鹿児島第一ライオンズクラブBlog

“We serve”をモットーに地域社会に密着した青少年育成事業を柱とした活動を積極的に行っています。

健康ウォーク

健康ウォーク

4月29日、恒例の「町歩き歴史散歩」が有りました。
今回も講師に「東川 隆太郎」先生にお願いし楽しく歴史を学びながらユーモアのあるお話を聞きながら良い1日を過ごしました。
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曇の天した、なんとか雨も降らずにご家族で参加の方も思い出に成る「町歩き歴史散歩」と成りまし

4/29(月:昭和の日)第11回健康ウォーク<その4 西郷隆盛銅像周辺>

第11回健康ウォークの最後のコースとなりました。

<その4>じめさあ(持明院様)→西郷隆盛像→中央公園をご紹介します。
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■じめさあ(持明院様)
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西郷隆盛像の真後ろにあり、鹿児島市立美術館敷地内にある「持明院様(じめさあ)」と呼ばれる石像。

説明書きで、じめさあ(持明院様)が紹介されていました。
「この石像は、島津家18代家久(忠恒)の奥方持明夫人像『ジメサア』の名で親しまれています。持明院様は16代義久の娘で亀寿といい、器量には恵まれませんでしたが、その人間性が尊敬され、人々は『器量はすぐれずとも、心優しく幸せな家庭を築いた』夫人の人柄を慕い、毎年10月5日の命日には、この像におしろいや口紅をぬって、夫人にあやかるようにおまいりするならわしが残っています。」

現在の霧島市にある舞鶴城(国分城)にお住まいになり、器量よりも境遇に恵まれなかったであろうというお話もありました。

その横には、ひっそりと薩摩藩の火薬庫跡があります。 

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■西郷隆盛像
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当鹿児島第一ライオンズクラブが毎月、早朝清掃を行っております西郷隆盛像周辺です。
戦時中、唯一弾などの武器にするという声も上がらなかったという西郷隆盛像ですが、サーベルが切り取られて盗まれるという事件が起きたそうです。


以上、地元・鹿児島のことを良く知ることができたコースでした。

最後にゴールの中央公園に、集合です。
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L.藤崎の進行のもと、会長L.猿渡の挨拶で終了後、参加者全員でお昼ご飯を食べました。
おはら弁当さんのお弁当。おいしくいただきました。
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皆で楽しく、お昼ご飯。(一部ご紹介します。)
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皆で食べるおいしいお弁当で、鹿児島の歴史など話もはずみました。

東川隆太郎様、ご参加いただきました皆様、保健レク委員会の皆様、大変おつかれさまでした。
地元・鹿児島の良さを再発見し、怪我もなく親睦と知識を深めることができた第11回健康ウォーク、無事終了しました。ありがとうございました!

4/29(月:昭和の日)第11回健康ウォーク<その3 照国神社周辺>

第11回健康ウォークで照国神社に参拝後、次の目的地に向かいます。

<その3>島津斉彬公像→鹿児島護国神社頓宮→幼年学校(賞典学校)跡→(休憩)→露国皇太子ニコラス殿下来鹿記念碑をご紹介します。

■島津斉彬公像

薩摩藩の第11代藩主で島津氏第28代当主で、 薩摩藩の富国強兵に成功し、西郷隆盛ら幕末に活躍する人材も育てた名君の島津斉彬公像。日本の国旗の生みの親としても有名です。
隣の照国神社は島津斉彬公をまつっています。

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戦時中、銅像が鉄砲の弾などに帰られていく中、幸い弾にはなりませんでしたが、 一度だけ銅像が降ろされ、弾になりかけたことがあるそうです。

土台の前後左右には斉彬公の功績が描かれています。
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東川氏のお話からも「人財育成に優れた名君」だったことが、うかがわれました。

このあと、皆で記念撮影をしました。
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鹿児島護国神社頓宮
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 以前は東照宮だった時期もあったそうです。


■幼年学校(賞典学校)跡

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幼年学校(賞典学校)跡は、西郷隆盛が士官養成のために造り、西郷隆盛・桐野利秋・大山綱良ら明治維新の功績に対する賞典禄をもとに造られたこともあり、賞典学校とも呼ばれたそうです。
外国留学の制度を設け、明治時代に5名留学させたようです。
 
西南戦争で戦死し、南洲墓地に眠る庄内藩からの伴兼之・榊原政治も学んだ幼年学校。
この学校出身の多くの優秀な若者が西南戦争で戦死し、多くの人材を失い、当時の西南戦争について参加者それぞれがいろんな思いを持ちました。


■休憩

ここでいったん休憩をとり、自由行動です。
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休憩後は東川氏によるガイドで、次の目的地・露国皇太子ニコラス殿下来鹿記念碑へ向かいます。
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少し坂道になりますので、足元に気をつけて登りました。
また足腰が弱い方には無理しないよう、気をつけてもらいました。
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坂の途中で汗をぬぐうL.川田代。上空で何か見つけたのでしょうか、L.田中と空を眺めています。
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露国皇太子ニコラス殿下来鹿記念碑

坂を上って着いたのは、当時ロシアの航路の途中で皇太子ニコラス殿下が鹿児島に来られた際の記念碑です。
当時、西郷隆盛は西南戦争で戦死したのではなくロシアにおり、ロシアから返ってくるという噂もあり、港が人で賑わったこともあるそうです。それに関連する大津事件などの話もありました。
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写真では小さく見えますが、大きな記念碑です。
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次は坂を下り、西郷隆盛像へと向かいます。
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途中、第29代当主・島津忠義公(島津久光公の長男)の像(後ろ姿)が見えました。
忠義公は最後まで髷(まげ)を切らなかったそうです。
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露国皇太子ニコラス殿下来鹿記念碑から下っている途中です。
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次は鹿児島第一ライオンズクラブ早朝清掃の場所でもある西郷隆盛像周辺です。

4/29(月:昭和の日)第11回健康ウォーク<その2 照国神社周辺>

第11回健康ウォークで中央公園を出発し、道路開鑿(かいさく)記念碑から次の目的地・照国神社に向かいます。
<その2>桜島爆発記念碑→鹿児島県立博物館考古資料館(現在は閉鎖)→照国神社をご紹介します。


桜島爆発記念碑

照国神社手前の鹿児島県立博物館考古資料館(現在は閉鎖)入口にある、大正時代の桜島大噴火の記念碑です。
大正の桜島大噴火のことが書かれているそうです。
東川氏のお話しにもありましたが、(当時の方から見ると)私たち未来に生きる者のために惨禍を軽減するのに役立つよう、先人が碑文に残したことが活かされるためにも、日頃の防災意識の必要性を強く感じました。
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■鹿児島県立博物館考古資料館(現在は閉鎖)
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共進会(産業博覧会)会場で使用後、県立興業館→商品陳列所→商工奨励館など一貫して産業振興拠点として使用されてきたそうです。
市庁舎として使用された時もあったようですが、今は閉鎖されています。

ロータス(はす)模様というそうです。
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外観もお洒落。当時の建物は、とてもおしゃれなものが多いですね。

建物前には鹿児島県指定天然記念物「世界で初めて精子が発見されたソテツ」が植えられていました。


続いて照国神社。L.田中の交通誘導のもと、皆で照国神社に向かいます。
怪我のないように進みましょう。
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■照国神社

照国神社につき、東川氏の説明を聞きます。
鳥居についての説明も、いただきしました。

鳥居の裏にある穴をご存じでしょうか?
(赤い丸の部分です。)
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戦時中の米グラマン機による爆撃の一部だそうです。
ほとんどは修復されましたが、一部残っているとのことでした。

その他、いろいろとお話を伺ったあと参拝しました。
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参拝のあとは<その3>島津斉彬公像→鹿児島護国神社頓宮→幼年学校(賞典学校)跡→(休憩)→露国皇太子ニコラス殿下来鹿記念碑へと続きます。


4/29(月:昭和の日)第11回健康ウォークを開催しました。<その1 中央公園周辺>

鹿児島第一ライオンズクラブのブログをご覧いただき、大変ありがとうございます。

4/29(月:昭和の日)10:00~12:00、第11回健康ウォークを開催しました。
特定非営利活動法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会の東川隆太郎氏のガイドで、今年は天文館周辺の歴史を案内していただきました。

---- コース -----------------------------
中央公園→造士館・演武館跡(鹿児島市中央公園内)→医学院跡→「吉井友美」「伊地知正治」像→道路開鑿(かいさく)記念碑→桜島爆発記念碑→鹿児島県立博物館考古資料館(現在は閉鎖)→照国神社→島津斉彬公像→鹿児島護国神社頓宮→幼年学校(賞典学校)跡→(休憩)→露国皇太子ニコラス殿下来鹿記念碑→じめさあ(持明院様)→西郷隆盛像→中央公園
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鹿児島の知らないことを、たくさん教えていただきました。
回数を分けてご紹介します。

中央公園集合
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担当の保健レク委員会委員長L.藤崎の挨拶のあと、会長L.猿渡より挨拶がありました。
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ガイドの東川隆太郎氏のご挨拶をいただきました。
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また今年は1ZのZC L.小齋平ほか4名の方々もご参加くださいました。
大変ありがとうございます。
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挨拶のあと、皆で準備運動をしてスタートしました。
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まずは中央公園内にある造士館・演武館跡からです。


■造士館・演武館跡(鹿児島市中央公園内)  <鹿児島第一ライオンズクラブ寄贈>

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薩摩藩第25代藩主・島津重豪(しげひで)公が有能な人材を育成するため、鶴丸城前の広い敷地(約3,400坪)に藩校・造士館と演武館を創設。 
藩から運営資金を与えられ、城下士子弟からは学費を徴収せず、西郷隆盛・大久保利通など幕末維新期に日本の歴史を動かした若者の多くが学んだそうです。

○造士館:8歳から21~22歳の城下士子弟数百名が朱子学を中心に学び、庶民の聴講も許されていたそうです。 
○演武館:藩中武芸の中心道場

造士館では「朱子学」を学び、「洋学」(西洋式軍学や技術)を専門的に学ぶ「開成所」跡はアーバンポートホテル近くにあるとのことです。


医学院跡  (中央公園内)  <鹿児島第一ライオンズクラブ寄贈>
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医学について非常に関心が強かった島津重豪公は造士館のすぐ近くに、医学を研究する医学院を造り、薬園を吉野、佐多、山川に開いたそうです。


「吉井友美」「伊地知正治」像
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医学院のすぐ近く(中原別荘さん前)にある「吉井友美」「伊地知正治」像です。

○伊地知正治
西郷隆盛が最も信頼していた人物の一人で、造士館の教授を務めた。薩摩を代表する軍師の一人。

○吉井友美
西郷隆盛、大久保利通の幼少時からの親友。
坂本龍馬との関わりも深く薩長同盟に尽力されたとのことです。

像は等身大ということで、現代人の大きさに驚きました。


道路開鑿(かいさく)記念碑

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「吉井友美」「伊地知正治」像より照国神社側に向かって、すぐ近くにあります。
平田橋のたもとに建てられ、この場所に移されました。

三方を海に囲まれ、暖かく肥沃な土地で海陸の産物に恵まれている鹿児島県は、複雑な地形が多く、道路事情が悪く交通が不便なため、産業が振るわず明治時代の県民が苦しんでいるのを憂いた当時の渡辺県知事が道路整備を始め、これによって物流が便利になり、産業の発展に果たしたそうです。

記念碑の最後に書かれていた文章が印象的でした。
 
物事を始めるのはたやすいが、これを終えるのは難しいものであることから、例えつくる者がいたとしても、これを受け継ぐ者に才知や思慮分別が無ければ必ず失敗することになる。 

また、便利になるとそれが当然のことと思われるようになってしまうことから永くこの恩恵を受ける県民は、当然のことながらこの事業の経緯を理解し記憶しなければならないのである。 

事業は成し遂げられた。そこでこのことを記しこの碑が建てられた。


便利になると、それが当然のことと思われてしまわないよう、当時の方々の苦労や事業の経緯を理解して記憶し、伝えていかないといけないと強く思いました。


次は照国神社とその周辺です。

鹿児島第一ライオンズクラブ
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