
浜田省吾が僕の自宅に「愛奴」のデモテープを持ってきて、テープに入っていた曲を数曲聴いて、「ウン、これならイケる!」と確信を持った(特に「二人の夏」が入っていたことが大きかった)ことがすべての原点であり、その強い確信がエネルギー源となって、CBS・ソニーの六本木2スタで公開オーディションをやったり、そのオーディション・テープを持って、プロダクション決めに動いたり(プロダクションを決めなければ、5人が上京してきても食べていけない)、レコーディングを決めたり‥‥‥‥とデビューに向けてやるべきことを1つ1つクリアしていった。
ミキサーは吉野さんにお願いすることにした。僕は中曽根ディレクターのADとして、五輪真弓、天地真里、キャンディーズなどのレコーディングで、すでに吉野さんには可愛がってもらっていた(ご自宅に泊めていただいたこともあった)し、なにより、はっぴいえんどのミキサーでもあったので、新人のロック・グループからすれば願ってもない方だったから、吉野さんにお願いすることですんなりと決まっていった。
吉野さんからの提案で、レコーディングに入る前に、一度、目黒のモーリ・スタジオでデモテープ録音を行うことになった。公開オーディションをやったCBS・ソニーのスタジオは狭かったが、モーリ・スタジオの1スタはかなり広かった。
その広いスタジオの中で、「愛奴」の5人がテストの音出しをし始めた頃に、1スタの副調整室に中曽根さんが入ってきて、「お前が広島から連れてきたバンドが、どんなバンドなのか心配で聴きにきてやったぞ」と言った。吉野さんとマーキー(吉野さんのアシスタント・ミキサーで、ノムラ・マサキさんという名前から“マーキー”と呼ばれていた)は、中曽根さんに向かって微笑みながら、調整卓をチェックしていた。
実は、このデモテープ録音で、僕の「愛奴」への確信が初めて揺らぐことになった。
*続く