売から足を洗う決意をする。オーナーと話し合った上での、いわゆる円満退社だ。
本山は東京都市部の町に移り住み、現在はパチンコ屋で働きながら、六つ年上のOLと同棲している。
自身も彼女もパチンコが好きで、休みの日はよく二人で行くそうだ。
「結婚するんですか?」
僕の質問に、本山は照れくさそうに微笑んだ。
「分かんないよ」
居酒屋を出た僕と本山は、ラーメンを食べて別れた。彼は乗ってきたママチャリにまたがると、手を振りながら、ギコギコ音を立てて走り去っていった。本山の家は、この近くなのだそうだ。
僕は満腹の腹をさすりながら、本山の姿を見送る。
九州男児に抱いていた僕のイメージに、新たな要素が加わった。
九州男児は、豪快なようで意外とシャイだ。
「東京スカイウォーキング」のメルマガ始めました!
ここでしか見られない取材後記など載せています。
よろしければ、登録お願いしますm(_ _)m
↓
http://www.mag2.com/m/0000262712.html
太い眉、骨ばった輪郭、ぎょろりとした目、大きな体。
そんな僕のイメージと、寸分違わぬ外見を持つ九州男児、本山健(23歳)。大衆居酒屋のテーブル席で、僕らは向かい合っている。
本山が飲んでいるのが芋焼酎でなく、レモンサワーなのが少しだけ惜しい。
鹿児島で生まれ育った本山は、十八歳のときに故郷を離れ、上京した。
夢を叶えるために、希望を抱いて上京した・・・のではない。彼の場合、故郷から離れざるを得ない状況に陥ったのだ。
「知り合いの彼女を妊娠させちゃったんだよね。それでちょっとやばくなって、鹿児島にいられなくなったんだ」
当時を思い出したのか、少しだけ後ろめたそうに、本山は語る。その筋の人の女というわけではないが、それなりに危険な女性に手を出してしまったらしい。
「で、東京に逃げてきて、とりあえず新宿に来たんだけど、お金も無いし仕事も無いから、ホームレスに混じって毎日公園で寝てたりしたんだ。あ、そう言えば、歌舞伎町の風俗に行って、ぼったくられもしたよ(笑)」
「風俗?」
僕は思わず聞き返した。
放浪生活の身でありながら、風俗に行ったという神経に驚いたのだ。
明らかに優先順位が違うだろう。何日分もの食費を捨てることになる訳だし、彼がまずしなくてはならない仕事探しも、何かとお金がかかる。
大物なのか、ドスケベなのか。それとも歌舞伎町の魔力なのだろうか。
とにかく、本山はそんな目に遭いながらも、新宿に留まって路上生活を続けた。
やがて、ひょんなことがきっかけで、彼は本格的に新宿の住人となる。
「ゲーセンにいたら、知らないおっさんが話しかけてきたのね。何してるんだ?って。家出してきたんだよとか話してたら、何か意気投合してさ、うちの店で働かないか?って誘われたんだ」
本山は誘われるままに男に着いていったのだが、その店というのが、新宿ならではだった。着いた先は、新宿二丁目のゲイバーだったのだ。
本山はいわゆるノンケで、ゲイではない。
しかし、彼に与えられた仕事は、バーでホストとしての接客をするだけではなく、それ以上のサービスだった。つまり、客と体の関係を持たなければならなかったのだ。
嫌ではなかったのだろうか?
「嫌だよ!本当にあれはねー、辛い!」
苦笑いしながら、本山は答える。
では、なぜすぐ辞めなかったのか?
「逃げ出そうっていつも思ってたよ。本当辛かったもん!だってさ、おっさんが来て、×××してくれよとか言うんだぜ・・・」
この先は、とても書けない。
しかし本山は約二年間、新宿のゲイバーで働き続けた。ゲイに囲まれた環境はともかく、彼は性格的に水商売に向いていたようだ。
その間、実に色々な体験をしたという。
ゲイ向けのビデオに出演したこともあった。
毛じらみをうつされたこともあった(もちろん、男性客に)。
レズビアンの女性に惚れたこともあった。
僕はライターとしてではなく、一般青年の好奇心として、次のような質問をぶつけた。
「ちなみに本山さん、掘られたことはあるんですか?」
すると本山は、少しだけ苦笑して答えた。
「掘られたことは無いよ。けど、掘ったことはある」
さすがの彼でも、超えたくない一線はあったらしい。
やがて本山は二十一歳になり、ようやく水商売から足を洗う決意をする。オーナーと話し合った上での、いわゆる円満退社だ。
本山は東京都市部の町に移り住み、現在はパチンコ屋で働きながら、六つ年上のOLと同棲している。
自身も彼女もパチンコが好きで、休みの日はよく二人で行くそうだ。
「結婚するんですか?」
僕の質問に、本山は照れくさそうに微笑んだ。
「分かんないよ」
居酒屋を出た僕と本山は、ラーメンを食べて別れた。彼は乗ってきたママチャリにまたがると、手を振りながら、ギコギコ音を立てて走り去っていった。本山の家は、この近くなのだそうだ。
僕は満腹の腹をさすりながら、本山の姿を見送る。
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2008年05月07日
タレント

動画投稿サイト「ユーチューブ」で、“丸山宏美”と入力して検索ボタンを押す。すると、数件の動画がヒットする。
タレント志望の丸山宏美(26歳・長野県出身)が、自己紹介をしている動画だ。
「始めまして、丸山宏美です・・・」
「こないだ、ぶり大根を作ったのですが、鱗を取るのを忘れてしまい・・・」
動画は数パターンあるが、カメラに向かって話す彼女の表情は、緊張からかいずれも硬く、また話しぶりもどこかぎこちない。
インタビュー場所の喫茶店。僕の目の前で、宏美は動画と同じように、やや硬い表情でかしこまっている。
「子供の頃から変わり者だったんです。当時は暗くて、太っていたせいもあって、いじめられっ子だったんですね。なので、皆を見返したいと思ってたんです」
タレントを目指すようになったきっかけを尋ねると、宏美はそう答えてくれた。
高校生活が終わりに近づいた頃、宏美は新聞に載っていた劇団のオーディションに応募をする。書類審査は通過したのだが、いざ入団テストを受ける段階になって、突然高熱が出てしまい、辞退せざるを得なくなってしまった。
あまりの切なさに宏美は一晩中泣き明かすのだが、そのことがきっかけで彼女の思いが本気だと知った両親は、彼女の夢の支援を申し出てくれる。そして宏美は上京し、専門学校の演劇俳優科へ入学する。
宏美は自分のことをタレントとは名乗らず、「タレント志望」もしくは「フリーター」と名乗る。
カフェでバイトをする傍らではあるものの、彼女はタレント事務所に所属していて、日本テレビの人気番組「恋の空騒ぎ」の十一期生という実績もある。堂々とタレントと名乗っても良いのではないか?
「世間的にはメジャーではないですし、まだまだ一般人です」
宏美は謙虚に、そう語る。
現在行っているメインの活動は、秋葉原で定期的に行っている撮影会だ。チャイナ服を着て街頭でチラシを配布し、興味を持ってくれた人と交渉が成立すると、スタジオに場所を変えて撮影会を始めるのだ。
支援をしてくれる人も沢山でき、またファンも少しずつ増えてきているという。
だが、宏美は現在二十六歳。決して若いとは言えない年齢だ。当然だが、この先ブレイクする保証はどこにも無い。
「不安になったりすることは無いですか?」
僕の質問に、彼女はあっさりと首を振った。
「無いですね」
本当だろうか?
「ちょっと前は、仕事がなかなか来なかったりすると不安になって、友達や同じ事務所の子に愚痴を言ったりしてましたけど、今は無いですね。活動が充実していますし、支えてくださる人達も沢山いますし」
ユーチューブの動画の印象とは違った、芯の強い宏美がそこにいた。
素顔の宏美はマイペースな性格で、ほのぼのとした人柄だ。けれど、彼女は言う。
「演技で殺人鬼の役とかやってみたいですね。自分のイメージとかけ離れた役ですから。あと、お酒が強くて煙草が吸える女の人にも憧れます」
自分からの脱却、そして挑戦。
皆を見返したいという思いで志したタレント活動が、今では表現をすることの喜びに変わっている。
最後に、こんなエピソードを。
一人旅が好きだという宏美は、二十六歳の誕生日に、伊東へ一泊旅行に行った。夕食の席で、長野県出身だと話している客を見つけ、宏美は思わず「私も長野出身なんです!」と手を上げていた。
それがきっかけで、カップルで旅行に来ていた中年の客と仲良くなり、夕食後に部屋に招いてもらった。誕生日に一人旅に来ていることをカップルに話すと、何と宿泊費用を持ってもらったのだそうだ。何とも人情味のある話である。
「それだけじゃないんです。話を聞いたら、実はその二人、訳有りカップルだったんです。つまり、お忍びの不倫旅行だったんですね」
ほのぼのとした口調で彼女が言うのがおかしく、僕もつられて笑った。
頑張れ、まるるん!
丸山宏美さんのブログです。
↓
http://blog.goo.ne.jp/maruhimeco21
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2008年04月23日
靴わーかー

待ち合わせ場所に向かう前、僕は自宅の靴箱から靴を取り出しかけて、ふと思い直した。履いて行こうとした靴は、よく見るとかなりくたびれてしまっている。今日履いてゆくには、相応しくない。僕は取り出しかけた靴を戻し、比較的きれいなスニーカーを選んで履いた。
「靴づくりをしようと決めてから、目が人の足に自然といくようになりました」
彼女が自身のブログの中で、そう書いていたのを思い出したからだ。
彼女の名はいのゆり(24歳)。自分の工房を持つことを目標に、現在「moge workshop」で靴作りを学んでいる。
広島県で生まれ育った彼女は、大学入学を機に上京する。大学では社会学を専攻。卒業後、人の生活や健康を支える仕事に就きたいと考えていた彼女は、MRとして製薬会社に就職する(現在は退職)。
そのような道を歩んできた彼女が、なぜ靴作りに目覚めたのだろうか?
「変わり者」「変人」。いのゆりは自分のことをそう呼ぶ。
「十人中九人には言われますからね。自覚せざるを得ないですよ」
まず、アルバイト歴からして凄い。年賀状配達のアルバイトから始まり、ガソリンスタンド、コールセンター、飲食店、バーテン、焼き芋売り、エステの勧誘、さらには出会い系サイトのさくら(データ入力のバイトに応募したらするはめになっていたそうだ)など、実に多岐に渡る。
聞きながら、僕は胸が躍ってしまった。
彼女はとにかくアクティブなのだ。
大学時代は新聞奨学生として新聞の配達をしながら学校に通い、さらに学内新聞のサークルにも入っていた。
「ちょっと夕刊配ってくるね、って学校を出て、配達が終わったらまた学校に戻って、新聞を作るんです」
しかし、当然だが、彼女は生身の人間である。睡眠時間が三、四時間程度の日々をしばらく送った挙句、彼女の言葉を借りると、「過労でぶっ倒れたんです」。
そして、気分障害が発症したのもこの頃だった。
三ヶ月間引きこもった後、何とか立ち直って大学を卒業するが、病は現在も治療過程中にある。
そしていのゆりは製薬会社に就職するのだが・・・会社という組織の中で、会社の色に染まることを良しとする生き方は、彼女が目指す生き方ではなかった。
「愚直な生き方が好きで、またそうしか生きられない」彼女は、思い切って会社を退職し、職業訓練校に向かった。
そこで、製くつ(製靴)という仕事に出会った。
人の生活や健康を支える仕事、何かを作る仕事を目指していたいのゆりは、目を輝かせる。
「私の目指していたことにピッタリじゃない!」
しかし、詳しく説明を受けると、いのゆりの希望は落胆に変わる。職業訓練校で教える靴作りは、履く人の足に合わせた靴作りをする「靴わーかー」を目指す彼女のイメージとは大きく違った。職業訓練校は靴を作る学校ではなく、既製靴を量産する労働者を養成する学校だったのだ。
その日のブログに、彼女はこう綴っている。
『日本の靴作りって、ほとんど分業制なんですよ。
革を縫うだけの人。底を付けるだけの人。
「靴」が作れる人なんて求められてないんです。
ただ、作業をこなす機械になればいい。
そんな在り方じゃ、人件費の安い海外に敵うわけ、ナイ。
実際、日本の靴産業は衰退してってるんです。
私が目指すものは、そういう業界ではないよなあって。
他の靴の学校も調べてみたけど、一見華やかで、楽しそうで、でも違和感がぬぐいきれなかった。
このときはかなり迷ったし、ぐらついたんですよ。靴作り、目指していいのかなぁって。自分の望む生き方を見失いかけました』
そんな中、いのゆりは知人に「moge workshop」を教えられる。
彼女の目指す靴作りに最も近いことを教えてくれる学校、それが「moge workshop」だった。
だが、学費は決して安くない。本来なら一年間お金を貯め、来年から通うつもりだったが、学校の説明会に参加したいのゆりは直感する。
入学するなら今しかない!と。
いのゆりの靴わーかーとしての日々が始まった。
「誰だって特別で、それでいて普通なんです。私は大それたことをしようとは思ってないですよ。私の靴が買ってくれた方の生活のかたわらにあって、お気に入りだと思ってもらえれば、これほど幸せなことは無いですよ」。
靴を作ることの喜びについて尋ねると、彼女は呆気からんとそう話してくれた。
「よく、巡り合えましたね」
僕はそう言った。靴作りを止めることすら考えていた時期に、「moge workshop」に出会えたことは、奇跡のような確率に思える。
しかし彼女と話していると、そうでないのだと思わざるをえない。
過ごして来た全ての時間や、出会った人達、交わした会話や感情の全てを、彼女は無駄にしていない。目に見えない流れのようなものを作り出し、今日という日に繋げることができているのだ。
午後十時三十分。僕はいのゆりを駅まで見送り、取材の礼を言った。
最近マイブームだという京樽のかんぴょう巻きをお土産に渡すと、彼女はとても喜んでくれた。
「ありがとうございます。明日の朝ごはんに食べますね」
彼女は明日もバイトに靴作りの勉強に忙しい。
「できる男のお洒落は、足元から」。
という訳で、将来彼女が工房を開いたら、僕も靴をオーダーする予定である。
・・・という文句でこのコラムを結ぼうと思ったが、やはり止める。
彼女に靴をオーダーしたい気持ちは事実だが、それをいかにも気の利いた文章風に仕上げて使うのは子供だまし(きっと彼女もすぐに見抜くだろう)。アマチュアならともかく、プロのライターとしては失格である。
なので、改めて本音で綴った結びの言葉を。
「足元からドラマが生まれるように、世界中でドラマが生まれている。それに気づけば幸せだし、気づかせてくれる人に出会うことも幸せである」。
今回取材させていただいた、いのゆりさんのブログです。
↓
http://plaza.rakuten.co.jp/InoyuriShoeWorks/
2008年04月02日
広い部屋
小さな女の子が、ショーウインドウに顔を近づけ、食い入るように中を見つめている。
ここはデパートの地下食品売り場にあるパン屋。ショーウインドウの中の厨房では、宮下雄一(31・仮名)が、黙々とパンを作り続けている。パン生地をこね、形を作り、オーブンに入れる。その手つきはとてもスピーディかつ鮮やかなプロの技だ。それもそのはず、宮下はパン作り歴七年のベテランだ。女の子でなくても、彼の仕事に見入ってしまう客は沢山いるだろう。
パン職人の一日は長い。朝は八時前に出勤し、店を出るのはおよそ十二時間後の、二十時過ぎだ。休憩時間以外は、基本的に立ちっぱなしである。足が痛いだろうし、厨房の中は暑いだろう。
「楽勝だよ。慣れだよ、慣れ」
大変な仕事ではないか?という僕の質問に、宮下は笑顔で答える。
そしてその言葉通り、仕事を終えた宮下は疲れた様子を少しも見せず、軽い足取りで店を後にした。僕も慌てて後を追う。
確かに、疲れている暇など無い。実は、ここからが宮下の一日の始まりなのだ。
BGM(軍歌♪)
店員・NA「いらっしゃいませ、本日はご来店いただき、真にありがとうございます。本日は出血大サービス、店を上げての大解放デー、どうぞお客様、お好きなだけお出しください、お持ち帰りください。ジャンジャンバリバリ・・・」
お分かりいただけただろうか。
宮下の一日は、パチンコ屋に通うことで始まるのだ。
夕食もとらず、煙草と缶コーヒーだけをひっきりなしに口にして、宮下はパチンコ台と向き合う。店を後にするのは、閉店時間になるか、財布が空になるまで。ほぼ毎日のことだ。
宮下の住むアパートを訪ねた。
駅からはやや離れているが、静かな住宅街の中にあり、何より日当たりが最高に良い。2LDKの間取りは、独身の彼が住むにはやや広すぎる気もしたが、後述する事情を聞いて致し方無いのだと理解した。
宮下は、消費者金融の借用書を見せてくれた。
僕は思わず目を丸くしてしまった。そこには、二百万円近い金額が記されていた。やるせない気持ちになってしまって、僕は無言で借用書を返した。
「二十三、四かな。そのくらいのときに、嫁と離婚したんだ。ちょうど仕事も辞めて、何もしない時期が一ヶ月くらいあったんだけど、毎日パチンコに行ってたからね。で、勝っても負けても夜はキャバクラ。バカだろ?」
宮下は煙草を吸い、缶コーヒーを飲みながら、そう話した。時刻は夜の九時過ぎだ。
僕はふと、ある違和感を覚えた。まったくもって僕の勝手なイメージだが、彼のキャラクター的には、コーヒーよりビールを飲んでいる方が似合うなと思ったのだ。僕がそのことを言うと、彼はこう答えた。
「本当は酒はあんまり飲まないんだよね。たまーに飲むくらい。ギャンブルは止められないけど、酒は全然無くても平気かな」
続いて僕は、妻と別れた理由を尋ねた。
原因は、宮下の浮気だという。
付き合っていたキャバクラ譲と夜の街で会っていたとき、ばったりと妻に遭遇してしまったのだ。
空気が凍りつき、しばらく沈黙が続いた後、妻は満面の笑みを浮かべて言った。
「どうも、主人がいつもお世話になっております」
妻は続いて宮下に向き直った。
「あんまり遅くならないようにね。じゃあね」
妻は二人に微笑みかけると、その場から歩き去っていった。
その後、離婚が成立し、妻はアパートを出て行った。
なので、宮下は広い部屋に一人で暮らしている。
転機が訪れたのは、宮下が三十歳のときだった。
当時付き合っていた彼女が、妊娠したのだ。
パン屋の仕事にこそ就いていたが、借金を抱え、ギャンブルに明け暮れる日々を送っていた宮下は、こう思った。
そろそろ、ちゃんとするか・・・。
宮下は彼女に結婚を申し込んだ。もし結婚が決まったら、彼女のために、会社の社長にあるお願いをするつもりでいた。
きっぱりとギャンブルから足を洗い、これまでの借金を清算して、綺麗な身で結婚生活を始めたい。なので、必ず返すので、借金返済のお金を立て替えて欲しい、と。
だが、彼女は宮下との結婚を断り、中絶することを選んだ。宮下の借金はそのまま残り、ギャンブルから足を洗おうという思いも消え、そして彼は再び一人になった。
なぜ結婚を断られたと思うか?という質問に、宮下は答えなかった。少しだけ投げやりな表情を覗かせ、しばしの沈黙の後、彼は言った。
「いいんだよ、あんな女」
後日談だが、宮下とは急に音信が不通になってしまった。
何度電話をかけても出る気配が無く、また向こうからもかかってこない。
なので、この原稿は彼の許可を得ずに公開している。
そのため、匿名性を保つ目的で、内容の一部を編集していることをあらかじめ申し上げておく。
僕はいつか、彼と再会できるだろうか。
2008年03月04日
ダンサー
阿藤(30)は終業時刻の数分前になると、タイムレコーダーの前で待機を始める。十七時二十分きっかりに、タイムカードを打刻できるようにだ。その姿は、さながら飛び出すのを待つ鳩時計の鳩のようである。
終業時刻が訪れ、他の社員達がようやく帰宅の準備を始める頃には、阿藤は既に会社を後にし、早足で駅へと向かっている。一分、一秒たりとも無駄にしない忙しなさだ。
会社の終業時刻から約一時間後、阿藤の姿はダンススタジオにある。生徒とペアを組んで、マンツーマンでダンスのレッスンをしているのだ。
「スロー、スロー、クイック。スロー、スロー、クイック」
阿藤は会社員のかたわら、社交ダンスの講師として活動している。阿藤が毎日急いで帰宅するのは、そんな理由があるからなのだ。
大学卒業後、阿藤は広告代理店に就職した。主なクライアントは、大手玩具店だ。
年末年始など、繁忙期の忙しさは半端ではなかった。一日十五、六時間労働は当たり前。ひどいときは、月曜日の朝に出社し、帰りは金曜日の夜ということもあった。その間は一度も自宅に帰れず、会社に泊まる日々を送ることになる。
また、出社したまではいいものの、連日の睡眠不足がたたって、会社の入り口で倒れ、そのまま眠ってしまったこともあった(出社してきた事務のおばさんに発見され、死んでいると思われて悲鳴を上げられた)。
阿藤がダンスと出会ったのは、そんな無茶苦茶な生活の中だった。
兄に紹介されてダンスサークルに何気なく参加し、たちまち虜になったのだという。
当時、阿藤は二十四歳だ。僕は素朴な疑問を阿藤にぶつけてみた。
なぜ、社交ダンスなのか?年齢的にはヒップホップなど、クラブ系のダンスに引かれる方が自然ではないのか?
「やってみたらどうにもこうにも面白くてさ。種目が多いのが魅力なんだよね」
阿藤はそう答える。
実にあっさりした答えだ。
例えば、ダンスの種類より、中華料理のメニューはもっと多い。けど、中華料理に引かれずにダンスに引かれたということは、それが阿藤のフィーリングであるからだ。
阿藤は広告代理店で働きながら、次第に社交ダンスにはまっていった。
取引先の会社を訪問し、待合室で待機している間に、ついついダンスの練習を始めてしまい、先方に見つかって恥ずかしい思いをしたこともある。
話を聞きながら、僕は映画「Shall we ダンス?」を思い出す。あの映画でも確か似たような場面があった。
ダンスを始めて三年ほどが経った頃、阿藤はサークルの主催者から、講師をしないかという誘いを受けた。いつしか阿藤は、ダンスの師匠でもある彼女から、後継者として大きな期待を背負うまでになっていたのだ。阿藤はダンスに専念するため、広告代理店を退社した。
現在は時間の融通が利く会社で、派遣社員として働いている。
「ダンス講師が本業、会社は副業。まあ、副業の方が、本業の四倍は収入があるんだけどね」
阿藤はそう言って笑う。
しかし、そこに悲壮感は皆無で、あるのはうらやましいほどの充実感だ。
阿藤には恋人がいる。
阿藤のダンスパートナーでもある彼女は、すらりとしたスタイルで、黒髪がとても綺麗な美人だ。彼女は阿藤の師匠の姪っ子に当たる。師匠の紹介で二人は知り合い、ダンスパートナーになった。
意外なことに、恋人はダンスが身近にある環境でありながら、ダンスを始めたのはつい四年前だ。当初は社交ダンスに対して、年配の人がするものというイメージがやはりあったのだという。
年配の方が多い社交ダンスにおいて、同い年でパートナーの二人が引かれあってゆくのは、ごく自然だった。今では師匠も生徒さんも公認の仲なのだという。
「凄いのはさ、彼女のお母さんも生徒さんで、俺が教えてるんだよね。お母さん、普通に俺の前で着替えたりするからね」
幸せそうに、阿藤はそう話す。
阿藤と恋人は、先日揃って、念願だったA級に昇級した。
ダンスの級は、3級から始まり、2級、1級、D級、C級、B級、A級、そして最上の級として、SA級が存在する(ちなみにSA級は、国内で開催される大きな三つの大会の内、二つ優勝しなければ昇級できない。非常に狭き門なので、SA級を保持しているダンサーは殆どいないのだ。なので、実質的にはA級が最上の級ということになる)。
喜びとは別に、阿藤にはある思いがあった。かねてより、阿藤はA級に昇級したら、あることをしようと決意していたのだ。
阿藤はその決意を実行した。
初デートの場所であるお台場で、阿藤は彼女にプロポーズをしたのだ。
今月、二人は結婚をする(2008年3月現在)。
今日も阿藤は、終業時刻の数分前になると、タイムレコーダーの前で待機を始める。その足元は、自然とダンスのステップを踏んでいる。
※阿藤氏は東京都の西部にあるダンススタジオで講師をしています。
興味を持たれた方は紹介いたしますので、僕までメール下さい。
2008年01月27日
ドランカー
「小学校二年生の頃かなぁ、俺、子供英語教室に通ってたんだよ。それでさ、あるとき授業が終わって帰ろうとしてたら、大人クラスの女子大生に『僕、ちょっと来て』って呼ばれて、非常階段の方に連れてかれてさ、いきなりズボン脱がされて○○○を×××されたんだよ!・・・」
中学生のような無邪気な笑顔で、吉岡宏(仮名・28歳)は話し続ける。僕はその話を聞きながら、取材と言うことを忘れて、何度も声を上げて笑ってしまう。
話の内容もさることながら、吉岡の話し振りは芸人のそれのように上手い。
「それでその女子大生、『僕、おっぱい触りたい?』って言い出して、いきなり自分も脱ぎ始めてさ、俺の手を引っ張って胸触らせてくるんだよ・・・」
吉岡は次々と、同系統のエピソードを披露してくれる。話は尽きない。まるで、アラビアンナイトの千夜一夜物語のようだ(その全てをここに紹介できないのがもどかしい)。
夜、吉岡が自宅に招いてくれた。奥さんと義父と暮らしているという、一階建ての平屋が吉岡の自宅だ。駅から近く、そこそこ広い庭もついていて、住み心地が良さそうだ。
僕と吉岡は濡縁に並んで座り、取材を再開した。
「こんなものしかなくてごめんなさいね」
途中、奥さんがそう言って、コラーゲン入りのジュースを出してくれた。奥さんはお腹が大きかった。もう臨月なのだという。
お腹を触らせてもらうと、温かい感触が手のひらに伝わった。僕は奥さんの顔を見、それから吉岡の顔を見た。二人とも嬉しくて仕方ないといった様子で、まだ見ぬ我が子が眠っているお腹を見つめていた。
吉岡はサウナで働いている。底抜けに明るく、裏表の無い性格の彼は、年上にも年下にも慕われる存在だ。
僕は、お客のいなくなったサウナ室で、吉岡が床を磨いている場面を想像する。ボイラー室で汗をかいている場面を想像する。同僚達と仕事帰りに一杯やっている場面を想像する。
彼の以前の職業がヤクザだと、誰が信じるだろう。
人を殺して自宅の庭に埋める。そして何食わぬまま、平然と日々を生きる。
吉岡が生きてきた世界には、そういう輩が当たり前のようにいたと言う。
「俺さ、根はお人よしなんだよ。やっぱ、あの世界には向いてなかったんだよね。だから、足を洗ったんだ」
根はお人よし。
確かにそうなのだろう。だが・・・。
「このベスト、格好いい?」
吉岡が着ていたベストの裾をつまむ。
「ヤクザやってた頃、追い込みかけたら夜逃げしちゃった一家がいてさ。残った荷物の中にあったから、持って帰って着てるんだ」
僕などからみれば、吉岡が生きてきた世界は、劇画そのものだ。
吉岡は拳法の有段者だ。
組み手をしようと言われて、僕はびびりながらも吉岡と向かい合った。
構えを取ると、柔和な吉岡の表情がすっと引き締まった。僕が感じたのは、紛れもなく殺気だった。
素早いステップを踏みながら、吉岡が突きを繰り出してくる。
おいおい、と僕は思った。
だが、拳法は吉岡の身を守ってくれるだけではなかった。
何年か前の稽古中に、相手の蹴りが吉岡の頭部を直撃したことがあった。
その後遺症が、現在になって発生したのだ。
脊髄にある中枢神経が損傷し、いわゆるパンチドランカーのような症状が出るようになった。
以下、パンチドランカーの具体的な症例(ウィキペディアより抜粋)。
・頭痛。
・認知障害(記憶障害・集中力障害・認識障害・遂行機能障害・判断力低下等。
・ 人格障害(感情易変、暴力・暴言、攻撃性、幼稚、性的羞恥心の低下、多弁性・自発性・活動性の低下、病的嫉妬、被害妄想等)。
例えば、街中で人と肩がぶつかる。その瞬間、吉岡の中で何かが弾ける。
「いてえな、この野郎!殺すぞ!」
吉岡は怒鳴り声を上げ、近くにあった看板を蹴り飛ばす。相手は訳が分からぬまま逃げてゆく。
以前の吉岡なら、絶対に有り得ないことだ。だが今の彼は、感情を自身でコントロールすることが不能になってしまっていた。
吉岡は精神病院に入院することになった。
半年ほど経ち、吉岡から連絡があった。精神病院を退院したのだという。
久しぶりに再開した吉岡は、げっそりと痩せていた。目は虚ろで、輝きも乏しい。
彼は現在、生活保護を受けながら、ワンルームマンションで一人暮らしをしているのだという。奥さんとは別れたそうだ。
退院したとはいえ、症状も決して良くない。この先も、完治するか分からないのだという。
吉岡はぽつぽつと、近況を語ってくれた。
僕は何も言えなかった。正直、重苦しい取材だった。
だが一通りの近況報告が終わると、話題は自然と吉岡の得意分野へと推移していった。
「小学生の頃さ、家に帰ったら、知らない男が裸で家にいるんだよ。俺、びっくりして、逃げ出してさ!後で母親に、昼間知らないおじさんがうちにいたんだよ、って言ったら、母親言葉を濁しちゃってさ!あら、そうなの、泥棒かしら、なんて言ってたけど、今思うとあれは明らかに浮気だったんだろうな・・・」
吉岡が生まれ持った明るさは、そう簡単には消えない。
2008年01月23日
少年の絵
少年が今にも飛び立とうとせんばかりに、両腕を広げている。十五歳くらいだろうか。目を細め、うっとりとした表情を浮かべて、なびく風に身を任せている。
デッサンタッチの繊細な筆で描かれた、ややポップなイラスト。
良い絵だと僕は素直に思った。
描いたのは、麻里子(21歳・仮名)という女性だった。
麻里子はバイクに乗って、待ち合わせ場所に向かっていた。クラシックな形をした、50CCのバイクだ。麻里子の雰囲気によく似合っている。
待ち合わせ場所の駅前に到着すると、男友達は既に到着していた。友達と遊んでいたところを、麻里子の為に切り上げてやって来てくれたのだ。二人はマクドナルドに入った。シェーキが百円のキャンペーンをしていたので、二人ともシェーキを注文した。
「大変だったね」
席に座って、友人が言うと、麻里子は頷いた。
「大変だったんだよ」
妹が麻里子の名義で携帯電話を使用し、料金の支払いを拒んだというのだ。三万数千円の金額は、当然契約者である麻里子に請求された。だが、麻里子はそれを支払う金を持ち合わせていなかった。
なので、目の前にいる友人に、その金を借りる約束をしていたのだ。
「ありがとう」
麻里子は本当に申し訳なさそうな表情で、友人から金を受け取った。友人は気の良い笑顔で首を振る。
「ううん、いいよ」
その後、二人はしばし雑談をして店を出て、別れた。
麻里子は他の男友達にも金を借りている。
普通の人は、普通という言葉の意味を漠然とながら定義づけ、自分なりに形状化して所有している。いわゆる、普通の普通だ。
そんな普通の視点から見れば、麻里子の身の上話に同情しない人はあまりいない。
麻里子に両親はいない。彼女がまだ小学生のこと、交通事故で亡くなったのだ。育ててくれた祖父母も亡くなっている。そして、妹にも裏切られた。
麻里子は若干二十歳にして、天涯孤独の身だ。
一年前、麻里子は生まれ育った九州を離れ、東京で暮らすようになった。
パチンコ屋で働き、花屋で働き、工場で働いた。
やがて、パチンコ屋で出会った一つ年下の彼の家で、麻里子は暮らすようになった(それまでは家賃三万円台の、古いアパートで暮らしていた)。
実家なので、彼の家族とも同居だ。家族のように、何一つ不自由しない生活を提供してくれる。
さすがに恐縮して、生活費を払いたいと母親に申し出ると、当たり前のように拒否された。
両親は共に温かく、良い人だった。年の近い妹も仲良くしてくれる。
そんな暮らしがしばらく続き、麻里子は妊娠した。結婚という選択肢は二人に無かったようだった。だが堕ろそうにも、彼はパチンコ屋を辞めて無職だった。麻里子も金が無い。
麻里子は友人に電話をかけた。携帯電話の金を貸してくれた友人だった。
借りた金はまだ半分しか返していなかったが、他に頼める相手はいない。
事情を話すと、友人は理解を示して良いよと言ってくれた。
だが、事情を耳にした他の友人が納得しなかった。
「彼は今、働いてないの。今後のために車の教習所には通ってるんだけど。貯金も無いし、お母さん(彼の母親)にも言えないし・・・」
電話をかけてきた友人に、麻里子は説明する。
「けど、妊娠したのは自分達の責任でしょ?自分達で解決しないと。俺たちに頼むのは違うと思うよ」
何も言えない麻里子に、友人は言葉を続けた。
「その辺を自覚して、もう一回彼と話し合いな。それでどうしてもダメだったら、また言ってきな。貸してあげるから」
結局、その友人達にはもう頼まなかった。
検診で病院に行くと、胎児はお腹の中で亡くなっていた。
ショックでした、と彼女は語ってくれた(どれほどショックだったのかは、僕には想像すらつかない)。
友人達から何度か電話が来たが、出なかった。麻里子を心配しての電話か、以前貸した金の催促の電話なのかは分からない。
麻里子は彼の家を出る決意をした。
この先どうやって生きてゆくかは、まだ決めていない。
一日中本を読んだり、ギターを弾いたりできたらなぁ。それといつか、絵の専門学校に行きたいんだ。
麻里子は僕にそう言った。いつか見せてくれた絵の中の少年が思い浮かんだ。
僕は今でも、あの絵が好きだ。