ランダムで、カオスで、ただのノイズである現象を、
自動でパターン化して、無意識に情報というカタマリにしてしまう、
ヒトの脳はスゴイです。
また観念的なことから入りましたが、
例を言えば、ロールシャッハテストみたいなことです。
なんの意図もない図形(ノイズ)が、
何かに見えてしまう(パターン化)やつです。
そういうノイズをパターン化させる時の頭の働きっていうのは、
無意識かつ瞬間的すぎて自分でコントロールしようがありません。
そしてそのパターン化は、目の前の風景を
jpg画像に圧縮するくらいのロスがあるようにも思います。
保存=認識するためには仕方がないのでしょうけど。
ーー
ときどき、全部の生き物は細胞のあつまりで、
分解したらその個々の細胞は等価値で、
だったらヒトが知的生命体である必要ってないんじゃないか、
という感覚になることがあります。
感情をオフにしたら、ミドリムシもヒトも無機物も、
全部が地表をうごめく粉みたいなもんに見えてくる。
そもそも感情がただの脳の電気信号に思える感じです。
これは、現象をできるだけ圧縮しないようにして
知覚してるとおちいる状態に近いかもしれません。
いや、圧縮はしてるんだけど、なるべくノイズのまま
読み込もうとした状態というか。
知性を消して、触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚だけになる感じ。
意味や感情がとりのぞかれて、体がただのセンサーになったかんじ。
ローでダウナーな、でもおだやかな気分になります。
座禅ってこんなかな、やったことないけど。
ーー
反対に、ヒト一人、生き物一匹を
いち細胞のように考えることもできます。
ではその細胞が、われわがかたち作っている生きものとは、
いったいどういう生命体なのだろう?
それは、地球はなにを指向しているんだろう、
時間はどこへむかうのだろう、と
たちまち宇宙レベルの擬人化と感情移入がはじまって
うっかりドラマチックなストーリーまで求めてしまったりもする。
こちらは現象を圧縮して情報のカタマリに変換して
認識してる状態ともしかしたら近いのではないでしょうか。
既知の感覚や感情とリンクさせて、再現可能なカタマリにすると
自分もすぐ読み出せるし、人にも受け渡しできる。
ストーリーにまですると超露骨、だけど超便利。
この頭の中でおこる、現象から情報への圧縮を喩えるならば、
ただようガス状の現象を、知覚して液体にしてとりこんで、
感情のゼラチンで意味の型に流し固めるような感じです。
我ながらなんだそれって思うけど、まあイメージです。
意味の型は手持ちの概念(言葉)から選ぶしかないから、
「名前をつけて保存」に相似していて面白いなと思います。
気分的にハイになって生命力わくのはこっちですね。
意味を欲しがるのって生命欲とイコールでいいと思います。
ただケンカもおこるよね。ハイだから。
ーー
とかなんとか、あいかわらず支離滅裂になりましたが、
さいきんベランダでぼーっとしながらこんなこと考えてました。
夜風と虫の声ってマリアージュすばらしい。
台風で予定も消えたから文章に書きたくなったんだけど、
いつも以上にキャパ超えたこと書こうとしたのですごい時間かかったし、
何を書こうしたのか完全に見失いました。
賢くなるまで黙っていたいもんです。
自動でパターン化して、無意識に情報というカタマリにしてしまう、
ヒトの脳はスゴイです。
また観念的なことから入りましたが、
例を言えば、ロールシャッハテストみたいなことです。
なんの意図もない図形(ノイズ)が、
何かに見えてしまう(パターン化)やつです。
そういうノイズをパターン化させる時の頭の働きっていうのは、
無意識かつ瞬間的すぎて自分でコントロールしようがありません。
そしてそのパターン化は、目の前の風景を
jpg画像に圧縮するくらいのロスがあるようにも思います。
保存=認識するためには仕方がないのでしょうけど。
ーー
ときどき、全部の生き物は細胞のあつまりで、
分解したらその個々の細胞は等価値で、
だったらヒトが知的生命体である必要ってないんじゃないか、
という感覚になることがあります。
感情をオフにしたら、ミドリムシもヒトも無機物も、
全部が地表をうごめく粉みたいなもんに見えてくる。
そもそも感情がただの脳の電気信号に思える感じです。
これは、現象をできるだけ圧縮しないようにして
知覚してるとおちいる状態に近いかもしれません。
いや、圧縮はしてるんだけど、なるべくノイズのまま
読み込もうとした状態というか。
知性を消して、触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚だけになる感じ。
意味や感情がとりのぞかれて、体がただのセンサーになったかんじ。
ローでダウナーな、でもおだやかな気分になります。
座禅ってこんなかな、やったことないけど。
ーー
反対に、ヒト一人、生き物一匹を
いち細胞のように考えることもできます。
ではその細胞が、われわがかたち作っている生きものとは、
いったいどういう生命体なのだろう?
それは、地球はなにを指向しているんだろう、
時間はどこへむかうのだろう、と
たちまち宇宙レベルの擬人化と感情移入がはじまって
うっかりドラマチックなストーリーまで求めてしまったりもする。
こちらは現象を圧縮して情報のカタマリに変換して
認識してる状態ともしかしたら近いのではないでしょうか。
既知の感覚や感情とリンクさせて、再現可能なカタマリにすると
自分もすぐ読み出せるし、人にも受け渡しできる。
ストーリーにまですると超露骨、だけど超便利。
この頭の中でおこる、現象から情報への圧縮を喩えるならば、
ただようガス状の現象を、知覚して液体にしてとりこんで、
感情のゼラチンで意味の型に流し固めるような感じです。
我ながらなんだそれって思うけど、まあイメージです。
意味の型は手持ちの概念(言葉)から選ぶしかないから、
「名前をつけて保存」に相似していて面白いなと思います。
気分的にハイになって生命力わくのはこっちですね。
意味を欲しがるのって生命欲とイコールでいいと思います。
ただケンカもおこるよね。ハイだから。
ーー
とかなんとか、あいかわらず支離滅裂になりましたが、
さいきんベランダでぼーっとしながらこんなこと考えてました。
夜風と虫の声ってマリアージュすばらしい。
台風で予定も消えたから文章に書きたくなったんだけど、
いつも以上にキャパ超えたこと書こうとしたのですごい時間かかったし、
何を書こうしたのか完全に見失いました。
賢くなるまで黙っていたいもんです。