ついにやってきてしまった(^_^;)
前回のゾロ目の誕生日から回を重ねて11年目の今日を迎えてしまった。
4年ごとのW杯を「次の大会も見るぞ!」と心に決めたのは、1993年ドーハの悲劇があった時。
この年10月のドーハの悲劇は、多分一生忘れられない思い出として胸に刻まれた。
期待に満ち溢れてW杯アメリカ大会への最後の関門であった対イラク戦の悔しさが、日本代表のバネとなり次大会では、岡田監督のもとフランス大会には初の出場ができたが、ドーハの悲劇がなければ日本代表を引っ張っつて来たあのラモスもキングカズもW杯のピッチに立てたのに。
W杯をTVで初めて見たのが1982年W杯スペイン大会だった。
当時はNHKの放送は録画中継だったと思う。
なんといってもこの大会での主役はパオロ・ロッシで準々決勝のブラジル戦では、あのジーコを擁するブラジル戦でハットトリックの大活躍で3-2で撃破、勢いに乗った準決勝のポーランド戦でもロッシが2得点をあげて2-0で決勝へ進む。
こうなったらイタリアの勢いは止まらず、西ドイツの決勝はロッシの先制点に始まり3-1で44年ぶりの優勝をした。当然にこの大会でのMVPはパオロ・ロッシだった。
あまりにも劇的な「W杯スペイン大会」は、当時のサッカー少年に与えた影響は大きかったと思う。
あれからすでに24年が経ったが、その頃から「W杯での日本代表の勇姿を見たい」そんな思いがつのり、4年を区切りに応援を重ねることになったのだが、今年こそはBEST8が可能かも知れないと応援をしてきたブラジル大会での無残なGL敗退は、私にとっては「ショック」の一言に終わった。
「まだまだロシア大会があるではないか」
そんな声も届くが私の体調から言っても、単なる「もしか?」してだろう。
アジア枠が減ろうと減るまいと、日本のW杯出場が途絶えることはないだろうが、私にとってのW杯BEST8の夢は見事に散ったのだから、潔く「W杯を生きる糧」とするのは今年で最後にしよう。
諦めたわけではないが、W杯を頭から消し去りスポーツ好きな好々爺として余生を楽しみ、静かに消え去るのも粋な人生かもしれない。
日本はまだまだ平和な民主主義の国であり、プロスポーツも数多くある。
このことは紛争やテロ、宗教や民族間の対立に巻き込まれることなく続いてきた「島国」の利点ではないだろうか。
健全なスポーツがある国家は、紛争や戦争のポケットには手を突っ込まず平和国家かを貫くべきであろう。他者の争いに加担をしたなら、安全にスポーツを楽しむ土壌がなくなる事を今最も懸念する。
前回のゾロ目の誕生日から回を重ねて11年目の今日を迎えてしまった。
4年ごとのW杯を「次の大会も見るぞ!」と心に決めたのは、1993年ドーハの悲劇があった時。
この年10月のドーハの悲劇は、多分一生忘れられない思い出として胸に刻まれた。
期待に満ち溢れてW杯アメリカ大会への最後の関門であった対イラク戦の悔しさが、日本代表のバネとなり次大会では、岡田監督のもとフランス大会には初の出場ができたが、ドーハの悲劇がなければ日本代表を引っ張っつて来たあのラモスもキングカズもW杯のピッチに立てたのに。
W杯をTVで初めて見たのが1982年W杯スペイン大会だった。
当時はNHKの放送は録画中継だったと思う。
なんといってもこの大会での主役はパオロ・ロッシで準々決勝のブラジル戦では、あのジーコを擁するブラジル戦でハットトリックの大活躍で3-2で撃破、勢いに乗った準決勝のポーランド戦でもロッシが2得点をあげて2-0で決勝へ進む。
こうなったらイタリアの勢いは止まらず、西ドイツの決勝はロッシの先制点に始まり3-1で44年ぶりの優勝をした。当然にこの大会でのMVPはパオロ・ロッシだった。
あまりにも劇的な「W杯スペイン大会」は、当時のサッカー少年に与えた影響は大きかったと思う。
あれからすでに24年が経ったが、その頃から「W杯での日本代表の勇姿を見たい」そんな思いがつのり、4年を区切りに応援を重ねることになったのだが、今年こそはBEST8が可能かも知れないと応援をしてきたブラジル大会での無残なGL敗退は、私にとっては「ショック」の一言に終わった。
「まだまだロシア大会があるではないか」
そんな声も届くが私の体調から言っても、単なる「もしか?」してだろう。
アジア枠が減ろうと減るまいと、日本のW杯出場が途絶えることはないだろうが、私にとってのW杯BEST8の夢は見事に散ったのだから、潔く「W杯を生きる糧」とするのは今年で最後にしよう。
諦めたわけではないが、W杯を頭から消し去りスポーツ好きな好々爺として余生を楽しみ、静かに消え去るのも粋な人生かもしれない。
日本はまだまだ平和な民主主義の国であり、プロスポーツも数多くある。
このことは紛争やテロ、宗教や民族間の対立に巻き込まれることなく続いてきた「島国」の利点ではないだろうか。
健全なスポーツがある国家は、紛争や戦争のポケットには手を突っ込まず平和国家かを貫くべきであろう。他者の争いに加担をしたなら、安全にスポーツを楽しむ土壌がなくなる事を今最も懸念する。