何となく変な雰囲気が漂っているジダン頭突き事件。正確には権限がないところで憶測が流れているだけなのだすので、両者が已然何かボカした感じなのも当たり前と言っては当たり前なのだす(係争(が予想される)中につき、ノーコメントと言うのは、それこそ良くある話だしょ?)。ジダンも人の子で、自分の身を守りに入っているのは評価は分かれるかもしれませぬが、外人としては普通じゃないだすかね?(アメリカ人のコラムなど読むと、日本人的な「潔くないジダン」への批判が良くあるようだす)
で、今回、オラとしては「何故にジダンは頭突きなんてしたのか?」という好奇心でしか事件を捉えておらず、多くの人の興味の対象もその点にあったと思うのだす。罪と罰の問題でなくて。オラは、そもそも決勝直後の記事では何かを言われたことすら分かってなかったのだすが、まあ別アングルからのクリップでマテラッツィが何か言い続けていることだけは判明(イタリアCorriere della Seraのサイトだすよ)。
当初流れた頭突き直前の映像リプレイはマテラッツィの顔が移っておらず(ジダンを中心にカメラが追っていたので)、突如ジダンが振り向いて頭突きをかましたように見えたわけだす。で、皆が??となったわけだす。なので、ようやく何か言ったことに関して、当事者プラス物的証拠がすんなり一致して、納得がいったオラなのだす。
なんせ18世紀中頃の文献に対して、片手間ながらいまだにイチャモンつけようとしているオラだすので、ノンビリしているのだす。
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で、今回、オラとしては「何故にジダンは頭突きなんてしたのか?」という好奇心でしか事件を捉えておらず、多くの人の興味の対象もその点にあったと思うのだす。罪と罰の問題でなくて。オラは、そもそも決勝直後の記事では何かを言われたことすら分かってなかったのだすが、まあ別アングルからのクリップでマテラッツィが何か言い続けていることだけは判明(イタリアCorriere della Seraのサイトだすよ)。
当初流れた頭突き直前の映像リプレイはマテラッツィの顔が移っておらず(ジダンを中心にカメラが追っていたので)、突如ジダンが振り向いて頭突きをかましたように見えたわけだす。で、皆が??となったわけだす。なので、ようやく何か言ったことに関して、当事者プラス物的証拠がすんなり一致して、納得がいったオラなのだす。
なんせ18世紀中頃の文献に対して、片手間ながらいまだにイチャモンつけようとしているオラだすので、ノンビリしているのだす。
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(続きはここから)
あとは何を言ったか?、とこれは単に好奇心で知りたいわけだす(FIFAの動き方がぎこちないだすしな)。これがオラの立場だす。これとは別に派生的に「手を出した>言葉」という構図を当たり前のようにイタリア選手寄りで語る人々にちょいとお冠だったわけだすが、もう一つ派生的に気付いたことがあるのだす。
それは、報道が随分と国もしくは紙面によって異なり、誤解による解釈をしたまま人々が納得したり憤ってしている状況なのだす。で、何だこの状況は?と思った次第なのだす。ついでながら恐らくは身近なソースの論調にその人が染まっているのも何だこりゃ?なのだす。
まあ報道があちこちで随分と違うと言うのは別に当たり前のことかもしれませぬが、一つの事象についてどういわれているかを英語、仏語、イタリア語、日本語でさらりと読んでみただけだとしても、ここまで一度に調べたのはオラにとっても初めてなわけで(フランス語とイタリア語はかなり怪しいだすがね)、今さらながらのように気付いたのだす。
で、下の記事を見てお分かりの通り、オラも相当に誤訳をしているのだすが、例えばCNNの記事を初め参照していたのだすが、時が経つにつれて記事がアップデートされており、どうもオラの誤訳だけが理由ではない誤訳なんかもあったりしたわけだす(例えばhaveを使役で使っていると気付かなかった例はオラのミスだす)。でもなんか英語の記事の間でも微妙にニュアンスが違っており、それがさらに日本語でネット報道されている時はかなり切り取られてたり、"??"と言う訳のニュアンスの違いがあったりして、それで結構反対の印象を持つ人が出来る羽目になっているんではないだすかねえ、と懸念しているのだす。
じゃあフランス語で均一な報道がなされていたかと言うと、どうもやはり違っており、例えば、下の2文は訳があっているかは別として何となくニュアンスが違うし、確かジダンはこのインタビュー中マテラッツィの名前を出さなかったようなのだす。それをいいと評価をする人もいれば、ハッキリ名指しで非難すればいいと言う人もいるだしょうが、事実と違うところで論議をかもしても意味がなく時間と精神力の無駄なのだす。(フランス語が分かる方は、Canal plusのサイトでインタビューの録画画像が見れるのでより一次情報に近いところが知りたい方はどうぞ。オラの下記のフランス語の無料添削をしてくれるような親切な方も歓迎だすよ)。
例文1"Mais je ne peux pas regretter ce geste. Cela voudrait dire qu’il avait raison et il ne peut pas avoir raison, surtout pas." 「しかし私はこの行為(頭突き)を後悔していない。彼が正しいということになってしまうし、彼が正しいなんてとんでもない。」
例文2"Mais je ne peux pas regretter ce geste car sinon cela voudrait dire que Materazzi a eu raison de dire ce qu'il a dit" 「しかし私はこの行為(頭突き)を後悔していない。マテラッツィが言ったことが正しいということにさえなってしまうかもしれないから。」
日本語のサイトの報道を見ると、あちこちインタビューの切り貼りがしてあるので、これまたいろいろ誤解が生まれそうなのだす。こういうのはインタビュアーがいてその質問に答える流れの中でいろいろあるわけだすから「後悔はしていない」だけ切り取った記事を見ると「ふざけんな」と思う人も出て来るわけで、でももうちょっと流れの中でそこを聞くと、ゼロにはならないと思うけれど、むっとする人も減るだろうなあ、といまさらながら思ったわけだす。これはオラの前の記事もそうなのだすが、なかなか報道を責任持ってやるのは大変だなあ、とも思ったのだす。
それから、見出しを「釈明」とするか「謝る」とするかで随分と印象が違うと思うのだす。英語の見出しはapologized(謝った)を使っており、イタリア語の見出しはsi scusato(たいていは釈明と訳されるけど、場合によっては謝るの意にもなるはず??ちゃんと謝られる時は、ti chiedo scusaと言われた気もするのだすが。。)、ここら辺のニュアンスはどうなんだしょうな?
まあ自分の誤訳も含めて反省するにblogの記事と言うのもある意味責任が無いわけなのだすが、誤解のまま論議が生じてたりして面白いことが起きてましただ。例えば、「ジダンはレッドカードを出されておとなしく何も言わずに去っていった(で、かっこいい、と言うコメント)」と思っている人もいたのだすが、実際は一度はレフェリーに何か声をかけているのだす。等など。思い込みでいろいろ美化されていたり批判されてたりするわけだす。
で、大体フランス在住の人がフランス寄りでイタリア在住の人がイタリア寄りな気もしたのだすが、まあ一概にそうとも言えず(じゃあ、どっちだべかい?)、でもだすね、仮に寄っている場合に当てはまるとして、たいていそのお国のメディアの風潮に染まっている気もしたのだす。どこら辺があんたの意見でどこら辺が切り売りだすかい?と思ってみたりもしたのだすが、まあ井戸端会議的に進んでいるところにコメントをいちいち残していたりするのもアレなのでほっておいただすが。
ついでに言えば、そんなに大々的なジダン擁護論やら大騒ぎがフランスであったりするようにはオラには思えんのだすが(基本的に、マテラッティも悪いと言っているかもしれないけれど、マテラッティだけorの方が悪いとは言っておらず、またジダンは悪くない、と言っている風潮も無いんだすが。。。)、妙にそこら辺の話題で熱くなっている人は、ひょっとしたら日本で微妙にねじまがって報道されている日本語の記事だけ読んで熱くなっているんじゃないんダスかねえ??少なくともジダン頭突き事件に関してオラが調べた範囲&周囲のフランス人+アルファとの会話では、そこら辺に温度差があると言うか、真実から遠い気がするんだすが(別にこれにずっとリサーチをかけてたわけではないので、”調べた範囲”って言うのもたかが知れているだすがね)。
一方でイタリア語の新聞サイトの”何を言ったか推測&再現”報道によると、ジダンの姉Lilaさん(36歳)はトリノでモデルをしてるようで(これは事実のよう)まんざらイタリアで無名でもないかもしれず(これはオラの推測)、「おめえのシャツより、おめえの姉ちゃんのシャツの方がいいな」的なことを言ったとの推測報道がなされているのだすが、「お前の母ちゃんでべそくらい普通に言うだろう?そもそもマトラッツィがジダンの家族のこと知っているわけ無いんだから、家族に対して言われていても意味が無い一般的な悪態だろう。切れるかそれくらいで?」的なことで意見を言っている人はイタリア語の新聞読んでないんだすかなあ?La Repubblicaは有名でもスポーツ紙は読まないのかもしれんだすのう。それともイタリア紙の推測記事だからあくまでも信じてなくて、イギリス紙の推測報道は信じているんだすかねえ??
とオラも推測しまくってしまうわけだすが、まあ気になる人はここ参照してみて下され(実にスポーツ紙的な記事だけど)。
などなど思った今日この頃なのだす。
あとは何を言ったか?、とこれは単に好奇心で知りたいわけだす(FIFAの動き方がぎこちないだすしな)。これがオラの立場だす。これとは別に派生的に「手を出した>言葉」という構図を当たり前のようにイタリア選手寄りで語る人々にちょいとお冠だったわけだすが、もう一つ派生的に気付いたことがあるのだす。
それは、報道が随分と国もしくは紙面によって異なり、誤解による解釈をしたまま人々が納得したり憤ってしている状況なのだす。で、何だこの状況は?と思った次第なのだす。ついでながら恐らくは身近なソースの論調にその人が染まっているのも何だこりゃ?なのだす。
まあ報道があちこちで随分と違うと言うのは別に当たり前のことかもしれませぬが、一つの事象についてどういわれているかを英語、仏語、イタリア語、日本語でさらりと読んでみただけだとしても、ここまで一度に調べたのはオラにとっても初めてなわけで(フランス語とイタリア語はかなり怪しいだすがね)、今さらながらのように気付いたのだす。
で、下の記事を見てお分かりの通り、オラも相当に誤訳をしているのだすが、例えばCNNの記事を初め参照していたのだすが、時が経つにつれて記事がアップデートされており、どうもオラの誤訳だけが理由ではない誤訳なんかもあったりしたわけだす(例えばhaveを使役で使っていると気付かなかった例はオラのミスだす)。でもなんか英語の記事の間でも微妙にニュアンスが違っており、それがさらに日本語でネット報道されている時はかなり切り取られてたり、"??"と言う訳のニュアンスの違いがあったりして、それで結構反対の印象を持つ人が出来る羽目になっているんではないだすかねえ、と懸念しているのだす。
じゃあフランス語で均一な報道がなされていたかと言うと、どうもやはり違っており、例えば、下の2文は訳があっているかは別として何となくニュアンスが違うし、確かジダンはこのインタビュー中マテラッツィの名前を出さなかったようなのだす。それをいいと評価をする人もいれば、ハッキリ名指しで非難すればいいと言う人もいるだしょうが、事実と違うところで論議をかもしても意味がなく時間と精神力の無駄なのだす。(フランス語が分かる方は、Canal plusのサイトでインタビューの録画画像が見れるのでより一次情報に近いところが知りたい方はどうぞ。オラの下記のフランス語の無料添削をしてくれるような親切な方も歓迎だすよ)。
例文1"Mais je ne peux pas regretter ce geste. Cela voudrait dire qu’il avait raison et il ne peut pas avoir raison, surtout pas." 「しかし私はこの行為(頭突き)を後悔していない。彼が正しいということになってしまうし、彼が正しいなんてとんでもない。」
例文2"Mais je ne peux pas regretter ce geste car sinon cela voudrait dire que Materazzi a eu raison de dire ce qu'il a dit" 「しかし私はこの行為(頭突き)を後悔していない。マテラッツィが言ったことが正しいということにさえなってしまうかもしれないから。」
日本語のサイトの報道を見ると、あちこちインタビューの切り貼りがしてあるので、これまたいろいろ誤解が生まれそうなのだす。こういうのはインタビュアーがいてその質問に答える流れの中でいろいろあるわけだすから「後悔はしていない」だけ切り取った記事を見ると「ふざけんな」と思う人も出て来るわけで、でももうちょっと流れの中でそこを聞くと、ゼロにはならないと思うけれど、むっとする人も減るだろうなあ、といまさらながら思ったわけだす。これはオラの前の記事もそうなのだすが、なかなか報道を責任持ってやるのは大変だなあ、とも思ったのだす。
それから、見出しを「釈明」とするか「謝る」とするかで随分と印象が違うと思うのだす。英語の見出しはapologized(謝った)を使っており、イタリア語の見出しはsi scusato(たいていは釈明と訳されるけど、場合によっては謝るの意にもなるはず??ちゃんと謝られる時は、ti chiedo scusaと言われた気もするのだすが。。)、ここら辺のニュアンスはどうなんだしょうな?
まあ自分の誤訳も含めて反省するにblogの記事と言うのもある意味責任が無いわけなのだすが、誤解のまま論議が生じてたりして面白いことが起きてましただ。例えば、「ジダンはレッドカードを出されておとなしく何も言わずに去っていった(で、かっこいい、と言うコメント)」と思っている人もいたのだすが、実際は一度はレフェリーに何か声をかけているのだす。等など。思い込みでいろいろ美化されていたり批判されてたりするわけだす。
で、大体フランス在住の人がフランス寄りでイタリア在住の人がイタリア寄りな気もしたのだすが、まあ一概にそうとも言えず(じゃあ、どっちだべかい?)、でもだすね、仮に寄っている場合に当てはまるとして、たいていそのお国のメディアの風潮に染まっている気もしたのだす。どこら辺があんたの意見でどこら辺が切り売りだすかい?と思ってみたりもしたのだすが、まあ井戸端会議的に進んでいるところにコメントをいちいち残していたりするのもアレなのでほっておいただすが。
ついでに言えば、そんなに大々的なジダン擁護論やら大騒ぎがフランスであったりするようにはオラには思えんのだすが(基本的に、マテラッティも悪いと言っているかもしれないけれど、マテラッティだけorの方が悪いとは言っておらず、またジダンは悪くない、と言っている風潮も無いんだすが。。。)、妙にそこら辺の話題で熱くなっている人は、ひょっとしたら日本で微妙にねじまがって報道されている日本語の記事だけ読んで熱くなっているんじゃないんダスかねえ??少なくともジダン頭突き事件に関してオラが調べた範囲&周囲のフランス人+アルファとの会話では、そこら辺に温度差があると言うか、真実から遠い気がするんだすが(別にこれにずっとリサーチをかけてたわけではないので、”調べた範囲”って言うのもたかが知れているだすがね)。
一方でイタリア語の新聞サイトの”何を言ったか推測&再現”報道によると、ジダンの姉Lilaさん(36歳)はトリノでモデルをしてるようで(これは事実のよう)まんざらイタリアで無名でもないかもしれず(これはオラの推測)、「おめえのシャツより、おめえの姉ちゃんのシャツの方がいいな」的なことを言ったとの推測報道がなされているのだすが、「お前の母ちゃんでべそくらい普通に言うだろう?そもそもマトラッツィがジダンの家族のこと知っているわけ無いんだから、家族に対して言われていても意味が無い一般的な悪態だろう。切れるかそれくらいで?」的なことで意見を言っている人はイタリア語の新聞読んでないんだすかなあ?La Repubblicaは有名でもスポーツ紙は読まないのかもしれんだすのう。それともイタリア紙の推測記事だからあくまでも信じてなくて、イギリス紙の推測報道は信じているんだすかねえ??
とオラも推測しまくってしまうわけだすが、まあ気になる人はここ参照してみて下され(実にスポーツ紙的な記事だけど)。
などなど思った今日この頃なのだす。