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私も含め、多くの日本人が親しみを持つ食べ物「フライドポテト」、これ実はベルギーの国民食と言われるているらしいのです。このフライドポテトを世界文化遺産に登録しようとする、ベルギーの積極的な動きを受けて、フランスの新聞社が “No, French fries are not Belgian” という記事を出して、反撃に出たそうです。

このことが朝刊に出たので、発祥の地論争はどこにもあるものだなと関心(?)しました。この記事をきっかけに、日本と世界の「発祥の由来」「発祥の地」に関する論争について調べてみました。

まず、ざっと「発祥の地論争」をネットで調べてみると、次のようなものがすぐに見つかります。

  • 「清酒発祥の地」の称号をめぐり、兵庫県伊丹市と奈良市がバトル
  • 福岡の地元有志が「ニッポン セーラー服 発祥の地」と書かれた立て看板を市内の通路に設置。「うちこそ元祖」と、京都側に宣戦布告
  • 舞鶴か?呉か?  海軍ゆかりの町の仁義なき「肉じゃが論争」ついに決着か
  • ソースカツ丼発祥には、新宿の「ヨーロッパ軒」や「早稲田高等学院生」考案説など多数の説がある。
  • A food fight has broken out between France and Belgium — as the countries bicker over who really invented the French fry.
  • Buddha was born in Nepal, it is a fact. But why do Indian people keep on repeating that Buddha was from India?

… とまあ、実に色々あるものです。このような結論が出そうで出ないテーマは、TVなどのバラエティ番組にとっては、格好のテーマですね(笑)。視聴者にとっては、結論なんてどうでも良いんですが、出演する人たちはそれなりに真剣という構図が面白そうですね。

実は、発祥の地には、逃げ道がいくつかありそうです。「地域名」「商品品種」+「発祥の店」などとすることで、ビジネス上はそれなりに「発祥」メリットが活かせて、論争的にも目くじらとまではいかないようになるという方法です(食品の性格にも寄りますので、一律問題ないとは言えませんが)。

ソースカツ丼についていうと、「会津のソースカツ丼」などとして、ソースカツ丼の発祥云々に関わらず、ソースカツ丼の具材や提供の仕方の特徴を工夫して、当店(当地)発祥とすることができるのです。最近のB級グルメブームは、この方法を地域活性化に活用している好例と言えるかもしれません。

一方で、「発祥の由来」、例えば「元祖」と「本家」や「創業年」に関する表示となると、趣がやや変わります。これも、ネット検索を試みました。

まずは、「創業年」の争いについてですが、

京都銘菓「八つ橋」の老舗が掲げる元禄2年(1689年)創業は虚偽であるとして、もう一つの老舗が、不正競争防止法に基づいて、表記差し止めと600万円の損害賠償を求める訴えを起こしたという報道も、つい先日ありました。

次に、「元祖」「本家」争いですが、

  • 「赤福」と「お福餅」(伊勢名物)お福餅の方には店名に「本家」とあるが、赤福は元祖的な主張はしていない(但し、知名度は「赤福」が圧倒的優位)。
  • 「信玄餅」(1974年に商標登録)と「桔梗信玄餅」(1975年に商標登録): 最初にオリジナルの信玄餅を開発したのが桔梗屋。ところが金精軒の「信玄最中」に類似と判断され商標登録できず、「桔梗信玄餅」が生まれました。のちに金精軒が類似商品を「信玄餅」として登録したという経緯があるとのこと(和解済み)。
  • 長崎銘菓の「カステラ元祖」(松翁軒 1681年創業)と「カステラ本家」(福砂屋 1624年創業): 元祖より古い店があるというパラドックス??

このように、古今東西、「ブランド」には発祥の地や発祥の由来は大切なものというのが、共通の認識です。買う側が、味や形だけではなくそのルーツに思いをはせること、先人の努力や思想に共感することも含めて「品質」であるという確固たる証拠の一つとも言えるのではないでしょうか。

中国で農産品ブランドのパクリが横行していることですが、これはどちらかというと日本人の気質にも原因があることが否めません。「松阪牛」ならぬ「松坂牛」「松板牛」、栃木県が開発したイチゴ「スカイベリー」はそのまま「SKYBERRY」として登録されているそうです。

戦後の高度成長期においては、創造よりも真似ること、ブランドよりも機能・性能、競争よりも共存、そういうタコつぼの世界で生きてきた日本人のメンタリティの負の側面が、色々な局面で出てきているのでは無いでしょうか。もっと早くこの点に気づいていれば、今頃の日本のモノづくりも違ったものになっていたのではないかとも時々思います.

「たられば」は何事でも禁句ですが... (2018.10.4 山下記)