吉本新奇劇 よしもと しんきげき

徒然なるまま、写真とともに日々の発見を記録する公開日誌です。

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本日(もう昨日になりましたが)ESS英語劇の『でィセンダンと』第二回目公演が、放課後18:00から行われました。予想に反して多くの観客がきてくれて、おそらく100名を越えていたと思います。開場は熱気に包まれ、役者たちも否が応でもやる気を出さなくてはならない状況でした。
学科の先生たち、若手のO先生や、重鎮のA先生、外国人教員のS先生も会場に駆けつけてくださっていたのは、ちょっとびっくり。職員の方もちらほら。前回に続いて、市大の学生もかなり来てくれていましたね。そして驚いたのは、子供連れのお母さんが数名来てくれていて、小さい子供たちが楽しそうに見てくれていたことです。子供たちは、やはり途中から英語での演技について行けなくなった子も居たようですが、それでも彼らを惹き付ける要素はいろいろあったので、楽しんでいるようでした。
演技の方はと言えば、第一回目で、かなりの自信をつけたものと思われ、みんなかなり落ち着いていたと思います。その自信が、こまかい演技、動きの余裕に現れていたと思います。
特にフェアリーゴッドマザーを演じたHくんは、元々持っているエンターテイナーの性分を遺憾なく発揮し、会場を笑いの渦に巻き込んでおりました。このおかげで、会場全体が和やかな雰囲気となり、他の役者たちも、演技を楽しめる雰囲気になっていたと思います。
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主役のマルとベンを演じた二人も、そのあつあつぶりを、本当の恋人同士かと思わせるような演技力を見せて、いい感じでした。
歌や踊りも、やはり前回より力が抜けていいリズム感でやっていたように感じました。
観客たちの笑い声や、ため息とか、感嘆のこえが、しばしば聞こえたことは、舞台としての質が高まったことの証拠でしょう。終わった時の会場からの拍手の力強さがすべてを物語っておりました。
この芝居を引っ張って来たKくんも、満足できたのではないでしょうか。
今回私は一切タッチしていないので、だからこそこの成功があったのであろうと思うと、少々悔しい気持ちにさえなる、そんな感じでした。オヤジがあれこれ言いながらやらせてもこういう雰囲気にはならないわけで、若者たちが自発的に、やる気を集めて作り上げたからこそ、こんなに楽しい舞台ができたのだと思います。みんな、演じることに喜びを見いだしているということがよく伝わってきたので、それが一番だと思います。一生懸命練習して、拍手がもらえるというのは最高ですよね。

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 今年のノーベル賞授賞式は、誠に歴史的な授賞式になりました。日本生まれのイギリス人作家、Kazuo Ishiguro氏がノーベル文学賞を受賞し、核兵器廃絶を訴える団体iCanが平和賞を受賞し被爆者が授賞式に招かれたという、その意味もさることながら、この二つの賞の受賞で、日本人(に見える人)が完璧な英語でスピーチを行ったということにおいて、誠に歴史的なのです。
何を言っているのだ、Kazuo Ishiguro氏は日本人ではないではないか、国籍はイギリス人だろう、とか、サーロウ節子さん個人が受賞したのではなく、団体としてのiCanが受賞したのだから、それはちょっと違うよ、それに彼女はカナダ在住だろうとか、そういう問題ではなくて、あくまでも日本人にとって、どう見ても日本人である二人の人物(または日本人ではないけれど自分たちにとっては日本人としておきたい人物)が、完璧な英語で世界に向かって感動的なスピーチをしたという意味で歴史的なのです。
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 Kazuo Ishiguro氏のスピーチの内容については、また稿を改めて何か書きたいし、サーロウ節子さんのスピーチについても語りたい気持ちはあります。しかしこの歴史的出来事の最大の重要性のうちの一つは、繰り返しになりますが、外見は、あの英語下手として知られる日本人に外見的に見えるお二人が、世界に向かって英語で、今年最も重要な発言を、非常に流暢で、完璧な発音による英語で行ったということなのです。
 これまででも、外見は日本人だけれども英語の話者であるような人はいくらでもいるわけだし、そんなの関係ない、ということも全く正しいことなのだけれど、少なくともこのお二人の姿が、日本の英語教育界に妙な自負心というか、驕りというか、理想のモデルというか、英語学習への行き過ぎたのめり込みの動機付け、そういうものを提示してしまったような気がしたのです。
 自分も英語教育者でありますので、お二人のスピーチを早速教材に使ってみたいなという気持ちが湧いてきていることは確かであるし、彼らの姿を学生に見せて、さあ君達も英語頑張ろうねと言いたいけれども、そうすることになんとなく躊躇を感じてしまうのです。
 この、ノーベル賞の授賞式という世界最高の舞台で日本人(に見える英語ネイティブスピーカー)が美しい英語をしゃべる姿は、ますます日本人たちに、英語をしゃべれるようにならなければいけないのだという集団的強迫観念を与えるのではないかという、ある種の危惧を感じているのです。この、実は英語をしゃべる日本人ではなく日本人に見える英語の話者の栄えある受賞が、日本人に感動と妙な誤解を与え、こんなにネイティブライクに英語を喋らないといけないのだ、そうでなければ偉くなれないのだ、といった劣等感と、過度の英語崇拝、英語帝国主義への自発的な服従意識を与えてしまわなければ良いが、という心配を私に与えるのです。
 奇しくもKazuo Ishiguro氏もサーロウ節子氏も、原爆と深い関係をお持ちであって、反核と世界平和という意味で非常に重要な貢献をされているので、こんなつまらないことを書くのは気が引けますし、やはり英語で発信しなければ、世界平和には繋がらないだろうという諦めに似た心情はあるのだけれども、まあ一応感じたことを書いておこうと思ったわけです。実は世界平和実現の最大の問題は、コミュニケーションや言語の問題だろうと思いますし。

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ESSの英語劇『でぃせんだんつ』Des cendant s の初日公演が終わりました。
今年のESSはつぎつぎと英語劇の舞台を公演してきました。本当にそのプロデュース力は目を見張るものがあります。The Importance of Being Earnestに続いて、Matildaをやり、そして今回のDe scen dants です。それらをやる一方で、主要メンバーたちは授業で行った『十二夜』の公演もやったのだからすごいことです。
今日の舞台は、マチルダ以後に練習し始めて、約2ヶ月で仕上げたということですね。
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今回の舞台は、ミュージカルであり、歌や踊もふんだんに盛り込まれていて、見るものを飽きさせない楽しい内容になっています。そのダンスの練習には相当な時間をかけていてましたね。今回は、私はほとんどタッチしていないので、どれだけの練習量をこなしたかは全部は見てませんが、とにかくよく練習してました。もともとダンスをやっていて基礎演習で英語劇をやって、卒業後演劇関係でがんばっているMさんを紹介した所、彼女が積極的にESSメンバーにダンス指導をしてくれたのでした。
やはり今の若者は、ダンスが好きなんですね。まあ我々の世代にも、ディスコ・ダンスってのがはやったのですが。
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今日は雨模様だったので、お客さんが来てくれるかどうか非常に心配されましたが、雨の中、50名くらい来てくれたと思います。私が別の大学で教えているクラスの子たちもかなり来てくれてよかったです。ピーターパンの時に出演してくれたK君も見に来てくれてましたね。ご父兄もかなりの数来てくださっていたようです。
その観客の期待を裏切らない、素晴らしい舞台になったと思います。字幕とか、映像と演技のコラボレーションとか、ダンス、そしてソロの歌など、見所満載でした。それぞれの役者の英語の発音の流暢さが非常に印象的でしたね。台詞に詰まるといった場面はほとんどなかったのではないかと思います。早くしゃべりすぎて、あるいは発音の問題でちょっと聞き取りづらい部分があったことも確かだけれど、そこまで早くしゃべれるほど練習したというのがすごいです。
そのうえ、細かい演技が非常に良かった。ひとりひとりのことは、もう一度映像みてじっくり確認しないと書けないですが、とにかくみんな役を一生懸命演じていた。ストーリーの面白さがよく伝わっていましたね。
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OBのK君も、感心することしきりでした。自分たちの時より数段うまいと言って。まあ、彼らのピーターパンの時もすごく良かったと思いますけどね。今日の出し物はテンポが良かったし、なんたって、で ぃ ズ にいーですから。
繰り返しになるけれど、この舞台には私はほとんど何もしていないので、記事にするのもおこがましいようなことで、これは完全にリーダーのK君の制作した舞台なのです。思い返してみると、この舞台に至る迄の彼の英語劇遍歴はなかなかすごいものがあります。彼の英語劇に対する思い入れが、皆を巻き込み、その気にさせ、練習させ、踊らせ、心を一つにした。彼の成長、そしてチームの一人一人の成長が本当に頼もしく感じられた今日の舞台でした。
公演はもう一度あります。この木曜日14日の18:00から。よかったら見に来てやってください。

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 みなさんお元気ですか。ながいことご無沙汰しております。なんだかすごく忙しくて、ブログを書く気力が出なくて、本当に長いこと記事を書けないでいました。今日もこのまま寝ようかなと思っていて、ふとテレビを付けたら、Eテレでカズオイシグロの文学白熱教室というやつをやっていて、そういえば最後に書いた記事がカズオイシグロの名前の中に、カズヒロが隠れているというしょうもない記事だったことを思い出し、ちょっとまた記事を書きたくなりました。カズオイシグロの英語は分かり易いですね。
 記事を書いていない間にすごくいろいろな記事のネタになるような出来事がありました。
いくつか挙げてみます。
 10月20日にはUCDavisの英語学校から研修に来ないかという営業で、あのSさんが私の学校にやってきました。Sさんとはニュージーランドのワイカト大学に研修に学生を連れて行っていた時に知り合ったのだけれど、今回UCDavisに転勤したと言うのです。ニュージーランドからアメリカのカリフォルニアに転職なんてかっこいい。UCDavisは私が留学した大学です。少し前の記事に書いたかもしれないけど、この3月に二十数年ぶりにキャンパスを訪ねたばかりでした。奇遇です。
 10月23日には、英国国際教育研究所の所長のZ先生が本学で講演会を開かれました。Z先生と日本で会うのもすごく久しぶりでした。最近では2年前にロンドンでお会いしたのだけれど、そのときよりもちょっと長老感が増したような気がしました。講演会では相変わらずの雄弁で参加した聴衆を魅了してくださいました。うちの大学に日本語教師養成のカリキュラムが出来たので、Z先生に、広島でも英国国際教育研究所の説明会を兼ねた講演をしてくれませんかと頼んでみたところ、博多からの帰り道に寄ろうということになったのでした。終了後、日本語関係の授業担当のN先生、S先生と4人でお好み焼き屋に行き盛り上がりました。Z先生はやはり熱かった。
 10月29日には中四国英文学会のシンポジウムだけを聞きに、就実大学まで日帰りで行きました。英語教育に文学作品をどう使うのかというような内容のシンポジウムで、それと同じようなテーマで来年自分がしゃべらないといけない状況なので、すこしでもヒントがあればと思って行ったのでした。
 11 月4日と5日には東京で日本ルイス・キャロル協会の大会で研究発表させていただきました。今回は昨年に続いてルイス・キャロルの写真アルバムについてしゃべらせていただきました。これはこれ迄の資料調査の結果報告のような発表で、やっておかないといけないという義務感みたいなことでやらせてもらったので、聞いている人にどれだけ面白かったか、ちょっと不安な感じでした。とにかくやりました。
 11月13日には、オーストラリアのサザンクロス大学のコーラス・グループであるイザベラ・ア・カペラのコンサートをうちの大学で開催しました。前回は10人くらいのチームでしたが、今回は4人で、いわゆる人間楽器みたいなパフォーマンスは聞けなかったけど、みんなすごい美しい声で、素晴らしいコンサートでした。ピアノソロの演奏もすごく良かった。放課後の方が学生がたくさん来てくれると期待して、放課後に時間設定したのに、観客が少なくて、ちょっとがっかりでした。ピアノを移動したり、調律もしなくては行けなかったので、かなり予算も使ったのです。これの準備もずっとやっていたのでなんとかやっと終わってくれたという感じでした。コンサートの後、みんなをお好み焼き屋に連れて行って楽しい時間を持つことが出来ました。
 11月18日は、日本ヴィクトリア朝文化研究学会で関西学院大学に日帰りで行きました。関西学院大学には初めて行ったのだけれど、たしかに美しいキャンパスですね。昨年、一昨年とこの学会で発表させてもらったのだけれど、今回は聞きに行くだけでした.今回も若手の研究者でラファエル前派の絵画に関する発表があり、とても興味深かったです。また中島俊郎先生のウォーキングに関する講演は非常に面白かった。
 これらのイベントが連続して非常に忙しかったのに、その合間を縫って、10月末までにある論文を書き上げないといけなかったので、これがしんどかった。もう諦めようかと思ったけれどなんとか仕上げてぎりぎりに出しました。出せなかったらすごい脱力感になっていたと思うけれど、なんとか出来たのはほっとしました。さらに、論文ではないけれど、実践報告のような文章を11月末迄に書かなければ行けなかったのもしんどかった。
 ここまで、本人以外にはあまり意味のない記録文章を読んでいただいた方々、ありがとうございます。今日の記事の写真は、ESS部員の学生諸君が少し前に上演した英語劇、オスカー・ワイルドのThe Importance of Being Earnest(『まじめが肝心』)の時の集合写真です。つまり言いたいのは、「まじめが肝心」だということです。ひとつひとつ、まじめにやるしかないですね、人生は。疲れるけれどやはり一応やり遂げれば、それなりの達成感はあると言うことです。(もちろんこの芝居のBeing Earnestは文字通りの意味と、Earnestという人物になること、という二重の意味を持っていますが。)そういえば、このESSの『まじめが肝心』公演は10月7日の大学祭の時でした。これについての記事も書いてなかったですね。いやー、さぼってたなあ。
 そういえば、明日はESSの諸君がここ数ヶ月必死で取り組んで来た英語劇 Descendantsの本番です。
 みなさんぜひ見に来てください。明日の13:30開場、14:00開演です。県立広島大学、大講義室です。
 来週の日曜日、17日には、OPPイベントがうちの大学で開催されます。これの準備であとしばらくはてんてこ舞いです。開催校ということで責任重大。頑張らねば。
 それともう一つニュースです。
 大ニュース。
 来年もITCLの英語劇公演を本学で開催することがほぼ決まり、それに予算がつく可能性が高くなってきました。そのことをいろいろやっていた、このつい12月8日、ITCLのWさんからメールが来ました。来年の演目が、最初に予定されていた『ジュリアス・シーザー』から『ロミオとジュリエット』に変更になったと言うのです。これは、歓迎すべき変更です。『ジュリアス・シーザー』は見たことないので、個人的には見たいけれど、学生や一般には受けづらいと思っていたけれど、『ロミオとジュリエット』なら客は来るだろうし、英語劇としてもやり易い。これは来年もなんとか頑張れそうな気がしてきました。
 みんな来てね。
 車を買い替えた話は、多分次ぎに書くでしょう。

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 いきなりタイトルとほとんど関係のない自分の赤ん坊の時の写真を貼り付けたりしてなんだ、と言われそうですが、最近山口の実家でいろいろやっていて昔のアルバムとか見てると、いろいろ懐かしいものが出てくるんで、なんとなくこういうものを見せびらかしたくなりました。お許しを。
昨日も施設に入っている親父を、お袋とともに訪問しましたが、前回よりも頭がクリアになっていて、会話も成立したので、なんかとても嬉しかったのです。そこで、若い頃の親父とお袋の写真も貼っておこうと思うのです。
 今日のお題は、この度ノーベル文学賞に輝いたカズオ・イシグロ氏のことなのですが、実は彼の中には私がいるのです。
 といっても非常にしょうもないことなので怒られそうですが、彼の名前をアルファベット表示すると
Kazuo Ishiguro となりますが、私の名前 Kazuhiro がこの中に入っているというわけです。
'Kazu' o is 'hi' gu 'ro' ということで' 'のところをつなげるとKazuhiroとなりますね。
それだけかい!!と言われることはわかってるんですが、まあ余興として。
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 ここで本格的にカズオ・イシグロ氏の本について蘊蓄を垂れないといけないところなのですが、ちょっと今忙しくて、すでに世間で、文学者や批評家のお偉いさん達が言っていることほどいいことは言えそうにないので、黙っておくことにしましょう。たしかにカズオ・イシグロの本は面白いと思います。全部は読んでないんですが。『日の名残り』とかNever Let me goとか。すごい才能だと思います。
日本人の感性を持ちながら英語で書いているところにすごく意味があると思われるので、もう少し考えてから、ちゃんとしたことを書いてみたいなとは思っています。
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 ここに貼り付けた写真に関連して、一つ記しておきたいのは、自分もちょっと小説と呼ばれるような書物を書いてみたくなったということなんです。というのはうちの母とか父とか、結構大変な時代を生き抜いてきているので、そのことを淡々と書いただけでもかなり重厚な小説になるんじゃないかと思うからなんです。実際に書けるかどうかは別として。
 うちの母は現在の韓国のソウルで生まれて育っており、戦争終了とともに引き上げてきたのです。そして父と母が出会ったきっかけというのが、父の兄、つまり私の伯父さんが特攻隊のカミカゼパイロットだったからなのです。突っ込む前に終戦を迎えたため生き残ったのです。生き残ってうちの母の姉と結婚したので、それでうちの父と母は出会ったのでした。これに関してはちょっとびっくりするエピソードがかなりあって、戦争に翻弄された男女の出会いという意味では、当時はそういうのは珍しくないのかもしれないけど、かなり考えさせられる経緯があるのです。
 もっと早くやっておけばよかったけれど、今生き残っている母の世代の人々に話をできるだけ聞いておこうと、そして記録しておこうと思ってちょっと頑張っているのです。そしてもし、この話を英語で小説として書けたら、結構世界の人にも読んでもらえるんじゃないかと思ったりするわけです。
カズオ・イシグロの中に自分を見つけたからには、カズオ・イシグロを目指せ、というわけです。
以上、カズオ・イシグロとはあまり関係ない話でした。

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今日の阪神戦は台風のせいで流れてしまいました。これで地元胴上げの可能性はかなり下がった気がしますがどうなるでしょうか。
今日は台風の直撃ということで山口でじっとしておりましたが、自分の部屋の机の引き出しを空けてみたら、懐かしい写真が出て来たのでここに貼付けておきます。
1980年のカープ三度めの優勝の時のセレモニーです。これは前年の1979年の、あの江夏の21球で日本シリーズに勝った年の翌年、連覇を果たし、日本シリーズにも連覇を果たした輝かしい年だったのです。打撃陣には山本浩二、衣笠、水谷、三村、ライトルがいて、ギャレットはいなくなってデュプリーがいて、もちろん高橋慶彦と山崎隆三の一二番がいました。投手陣では阿仁屋、北別府、山根、池谷、そして絶対的抑えの江夏がいたのであります。しかしこの年のオフに江夏はトレードで日ハムに去って行って、翌年は優勝できなくなってしまったのでした。
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古葉監督もまだまだ若いですね。この年は独走ででリーグ優勝を決め、近鉄相手に日本シリーズも勝ちとったのであります。
懐かしいなあ、旧広島市民球場。ぼろかったけど。大学生だった私は、結構試合を見に行った記憶があります。どうやってチケットを手に入れたか忘れましたが、この試合もバックネット裏で見られたわけで、まだまだ試合が身近でしたね。
今はマツダスタジアムが近くにあっても、チケットは全然手に入らないので、今年は一度も見に行っていない状況です。悲しいですね。
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この年、カープはぶっちぎりで優勝したと思うけれど、今のカープと似たような、打線がいいチームでしたね。一番高橋慶彦はコツコツ当ててヒットを量産、二番山崎はバントでも何でも出来て、三番衣笠は打率もよく長打力もある。そして四番山本浩二が得点をたたき出す。水谷、ライトルやデュプリーもがんがん撃つ。キャッチャー水沼は徹底的な右撃ち。いやあ強かったっすよ。
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そして絶対的な抑えのエース江夏豊。
翌年に江夏は移籍してゆくんだけれど、大野豊という抑えを育ててくれたのでした。
その後三年ばかし低迷しましたが1984年に再度優勝。
大野は1990年代にストッパーとして開花しましたね。
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早くカープ優勝のシーンを見たいものですが、まあリーグ優勝はもう決まったも同然なんで、やはりその後のクライマックス、日本シリーズにどれだけ調子を上げてゆけるのか、そっちに関心が向いてますよね、みなさん。
ホークスは強そうだ。なんであのカープが連れて来たサファテがホークスにいるんでしょうね。カープにずっといてくれたら良かったのに。
今村君はいろいろハラハラさせてくれるけど、妻の同郷人(佐世保の奥の佐々町)なので、なんとか頑張ってもらわないといけません。
とにかく日本シリーズで最高に盛り上がって欲しいものです。

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 今日のカープの試合は山口にいたのでテレビ観戦できなかったのですが(山口ではテレビの中継がないので)惜しかったですねえ。ヤクルトに勝ち越された時は、これでまた劇的なさよならで優勝が決まるなと内心期待したのですが。
 今週末は大型台風の直撃が予想されるので、やはり高齢の母の家にいた方が良かろうと思い、カープが気になりながらも台風が去るまでは我慢しようと思っているのです。多分今日の明け方頃から風雨が強まるのではないでしょうか。
 一人暮らしの母の家に戻ってからだいぶ経ちまして、家に車がなくて少々不便だったのですが、義理の兄のつてでこの写真の車を手に入れました。10万キロ超走っている日産のMocoです。傷だらけだし型も古いしで、あまり格好は良くないんだけど、まあちゃんと走ってくれます。車体の色は一応気に入っているのです。これで買い物なども楽になります。やはり田舎は車がないと不便です。まあ自転車でも買い物くらい行けるっちゃ行けるけど、足が悪くて外にほとんど出ない母を連れ出す必要がある時にはこれがないと困るのです。
 八十を越えている母は、親父がケアホームに入ってしまって以来一人暮らしをしていたのだけれど、それでも自分で自転車に乗って買い物くらいは出来ていたし、何でも身の回りのことは出来ていたのです。しかしある日、横断歩道を自転車で渡っている時にこけてしまって、ちょっと怖い目にあって、それ以来自転車に乗るのを諦めました。それ以来買い物に行くことをやめ、家にずっといる生活を強いられたのです。ときどき、車で30分くらいの所に住んでいる姉が買い物して来てくれたり、おかずを作って持って来てくれたりするのをたよりに生活していたけれど、やはりその状況は心配なので、私が一緒に住んで広島の職場に通って、買い物とかそういうのをやるというパターンをやりだしたのです。
今は新幹線通勤しているというわけです。今の職場に移る前は、逆方向の姫路まで新幹線でしばしば行き来する生活をしていたので、まあ、久しぶりに新幹線に頼る生活に逆戻りしたというわけです。広島ー新山口間はそれほど混んではいないので、まあそれほど苦にはなりません。のぞみやさくらなら30分で着くし、駅までも自転車で10分以内に着きますから。
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 まあ、母と暮らしていると、なんだか数十年の月日が一気に飛び去って昔に戻ったような感覚に襲われます。というのは母が言うことが昔のことばかりだし、実家も長いこと家具やら内装やら自分の部屋の自分の机やら、昔のままのものだらけだからです。まあそれは仕方がないことです。
 母はいろいろと昔の話をしてくれて、それはもう何度も聞いている話なのだけれど、こっちもだいたいしか記憶してない部分が多いので、一度事実関係をしっかり正確に聞いて,書き取っておこうと思っている所です。なにせ戦前戦後の混乱を生き延びて来た人ですから。今ごたごたしている韓国、朝鮮あたり、昔日本だった、ところで育って敗戦で引き上げて来た人ですから。
 二枚目の写真は、娘が昔作った陶芸作品。恐竜なんだか良く分からない未知の生物、ももちゃん。

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ゼミ合宿を行いました。
吉本ゼミとしては初の試みです。前任校では何度もゼミ合宿を行いましたが、現在の職場ではなぜかこれまで行わなかったのです。それはゼミ生が女子ばかりの事が多かったこととか、大学の体制としてあまりそういう事を推奨してない感じがあること、ゼミが4年生だけであり、就活との兼ね合いとかで難しいというようないくつかの理由がありました。しかし今年は就活の時期が早まり、幸いなことにすでに全員の就職が決まっていたので、この時期に行う事が出来たのです。
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今回は、卒論をただひたすらしこしこと書く、というのが最大の目的だったので、遊び目的ではないのです。なかなか進まない卒論を、皆と一緒に頑張って書くことでなんとかペースをつかんでもらいたいというのが意図なのです。
 それでもせっかくだから食事だけは楽しくやろうと、バーベキューにしようと考えていたのだけれども、生憎の雨の予報で、これは早々に諦めざるを得ませんでした。代替案として室内でホットプレートで焼き肉パーティーにしようかという話になりかけたけれども、宿泊するロッジでは、室内のホットプレート使用を認めていないという事で、これも諦めざるを得ませんでした。結局、コストコで肉類を買って、フライパンで調理してなんとかしようという計画で出発したのでした。
私自身はコストコに行くのは初めてでした。その売られている物のサイズ、一袋のでかさにびっくり。その中で、プルコギとパエリア、サラダ、そしてパンなど買い込み、目的地のフォレストヒルズガーデンに乗り込みました。
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フォレストヒルズガーデンは広島空港のすぐ隣にあるホテルがやっているコテージ型の宿泊施設です。今回は学生に場所の選定や行動予定など任せたのですが、この施設を見つけたのはヒットだったといえると思います。コテージにはベッドルームが二つあり、それぞれシングルベッドとダブルベッドが置いてあるのだけれども、それぞれにエクストラのベッドを入れてもらえるという事で6人が泊まる事ができるのです。真ん中にリビングとそれに繋がるキッチンがあり、リビングにはソファーが二つ、低いテーブル、そして丸い食事用のテーブルもあります。ほぼ同じ間取りのコテージが8棟森の中にあるという感じです。メインの建物にはレストランもあり、そこで夕食をとる事も出来るし、キッチンで自炊する事も出来るのです。
 今回、コストコでホットドッグを食べて昼飯として、1時頃には現地に到着しました。チェックインまで時間があったので、広島空港まで歩いて行って散策しました。飛行機に乗らないのに空港に来るのは初めてです。広島空港では恐竜展をやっており、機会仕掛けの実物大の恐竜が3体展示されており、さらに恐竜の想像図としての絵画展をやっておりました。
 3時にチェックインしてから早速卒論の執筆に取りかかりました。卒論は英語で書くことになっております。今回5人の学生の卒論テーマは以下のようなものです。
1. 映画 Billy Elliott(邦題 『リトル・ダンサー』)に描かれたバレエと男性性の問題についての考察
2. 戦後の占領下で日本とオーストラリアの架け橋となったトニ・グリン神父と白豪主義との葛藤
3. Anne of Green Gables(邦題『赤毛のアン』)に描かれるイギリス系植民者のフランス系植民者に対する偏見について
4. Peter Pan and Wendy(邦題『ピーター・パン』)に描かれるヴィクトリア朝的な女性のイメージ
5. Robinson Crusoe(『ロビンソン・クルーソー』)におけるフライデーの英語化と英語帝国主義についての考察
夕食まで、夕食後、そして翌朝の朝食からチェックアウトまで、ひたすら各自の卒論と格闘してもらうと言う、非常にストイックな合宿なのでした。
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 やはりそれだけではちょっと楽しくないので、チェックアウト後、みんなまだ行った事がないという竹原の歴史的な町並みが保存された美観地区を訪れる事にしました。私もここに来るのは初めてでした。
 ここにはあの朝ドラ『マッサン』のモデルである竹鶴政孝の生まれた竹鶴酒造の酒蔵があり、マッサンとスコットランド人の妻のリタの銅像も見ることができました。この日は朝から雨が激しく降ったりその後止んだりの天気で、この人気の観光地にも人影は非常にすくなく、我々としては、貸し切り状態でゆったり観ることが出来てよかったです。なぜか我々が歩いている時は雨もほとんど上がってくれたのでした。
 中を見学できる古い家に入った時に、自分が子供の頃よく遊びに行ったおじさんの家がこんなだったなあと、非常に懐かしい気持ちになりました。おじさんの家は土間のある藁葺きの農家で、一角では牛が飼われていましたね。広い土間では毎年年末にはもちつきをしたものでした。そんな幼い時に見た家とよく似た雰囲気の家を久しぶりに見て、感慨深い気持ちになりました。
 最後に道の駅たけはらで、お土産物をいくつか買って(葡萄と、イワシの干物と、蜂蜜レモン)帰途につきました。
 みんな、この合宿で考えたことをすぐに論文として文章にして行って欲しいと思います。またのんびりした夏休みの日常にもどってしまわないように。頑張って。

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 ブログを継続的に読んでいただいている方々にはだいたい想像がつくと思うのですが、故あって特別養護老人ホームを見て回る必要が生じて、今日三件ほど見て回りました。
実家から近く、そして姉の住まいからも近い所ということで、リストの中から選んだ三つの施設です。
今車がないので、レンタカーを借りて見て回ったのであります。
特別養護老人ホーム、略して「特養」は要介護認定3〜5の人でないと入れないことになっています。そしてたいていどこの施設もいっぱいで、申し込んでも待たないと入れないのが現状です。
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 今回回った施設はどれも、自宅からだいたい車で20分くらいで行ける所にありました。最初に行った所は、親戚のおばちゃんが以前、リハビリの時にお世話になっていたことがある所と同じところがやっているやつで、一度行ったことがある所でした。大きな施設で、デイケアセンターとか、有料個室老人ホームとか、リハビリ病院とかが合体している所です。この界隈では人気の施設だそうで、大きな駐車場には安佐の9時から多くの車が停まっておりました。男の職員さんが館内を案内してくれて、いろいろと説明してくれました。
 二つめは、方角は違うけれども自宅からこれも20分くらいで行ける山の中にこつ然と出現する感じで存在していました。全体的に新しそうな、立派な施設で、庭にはちょっとわざとらしいギリシャ彫刻的な女性像の彫刻が立ってたりしてました。温泉施設もあるということです。説明も3人掛かりで丁寧にしていただいて、いい感じでした。
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 三つめの施設は、自宅から非常に近くて、自分が通った中学校のすぐそばなのだけれど、ちょっとした山の上に建っているので、これまでその存在に全く気づいていませんでした。こんな近くにこんな大きな特養があったなんてびっくりでした。女性職員さんが館内をくまなく案内してくださいました。ここは館内も非常に広々としていたし、新しいし、開放的な感じで好感が持てました。
 どこの施設でも、館内に居られる入所者の方々は圧倒的に女性が多くて、話を聞いても、どこも女性用の部屋が8割くらいで、男性向けは2割程度のようです。やはり女性の方が長生きなんですね。男性は弱いのです。どこもだいたい同じような料金設定なのだけれど、やはり個室だと高くて、2人部屋、4人部屋になると安くなります。
 特養は介護度が高い人向けだから、ここで最期まで過ごすということを前提にしている人が多いということで、なんだかやはり特別な場所という感じがしています。空きが出ないと入れてもらえないわけですが、空きが出るというのは、実質的にはどなたかが亡くなるということを意味するわけです(長期に入院するため出て行く人もたまにいるそうですが)。そういう順番を待っているというのも複雑な気持ちになります。そしてそういう空間に身内を預けなければならないという状況も、なんだか無情なことをしているようで心苦しくなるわけです。自分がこういう空間で過ごさなければならなくなるということを考えると、すごく嫌だなあと思うのだけれど、それを今自分の身内にしようとしているというのも心苦しいのです。しかしどうしようもない現状もある。自宅で最期を看取ってあげるのが理想だとは思うし、自分だってそうして欲しいと思うであろうと思うけれど、現実はなかなか厳しいのです。
 どこの施設の人たちも一生懸命働いておられたし、非常に丁寧で、明るくて、感心しました。それはとても印象的だったのです。しかしそれでも、こういう空間はつらいですね。

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