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グレイスランド&蔭山敬吾のブログ

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浜田省吾が僕の自宅に「愛奴」のデモテープを持ってきて、テープに入っていた曲を数曲聴いて、「ウン、これならイケる!」と確信を持った(特に「二人の夏」が入っていたことが大きかった)ことがすべての原点であり、その強い確信がエネルギー源となって、CBS・ソニーの
六本木2スタで公開オーディションをやったり、そのオーディション・テープを持って、プロダクション決めに動いたり(プロダクションを決めなければ、5人が上京してきても食べていけない)、レコーディングを決めたり‥‥‥‥とデビューに向けてやるべきことを1つ1つクリアしていった。

ミキサーは吉野さんにお願いすることにした。僕は中曽根ディレクターのADとして、五輪真弓、天地真里、キャンディーズなどのレコーディングで、
すでに吉野さんには可愛がってもらっていた(ご自宅に泊めていただいたこともあった)し、なにより、はっぴいえんどのミキサーでもあったので、新人のロック・グループからすれば願ってもない方だったから、吉野さんにお願いすることですんなりと決まっていった。

吉野さんからの提案で、レコーディングに入る前に、一度、目黒のモーリ・スタジオでデモテープ録音を行うことになった。公開オーディションをやったCBS・ソニーのスタジオは狭かったが、
モーリ・スタジオの1スタはかなり広かった。

その広いスタジオの中で、「愛奴」の5人がテストの音出しをし始めた頃に、
1スタの副調整室に中曽根さんが入ってきて、「お前が広島から連れてきたバンドが、どんなバンドなのか心配で聴きにきてやったぞ」と言った。吉野さんとマーキー(吉野さんのアシスタント・ミキサーで、ノムラ・マサキさんという名前から“マーキー”と呼ばれていた)は、中曽根さんに向かって微笑みながら、調整卓をチェックしていた。

実は、このデモテープ録音で、僕の「愛奴」への確信が初めて揺らぐことになった。

*続く



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*ふと「デイ・ドリーム・ビリーバー」を作曲したのは誰だった?と思って 調べてみたらジョン・スチュワートという人でした。 オリジナルらしい味わいがあって、とっても良いですね。このオリジナルをモンキーズ用に、あんなにポップでキャッチーにアレンジできるなんて、あらためてアメリカの制作陣の底力を知らされました。


現在、「新🌠愛奴」結成の提案をしているところなので、シングル「二人の夏」とアルバム『愛奴』について、当時、広島市内の天満屋デパート裏にあったカワイ楽器のレコード売り場でアルバイトをしていた広島フォーク村の仲間と、CBS・ソニーの企画制作部の先輩ディレクターが僕に言ってくれた2つの重要な言葉を紹介したい。この
2つの言葉は、以前に、当ブログで書いたことがあるのだが、「新🌠愛奴」結成を提案している時期なので、ここで詳しく説明しておきたい。

──いろいろなことがあったけれど、ようやくデビュー・シングルとデビュー・アルバムができた時はなによりも嬉しかった。僕の心の中も頭の中も、このシングルとアルバムのことでいっぱいだった。

シングルとアルバムができたけれど、評判が悪かったり、話題にすらならなかったら辛い気持ちになっただろうが、「二人の夏」の評判が良く、制作部と宣伝部のある6階のフロアでもよく流れていたし、<ロックの丸さん>の丸山さんのお蔭で、東京の人気の海水浴場でひと夏流されることが決まったりしたので、制作終了後の充実感も味わうことができた。

しかし、
シングルとアルバムが発売された高揚感が少しおさまりかけた頃に、愛奴の音楽について、二人の知人(広島フォーク村の仲間とCBS・ソニーの先輩ディレクター)から言われた言葉は、僕の心をシンとさせた──その言葉は今でも忘れていない。

*続く

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新コンセプト提案!

🩷<愛奴デビュー50周年記念> 『ネバー・エンディング・パーティー』

現在までに提案していることは、

1.
「新🌠愛奴」を結成すること
2.ニュー・アルバム『「新🌠愛奴」with浜田省吾』をつくること
3.『「新🌠愛奴」with浜田省吾』のライブをやること

そして、ついさきほど浮かんだ新コプセプト・アイデアが

<愛奴デビュー50周年記念> 『ネバー・エンディング・パーティー』だ。

どんなアイデアなのか、どんなイメージなのかを、時間が取れ次第、以下のように、どんどんメモしていくので、
書き込んでいくのでチェックしてもらいたい。

愛奴デビュー50周年を記念して広島に集まって、レコーディングしてライブを行うこの集い・イベントのことを『ネバー・エンディング・パーティー』と呼ぶことにする。

ライブの会場は、広島国際会議場 フェニックスホールとか、平和記念公園の近くがいいな。チャリティー・コンサートにできたらいいな。広島に来れないファンは、ネットで参加できるようにしたいな。

コンサート後、平和記念公園の芝生に寝転がって、みんなでいっしょに
「月(MOON)」を見たいな。

というのは→
アルバムは3枚組にして、CD2枚はこれまでと同じ内容で、追加の1枚はDVDにして、そこには、愛奴・浜田省吾のファン全員の名前を収録して、そのDVDは、20年以内には「月(MOON)」に続々と建てられるだろうと言われているモニュメントに収蔵できるといいな──そうなったら、DVDに自分の名前が登録されているファンは、「月(MOON)」を見るたびに、幸せな気持ちになれるし、『ネバー・エンディング・パーティー』のことを想い出せるから。

「パーティー」なのだから、堅苦しいこと・しゃちこばったことはやめて、くつろいだ、レイドバック(のんびり・ゆったり)した楽しい雰囲気の集いにする。

例えば、愛奴の初代のマネージャーで、ライブ時にPAミキサーもやっていた長曽我部さんにも参加してもらい、PAミキサーをやってもらう。

浜田省吾の歴代アレンジャーや参加ミュージシャンたちにも全員参加してもらう。

年齢的・事情的に、この集いで、最後の参加になる人もたくさんいるだろうが、この
『ネバー・エンディング・パーティー』に参加(ネットでも参加できる)した人の心の中では、いつまでもこのパーティーは終わらないから『ネバー・エンディング・パーティー』なのだ。

むろん、素晴らしいカメラマンに『ネバー・エンディング・パーティー』を撮影・記録してもらって、写真集にしたいな。その写真はネットでも見られるようにしたいな。


*続く
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🩷<愛奴デビュー50周年記念>
    ニュー・アルバム『「新🌠愛奴」with浜田省吾』について

1.<愛奴デビュー50周年記念>ニュー・アルバム『「新🌠愛奴」with浜田省吾』を実現するために、『「新🌠愛奴」ライブ&レコーディング・プロジェクト(以下、「新🌠愛奴」LRP)』を設立する

2.『「新🌠愛奴」LRP』の目的
愛奴が、はっぴいえんどやシュガー・ベイブに負けないすごいグループだった、ということを、ライブとレコーディングによって証明すること。

3.「新🌠愛奴」のメンバー
浜田省吾(ギター&ヴォーカル)、町支 寛二(ギター&ヴォーカル)、劉 哲志(キーボード&ヴォーカル)、 青山 徹 (ギター&ヴォーカル) 、岡本 郭男(ドラム)、◯◯◯◯(ベース)

4.主要
スタッフ
プロデューサー浜田省吾/蔭山敬吾 、エグゼクティブ・プロデューサー高橋信彦 、ディレクター◯◯◯◯(ソニー・ミュージック)、サウンド・スペクター◯◯◯ 、エグゼクティブ・ディレクター鈴木ミキハル *「サウンド・スペクター」の意味は後日説明します

5.🩷<愛奴デビュー50周年記念>ニュー・アルバム
           『「新🌠愛奴」with浜田省吾』(2枚組)
・DISC1[「新🌠愛奴」サイド]:
 
「新🌠愛奴」による、オリジナル・アルバム『愛奴』の新録+「新🌠愛奴」新曲
・DISC2[浜田省吾サイド]:
 
浜田省吾自選12曲を「新🌠愛奴」で新録+浜田省吾新曲(書き下ろし)

6.プロモーション
・NHK-BSで密着特番『「新🌠愛奴」with浜田省吾』
・WOW WOWでライブ・コンサート放映
・レコーディング&ライブは広島で行う
・タイアップによる「二人の夏」のヒット・シングル曲化
  *2026初夏にチャート1位、タイアップ企業名・商品名は2025年内に発表

*この下の写真をクリックすると教皇フランシスコの答えを聴くことができます。とても良い話をしていました。流されている音楽(「カノン」パッヘルベル)もとても良いです。宇多田ヒカルの「花束を君に」が、この曲から生まれていることに今日、気づきました。
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6月24日の当ブログで、僕はこんな爆弾発言をしている。

 そのワシが、昨日、この動画を初めて視聴した。直後、ワシの心の底から、「なんならコリャー!アホかトオルは!あんなら全員、ワシをだましやがったの!コンナラは、『アイド』じゃなくて『ロクナモンジャナイド!』じゃねぇーか!」——というような言葉が突き上がってきた。
 もしワシがホンモノの物書きなら、こんな風に怒った後、少し落ち着いたら、なんだかとても悲しくなったり、むなしくなったり、バカバカしくなったりして、少し涙を流したりするのかもしれないが、ニセモノの物書きであるワシは、すぐに、愛奴のメンバーの一人に、怒りを爆発させたメールを送った。

今回、その<爆発メール>を以下に掲載することにした(一部抜粋・改変)。

🩵噂には聞いていたけど、傷つきたくなかったから、あえて聴いてこなかったのだが、さっき、ビーチ・ボーイズの「サマー・ミーンズ・ラブ」を初めて聴いて、愛奴の5人全員にがっかりするとともに、特にトオルにはがっかりした。

浜田が僕の自宅にデモテープを持って売り込みに来た日から、アルバムができる少し前まで(ジャッケット・デザインのことで全員に裏切られた日まで)の間、それまでの人生の中で、もっとも純粋に日本人のアーティストに惚れ込み、ある時は拓郎さんにまで「チューリップより愛奴の方が全然良いので、バックで使ってください」と売り込み、最大限の愛情をもってうちこんできたつもりだったが、愛奴の5人は最初から完全に僕を裏切っていたんだね。

浜田による愛奴の売り込みにしても、僕に売り込むまでの間に、いろいろなところに売り込み、全部断られ、もう売り込むところがなくなって、僕のところに来た、ということなんて全然知らなかった。そういうことは後から知った。売り込みから始まって、楽曲制作でも、アルバムのジャケット・デザインのことでも‥‥要は肝腎なところで全部僕を裏切っていたなんて、ほんとに信じられない。音楽に純粋なトオルが、間奏でこんなことをしていたなんて信じられるわけがない!

はっぴいえんどやシュガーベイブ等、今でも評価の高いバンドたちと比べて愛奴の評価が低いのは、広島時代から酷いこと・悪いことをやっていたからだよ。神さまがそんな5人に微笑むわけないよ。僕は広島フォーク村時代からグルックスのファンだったし、グルックスの3人にも、トオルにも、呉の浜田にも普通につきあっていて、僕の方から5人に迷惑をかけたりしたことは一度もなかったと思うけど、なんで5人は僕を裏切るようなことをしたのだろうか?それも、メジャーのレコード会社からデビューするという時に。

5人の間に何があったのかは知らないけど、デビュー時にこんな馬鹿げたことをするなんて、簡単に言えば、5人はアマチュアの時代から狂っていたとしか思えない。広島弁でいえば、「アンタら5人とも、人間として、ミュージシャンとして、アーティストとしてロクなもんじゃない」ということだと思う。

僕は全然納得がいかないので、5人に再結成(ただし、ドラムはあっちゃん、ベースはファンキーなベーシストなら誰でもいい)してもらって、ワシにオトシマエをつけてもらいたいと思っているのだ。
すごいグループだったのだということをちゃんと(=ライブとレコーディングで)証明をしてもらいたいと思っているのだ。

なんとしてでも君たち5人に
「僕たち愛奴は、蔭山さんが愛してくれてた通り、誇りに思ってくれてた通り、はっぴいえんどやシュガーベイブに負けないすごいグループだったんです」というオトシマエをきっちりとつけてもらいたいし、君たちがつけようとしないのであれば、強引にでもつけさせるつもりだ。

君たち5人が「二人の夏」の間奏であんなことをやっていたために、担当ディレクターだった当時の僕が、CBS・ソニー社内やレコード業界・音楽業界や洋楽ファンなどの、洋楽に詳しい人たちに、陰で笑われ・バカにされていたに違いないことを50年後の今になって知ることになるなんて、あまりにも酷い(ひどい・むごい)話だ。

だから、今の僕には、君たちに「きっちりとカタをつけろ!ちゃんと証明しろ!」と言う権利があると思うし、僕のその言い分には、愛奴・浜田省吾のファンの方たちも同調してくれて、
ライブとレコーディングによるその証明を、僕と一緒に確認してくれるに違いないと確信している。

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写真の花木は、昨夏に入院した、青梅市にある「多摩リハビリ病院」の玄関前の百日紅(サルスベリ)です。

一昨日、立川の法律事務所で、現在、自転車事故の代理人をお願いしている弁護士さんとの打ち合わせ後の余談時に、こんなことを話した。

「この夏、激務で心身の疲労がたまったら、避暑を兼ねて、多摩リハビリ病院に一週間くらい<避暑&リハビリ入院>されるといいですよ」
「午前と午後の2回、腕が良くて親切なリハビリさんによるマッサージが受けられますし、プールもありますし、食事もおいしいです。自然の中の病院ですから癒され、リフレッシュされること間違いナシ!お勧めです
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 前回、こっちのリストが、その「事情」を証明するものなのですと書いています。ではその説明をします。
 このリストは、当時の洋楽のラジオ番組の中では、全国でもっとも人気があった『9500万人のポピュラー・リクエスト』に届いたリクエスト葉書によってつくられたもので、このリストを見れば、当時の日本の若者がどんな洋楽曲を聴いていたかがよくわかります。そして、驚くべきことに、4位と9位以外は、なんと全部、東芝から発売されていたレコード曲なのです。
 リストをもう一度よく見てください。エレキバンドだけ見ても、ビートルズ、アニマルズ、ビーチ・ボーイズ、そして、アメリカよりも日本で人気の高かったヴェンチャーズもいます。そうなると、レコード会社は当然、人気エレキバンドだけを集めたオムニバス盤を企画します。洋楽ヒット曲ファンは当然、そのオムニバス盤を買います。
 1枚のLPに
人気エレキバンドの曲が全部入っているわけですから、金がない若者はオムニバス盤に飛びつきます。そして、毎日のようにそのオムニバス盤を聴くわけですが、繰り返し聴いていると、どんなにカッコいいロック・サウンドでもだんだんと耳についてきます。そして、早めに耳についてくるのがビーチ・ボーイズなのです。
 なぜビーチ・ボーイズだけが早めに耳につくかといえば、あの裏声(ファルセット)がだんだんとうるさく感じられ初め、裏声が出てくると「またか!」と反応してしまうようになるのです。
だから、ロック・バンドのアルバムを買う時には、ビーチ・ボーイズは後回しになってしまうわけです。
 「二人の夏」の間奏の元になっている間奏が聴ける
ビーチ・ボーイズの「サマー・ミーンズ・ニュー・ラヴ」はシングル・ヒットした曲ではなく、アルバムの中の1曲だから、当時の僕が聴いてるわけがないのです——以上のような<事情>がありました。
 

●1965年度「日本の洋楽 年間ベスト21」 
      ※文化放送『9500万人のポピュラー・リクエスト』による

・1位 ヘルプ               (ビートルズ) 
・2位 ロックン・ロール・ミュージック (  〃  )
・3位 ダイナマイト     (クリフ・リチャード)
・4位 夢みるシャンソン人形   (フランス・ギャル)
・5位 涙の乗車券           (ビートルズ)
・6位 10番街の殺人      (ヴェンチャーズ)
・7位 太陽を探せ        (デル・シャノン)
・8位 オン・ザ・ビーチ   (クリフ・リチャード)
・9位 涙くんさようなら(ジョニー・ティロットソン)
・10位 キャラバン         (ヴェンチャーズ)
・11位 ダイアモンド・ヘッド    (   〃   )
・12位 ヘルプ・ミー・ロンダ  (ビーチ・ボーイズ)
・13位 アパッチ65           (アロウズ)
・14位 悲しき願い          (アニマルズ)
・ 〃   ぼくのエンジェル   (クリフ・リチャード)
・16位 クルーエル・シー      (ヴェンチャーズ)
・17位 イエスタデイ         (ビートルズ)
・18位 のっぽのサリー         (  〃  )
・19位 ミスター・ムーンライト     (  〃  )
・20位 アイ・フィール・ファイン   (  〃  )
・21位 エイト・デイズ・ア・ウィーク (  〃  )


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 *お知らせ:30日(月)に続きを書く予定です。
 前回の「ところが、愛奴のディレクターだった僕は、レコーディング当時はむろんのこと、数年前ですらそのことは知らなかった」という箇所を読まれた読者の中には、「それはディレクターとしてのあなたの不勉強が原因であって、愛奴の5人は悪くないと思う。もしあなたが知っていて、これだとパクリになるからダメだよ、オリジナルの間奏をつくらなきゃ、と言ってれば当然、オリジナルのフレーズになってる訳だから」と思った方がいらっしゃるのではないだろうか。
 また、「とっても良い曲だし、ハーモニーが素晴らしいのに、間奏のことでケチがついてしまって実にもったいない。たぶん、間奏のことが原因ではないか思うけど、ユーチューブで、愛奴のオリジナルの『二人の夏』が聴けなくなってるのは、ほんとにもったいない」というようなことを思っている方もいらっしゃる方も多いのでは。
 ご指摘の通り、たしかにディレクターとしての僕の不勉強・知識不足が原因の1つにちがいないと思いますが、次のような事情があったことをご理解いただければ幸いです。
 まずは、次の2つのリストをチェックしてください。

●1965年度全米第1位獲得曲 ※『キャッシュボックス』誌
アイ・フィール・ファイン              (ビートルズ)
・恋のダウン・タウン             (ペトュラ・クラーク)
・ふられた気持ち             (ライチャス・ブラザーズ)
・恋のダイアモンド・リング  (ゲイリー・ルイスとプレー・ボーイズ)
・エイト・デイズ・ア・ウィーク              (ビートルズ)  
・ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ    (シュープリームス)
・ハートがドキドキ            (ハーマンズ・ハーミッツ)
・好きなんだ              (フレディーとドリーマーズ)
・ゲーム・オブ・ラブ  (ウェイン・フォンタナとマインド・ベンダーズ)
・ミセス・ブラウンのお嬢さん                       (ハーマンズ・ハーミッツ)
・涙の乗車券                                     (ビートルズ)
・涙のお願い                                  (シュープリームス)
ヘルプ・ミー・ロンダ                             (ビーチ・ボーイズ)
・アイ・キャント・ヘルプ・マイ・セルフ                 (フォー・トップス)
・ミスター・タンブリン・マン                                       (バーズ)
サティスファクション                          (ローリング・ストーンズ)
・ヘンリー8世君                             (ハーマンズ・ハーミッツ)
・アイ・ゴット・ユー・ベイブ                         (ソニーとシェール)
・ヘルプ                                        (ビートルズ)
ライク・ア・ローリング・ストーン                        (ボブ・ディラン)
・明日なき世界                               (バリー・マクガイアー)
・ハング・オン・スルーピー                              (マッコイズ)
・イエスタデイ                                   (ビートルズ)
・ラヴァーズ・コンチェルト                               (トーイズ)
・ひとりぼっちの世界                            (ローリング・ストーンズ)
・ひとりぼっちのシンフォニー                            (シュープリームス)
・1、2、3                                        (レン・バリー)
・ターン・ターン・ターン                                    (バーズ)
・レッツ・ハング・オン                              (フォー・シーズンズ)
・蜜の味                                       (ティファナ・ブラス)
・オーヴァー・アンド・オーヴァー                         (デーブ・クラーク5)

このリストを掲載したのは、この年は、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディランといった、ロックのレジェンドたちが、現役バリバリで首位争いをしていた1年だったということを確認していただくためでした。

●1965年度「日本の洋楽 年間ベスト21」 ※文化放送『9500万人のポピュラー・リクエスト』
・1位 ヘルプ               (ビートルズ) 
・2位 ロックン・ロール・ミュージック (  〃  )
・3位 ダイナマイト     (クリフ・リチャード)
4位 夢みるシャンソン人形   (フランス・ギャル)
・5位 涙の乗車券           (ビートルズ)
・6位 10番街の殺人      (ヴェンチャーズ)
・7位 太陽を探せ        (デル・シャノン)
・8位 オン・ザ・ビーチ   (クリフ・リチャード)
9位 涙くんさようなら(ジョニー・ティロットソン)
・10位 キャラバン         (ヴェンチャーズ)
・11位 ダイアモンド・ヘッド    (   〃   )
・12位 ヘルプ・ミー・ロンダ  (ビーチ・ボーイズ)
・13位 アパッチ65           (アロウズ)
・14位 悲しき願い          (アニマルズ)
・ 〃   ぼくのエンジェル   (クリフ・リチャード)
・16位 クルーエル・シー      (ヴェンチャーズ)
・17位 イエスタデイ         (ビートルズ)
・18位 のっぽのサリー         (  〃  )
・19位 ミスター・ムーンライト     (  〃  )
・20位 アイ・フィール・ファイン   (  〃  )
・21位 エイト・デイズ・ア・ウィーク (  〃  )

実は、こっちのリストこそが、「ディレクターとしての僕の不勉強・知識不足が原因の1つにちがいないと思いますが、次のような事情あった」と先述しているその「事情」を証明するものなのです。

*続く

 

 まず、この動画を視聴していただきたい。ビーチ・ボーイズのこの曲は、愛奴・浜田省吾のファンの間ではよく知られているようだし、愛奴・浜田省吾のファンだけでなく、洋楽ファンの間でも、愛奴の「二人の夏」の間奏がこの曲とほぼ同じであることはよく知られているようだ。
プライバシー設定: あなたの友テスト
 
ところが、愛奴のディレクターだった僕は、レコーディング当時はむろんのこと、数年前ですらそのことは知らなかった。ただ、「『二人の夏』の間奏のギターが、ビーチ・ボーイズの『サマー・ミーンズなんとか』という曲に似てる」という噂は何度か聞いたことがあったし、ネットで探してみたこともあったが、ちゃんと探し当てられなかったので、「ま、そういうことはあるじゃろう、ビーチ・ボーイズに影響受けてつくってるわけじゃけ」と軽く流したままにしてきた。
 そのワシが、昨日、この動画を初めて視聴した。直後、ワシの心の底から、「なんならコリャー!アホかトオルは!あんなら全員、ワシをだましやがったの!コンナラは、『アイド』じゃなくて
『ロクナモンジャナイド!』じゃねぇーか!」———というような言葉が突き上がってきた。
 もしワシがホンモノの物書きなら、こんな風に怒った後、少し落ち着いたら、なんだかとても悲しくなったり、むなしくなったり、バカバカしくなったりして、少し涙を流したりするのかもしれないが、ニセモノの物書きであるワシは、すぐに、愛奴のメンバーの一人に、怒りを爆発させたメールを送った。

*続く
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