♪「広島の夏の光よ永遠に!一2008.8.2」一一4


 久保脇さんからすぐに返事が届いた。それを読むと、記憶の空白部分をかなり埋めることができた。私たち一行は次のようにして東京レコーディングをなんとかやり終えたようだ。

 1969年の真冬、新幹線で東京駅に着いた私たち一行10人一一拓郎さん、泉さん、村長、ムツゴロー(白髭さんほか2名)、久保脇さん、宮城、友広、蔭山一一は、地下鉄で、全共闘メンバーが住むマンションがある泉岳寺に向かっている。泉岳寺は都営三田線だから、東京駅から地下鉄丸ノ内線で大手町に行き、大手町で都営三田線に乗り換えて泉岳寺に行ったに違いない。
 マンションに到着して、全共闘メンバーや関係者に挨拶をした後、宿泊の関係で、今度は追浜(おっぱま)に向かっている。久保脇さんは、「マンションを出て駅に向かう坂の途中にNHK交響楽団の楽器倉庫があった」と書いている。久保脇さんはクラシック・ギターも弾いていたので、交響楽団の楽器倉庫が印象に残ったのだろう。
 追浜は京浜急行の駅だ。泉岳寺は京浜急行の始発駅だから、私たちは、マンションから泉岳寺駅に行き、京浜急行に乗って追浜に向かったに違いない。こうして、記憶をたどってみると、新幹線を降りてからは、丸の内線と都営三田線と京浜急行しか乗っていないのだが、僕の記憶では、私たち一行は、東京の人混みの中を、迷子にならないように一団となって、引率者の後ろを必死になって付いて歩いて、何度も何度も電車を乗り換え(乗り換えるたびに電車の型が違うことに驚いたことも覚えている)たような印象が残っている。
 上京初日、私たちは、追浜の無人の別荘に泊まった。無人なので、駅からの途中、夕食の材料を買っている。夕食を済ませた後、全共闘メンバーは全員東京に帰って行った。
 追浜は横須賀や逗子の近くの町だ。京浜急行に乗って海に向かえば、1時間もしないうちに、三浦海岸や浦賀に着ける場所に位置している。現在もそんなに人口が多い町ではないから、1969年当時は、夜になると、町のどこにいても波の音が聴こえるくらいに静かだったのではないだろうか。久保脇さんは、「夕食後、僕は拓郎さんと二人で、ギターを弾きながらいろいろ話した」と書いている。とにかく私たち10人は、夕食後、思い思いに過ごし、旅の疲れもあって、早めに横になったのではないだろうか。「全共闘」などという言葉とは不釣り合いな、清潔で上等のふかふかの布団で寝たことを覚えている。
 日本のいろいろな町で育った10人が、青春時代に広島の街でフォークソングをきっかけにめぐりあい、広島フォーク村で活動し、ひょんなことから、東京でレコーディングすることになって上京し、海沿いの町の静かな別荘で一緒に泊まったのだ。私たち10人の青春の一日の夜がやさしく過ぎていった。
 

※以下続く