THINKING

lossy compression

ランダムで、カオスで、ただのノイズである現象を、
自動でパターン化して、無意識に情報というカタマリにしてしまう、
ヒトの脳はスゴイです。

また観念的なことから入りましたが、
例を言えば、ロールシャッハテストみたいなことです。
なんの意図もない図形(ノイズ)が、
何かに見えてしまう(パターン化)やつです。

そういうノイズをパターン化させる時の頭の働きっていうのは、
無意識かつ瞬間的すぎて自分でコントロールしようがありません。

そしてそのパターン化は、目の前の風景を
jpg画像に圧縮するくらいのロスがあるようにも思います。
保存=認識するためには仕方がないのでしょうけど。

ーー

ときどき、全部の生き物は細胞のあつまりで、
分解したらその個々の細胞は等価値で、
だったらヒトが知的生命体である必要ってないんじゃないか、
という感覚になることがあります。
感情をオフにしたら、ミドリムシもヒトも無機物も、
全部が地表をうごめく粉みたいなもんに見えてくる。
そもそも感情がただの脳の電気信号に思える感じです。

これは、現象をできるだけ圧縮しないようにして
知覚してるとおちいる状態に近いかもしれません。
いや、圧縮はしてるんだけど、なるべくノイズのまま
読み込もうとした状態というか。

知性を消して、触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚だけになる感じ。
意味や感情がとりのぞかれて、体がただのセンサーになったかんじ。
ローでダウナーな、でもおだやかな気分になります。
座禅ってこんなかな、やったことないけど。

ーー

反対に、ヒト一人、生き物一匹を
いち細胞のように考えることもできます。
ではその細胞が、われわがかたち作っている生きものとは、
いったいどういう生命体なのだろう?
それは、地球はなにを指向しているんだろう、
時間はどこへむかうのだろう、と
たちまち宇宙レベルの擬人化と感情移入がはじまって
うっかりドラマチックなストーリーまで求めてしまったりもする。

こちらは現象を圧縮して情報のカタマリに変換して
認識してる状態ともしかしたら近いのではないでしょうか。
既知の感覚や感情とリンクさせて、再現可能なカタマリにすると
自分もすぐ読み出せるし、人にも受け渡しできる。
ストーリーにまですると超露骨、だけど超便利。

この頭の中でおこる、現象から情報への圧縮を喩えるならば、
ただようガス状の現象を、知覚して液体にしてとりこんで、
感情のゼラチンで意味の型に流し固めるような感じです。
我ながらなんだそれって思うけど、まあイメージです。

意味の型は手持ちの概念(言葉)から選ぶしかないから、
「名前をつけて保存」に相似していて面白いなと思います。

気分的にハイになって生命力わくのはこっちですね。
意味を欲しがるのって生命欲とイコールでいいと思います。
ただケンカもおこるよね。ハイだから。

ーー

とかなんとか、あいかわらず支離滅裂になりましたが、
さいきんベランダでぼーっとしながらこんなこと考えてました。
夜風と虫の声ってマリアージュすばらしい。

台風で予定も消えたから文章に書きたくなったんだけど、
いつも以上にキャパ超えたこと書こうとしたのですごい時間かかったし、
何を書こうしたのか完全に見失いました。
賢くなるまで黙っていたいもんです。

TeTeTe Telepathy

きっと何度も同じことを書いてるのですが、
頭の中で言葉を使わずに考えている状態はとてもたのしいです。

「考えている」という表現が適切じゃないくらい無心に近く、
かといって瞑想と言うほど目的的でもないし、高尚でもない、
ただの電気信号のやりとりみたいな状態のやつです。

シナプスとニューロンをほっといたら、
勝手につながったりはなれたりしはじめて、
自由演技で遊びだしちゃったみたいなやつです。

何かの解決のためにテーマをもって思考するんじゃなくて、
ふと思いついたテーマのイメージが光速で連鎖して、
ふくらんで展開してグラデーション状に変化いくような時は、
人間の脳みそを持った醍醐味とでも呼ぶべきうれしさがあります。

言語化できていないので、あとから、何考えてたんだっけ?ってくらい、
ふわっと消えてしまうのけど、それもまた贅沢だなと思います。
おおげさに言えば、目的がある考え事がセコイものにさえ感じるほど。

太古の生物が進化して人間ができあがったのは、
目的があってそうしたんじゃなくて、
きっと単純に脳みそつかうのがたのしくてうれしかった結果でしょう。
言葉以外のOSで脳みそが動いてる時っていうのは、
そういう原始的な気持ちよさを感じます。

ーー

と思うと同時に、言語化もしたくてしたくてたまらないです。
この世にある、あらゆる言語のあらゆる語彙から
適切なものを選んで並べて、現象の混沌をカッチリ整頓できたら、
どんなにスッキリするでしょうか。
言語化は、分類して整頓してラベルつけて配置して、
点検して間違えをなおして整える作業に似ています。
それはそれでとても快感です。

実際のところ、言葉と文章は、近似値とその組み合わせでしかないから、
永遠にピッタリしっくりくることはないのだけど、
だから不快感も常にセットでつきまとうのだけども、
「テキスト」にできるっていう功利は
その不快感を補ってあまりありまくりです。

考えを、そして考えのプロセスを可視化できるんだもの。
時間を超えて他者(未来の自分含む)と
共有できる(可能性がある)んだもの。

脳みそを使うのが楽しいだけじゃ飽きたらず、
共有したかったから、猿人くらいでやめずに、
人間になったのかもしれないと今おもいました。

つまりは共有だけがしたいのだ。そのための可視化ですね。そうでしょう。

可視化と共有だけがしたい、なんて言いはじめたら、
数学の世界なんて意思じゃないぶんもっと純粋です。
数学がわかる人同士なら、考えのプロセスを
ピッタリしっくり共有できるわけですよね(ちがうのかな)。
言葉におこりがちな定義の違いや解釈の違いがないのは夢みたいです。
そして何より嘘がないことも。

ーー

だいたい、わかりあえる人としかわかりあえないことに絶望しませんか。
シンプルな色調や音色でさえ、発したところで
少なくとも絵や音楽に感心がある人にしか、
その中でも似た好みの人にしか伝播できないなんて。
伝播できてるのかどうかも確認できないなんて。
2013年にもなって。

うれしくてたのしくて気持ちよくて幸せな「いい感じ」より、
ヘイトなもののほうが共感の範囲が広い事実には、
人間の設計ミスを感じます。
わかちたいのはアンパンマンがぼくの顔をお食べよっていう感じのアレ、
どいらかといえば生きるエネルギーになるようなポジティヴなヴァイブスですのに。

ーー

数学でいう数式のようなプロセスの共有や、
音楽のグルーヴ感みたいなエモーションの共有。
それに近い形を理想とした、
未来のテレパシーの可能性の話をしたいんだけれども、
やはり語彙が足りなかったし何言いたいのかわからなくなってきた。

かたくなったのでワンツーどんを貼っておわります。これ好きだったなあ

 

sksk

IMG_8442

http://sksk.thebase.in/
BASEでもオンラインストアを作ってみました。
サービス開始時に仮開設していたものの
登録したメールアドレスがわからなくなってしまい、新規開設しなおすことに。
urlとっときたくて作っておいたのに本末転倒です。自分を呪いました。

stores.jpのほうがデザインやインターフェースは好きなのですが、
無料なのが5アイテムまでなのだ。それでもスゴイことだなあ。

こういうインターネットの新しいサービスにはほんと
うれしい楽しい大好きが止まらないし、
開発している向こうがわの人は心の底から尊敬しております。
デビットカープが億万長者になったのも嬉しかった。

どこかに向かうためのトンネルを掘るのじゃなくて、
このへん掘ってみたけどどこかに着くかな?って
感じでできてゆくトンネルは楽しいものです。

まだ名前のつけられてない感覚を通過したのち、
カオスが整理されていくプロセスっていうのは
人間の原始的な快感を刺激されるように思う。

そしてまだまだ人類の途中じゃんって気分になって
脳みそがちょっとSFになるのも気持ちいいです。
つくづく、ゆく河の流れは絶えずして、もとの水にあらずなだなあ。
しみじみ。

03-13

tex20130430

お友だちがネット通販でカード決済してくれる感じ、10年前は考えなかった感覚です。
ご挨拶ぬきの、まさに非言語コミュニケーション感が未来的。
金銭が意味的にシンプルに、数字の域まで濾過されてる感じ。
それでもって肯定的なメッセージとして機能する感じを想像した。

インターネットがない時代を思い返すと、いちいち感動しちゃうんだなあ。
このままいけば老後は日々楽しいかもしれません。

自分の老後なんてどこ住んでるかすらまったく想像できないけど、
風景や仕組みがどう変わってるかはぼんやり想像してしまう。
数年前までは、家族のような、あるいは国のような、
保証しあう関係と心の帰属先は、やがて宗教に向かうかしらとか思っていたけど、
自分が生きてるうちはまだ変わらないのかなあとも思います。
単純にこないだ時代ものの漫画を読んだからです。
平安時代や紀元前の人間の生活が、現代で漫画のネタになったりして、
デフォルメされてるにしても、普遍な感情や価値観はたくさんあるよなあと安心する。

そのいっぽうで、日々の気分の変化は、10年ごとくらいに思い返すともう全然違う。
はじめにムードが作られて、人の話題にすりこまれていくのか、
逆に、一人一人が選ぶ話題で世の中のムードが作られてるのか、
どちらが先かはわからないけど
「ココ笑うとこ」のポイントがちょっとずつ変わってゆくことに
時代を感じたりします。あれだけはあらがえない感あります。

ともかく言葉の賞味期限は短い。
意図してたメッセージからちょっとずつずれてゆく感じは切ない。
陳腐化してるのか、させてるのか、
なんとなく気まずくなって、見て見ぬ振りして、
見逃したことにして心の負荷を避けるのも
紀元前から変わらないのかもしれないです。

鮮度が命のものは下手に残さないってのも1つの知恵だけど、
なにもかも変わった1000年後の史料になるかもしれないので、
インターネットにある色々はやっぱとても愛しいなあと思うのでした。

末末

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よくみたらボビンがまぎれてます。

1月はいろいろ描いたり作ったりしていました。
あと風邪をよくひいて本を読んだりもしてた。
賢くないわりに興味の範囲が広くていろいろ知るのが好きなのは
いつか論文でも書く感覚で生きてるからだと思いました。
実際は書かないだろうけど。
30年後くらいに、あの現象はこんな意味にとれるなあ、とか
これとあれは似てるなあ、と気付いたりしたいんです。
ということはこれはこうであれはそれだ!みたいに
伏線を回収みたいなことがおこったら気持ちよさそうだし、
人間とはこういうことか!と言い残して寿命迎えたら最高です。

自分の絵の描きかたがそれと似てるなあと思います。
偶然で生まれた瞬間のコントラストと彩度の高さを楽しんだあと
遠くから見て構造や分布を楽しみつつ、つじつま合わせる
という順番で描くのがどうにも好きです。

構図考えて描くのと順番が逆だから、頼まれた絵はこうはいかないので、
無責任さが楽しいのかもしれないけれども。どーだろ。


論文じゃないけど、現在の意味や理由を未来の自分に託すやりかたは
小さい頃から変わらないなあと思います。

小学生の頃は漫画家になると信じ込んでいて、 
悲しいことや嫌なことがあっても、
この感情はいつか物語に描けるから受けて立たねば、
みたいな合理化をよくしてた(いじらしい)。
実際ならなかったけど、そのやりかたは有効だったなあ。
と書いてたら今すごく漫画読みたい。本屋さん行こう。

THINKING

土日は母親が来ていていろいろ出かけました。
3331や日暮里の繊維街や浅草橋やスカイツリーや
日曜は御殿場経由して芦ノ湖強羅箱根ロマンスカー
普段は一人で行くとこに母連れで行ったり、
一人では行かないとこに行けたり面白かったです。

あといろいろくっちゃべってそれも面白かった。
離れて住んであるていど自分と切り離してから、
親や地元や自己形成したものに触れるのは
自分を診察してるような点検してるような感じになる。
考え方の癖などに納得したりとか。

とはいえ大人になればなるほど、
自分の考えといっても、たまたまいる環境や周り人の反応を、
さらに反応で返してるだけで、
自意識すら実は存在しないのではと思うことも多いです。

明日私がもし江戸時代にタイムスリップしたとして、
たぶん10年もたてば多分その世界に染まれると思う。 
自分が快適なふうに感性も順応させるように思う。

そして現代日本から見たら悪政と呼ばれる時代や国に行ったとしても、
もしかしたらそれは変わらないんじゃないかと思う。 

順応は生き物としてストレスなく長生きするためのやり方だし
いいことでもわるいことでもないよなあ。

同じような感じで、
いろんな頭のいい人の話を聞いたり読んだりすると
あれももっともだし、これももっともだなあと思う。
それはそれで、なに偉そうにニュートラルぶってんだと、
自分にツッコミもして大変いそがしいです。

私が断言したいことがあるとしたら
全部の人が生まれていいってことくらいで、
その解を出すためのつじつまあわせエンドレス、
むずかしいけど暇つぶしにはなるよ。

空想の話

普通のブログが書きたいので書きます。
という出だしで前書いたままだったのをアップしてなかったのであげときます。

このブログを書き始めてもうずいぶんたつけど、
当時の自分目線で周りを見渡すと面白い。
自分を含めて、ほとんどのものは同じく存在してるのに、
自分にとって、ほとんどのものの関係性と意味が変わってる。
モノも、方法も、人間も。

とりあえず、 経たわ〜 という感じです。

かつてのものの見え方や感じ方を思い出して再現するのは楽しいです。
生きたぶんいろいろ楽しめて、経た甲斐もあるってもんです。

わかりやすい例でいえば、カッコイイがダサイになりゆくさまや、
ダサイがアリになる様子ってグラデーションでマーブリングだけど、
時間をおいて差分をとりだすとコントラストパッキリしてて、
それを両方同時に感じるのが快感なのです。(わかりやすくないですね)

そしてだいぶ飛躍しますが、似たような感じで
「自分の中のご先祖様の遺伝子が見たがってる感覚」で風景を見るのも楽しいです。
「先代、世の中はこのようになりましたよ!」と語りかけつつ、
眼球を貸してるようなイメージです。
いつもの風景が、なんて未来!に見えてきて感動するし、感謝できます。

こんな空想するのも、私自身が、300年後の地球と人間がどんななのか
知りたくてたまらないことの現れなのは間違いないです。
100年後はまだ価値観も含めて地続きな感じがするけど、
300年もあれば予想もしない大変動があってもおかしくない気がしませんか。
映画のA.I.の最後みたいなのとか。あれは2000年後ですけど。

びゅんびゅん時間がたって、どんどんテクノロジーが進化して、
いよいよ言語がなくなって、意思疎通がテレパシーみたいになって、
因数分解がすすむように、いろんなものが不要になって、
5万年くらいかけて動物になっていくのも、いいなあ。

それでもやっぱり表現はしててほしい、
人間だもの!

よくわかんない感じでおわります。

ペイパルとか

ペイパルのアプリ
お金がどんどん数字になっていくの面白い。
財布もちたくないだもん。

こういう電子マネーがあたりまえになったら
ゆくゆくたくさんのものが超カジュアル課金できるよなーとおもう。
「体操服忘れたからかして」に課金しちゃうかんじ。
かつてチョコ一個だったのが、数字になるのだ。
単位も円だとカワイクないから勝手につけちゃう。5ケイコとか。
それってゲーム内の通貨となんも変わらないし、
そんな時代に子供が育ったら、
今とお金の身体感覚が全然違うだろうなあ。

少なくとも、いまほどありがたいものではないのは間違いない。
貨幣って見た目の重厚感から得るイメージすごいもんね。
現金が入ってる給料袋は、私にですらファンタジーだ。

いつか1円玉みたことないぜっていう子供に
電子マネーでお年玉あげたりするのかなー。

ところで小川家には昔、姉妹間の通貨がありました。通称漫画券。
漫画一冊読ませてもらう=50円=漫画券1枚 というレートがあり、
姉の言う事をきくと漫画券が発行される仕組みです。
洋服を借りるには10分の1の値段を払うルールもあって、
これも漫画券での支払いが可能だった。 

テスト勉強の手伝いとか、姉の命じる色々な雑用に漫画券が発行され、
私ったらよく働いたものだ。
これって最小単位の地域通貨みたいなものだね。

日本銀行券のやりとりはさすがに生々しく
ばれると親に怒られてたので、
親の法の目をかいくぐった漫画券、頭よすぎる。
やはり姉ちゃんおそるべしだわあ、、

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東京に来て10周年だと気付きました。
万物が流転しすぎてせつないけどしょうがないし面白くもありますね。

今日は夜、暗い道を自転車こいでいたら、思わず風がぬるくて
シナプスが混線して泣きそうになりました。(泣かないけど)
具体的には何も思い出さないんだけど、
エモーションが直接くすぐられる現象です。

そしてこの記事、記憶ってのは概念じゃなくて
存在するらしいってのも、なんか泣きたいかんじでした。
http://www.gizmodo.jp/2012/04/mit_6.html 

誰も思い出さないものは初めからなかったのと変わらないのか、と
小さい頃から虚無感におそわれていたけど、
ログが脳のどっかに残ってるんだと思ったら安心できた。単純だなあ  

▼△

震災で集客してるみたいかなあと思い
告知とかしなかったのですが、
週末は2◯一一の2版めつくってプチパーティーしてました。 
締め切りをもらえて本当によかった。

テレビを持っていないため、ムードがつかめていないけど、
1年前から考えたら、1年でこんなに東京が
普通にふるまってると思わなかったし、
10年後から見たら、何てのんきだったんだ、
と思う可能性もあるなあと思わなくもない。
この1年、他愛のない日々の生活はとても大切だと思ったし、
では生存と生活を天秤にかけるシーンがきたら、
人はどうするんだろうとかも考えた。
今日常が戻っていることにちょっと違和感もありつつ、
戻してくれてありがとうと本当に痛切に思っています。

ああ文章むずかしい。
読むとむずむずするけど、書かないともやもやする。
来世は詩人に生まれたいです!

Initiation

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12月後半は誕生日をむかえて、冬至が過ぎて、
クリスマスが終わって、一気に新年という、
個人的に刷新感あふるる時期です。

今年は個人的にもいろんなことがありすぎて、 
振り返るとそのデータ量におののくばかりですが、
どうしてもこうしても、地震と津波と原発事故と放射能、
の年でした。

小学校低学年くらいのころ、
「織田信長はいい人?悪い人?」
と3つ上の姉に聞いたことがある。
「いいとか悪いとかじゃないんだよ」 
と言われた。なんだかその感覚がよみがえった。 

たとえば原発事故と放射能。
どうとらえて、どんな心構えで、どう関わるか、
その組み合わせと選択肢は無限大でしかも自由。

事実だけがあって、正解はない状態に、人間がただよってる。
今までだってずっとそうだったはずなのだけど、 
正解や、採用すべき方法がどこかにあるような気分だった。
生死にかかわることに関しては特に。

そして、対立がおきるのもしょうがないんだなと思った。
おおきいシーツの皺を、それぞれ端の方からのばしてたら、
まんなかで皺が大きくなってしまうような感じで
皺を伸ばしたいのは同じなのだ。
みんなできもちよく寝れるベッドをこしらえたいのだ。

ーー
思い返せば3月当時、毎日とてもおそろしかったのです。
根拠がなくていいから「大丈夫」と言われたかった。
自分で判断できるほど頭がよくも、まして心が強くもなく、
こうも自分って、人間って弱いのかと思い知りました。

逆に、自分にもし子供でもいたら、無根拠でも
「大丈夫」って言うんだろうなとも想像した。
世界観の違いってこういう感じだなと思った。

ーー
正直いまもパニックがおこることは心配してる。
大地震のあと、おどろくほど日常は強固だったし、
多くの人はルーティンの行動をそうはやめないとわかったけど
むしろそれが怖くもある。

何を心配しているかといえば、
「感情移入の範囲をせまくしてしまえば自分が傷つくことも少ない」
と、たくさんの人が思い始めたらどうしようと思ってる。
パニックってそんなかんじで静かにゆっくり起きそうだ。

ーー
まあでもいろいろあって、いろいろはしょると
死がリアルになった反動もあって、
イキイキ生きてこうと決意した感があります。

振り返ると、とにかくイニシエーションな1年でした。
って誕生日に友人に言ったら、めんどいカタカナ言うなと怒られました。
大人になったなってことです。

これからどう変わっていくんだろう。
未来の世界を見たいから、健康第一でがんばる。

もっかいくらい更新するかもしれないけど、
本当にお世話になりました。

よいお年を! 

ハイパー

気温が下がったので台所が楽しくなってきました。
夏は火元が暑いし、何作ってもすぐいたむのが困る。
食べ物がいたむのは本当に嫌いだ。かなしすぎる。

とはいえですよ、突然飛躍するけれど
時間がすすむからものごとが動くのではなくて
時間によって腐敗するからものごとは動かざるをえないので
腐るってすごいことだ!とさいきん思います。

シュレーディンガーの猫、猫の死体が腐らなければ箱を開ける必要はないので、
どちらの可能性ももったまま居続けることができる。
と、腐敗の哲学性についてしゃべりたいがボキャブラリーが貧困です。

それで思い出して友人とスカイプしてたログを見直していま爆笑しました。
そんな夜中でもないよこれ、夏のせいでしょうか。

ピクチャ-4

このあと生物と非生物の違いの話になって、
細胞から成り立つのが一応生物ということらしんだけど
ウイルスはその境界にあたるようです。
遺伝子はあるけど細胞はない、「生物学的存在」だそうだ。
なんてドキドキする響き・・。

意思がなくて影響だけの存在だなんて、
影響だけで繁殖のタスクはない存在なんて
なんかコンピュータ的だし宇宙人的。くらくら。

メモ

こないだ美学校のトークイベントいって以来、
人はなぜ絵をかくのかー をアレコレ考えてる。

職業の場合は一つの正解なので、それ以前の状態や、それ以外の状態ね。
なんで原始人は壁画を描いたかってレベルからでもいい。

私は絵が好きなので美術まわりで考えるけど、
文章表現や音楽を代入してみたらまた楽しいかもしんない。

なにかを表現する場合、なんのために、誰にむけてなのか。
描いてる自分が最初に見る、見たい、というのは当然として、
その次は誰に見せたいのかな、というのはよく考える。

で、他者=世界に対して表現している人もいれば
特定の一人に対して表現している人もいるよなあと思う。
一人じゃなくても、ニュアンスの通じる世界へ向けて、共感を求める表現。
演説のような表現に対して、手紙のような表現ってかんじかなあ。
 
ものすごい雑に分けると前者は男性的な動機だし、後者はなんだか女性的。
何年か前GEISAIの感想を書いたときも同じような事いってたけど、
比喩みたいなもんだから、フェミニストな方おこらないでね。
その二つは二者択一というよりはグラデーションなのかもしれない。

とかいう話を書いていたら、めちゃめちゃ長い文章になったので、
この話はまた後日書く。中略。

で唐突だけどこの先、あらゆる場面で、女性的価値観を採用する人が
増えるんじゃないかと思う。ばくぜんと。

インターネットによって、世界はこまぎれになって、
今まで有効だった、たくさんの人の心をつかむ仕組みや方法論は
徐々に無効になっている。
舞台とマイクがなければ、演説はできない。さみしいことに。

となったら、知らない人の賛同を得るために勝負をするのをおりて、
自分が強い満足を得られる特定の人のために作っているという大義を
採用したくなるんじゃないかと。なんかそんな感じがします。

あらゆる場面でって言ったのは、たとえば経済の世界でも。
「消費者」とか「ニーズ」といった記号を相手に生きるより
自分が喜ばせたい人に対してサービスするほうが楽しい
って考え始める人も増えるんじゃないかなあ。
ココ数十年、勝ち負けの世界だった経済成長のゆりもどしで。

そして万が一、その価値観がマジョリティになったら、
オセロみたいに全部ひっくりかえるんじゃないかなと思う。
お金の動きも、権力のありかも、常識も。

とまあ、こんなパラダイムシフトもありうるなあという思考実験です。
たぶん穴だらけだけど。考えるのたのしい。

そうあるべきとか、どっちが正しいじゃないってことは
このブログでも何度も言う通り。
採用されなかった方の未来も、それはそれで楽しみや不幸があるんだと思う。
でも今が現状のベストって思うほうが気が楽だ。
ていう考え方はわりと好きです。


あ、最後に、自分について言えば、発生源はとても女性的だと思います。
頭の中に、正しくわかりあいたいのカタマリがあって、
そのせいで生まれるもどかしさによって、ウワーってなって
ウエーンってなって、グアーってなるかんじです。
ヘコーー。

オクトーバー

ハイパーな夏と、すでに走馬灯感あふれる9月を終えて
あっというまに10月です。
それみたことかな感じで風邪ひきました。

http://2o-11.tumblr.com/


http://www.ogawakeiko.com/

で、どっちもちょっと更新。
みてみてくださいね。

新宿ルミネのMegane ZINE Shopの店番は
残りは7、9、13、21、25、28にいます。
平日は2時〜7時です。いないときは休憩中かもしれません。
連絡くれたらもどってきますので是非おいでくださいませ。
見るだけでも本当に楽しいですよ!

///
さて、9月がおわったら抜けがらになるかもなあ、と思っていたけど、
次はあれしたい今度はこうしたい、がありすぎて
オラ強くなりてえ感のほうが大きいです。
永遠に続くんだろうなあ。高い山はいくらでもあるものなあ。
なんにしても登ったらきもちいいのは間違いないなあ。楽しいし。

実のとこ、この半年は水をさされるような事態をとにかく避けていた。
思い込みと勢いとテンションだけで動いていたので、
人にテンションを下げられるのが一番こわかったのです。
今なら、考えもけっこう言語化できたので、
多少の冷や水は跳ね返せると思う。ヨソはヨソみたいな感覚にも近い。
それだけで、ジタバタした甲斐があったなあと。
本当はもっとスマートにやりたいんだけどね。

秋からは生活を立て直してゆきたいです。
テーマはおちついてがんばる!です。
どうぞよろしくおねがいします。

とうとうと

ツイッターやブログの背景がくどくてすみません。
グループ展と個展の準備をしております。
勝手に文化祭実行委員です。

個展も、こんな大それた企画も、
しばらくはやる予定がないので
これが最後だと思って見に来てくれたらうれしいです。
いや、最後じゃないけど。気分的に。


ところで、この半年は過剰に考え事ばっかりしていて、
会う人とえらいしゃべってたなーと思います。
仕事とか人生とか恋愛とか絵とかカルチャーとか、
わりかし足下の議題にはじまり、
社会とか経済とか政治とか世界経済とか格差とか
理解できない上、個人じゃ手に負えない範囲のところまで。
せめて仕事してから言えよって思いつつ、
お給料もらってたら言えないよねむしろ。

おとといは友人に説教めいたことを言ってしまい(人生やら結婚やら)
私みたいな最下層の人間が何をえらそうに、と昨日反省したけど
うまくいってる立派な人に言われたらプライド傷つけるだろうから、
私でよかったんじゃないかと今日思いました。 

メッセージが伝わるのって、関係性によるところが大きくて
そのへんのバランスとるのは本当に難しいし、
タイミングもアドリブだし、コントロールできるわけない。
相手が自分をどう思っているかなんてわかったもんじゃないので
結局あんまり考えないほうがいい、って結論に毎回なる。

それこそ裏でぐちゃぐちゃ考えてる人だ、って印象をあたえたら、
ぐちゃぐちゃ考えてるぶんの想像を相手に負担させてしまう場合が。
なんつうめんどくささ。

小さいころから、マンガのシチュエーションで、
「誤解が誤解のまま解消されずに終了」
っていうのが大嫌いだったんだけど、 
生きてたら、気付かずそんなこと起こりまくってるんだろなあ。
それに「誤解」なんていう感情をオフにして現象だけとりだしたら、
実はとっても機能的に美しく伝達できていて、
全体がまわっているような感じもする。
前向きな誤解もいっぱいあるにちがいないし。
つってもそこまで俯瞰になると全部どうでもいいモード突入です。

前はなにかを言うときに、説得力がないのがもどかしかったけど、 
最近は何者でもない自分、てのもわりと便利だったんだなとよく思います。
なにより素直にまわりを信用できるって状態は、私にとってすごく贅沢だ。

とうとつにすみませんが、どうもありがとうございます。 
といいたい気分です。 なんだこれ。

それでは引き続き準備します。 私のわりによくやってるヨー。
できないことやってみると、できる人ってすごいと思えるので 
いろいろ感謝して生きて行けて幸せっていうライフハックですたい。
 
 

CB


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暑さがもどってきたのかな!

もし長生きして年をとったら、未来キッズに
いやーいろいろあったんだよねあの年は、 
ってな感じで説明することになるんだろうけど、
今シミュレーションしようにも、
進行形だと輪郭はみえないものだなあ。
ただ、輪郭って人間が作るんだなーというのは体感してる。
意味とか言葉とか物語とかができてくかんじ。
感度はあげておきたいもんだけど、ほどほどにします。
生活と生存をまじめに天秤にかけると疲れるだけだ!

35度シー

地震から4ヶ月。
こうも暑いと、半裸みたいな格好で過ごしがちなので、
これじゃ急に逃げ出せないなあ、とちょっと反省します。

それにしても日常の強固さよ。
いいとか悪いとかではなく、
質量保存の法則とか、慣性の法則とか、
なんかよくわかんないけど、そういうの感じます。人に。
で、変わるときはドミノだおしみたいにパタパタ
変わっていくんだろうなあ。と思う。
ストップ温暖化はもう死語なのかしら。
来年はどんな夏だろう。
ならば50年後はどんなだろう。
100年前はどんなだったのかな。 て考えるの癖っぽい。
あんま俯瞰になると、なにもかも許せるかわりに、
生きる意欲を失いがちなので要注意です。
まあ数万年後は人類いないし、みたいな尺になるともはや。

こういう遠くから眺めて法則を見いだす視点と、
目の前のものに感情移入する感覚って、
騙し絵みたいに、同時には見えないのがふしぎ。
それがおもしろくもある。
別のパラダイムをどんだけ高速で行き来できるかっていう。
まあ無益だけど、暇つぶしくらいにはなりますよ。

デコード

さいきんなんだかタイピング欲でてます。
絵ばっか描いてたからか。

テキストって読まなきゃいけないからむずかしい。
というのも、静止画は、見たければ好きなだけ眺めればいいし、
一瞥だけでもまあまあ目的達成できるのだけど、
テキストは、受け取りがわに時間を強制させてしまうので、
心苦しさと、プレッシャーがうまれる。
なんか重いし。

ただ今の人類って、ネットで膨大なテキストを見ているので、
文字列をみて、意味を吸い取る能力が発達してる気がします。
ばんばんスクロールしてって、おもしろそうな情報のとこだけ
速度おとすようなブラウジングを自分もよくする。
もしかすると未来の人類は、
文字列も絵のように「見るもの」になるのかもしんないなあ。

これは情報としての文字列の話で、
ゆっくりあじわう文学は、また別の話なのだけど。

とはいえこんだけ電子テキストがあふれる昨今、
ネット、文学、印刷、電子ブック、メール、を超越して、
「テキスト」じたいの意味あいと重みが変わっていくとも思う。

文字列、テキストの解体と再構築。
画像をJPEGにするみたいに、
文字情報を圧縮する文法が発達していくかもしれない。
画像としての文字列。データというテレパシー!

と妄想がふくらんだけど、SFすぎて目の前チカチカした。

自分が生きてるうちはそんな変わらないんだろうなあ。

テレパシー好きだなあ。

ソーシャルネットワーク

赤ん坊のころから知られてるような密な人間関係が、
キャラを更新しながら生きるにはちょっと窮屈で、
田舎から上京し、約10年。

都会の生活に、都会的なSNSを取り入れて、できたのは
より可視化されたムラ社会であったのだな、という
最近のこのヘナヘナ感、おもしろい。
2011年、まだまだ日本人だった!

べつにネガティブなわけでなく
じぶんのような人間は、それを求めるのだなという確認です。

窮屈だって言いながら、身内的な安心感はやっぱり必要だったし、
キャラクターの同一性を保つことによって得られる信用は、
ほかではかえられない役割を担ってくれると知ったのだ。
大人になったな。

しかしこの、信用を担保しあう間柄を
バーチャルで可視化・整頓されすぎると
なかなか奇妙な気分になりますね。
一言でいうと無粋。
ここばっかりはふわっとしておきたい、
デリケートなところだよなあ。
いつか当たり前になって、慣れるのでしょうか。
ううむ。


当たり前のように、さりげなく常識が変わる感じで言えば
mixiでもtwitterでもfacebookでも、
自分をみずから人目にさらすことで、
多くの人が、自分を客観視するようになったなあと思う。
すくなくともその機会がふえた。

他人からの見え方を確認するのが、呼吸をするくらい自然で、
おおげさに言えば、メタ的なものの見方が
急激に一般的になったかんじもします。

そして客観視のさきにある冷笑的な自虐のトーン。
なるほど蔓延するはずだよなあ、と。

今までは、オタク的だったその性質が
確実に現実社会にも増えてきてるし、
反対に、オタク的でない「ふつうの人」がSNSにドカンと増えて、
ネット内の言語感覚や、風向きがどんどん変わってもいる。

この、今まさにまじわりゆくマーブルな感じ、ドキドキするね。


芸能人でもないのに、自己をプチ・パブリック化していく行程。
パブリックを装いつつも、もれだす気分や、わがまま。
それを意識的、または無意識で調整する、サーフィン感覚。
これらの概念には是非名詞をつけてほしいです。

吐き出されたテキストやイメージよりも
その出力を調整する行為そのものや、判断基準そのものが、
よっぽどコミュニケーションやメッセージになっていて、
この感覚は今とても面白いと思ってる。

と、こんだけ考えていながら、
自分でもうまくメッセージにできてないのですが。
そのいたいけさも、またよかったりするし。

最大公約数にうすめられた主張とか、
自意識過剰のはての自然体とか、
もうね、とてもいとしいです。

矛盾と葛藤が好きなんだなあ。
人間かわいい。

ボム

ggff
PCの処理まちと電話中なんか描いてるけど
掻いてるのほうに近いかんじです。


生き急ぎスイッチがはいって
ほしいものは減ったけど
行きたいとこには行きたい欲 と
会いたい人には会いたい欲 がふえた。
好奇心がふえたってことかなあ。

かたよらないなんて無理なんだけども、
なるべく原理主義的にならないよう、
同じできごとの、いろいろな認識のパターン
てのを知りたがるのですが、
そのつど処理能力を超えてフリーズするので
ほどほどにしたいと思います。

って、いつも思うんだけどね!
そして、好きでやってるんだけどね!

necomimi



脳波で動く猫耳。
エモーショナルを言語以外で表現できたらいいのに欲
がとても強い自分にとっては、これちょっと興奮しました。
脳直結のぴちぴち生データがアウトプット。

嘘とか本当とか、タイミングとか空気とか、
メタメッセージに過敏症な人、みんなでつけよう!
いろんな意味で性格明るくなるはずだ。

マルチアングル

ここんとこ(当社比で)動きが多いので
ログを残そうと思いました。
いろいろ載せていこうとおもいます。
http://www.ogawakeiko.com/
(andoくんありがとう!)


動きといえば最近、ひっそりと身内B&Bを始め、
先日は高校時代の友人がやってきました。
実質12年ぶりくらいにかわした会話だったにもかかわらず、
何を作りたいかっていうと社会を作りたいんだッ
しくみとか、価値観をつくりたいんだッ
という壮大すぎる話でもりあがってた。(ノンアルコール)
そんなばかみたいにみえる、あつくるしい女が
この世に一定数いてもいいと思うので、許容してちょ。
ばかみたいなことは単純にたのしい。
カロリーの高いものはおいしい、に次ぐこの世の法則ね。

とはいえ地に足ついた視点があってこそのアナーキズムの味わい、
常識は重しにもなるけど、大事なバランサーだなあ。

常識を定義してるのも主観ではあるんだけど、
なるべくかたよりをシャッフルしたくなって、
ときどき俯瞰の視点から点検したいし、さらには
いろんな文化圏や、いろんな土地をうろうろしたい。

神様レベルの俯瞰から、モザイク状の分布を眺めて
まあみんな人じゃん的に精神安定、てのも好きなんだけど、
そういう感情移入がオフになってる状態てのは、
機械的で人間のおもしろみ半減なのだ。
パッションをもてあましてるかんじ。

たとえば、うっわー超わかりあえない!って感じるのは
とても高度なコミュニケーションだと。そう思う。

なので俯瞰だけじゃなく、なるたけ地上も移動したいなあ。
いろんな人がいるんだなあと実感したうえで、
いろんな人がいてよいのだ、って思いたいし、
そしたら自分もいていいんだって堂々とできるし、
なんなら次世代にのこす、共存マインドのテンプレートが、
ほしいのかもしれません。

そして、そんなふうにみえる友人。
パワフルさに感服であったヨ。

そのご

ここんとこ積極的に人に会って話してるんですが、
世の中のコミュニケーションがアツくなってるかんじは
うれしい、という話をよくしてます。
集めたり、検証したり、傷ついたりしながら
考えて、受発信して、それはもう個々が生きている感じ。
生きたいってことを思い出した、くらいの覚醒っぷり。
を、感じたりする。

コミュニケーションの活性化については
もちろん、話したいテーマができたこともあるけど、
たくさんの人が、同じ大きな物語を共有したことで
言葉の定義がシャープになったことにもよるなあって思う。
同じ背景を持ったことで、相手の心情を察しやすくなって、
「その言葉はこういう意味で使ってるよね」
っていう確認をしなくても、
テンポ良くスムーズに意味のやりとりができたり。
概念を共有できたり(できたとみなしやすかったり)。

もちろん、ポジティブな交換だけでなく
世の中には大きな物語に参加したがっているだけの
あまり頭のよくない人もいるし、
逆に無意識的に排他的に扱ったりしちゃう
冷たさも発見されると思うけども、
(結束は排他と共にあると思うので)
そういう逆流や、混線とかもひっくるめて
感情や行動のうごめきとか、うまれるエネルギーに
希望に近いものを感じたりします。

希望なんていう干上がって形骸化したような単語を
水で戻して復活させて使いたくなるくらいね。

エラくてきたない大人にまかせきりで、何かあれば
きいてなかっただまされた泣いちゃう!的な
ピュアで無垢なコドモ万歳な世界観も、
それはそれで貴重だったと思うんだけど、
これから生まれそうな新しい世界観ってのは、
見た事ない色合いで、おしゃれにたたずんでる気がするんだった。
やさしくて、先端で、大人のエスプリもきいたかんじの。

ただ、私も常にこんな遠い視点で見てるわけでなく、
聞きかじった人類学やら社会学やら心理学やらもちだして、
学者気取りでクールに分析モードになったかとおもいきや、
3分後、自分の情緒にフォーカスした時には
やっぱちいさいヒダがいっぱいあって、
気持ちを想像して痛い思いをするし、自分も心細いし
クールな3分前の自分に自己嫌悪、
みたいなエキサイティングな精神状態で生活中です。

10年100年単位で考えてもみたいし、
瞬間的な痛みにも敏感でいたいから
しょうがないんだけど、
疲れるね、スペック不足だものね。


さてここまでたらたら書いてみたものの、
余震ひとつ、ニュースひとつで
ニュアンスが変化してしまうこの時期に
あんまり文章は適さないな、と思いました。
やっぱり。

同じ日本語で、同じバイト数の同じデータなのに
東と西ではメッセージの受け取られ方が
まったく違うかもしれなくて
それはコントロールできるわけなくむずかしい。

それ以前に、まだ不確定な、
液体に泳がせてる言葉たちを
文字というゼラチンで固めるようなことは
今はあんまやりたくないなとも思うのだけど
ほっとくと流れるものね。それもったいない。

ゆるめでうすめに出してこー。

KKISクロージング

KKIS展終了することができました。
まさかこんなことになるとは。

クロージングパーティーは延期になってしまったけど、
パワーアップして必ず開くので、期待していてくださいね。

かわりにおしゃべり会を急遽企画して開いたのですが、
予想以上にたくさんの人がきてくれてうれしかった。
もはやパーティーがなりたっていた。
本当にうれしいなんてもんじゃなかったんです。
次はサイトウケイスケに会わせたい! もーそれだけ。

ここから、直接展覧会とは関係ない話なんだけど、
なんだか地震があってから、蜂の巣つつかれたみたいに
考えや思いがブワーっとうまれつづけて窒息しそうだったのですが
きのうはひたすらしゃべって、しゃべりながら言葉がうまれて、
ぼやけた下書きをサインペンでなぞるみたいに、
感覚に輪郭ができていくようなぐあいで、すこし整理できた。
ただこれを文章にしようとすると、重量感がでてしまうから
そのカロリーコントロールは今はどうにもむずかしい。
でもおぼえておきたい。

おぼえておきたい、というのはとても大きくて、
今自分にできることの何もなさが、歯がゆいしもどかしいけど
「地震がおきるまでの日常」や「地震がおきてからの感情」を
半年後も、来年以降も、その先もおぼえておくことは
今、私1人でもできることで、すべきことだなと思った。
価値観は変わるし、情熱は醒めるから、
流れてしまいそうなものは、むすびつけてどこかに固定しておきたい。
もしくはのちのち解凍できる形式で、圧縮して保存しときたい。
それが言語化だったり、その他の表現だったりするのだよなー。
っていつも書いてる気がするけど再認識。

とかね。いろいろ。


せっかくなので写真を少しだけアップします。
ちゃんとしたのも撮っていただいたので、さわりだけ。
また後日まとめたいと思います!

DSCF8647


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DSCF8610

DSCF8570

あまりに幸せな二週間でした!

ノットファウンド

あーだこーだ話してたことを、帰ってから再度考えて、
でた結論は、よそはよそ。なんという元も子もなさ!

世界中を納得させる回答をさがして
客観的になりすぎて、視点をひきすぎて
隣の芝生や、えらい人や、歴史や、宇宙をながめて
やることなすことバカバカしくなったらもはや生きていけないので
欲と感情にしたがうってほんと健康だと思うんです。
健康第一なによりも。

というわけで考えるより先に
アレコレじたばたしていたいのだけど
もちまえのミーハーさと好奇心旺盛さが、たまに
自分うさんくさい・・と感じる時があるので
もうすこし落ち着きたくもあります。
てゆう今年はいってからの漠然とした反省と抱負。

あと冬にたくわえた脂肪問題についても反省してます。
食べても太らない体質と思い込むダイエットしてたのにな、ちぇ!

ラーメンたべたい

単語で現象や感情を的確にあらわそうとしたときに
興ざめとかどっちらけとか話長いよとか
そういうのに変化するのがとても不本意だなとよく思います。

なので物語に変えて空気ごと風景画にするとか
または言葉少なく詩にして抽象画にするとか
なんだかそういう文章を書きたい時がある。
そうまでして気分を記録したいと思うのはなんでだろう。

いい大人になってまで絵を描いてるのも
この気分を記録したいってのが一番大きいよな気がします。

ただ、絵で記録するにしても、モチーフが具体的だと
意味がたくさんくっついてくるのが困りもので、
言葉にならないエモーションを、名前のついたもので表すのは
わかりやすいけど誤読もされやすくてむずかしいし怖い。
意味不明だけど不本意を避けるほうを選んでるようだ、
今はたぶん。いつか変わるかもなあ。

そして色ってのはおもしろいですね。
好きと思う色や組み合わせは一番その時の気分が出る。
色は味と似てる。ずっと見てると目が飽きるので
甘い辛い酸っぱい苦いを、かわるがわる食べるような描き方します。

多色使いが好きな人は食べ物の好き嫌いが少ないんじゃないかしら、
好きなもののレンジが広いってことだから。
いっぽうこだわりに欠けるので迷いが生じやすいよね。
ひとりで外歩いてておなかすいたのに
何が食べたいかわかんなくて途方にくれて
ファミレス行っとけばいいだろと思って入っても
メニューに決め手がなくて食べたあとコレじゃなかった泣きたい
ようなことがたまにあって、我ながらイラっとするので
ラーメン大好きだぜ!みたいな男子にうまれてみたいです。来世。



この動画見せながら失恋話きかせてくれたバーのあんちゃんは
もう元気になっただろうかしらん。
いっぺん会っただけの人をふと思い出したりするいいよね。
余談ですた。

mmm

たまたま見たNHKのトルストイの家出が面白かった。
トルストイ級に思想極めても葛藤で苦しいんだったら
一般市民の中途半端な考え事ってただのマゾだね!
骨身にしみてわかってきましたよ、そろそろ!
理屈っぽい性格からは逃れられないとしても、
他に没頭するものがあるとテーマが違ってくると思うのだけど
今この環境、気を抜くと自分VS自分以外、になっちゃうわけで
ウッカリするとこの世の全部が是という解をみちびくための考え事
てのをしてしまうわけで、なにこの自家宗教きもちわるい。
老後にとっとくべきだネ!そういうのは。
その前にこの世の全部じゃなくてよくなる日がくるといいなあ。
反動なんだろうなあ。ッハーン。
もちろんそんな壮大なテーマの負荷にたりる理屈や語彙は持ってないので
私のポンコツ頭脳では演算がとまらない。
とまらないのはロマンチックだけにしてほしい。
というわけで昨夜のお米大使お誕生日恒例?カラオケはおもしろかったです。
そんな彼女には今度の展示の軽食を依頼しているんです。
おしゃれに言えばケータリングです。
うーん楽しみ、詳細はまた!

アンクルTKD

引っ越すかもしれないので物件をながめているんだけど
よりどころがなさすぎて何選んでいいやら、正解がみつかりません!
暫時暫定さきのばし、ばっかりしてるから
いつまでもアウェイなんだね なるほ。

この諸行無常がせつなすぎることこの上なし
続くものも残るものもあると信じているけど
先のことはわからないし
ましてや東京 日々更新あたりまえ

こんなデジタルなワールドでは
消去されると跡形ものこらない上
なかったように振る舞うのがマナー
過剰に空気よんで禁句にして
5年後くらいに皮肉な笑いのネタで再利用
逆にアリとか言い出したり何様だお前は!私だよ!
ていうのを好きでもあるけどネ、あーめんど

あときまぐれに税金や年金などについて読書中。
世の中よく知らないことだらけだってことはわかりました。
銭勘定をおぼえたいです。



ルキンフォー マイホームタウン

デフラグ

予告のとおり鍋会強化月間中ですが
このあいだはたまたま呼んだ2人が同じ高校出身でびっくりした。
そういう偶然に居合わせるのは本当にうれしいです。
流れ星を見れた時みたいにラッキーな感じする。

さらにそういう場所をつくって、人どうしのハブになれたときって
オーバーだけど生きてる意義あったなあと思えてきます。ありがたや。

そんで、なるほど補色を組み合わせるのが好きなのも、
連綿と模様をつむぐのが好きなのも、
また、当然のように人間ばっかり描くのも、
そんな指向と同じ意味だなあ、と自分だけで納得したりします。

こういう、人とは共有しなくても、自分だけで勝手にふにおちることが
最近増えてきたように思う。

そういえば、友人が言っていた。
30歳くらいになると自分のもってる情報が
脳内でいろいろ整理されてくるらしいよ、と。
このデフラグがおこるような感じキモチいいので
これから増えてくるのかなと思うと、ちょっと楽しみです。

獲得した言葉につれて増やしすぎた感のある
大義と名目と言い訳と建前を、ここいらで因数分解して
シンプルな人間になれることを願わんばかり。

そんでめんどくさい思春期をおくってる若者に
アンタも大丈夫だよ!って言いたい。
豪快かつ軽快にネ。

TOKYO

会話をして、反射で出る自分の発言に
自分で考えてることに気付いたりします。
人と話すのは面白いな~

こないだは、東京のどこがいいのって聞かれ、なんの気なしに
パーティーが常におこっているような街なとこ、と答えた。

そのあと考えてみたら確かにそうで、
たくさんの人が入れ替わり立ち替わり、
一回性と偶然性とグルーブ感とライブ感がたまらなく好きだ。
まさに一期一会かもしれない、その瞬間の貴重さ。
飽きないし淀まないし逃げられる軽み。
いろんな人がいるな~ って思うと自分も許される気がするし
自己紹介の機会が多くて、アイデンティティも更新しつづけられる。
情報が好きだから、膨大な情報の中をおよぐ感じもきもちいいし
とりだしたり伝播させるのも楽しい。

んで、ときおりどっと疲れるとこもそこなんだった。
ホームがほしいとか、居場所がほしいと思うし、
いろんな人がいることに自分の存在意義おびやかされるし、
情報に窒息して、全部無価値だよくだらねー って自暴自棄になる。

むー、最終的には人間どうし関わり合いたくて、
それがネットワークか、太い柱かってことかしら。
ちぎれやすいか、折れたら最後かっていう、
表裏一体、一長一短、ないものねだりだなあ。

あと親から電話があったときは、
5年後どこに住んでるかもわかんないよって言葉が口からでて
そのわかんなさがワクワクでもありハラハラでもあります。
安住の地はどっかにあるはずだ。風水でもするか。

んで風水じゃないけど、あらゆる占いのいいところをサンプリングして
自分を鼓舞してます。新年ならではです。
こちとら気分屋だかんね。
今の攻めメンタリティを忘れずにいたい、
守るものも失うものもなさすぎるからこその。

考え事またやってるなあ。やめよ!

暮れの元気なごあいさつ

年の瀬ってはやいですね。びっくりするわ!
無職なのに、結局実家にも帰らなかったというのに
このスピード感ったらなんだろう。

12月はイベントも続き、忘年会もたくさんあって
私そろそろ死ぬのかなってくらいたくさんの人に会いました。

ただ会う人会う人に「今なにやってんの?」と聞かれます。
さいきん気に入っている回答は「非営利活動」です。
これはかなりしっくりきた。

趣味も非営利活動です。特技だって非営利活動です。
経済はコミュニケーションの手段のひとつでしかないのだと
わたしはこう主張したいんであります。
これはそもそもの男女差が存在することも言いたいけれど
ジェンダー論めんどいのでおいときます。

とはいえ銭はかせがねばならんし
そろそろいよいよな感じなのでがんばろ。
あーベーシックインカムほしい。

だってさ!
なぜ雇用はないのに過労なの!
普段は奴隷のごとく労働する人間が
消費者にかわった瞬間急激に王様になる舞台装置を
遠くから眺めているような気分になったりします。
私もそうだし、それが文化をうむしおもしろみでもあるんだけど、
やっぱちょっと行き過ぎではないかしら、とか思うわけです。

ライフハックして効率化をうたうくらいなら
需要と供給の仕組みを因数分解しやしませんかねサラリーマンズ!
みたいなテンションになる瞬間がどうしてもくるんです。

現実逃避と言われれば全力でイエスなんだけれど、
より遠い視点、たとえば次世代の視点から見てみたら
むしろ大多数の人が今、過労と言う名の現実逃避なんじゃないか。
集団催眠のように盲目的に日銭をかせいでいた世代、
と後世の教科書にのるんじゃないか。

なんで幕末ブームかとか、もうそういう雰囲気じゃんね。
この時代、高齢化とか国際化とか政治経済をリアルに想像しないほうが
はるかにハッピーにくらせると思うんですよ。
それこそ盲目的に、おきゃくさまのために働いていたほうが。

もちろん仕組みは簡単にかわらないけど
それでもちょっとずつシフトしようよ!次世代のために!
そうだその先駆けなんだ私は!
って思えたらなんて楽なんだろね。

不安だよ毎日~。

でも楽しい。



暇そうにしているといろんなとこから声がかかるので
楽しい場面に遭遇することが多い気がしました。
なので来年は、忙しくても忙しそうにしないことと、
そもそも忙しくならないことを目指したいような気がします。
まあすぐ気が変わるので気にしないでください。

YABAI

今年があと2週間で終わりそうらしいとききました。
27日に出て4日に戻る往復チケットを買えば
まだ熊本に帰れたりするのだけど(値段的に)
それを買うには明日までなので
今すごく悩んでいます、どうしよう。
みんな一緒に帰ろうよと言いたいです。
そんな長期滞在してもやることないんだけどネ

取出のバスの事件またも同い年(いまのとこ)
同世代が加害者の事件ってどうしても気になる。
波風はだれかが立てざるをえない気がするし
鬼ごっこの鬼は私かもしれなかったな、って思う瞬間です。
常套句だけれど「他人ごとじゃないなあ」を噛み締めるんです。

でも自分が加害者かもしれないってイメージ持つのは
ヒト社会生きるうえで悪くないと思う。

で、いろんな話すっとばすけど、例の条例もどうかと思う。
良識とか道徳は、あるていど示していいとも思うけど、
面白いマンガが減ったら私が困るんだよう。

でもエッジを楽しんでる感じってのは味わいやすくもなるな。
ヒョーこんなこと描いちゃってるよっていうハラハラっぷりとか。
スリルやドキドキは相対的に発生するから
ちょっと取り締まりされることがスパイスになるもんなあ。
描き手もわりとそうだったりするかもなあ。
反骨ってすごいエネルギーわくもの。自分がだけど、、

にしても昔より味わいにくいよね、ヤバさって。
視覚や聴覚や情報だったらネットで何でも見れるもんね。
5年後くらい、体張るのはやりそう。10代の間で。
と、てきとうな未来予想をしてみる。

ディッセンバー

12月にフェードイン。
先月はどっか行くか本読んでました。
戦後に興味しんしんだった。
今よりもっと急激な価値観の変動があったろうに
若者っていつの時代も一緒だなー、と妙に安心したりとか。
(ちなみに35才まで若者らしい)
にしてもイデオロギー総上書き、想像できない。

ただ、戦争状態ってのは絶対に絶対にいやだけど、
「ふつうじゃない状態」ってのがわかりやすいから、
終わった時きっと「あけた」って感覚があるんだろうなあ。
いっぽう現代、変化は常にあるのに「あけない」感じ。
爆発がおきないからガスがたまって息苦しい。

もっとやりたいようにやっていいってわかってるけど、
どうにもこうにも手足が出ない、何かしたいかといったら特にない、
それほどの大義名分もってないし、どうせなら使命がほしい。
なにかの活動家とか、生きてル!って感じで生きてるんだろうなあ。

誰がなんと言おうと惑わない状態 って幸せだ。
ともかく今の若者は惑いに惑っているとおもわれる。

生活圏内の常識をみわたすと
これから古くなるであろう価値観の方がまだ正しさを持ってるけれど、
常識が書きかわるのなんてすぐだって予感もみんな持っている。

でもやっぱり、今から!って号令がないと動くには不安で
噂でフライングはしたくないし、
判例がないので当方では判断いたしかねます。
とかわせる程度に大人だったりする。

そんなん自分の責任で決めなさいと強い人はいいますけど、
みんながみんな自分の判断に自信もってるような世の中もなんかやだ。
右見て、左見て、もっかい右みて、さらに道渡ってる人に付いて行くのが
一般的日本人のやりかただと思うし、それがほとんどでいいはずだ。
それに悔しさとか感じないなら、そのほうがストレスないもんね。

といっても小さい号令はあちこちでかかってるようで、
右見て、左見てるあいだに、中国他アジアのみなさんが
すごい勢いで道路工事しまくってるからってのは大きい。
ここちよいパステルカラーの価値観は
あっというまに染められるにちがいないよね、
オセロで全部の角とられたみたいに、
次の世代はぜんぶひっくりかえってるんじゃないか、
言葉のニュアンスも、ふるまいも、美意識も、
共感のとどく範囲も、権力のありかも、
なにもかも変わっているんじゃないか、
なるほど国際化ってこういうことなんだね、
夜明けがはじまりつつ、時代はおわるんだね、

ていうのを想像してたら、
なにを支えにしていいかわからず不安すぎて、
無性に家族と、住む家がほしい気分になったりした。

安定のためなら、お金と仕事、でもいいけど、
会社は家族のかわりにはなってくれないし、
どうやら死ぬまで食える手に職なんてそうそう存在しないらしい。
そのうえいつ事故にあったり病気をするかもわからない。
30年持つ地盤って、家族もしくはコミュニティしかなくない?
助けたいと思えたり、助けてって言えるような関係、
それ以上の社会保障は存在しないよなあ。
付け加えるなら心の安定、やっぱ宗教は羨ましいなあ
あー仏門にはいりたい神に仕えたい悟りがひらきたい
みたいな域にいきました。一時。

最近ようやく、30年後じゃなくて来年の心配だよネ
と思考が通常運行にもどってきたけど、
底辺にいるときの思考ってやっぱおもしろいものではある。


こんな鬱思想ふりまいていたときに、
友人たちから、あふれんばかりの愛情と
ぜいたくすぎる優しさをもらい、前向きになったわけで、
いま友だちが落ち込んでいるので、元気になってほしいなあと思うわけで、
いやー、こう思えるのっていいなあ、
人間ってあたたかいなあ、
やっぱ愛だなあ、
みたいな域にやってきました。最近。
振れ幅デカイな。

また出だしからは予想外の展開と結びの文になったけど
明日はやいんで寝ます。出稼ぎ!

新書とか

さいきん読んだ本
わたしたち消費 カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス
セカイ系とは何か ポストエヴァのオタク史

直接興味のある分野じゃないけど著者が同世代なのでおもろい。

社会学って好きなんだけど、ものすごい虚無感も感じます。
無心でのめりこんで熱くなってたところを
俯瞰で冷笑されて、楽しさに水をさされるような。

カテゴライズされて分析されてニンゲンの群れになる
自分の表情なんて必要ないし、どこまでも消費者1でしかない
それはまったく悪いことじゃないけど、
消費者1になりきれない子供っぽさが自分でわかる部分が悲しいのだ。
偉い人に見守られていたい、いい子にするから見ててね精神
ってのはいつ消えてくれるんだろ!
そろそろなくなってるつもりだった。

余裕のないときにこういうこと考えると
ナイーブバカですよアウトプット病ですよオンライン自己ですよどうせ
のような精神状態になっていっそうの幼児がえりをおこすので
安定した立場があるときに勉強すべきだと思いました。

にしても興味の分野が収入にむすびつきません。おしい。

朝っぱらから

世は占いブームらしいですね、不安定な世の中だからっていうので。
自分がほんとに不安定を実感してるのかと言われればそうでもない、
だって今現在をとりだすとそうとう幸せな気もする。
戦争でもないし暴力にもさらされてないしごはん食べれるし
役所は機能してるしコンビニは便利だし夜道も安全だし。
いや、そんなのおびやかされたら占いどころじゃないのか。

供給過剰でこんなにモノはあり余っているのに
なんで人々はこうも不安なのでしょうか。
うばいあうくらいならわけあいたいんだけどな なんつって
そういうきれいな標語でお茶をにごす大人になりたかないです。
なんでだろうな、人目を気にしてるからかな。
人目気にする余裕がまだあるってことかな。
でもそれで死んじゃう人もいる。

先走り不安で、今も不安っていう現象はすごく悔しい。
本当は楽しいのに、それを自分で感じなくしているなんて
おいしい料理を味わうことなく丸呑みしてるみたいだ。
あとからおなか下すかもしれないけど今はおいしい!
のほうがまだいい。

「あのときこうしておけば」ってあとから思うだろうなあってのも
なんとなくそわそわしてしまう原因なんだと思うけど
あのときこうしておかなかったパターンの人生でも
満足できる能力が高い気もする。自分の場合。
高望みする能力がないのかな、欲はあるけどなあ。

先の不安をとことん考えると、国がどうとか大きいスケールになるので
自分の個人的な問題が矮小化されて
欲とかけっこうどうでもよくなってしまうのでそのへんは便利です。

まとめると死ぬほど不安で最高に楽しいそんな今。
健康にはなったなー。ほんとに!

本とか

読んだ本めも

日本人のための英文法
日本語文法と対比してあって面白い。
英文法の科学的かつ直線的な表現って確かにきもちいいです。
情報の純度が高くて、インストール!というかんじする。
他の国の文法も気になるなあ。

これ作者が哲学科出身ってとこも面白い。
なにごとも概念理解はむずかしいものですね。
その言語じゃないと伝達できない概念なんて、日本語の方言にもあるくらいだものなあ。
だから過去完了なんて言われても、わかるけど、やっぱわからん。
ヘレンケラーの「ウォーター!」みたいな瞬間がくるの待ってます。
くるのかしらんけど。


試験という試験を追試で乗り切って卒業した高校のときも
古文と現国と倫理だけは得意だったのだけど、
なるほど大人になっても興味があるのはそのへんです。
生の情報を分解して、伝わるようにアウトプットする行為は
やろうとすればするほど不満足がつのるけど、やっぱり楽しい。

ぐだぐだと

銭ゲバ読んでる。面白い、こわい。

さて夏休みな今、思っていることを書いておこうと思いました。
いま思っていることは、案外その時しか思ってないから記録です。

ここんとこ一番の変化として
戦略とか成功とか競争とか成果とかコストとか効率とか人材とか
そういう流行のビジネス用語が、完全にアレルギーになっていることに気づいた。
もうしばらくはいいや、って感じで食傷気味です。

今まではそのゲームに参加していたから
道具として便利な言葉(概念)だったんだけど
そのゲームをやめちゃって、ルールの違う世界からみると
そんな殺伐としなくてもいいじゃん
みたいな、ちょっと笑えてくるくらいの感覚になってる。

こんなふうに、同じ言葉でも、ルールの違う世界から見ると
意味も、印象も、色も、温度も、まったく変わって見えてくるもので
自分の世界観が変換する瞬間は本当におもしろくて楽しい。
(飽きっぽいだけなのは棚にあげて)

単なる流行語に対して、アレルギーとまで過剰反応しなくてもいいんだけど、
それが真理でもあるかのように洗脳されるのはほんとうに怖い。
市場のルールでは正しいけど、あくまでそちらがわのルールだからね!
っていう線引きをしていないと、
せっかく人が長い時代かけて編み出した倫理観がゆがんでしまいそうだ。

いま世界的ブームの市場というゲームのなかで、
ほんの数十年や下手したら数年でできた概念やルールが、
何世代にもわたって残してきた倫理観をゆがめてしまうっていうのは
鍾乳洞や珊瑚礁をこわすくらいもったいない行為だと思う。
気づきやすいところ以外ではきっと静かにこわれている。
モノじゃないぶん、なくなったことも気づかれないまま消えてる。
そういうのやだやだやだやだMOTTAINAI

じゃあどうしたらいいのかっていわれると困るけど
「言わずもがな」の概念にもときどき疑いをかけてみるのは大事じゃないかなあ。
しごとは合理的なほうがいい、いや果たしてそうか?とか。
少ない労力でたくさん稼ぐのが高ポイント、
でもそれによって不幸になる人は予想されないか?
それ無視できるのか、できちゃうのか自分、それでいいのか!
なんて考えるの、素敵なことじゃないか。
ただの葛藤に終わることがほとんどにしてもだ。
この「ただの葛藤」ってのがもう病んでる証拠なんだけどね、
得することしかしたくない経済世界の概念が浸食していらっしゃる。

なんにしても、
単純化して断言されるのは楽だし気分もスッキリするけど
例外と裏側も考えてバランスとったほうがいい。とおもう。

というのも最近思うのが本屋さんにて
若者むけのハウツー本とかライフハック本とかビジネス本とか自己啓発本とか出過ぎ。
そういう即効性のあるインスタントな本もためになるし面白いけど、
文学じゃないから、賞味期限も短くて、すぐに死語になってしまうものだから、
大人は学生にシュウカツしてないで古典でも読んだらってすすめたほうが、
長い目で見たら日本のためにいいんじゃないかと、
まあおおきなお世話だけど、思ったりします。
古典読まない私が言うのもあれだけど、無職の私が言うのもなんだけど、
説得力あったら説教になっちゃうから、説得力ゼロの今発言しておこう。

ああでもこういう本もブーム過剰な節があるので終焉まぎわなのかもなあ。
今後、反動で感情による動機付けブームが起きたりして。
やさしさとか思いやりとかお礼とかお詫びとか、
意地とか約束とか尊敬とか証明とか、
そういうしっとりした感情をあらわす言葉、
つめたいルールブックの反対側にある用語が、
新しくビジネス書の中で流行語になっていくのもありえる現象だ。
行動原理としてこっちのほうが強いと思うもん。とくに女性は。

それはそれでなにかしら文句いうんだろうな私。
なんつうめんどくさい性格。消えたい。


あ、さっきからゲームゲーム言ってるけどバカにしてるわけではないです。
レヴィストロースが言うように交換がにんげんの初期プログラムみたいなものだとしたら
経済活動ってそのなかで生まれた一つのゲームだという解釈のもとです。
このゲームにおいては、競争して、出し抜くのも楽しみのうちだと思う。
ただし地球上の構成員全員おおかた幸せに生きていくべきとも思う。
どっちも正という解にみちびきたい。その方程式を知りたい。
なんつって夏休みの自由研究じゃ終わるわけないテーマだった。

また長文になってしまった。むすびます。

なんでこういうこと書きたくなったかって
去年のお盆はひとりで会社にいたなあっていうのを思い出したんです。
いっしょうけんめいがんばるのは楽しかったのに
尽くしたぶん愛されたくなるからめんどくさいんだ。
そういうのやめよう、とまで悟れた経験ってかなり貴重。
これゆくすえマザーテレサだねやったね

さー職をさがすぞ

どくろ杯

どくろ杯 金子光晴
を読んでるんだけどこれ面白い。
紀行文だと思ってたら半分読んでやっと出発した。

説教くさい本はいま拒絶反応起こすし
新刊も気分じゃないしってのでなんとなく買ったけど、
いい頃合いにいい本にめぐりあうようにできてます。
人もか、なんでもか。

でたらめな生活の中のするどい言葉が刺さります。
いや、デカダンスにあこがれてる訳じゃないです。
ちゃんと生きます。無理しない程度に。

いろんな時代の空気と、その時々の価値観と、
それらの移ろいやすさを思うと色々あきらめがつくし、
その中で変わらないものの多さに安心もする。
遠くからの視線が自分にとって神様がわりだとおもう。
ふにおちるための。

とかごたくならべずとも面白いです。

cogitoな夏

先日おおきめの図書館に行ったら
老若男女がそれはもう一所懸命に勉強していてめんくらった。
思わず見知らぬ少年少女の脳内合格祈願してしまいました。
影響されてやや小難しい本を借りてみたので、記念にメモしとく。

言葉と無意識
ソシュール入門みたいなかんじ
専門的なのに読みやすい素敵な本

思想地図 vol.1
いろいろのってておもしろい
そんで現代だから読みやすい

構造と力
序文に感銘、これだけでも読む価値ある
てゆうか本文、挫折しそう


迷走と瞑想の夏といったかんじです。
エントロピー増大気味の部屋を片付けたいです。
(つかいかた多分まちがってる)

にしても読書は好きなのにスペック低いので成果があがらないなあ。
成果ってなんだろな、内容をおぼえておいて物知りになることか。
整頓された頭脳の獲得か。そしていろいろ納得がいくことでしょうか。
好奇心に成果を期待するなんてみみっちいんだけども
なんか残したい。読んだことを忘れるのはもったいない。よー

KATTO

こないだ話してて頭の中がまとまんなかったことを
再度かんがえてみた。


イカスとされてるカルチャーとか、シーンとか、
自分でつくりだしたものではなくて
自分で選んだものですらなくて
すりこまれて無意識で表現に使ってることが
悔しいみたいな気持ちがある。

広く伝えるための記号とか、共通言語と思えばいいんだけど
すでにおいしいとされてる成分を
味の素みたいにフリカケでつかってるってことを
(だめとは思ってないけど)自覚はしときたい
みたいな気持ちがあるのだ。

表現においてカッコイイとかオシャレっぽくするのって
一定のとこまでは味の素で出せちゃう味な気がして
しかもあらゆる味の素がすでにハイレベルに準備されてるこの情報社会
場合によってはインスタントにお湯注げば
だいたいおいしくできあがっちゃう。
何でも売ってる東京だから、特にこのむなしさは大きい。
自由研究キットでやった宿題に自分の名前書いて出すようなむなしさ。

多少のアレンジを加えたところで
バーモンドカレーに隠し味加えてもカレー屋は名乗れないのに
誰がつくってもおいしいものをわざわざ個人でつくる意味は何かと。
それって仲間にはいりたいだけなんじゃなかと疑い始めたり。
あこがれの先達へのリスペクトと同時にブランドを拝借。無意識下で。

マズイよりはおいしいものを出す判断はやさしさと社会性だと思うし
よろこばせたいっていうサービス精神は全肯定派なのです、が!
パンクスに羨望と一途さに嫉妬!

とかねいろいろいろいろ否定しても意味ないけど、
葛藤はやめなさんなよという、
自分に対するいましめです。
葛藤すら意味ないとも思うんだけども、バカになれないんだから、
つっこまれても大丈夫なように自覚して武装しとくしかないす。

私だって人によってはパンクにみえるだろうし
どこの視点に立つかによって意味はかわるけど
自分のいるところの確認と現状把握のため記録しておく
後で読んでわかるかなあこれ 今読んでもよくわからん
むー

extravagance

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時間を蕩尽してぜいたくだーと幸福を感じるのは、
時間を圧縮していた状態と比較できるからなのだと思いました。
期間限定感に加えたこの優越感のもたらす幸せ度は、
学生時代に時間を浪費してた時とはダンチガイです。

同じように、お金を湯水のように使うのが嬉しく思えるのも
節約している状態とか、庶民の生活とか、
なんなら貧しい暮らしと比較したとき得られる感覚であろうな。

視線を意識してはじめての満足感。

逆を言えば相対的な不幸ってどうしようもないです。
誰と比べなくても幸せを感じたいです。
(って前も書いてた気がする)

でもそうなっちゃうと今度は
パンがなければケーキを食べればいいじゃない感覚で
忙しいなら仕事をやめればいいじゃないみたいなことを
言うようになりそうなので
世間とズレすぎないよう、うまいぐあいに
見通しのよい視点をみっけたいもんだ。
自分なりに、死ぬまでには。


さー6月!

おしらせとレイクタウン

カフェマンドゥーカにポスターかざってもらってます。
http://www.opefac.com/manduka/
場所は、渋谷タワレコ横のルミネマン1Fです!
路面側がガラス張りで、外からも見れるようなので
チラ見してみてください。絵はみえるかわかんないけど。

IMG_0092




さてさて話はかわって
今日は越谷レイクタウンに行ったのですが
すごいカルチャーショックでした。
でかいんだもん。
こんなのかつての未来都市じゃないか。
街ごっこというか、ゲーム的というか
やったことないけどセカンドライフみたいなバーチャル感が漂っていて、
その雰囲気がすごく異空間で興味深かったです。

消費活動のためだけの、商品だけでできた街っていうのは
スイカをくりぬいた巣に飼われてるカブトムシになった気分。
その飽食っぷりたるや、おなかいっぱいを通り越して
何が欲しいのかもわからなくなる現象にさいなまれました。

高級もチープも、均質に等間隔に並べられると
付加価値の「雰囲気」と「ブランド」がうすれてしまって
何が違うのだろうかとか、何で違うと思ってたんだっけとか
混乱してしまうものだな。いやはや。

そんなレイクタウン体験いちど是非。

清潔感と質感のなさ。こもった喧噪と若い夫婦。
子どもは育つし適当にぐれるんだろうなあ。
角田光代の空中庭園思い出した。

まだまだ建ちそうな駅前も壮観であったよ、
10年後くらいをみてみたーい

IMG_0711

しかしイオンってやつはすげーな。

アンチまみれ

気温差についていけない毎日です。
3月まるごと体調不良でお送りしました。まきかえすぞー。
そこいらで桜が満開ですね。にこにこしてしまうね。

今日は時事ネタでもかいてみようかと思ったけど
なんかちがうな と思ってやめた。
世の中を話題にするのがカジュアルならいいのだけど、
変な感じで伝わりそうだよね、むずかしいなあ温度感。
そうやって無知なふりをしたり、
無知なふりをしたふりをして知らないことを隠したりします。

って学生のころも同じようなことを書いてた。
いい加減いい大人なんだからいいじゃないかと思いつつ
やっぱジェンダーが女性性がそうさせない気がします。
書いてみても、なんかちがうな ってなる。
なーにを守っているんだかなー。

何も知らないってのが、知っている状態よりも「美しい」
とみなされる感覚って、日本特有なんだろうなあと思う。
無垢で正直で、ときどきかわいそうであることが。
すなわち子どもであることが。

かわいいという言葉がほめことばになる世相をみても、
ちまたには少年少女が戦う物語があふれているところからも、
言うまでもないと思うけど。

あ、「無垢な少年しか操縦できない巨大ロボットヒーローもの」
の精神性については
戦後日本の心理的不安定の合理化って見解を読んだことある。
これおもしろいよ。何の本かわすれたけど。
話それました。

とにかくあれです、
おっさんくさくなく時事をトピックにするにはどーしたらいいんだ。
カジュアルに、かつファッショナブルに、ときにはシニカルに、
ウイットをきかせてさらりとやわらかく話題にしたい。
そんな方法論ができたらきっと日本は変わるぜよ。どーかしら。
ふわゆる文化に一石を投じてくれる小粋な女性がふえますように!
私もじゅうぶんすぎるふわゆるだけどもさ。

とはいえ日本人が日本を語る際に発生しがちな
島国あるあるで内輪ウケな空気ってのも肌ざむいから苦手だなあ。
温度感、あれもいやこれもいやってほんといいかげんにします。

このように生き方迷子はなはだしいですが、
迷走ついでに勇気をだして英会話をはじめることにしました。
もうすぐアイアムスチューデントです。
これも動機はいろいろあるのですが
インターネット大好きなくせに英語が読めなすぎる自分が
もったいないどころかむかついてきたって理由は大きい。
ワールドワイド(笑)ってバカにされてる気分になるんです。これ→www

で、こないだレベルチェックのテストがあったんだけど
なんの予習もせずに受けに行ったところ
中1レベルをまじで忘れていて愕然としました。
やる気あんのかこいつと思われたと思います。
なにか始めるにはプライドぶっ壊すのが大事って誰か言ってたので
それは成功したと思います。ほんと変な汗かいた。

まずは高校受験レベルを小さな目標にします。とほほ

MESSAGE

また近未来話ですみませんが。

いまやメッセージをつたえるのに
絵も写真も音も映像もゲームもプログラムも使えるので
文章である必要も文字である必要も言葉である必要もないじゃないか
とよく思う。

グーテンベルクの印刷技術の革命のおかげで
情報という形のないものは言葉に翻訳され文字で可視化され
印刷で複製してばらまいて共有、という流れができあがり
それ以降、情報の保存と伝達と共有の方法はその枠組みで進化してるけど

そろそろ、もう言葉でもなくていいよね。
もっと生の、コードとかコマンドとか
テレパシー的なものができてもいいよね。

電子書籍、電子ブックってのが昔のSF用語みたいに感じるのもそのせいだ。
印刷の枠組みからぬけてないっていう。
まあ呼び名はなんでもいいんだけど、本とは全く別物じゃん。
メールは手紙じゃなくて電子メールのことをさすように
電子ブックの名前が残っていったら
そのうちブックの言葉の意味が変わるよなあ。どうかなあ。

これはなにもITまわりの話だけじゃなく。

今までの方法も残るけど、今までの方法の意味が変わって
(新しい方法があるのに古い手法を選んで使うというメタメッセージ)
新しい方法が生まれては、新しい方法の意味も生まれて
(先端が主流になり、淘汰される過程で常に変化するように)

その持つ意味のあんばいをうまくキャッチし
適切と思われるバランスで配合しつつ
届けたい相手に、誤解なく、過不足なく
正しく受け取ってもらえるようにと
無意識下であっても「細心の注意を払って」
メッセージを吐き出し続けるのだろう 人ってやつは。
おつかれさまとしか言いようがない。

かといって、なんでここまでして伝達したがるのかはわからない。
人間ておもろいです。

私は言葉とか文章でものごと考える方なのですが
ときどき頭の中が言語じゃないもので処理しだすときがあって
これがすごいクッキリしてて速くて気持ちいいのだけど
固定して保存するために言葉に置き換えなきゃいけないのが心底おっくう
ということがある。しかもたいがいできない。
自分の脳みそも翻訳できないなんてどゆことだ。
かといってなんで保存したいのか?
ほらやっぱりよくわからん。

情報(メッセージ)という形のない生ものが
鋳型に流し込まれて固められるのがもったいない感覚 を
伝達してあわよくば共有したがってます、今まさに。

またまとまりないけど長文すぎるからもうやめよう。
うっとうしさのメタメッセージとともに
投稿するのは不本意なわけですよ。めんどくせえぜ!

コンピュタ

コンピューターが与えてくれるいろいろな便利があって
享受するほうにとってはインスタントなんだけど、
開発するのは血の通ったひとびとであり、
工夫こらして試行錯誤してっていう
健気で地道な行程のたまものなんであって
よろこんでもらいたいとか、びっくりさせたいとか
そういうの必ずある。ってことに敬意を忘れずいたい。
と、突然の誓い。
いまの会社で、コンピューターのむこうがわに
人の姿を想像できるようになったのはとても大きいなあ。
まあバグはよくないけど。。
人間味ということでひとつ。。だめか。。

なんにしても、いつの時代でも、
よろこばせようとしたことが当たり前になって
何をしてもありがとうと言ってもらえないのはかなしいです。
ありがとうの反対は当たり前だって何かで見たな。twitterかな。

なにかをして、人をハッピーにさせたいんだけど
ラッキーと言われるとガッカリするし
当然みたいな態度は泣けてくらあ。
うえーん。

話がだいぶそれました。
PhotoshopのCS5はやばいことになってるらしい。
もうSFだよこれは!

http://www.i-mezzo.net/log/2009/10/04000242.html


ブレードランナー見たので頭が近未来づいてる。
設定になってる2019年ってもうお尻が見えてるくらいの近さですね。
メカが感情を持ちはじめるのが先なのか
人間がメカを内蔵しだすのが先なのか。
つめのあまい思考実験が趣味です。


スプリングハズカム!

大好きなピンクの季節がやってきたー

天気が良くて暖かいと、すこぶる機嫌がよいです。動物的に。
毎年書いてるけど、とにかく春が好きだ。

しめりけのある強い風とか、そのにおいに
突然わっと動悸がしませんか。
かたちはもう残ってない、やわらいかい記憶を
上手にふわっとなでおこされるような
デリケートな胸キュンがいいです。
パステル系まだらピンク。


あと関節がやわらかくなって血のめぐる音がするかんじ。
日差しあびると芽吹くよね、体もね。
今は風邪だけどね、関節ばきばきゆうとるよ。

harupink

そして体といえばなんだけども
テクノロジーの進化で、このまま便利に拍車がかかってったとしたら
未来の世界では、身体性って今よりもっと高級な
価値を持つんではと思ったりします。

いかにスムーズにメカとコンピュータにアクセスできるか
ってのは、今や権力だと思うのですが
それもじきにスムーズなのが当たり前の世界になるであろうし
そのまま、より頭脳はコンピューターに、身体はメカにっていう
スピード化と合理化がひたひたと完成にむかっていくとしたらば
そしてそれがマジョリティになっていったならば
そのときは、自前の知識量とか記憶力もふくめて鍛えあげた、
「身ひとつでどうにかなる身体」ってのは、きっと超ノーブル。

ま、今でもか。
応用のきく身体と頭脳ね、ほしいものだね。

でさ、身体性能あげようって思うんだけども
ダイエットや筋トレも本末転倒というかさ
きれいなカタチの身体をつくるための運動じゃなくて
なにかするために運動して、結果きれいなカタチになるのが
ほんとはうれしいよなあ。とか思ってしまう。
ランニングマシンっていまだにシュール。
走るなら移動をともないたい。目的のない移動だとしても。

とか言ってる場合じゃないので運動しますけども。
目的のない移動でもするかー(さんぽ)

mujirushi

iroo3

いろんなものがデータに移行するなかの名残マークたちに萌えます。
メールは手紙のマークだし、☎電話マークはいまだ黒電話だし、
このまま未来にも残ったとしたら、象形文字みたいなものだなあ。
なりたちはほとんどの人が知らなくなって、
形に意味だけはりついて、まさに記号になるのだなあ。

生まれつきデータ、ってものがこれからどんどん増えていくとしたら
つまり、かたちを持たないものがどんどん生まれてくるとしたら
記号はなにを模して生まれるんだろう。
そのころのデザインってどんなんだろう。

200年後の世界が見たい、絶対見れないけど、見たい。
うああ

って考えだすとパニックになるので
海とか山とか行きたくなる。
原始からあるものの安心感たるや神さま級。

uso

mou

ほとんどの人はボディブローをうけたことないのに
ボディブローみたいな、という表現をするしかない状態
それでいてお互いに感覚を共有できる(できたとみなせる)状態
なんていうか、そういう表現がしたい。日常的に。

ここから先 歌舞伎町

前日の長くなった続きを書いておこうかと思ったけど
なんかしつこい感じに耐えかねてデリートだい。
時間をおいてまた書こう。

ほんとは説明ってしたくないものだよね?
たいがいの人は詩人でいたいに決まってる はず
少ない言葉で、ふわっとなでたような表現ですまして
あとはウフフと笑って、さわやかに過ごしたい
そういうのおしゃれだしかわいいし小粋。

的確に伝わるように言葉を探して丁寧に説明していくほど
同時に無粋という表現になっていくのがイヤ
あちらをたてればこちらがたたず
そのへんの塩梅を考えすぎる程度に自意識過剰です

せめて男に生まれれば楽だったろうなあ
いやどうかなあ どうだろう どうでもいいや



あと日記

IMG_0301

土曜日、歌舞伎町0時集合というカラオケパーリー企画、
一人であの時間あのゾーンに入るのはドキドキでした。
比喩じゃなく、動悸がしました。

続きを読む

やっつけsociologie

情報化社会だ、脳化社会だゆうとりますけども
基本的にノーテンキかつポジティブなかまえです

電子ブックいいじゃない
音楽ダウンロードいいじゃない
データ素敵じゃない、世界はみんなフラットじゃない
コピーしてペーストしてリブログしてツイートしたらいいじゃない
! みたいな投げやり感も含めて好き
新しいものとかアクティブな状態にある速いもの を
追っかけてとりあえず受け入れるタチのようです
咀嚼せずに飲み込むからすぐお腹壊します

ただもちろんポジティブだけじゃなく
違和感を感じることも多々ありますよ、これでも >bancho

ただ違和感を憤りに変えるか、面白がるかで言えば
後者のほうが自分の精神的に楽でしあわせだから
最近そういう傾向にあるんだなと自己分析で自己完結しました。
まえは憤りがちだった。アングリーティーンだった。
それはそれでえらかった。
大人になるって、丸くなるってこういうことすか先生


デジタルや情報やITに興味があるってよりは
多分変化であればきっとなんでもいいんだ。

加速して単純化して絡み合って影響しあって
かつてあったものは無くなり
新しい概念が生まれて
整理されてたと思えば分裂して細分化
議論されたり忘れられたり死語になったり禁句になったり

そういううごめきにそそられる
たいがいは予想つかないし、したところではずれるけど
想像をかき立てられる状態がいやおうなしに楽しい

こういうタイプの人にとっては、変化のゆくすえよりも
変化という動詞にあたるところが味わいなのだろな
こうなってほしいとか、こうあるべき、というのは
自分より賢い人がちゃんと考えてくれてるので
みつけてagreeしてけばいいとおもってる

人ごとみたいで無責任だけど
進化とか退化とか成長とか退行とか意味をくっつけるから
物語になって悲観的にもなってしまうので
適応とか順応と思えば、どんな変化も
単になりゆきって感じで気が楽。
意味を読んでしまうのなんて人間だけだし
それもいろんなコードで読めちゃうんだから
無視ってコードで読むのもまたよし。かなと思ったり。
あじけなくもあるけれど。

何かが良くなれば何かが失われるのはしょうがない
出っ張りは削って、欠けたところは修繕して、
つぎはぎしながら形作り続けるんだと思う 人間は、社会を。
※もっとカジュアルな用語で言いたいけど思いつかなかった きもちわるいな
正円とはなんぞやと問い続け、実はいびつさを楽しんでるのだと

なんかすごく長くなったの切り上げだ!
支離滅裂は今にはじまったことじゃないからもういいや

さすがにそろそろ
神かてめーわ と言いたくもなる
いきすぎた上目線に辟易 気づいてるから許して

p.s.
正円を思い描くことはやめたくない。
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