話を的場さんのギター教室にもどそう。このギター教室は、広島楽器センターという楽器店の2階の部屋で行われていたのだが、実は、この楽器店があった位置も、広島フォーク村に奇跡が起こることになった重要な要素の一つなのだ。
 楽器センターの住所は、当時の表記では、広島市堀川町6番1号。楽器センターが広告などの印刷物にこの番地を表記するときには、番地の後に必ず「福屋裏」という3文字が添えられていた。
 当時、広島市の中心部にはデパートは福屋と天満屋しかなく、広島市民にとって、「街に買い物に出る」ということは、老若男女を問わず「『本通り』を歩いて、福屋と天満屋に行く」ということを意味していた(おそらくそれは今でも変わっていないのではないか)。つまり、楽器センターが福屋の裏にある、ということは、広島の超一等地にその店があり、その店の2階にフォークギター教室があった、ということである。
 楽器センターの1階にはヤマハやモーリスなどのフォークギターがたくさん並べられていた。楽器センターの店員さん(広島フォーク村村民に親切にしてくださった波佐本保男さん)と的場さんが「ギター教室の生徒さんがフォークギターを買う場合は、よろしく」というような話をしなくても、生徒さんであれば当然、多少の値引きサービスを受けることができたから、自然に、ギター教室の生徒はこの店でフォークギターを買うようになるし、全国的にもフォークブームが起こっていた頃だから、楽器センターのギター教室の生徒は増え続け、フォークギターはよく売れた。結果、的場さんも波佐本さんも笑顔になる。
だから、広島フォーク村の発起人の一人である的場さん一一的場さんは広島フォーク村が発足したときの「年寄」だ。伊藤明夫さんが村長で、的場さんと吉田拓郎さんが“ナンバー2”である年寄だった一一が波佐本さんに「ギター教室の生徒さんだけでなく、広島フォーク村のメンバーであれば、教室をやっていないときにはこの部屋の出入りは自由、ということにしていただけると有り難いのですが。広島フォーク村の活動拠点というかたまり場ができる、ということになりますので」と提案してみたところ、快くOKになった、ということが起きてもおかしくない。
 そんな訳で、ワシらは、「発表の場」と「たまり場」を手に入れることができたのだ。アーケード通り(広島市の場合は「本通り」)がある地方都市の高校生や大学生は、今でもみんなそうだろうが、学校帰りには必ずといっていいくらいにアーケード通りをブラブラする。金はないから、とにかくブラブラ歩き、すれ違う若い異性をチェックする。アーケードが終わるとそこでUターンする。2往復3往復は平均だ。そして、歩き疲れたら、やっと家路につく。しかし、ワシらは歩き疲れても家路につく必要はなくなった。楽器センターの2階に行けばよかった。行くと村長や的場さんや、メンバーの誰かに会えた。

以下続く