中村真一郎氏によると、良い文章を褒めるには長い短いやジャンルに関係なく、言葉が2つだけあれば十分だという。すなわち、身につまされる、我を忘れる、の2つである。

「身につまされる」というのは、「ここに書かれているのは自分ではない他人の話だ。それに、これを書いた人とは会うどころか顔写真さえ見たことがない」そう思いながら、―けれど、ここに書かれていることはまるで自分のことのように、我がことのように、胸に心に迫ってくる―そのような状態のことである。「我を忘れる」というのは、読み始めた、面白い、止まらない、気がついたら朝になっていた…といことを指す。

小説と報道文・ノンフィクションは対象的な面がある一方で、共通する点もある。小説の文章に飾りが多めになる理由は、小説には書き手の考え・話の内容を伝えるのと同時に、読み手に活字を・文章そのものを「読む楽しみ」を与えるという大切な役割があるからだ。ファッションと同じで、同じ材質の布地を使った服でも、そのデザイン、さらにはコーディネートによって、見るものに与える印象はまるで異なってくる。

それに対して、報道文は最小の文章で最大の情報を伝えるものだ。小説がたとえば、「彼は舌打ちして、ケータイを放り投げた」ところを、報道文・ノンフィクションはきっと「彼は短気だ」と簡潔に説明するだろう。

一方で、小説もノンフィクションも問いを発する点が実は共通している。小説はいわば「もやもやとした現実の中にモデルハウスを建てる」の対して、ノンフィクションは「現実の中から事実を集め、それをつなげてこんな形になりました。それを見て、あなたはどう思いますか?」と間接的に提言するものだ。

もう少し言い換えてみると、小説の場合は「もやもやとした現実にあって、書き手である自分は、こんな登場人物を作ってみました。こんなストーリーを考えてみました。それを、こんな文章で表してみました―こんな物語を書いてみました。私はこう思います。それに対して、読み手であるあなたは、どう思いますか?考えを訊かせてください」―この問いかけが小説と言えよう。

とはいえ、読み通してもらえければ、せっかく書いたものが報われない。そのために、冒頭のなるべく早い段階で「謎」を提示し、読み手をひきつけ、すっと物語の中に導き入れることが必要だ。物語で意味・役割を持つ小道具である「象徴」も登場させておきたいところだ。

反面、ラストは「ストン」か「余韻」で締めくくるのが良い。「ストン」とは、冒頭からそこまでのすべてがラストの1行に集約される、もしくは冒頭からそこまでのすべてがラストの1行によってひっくり返ってしまう事を言う。思いつくところで言うと、ヴァン・ヴォークトの「非Aの世界」や乾くるみの「イニシエーション・ラブ」などが思い浮かぶ。

落語は「サゲ」と呼ばれる最後の一言で、お話が小気味よく終わる。まんじゅう怖い、がよい例だ。
最期の1行で「なるほど(納得)」もしくは「やられた(逆転)」と思わせ、そこでお話がストンと終わる―ああ、面白かったとなるわけだ。

それに対して、「余韻」とは、読み終えて本を閉じた後にも心に残る何かのことである。余韻を漂わせるには2つの方法がある。1つめは、「時間・運動の継続を述べる」こと。たとえば、「そう思いながら、帰路につく理恵であった」と一文を「そう考え、今度は勢い良くペダルを漕いだ。」に書き換えてみるとその効果は歴然だ。時間・運動が続いていると、読み手は「まだ話が続くのでは?」と想像する。

2つめは、「空間の広がりを強調する」こと。俳句で例えるとわかりやすい。「古池や蛙飛び込む水の音」「夏草や兵どもが夢の跡」などは良い例だ。空間の広さが強調されると、読み手は頭のなかでそのイメージを「絵」にしようと想像を巡らす。この例でいうと、最近読んだ小説は、亡くなったヤマグチノボル先生の構想をもとに書かれ完結した「ゼロの使い魔」の最後の一文がとても良かったように思える。久美沙織先生の「MOTHER2」や「ドラゴンクエスト5」もこれに当てはまる美しい終わり方だった。
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