ビートルズ、ボブ・ディラン、日本でいえば吉田拓郎やサザン・オールスターズというようなミュージシャンはアーティスト・イメージや存在感が巨大過ぎるので、彼らは元々ぽつんと孤立してミュージシャン活動を行っていて、デビュー後、大ヒット曲を出したことによって成功し、やがてスーパースターになったのでは、と錯覚しがちだが、歴史的にみても、そのような形で成功しているミュージシャンはいない。例えば、ビートルズでいえば、彼らはマージービートと呼ばれる群れの中の一つのバンド一一マージービートの群れにはローリング・ストーンズ、フー、アニマルズ、キンクス、ハーマンズ・ハーミッツ、ホリーズなどがいた一一だったし、ボブ・ディランはフォーク・リバイバル・ムーブメント一一フォーク・リバイバル・ムーブメントにはピート・シーガー、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリー(PPM)、キングストン・トリオなどがいた一一の中の一人だった。
 要は、1人や1グループだけでは話題にならないし、ムーブメントにならないということだ。ブームというのは、やはり“群れ”でなければ起らない。この連載記事の中ですでに書いているが、広島フォーク村が東京でレコーディングしたときには、「日本のフォーク」がブームになり始めていた。東京のカレッジ・フォークと関西のアングラ・フォークという2大潮流ができていた。
 広島フォーク村に「アルバムをつくらないか」と声をかけてきたのが、上智大学の全共闘のメンバーなのだが、上智大学といえば東京の一流の大学だ。そこの学生なのだから頭が悪いわけがない。彼らは、広島フォーク村のアルバムを制作するにあたって「アルバムをつくってヒットさせたい。そのためにはただ闇雲に制作するのではなくて、プロモーション戦略を考えた上でつくらなければダメだ。制作&プロモーションのコンセプトは『(このアルバムを日本全国の)若者の広場と広場にかける橋(にしよう)』だ!」というようなことを考えたに違いない。
 また、彼らは「東京にはカレッジ・フォークという群れがある。関西には関西フォークという群れがある。広島も“群れ“にしなくちゃ弱い。マスコミを引きつけられない。だから、吉田拓郎のソロ・アルバムではなくて、広島フォーク村という“群れ”を感じさせるアルバムじゃなくちゃダメだ!」というように考えたに違いない。
 全共闘メンバーと拓郎さんが、アルバムのコンセプトのようなことを話し合ったかどうかは分からないが、たとえ口に出して話し合っていなくても、自然の成り行きによって、全共闘メンバーが「年齢的にも音楽的にも拓郎さんが広島フォーク村のリーダーなのだから、拓郎さんにこのアルバムのプロデュースをまかせるので、カレッジ・フォークや関西フォークに負けないレベルのアルバムをつくってくれないか。ただ、初めてのレコーディングだし、東京のスタジオでの録音だし、拓郎さん自身も歌ったたり楽器を演奏しなければならないし、予算的にレコーディングの失敗は許されないので、浅沼さんというプロのディレクターに全体を見てはもらうけれど」というようなことを拓郎さんに伝え、以心伝心的に拓郎さんも了解したに違いない。つまり、拓郎さんは彼らに広島フォーク村のアルバム制作を委ねられたのである。
 プロデューサーになった拓郎さんにはレコーディングまでにクリアすべきたくさんの課題ができた。次のような課題だ。
1. アルバムに収録する曲をどうするか
2. レコーディング・メンバー(上京メンバー)をどうするか
3. アルバムに入れたい高校生男子グループ&高校生女性ヴォーカリストをどうするか
4. それぞれの曲のアレンジをどうするか
5. ベースをどうするか ほか
 本来は一匹狼が好きで、気ままに生きたい拓郎さんが、“仲間たち”を集めて、彼らと仲良くやって(兄貴のように弟や妹をなだめたりすかしたりして)、彼らと共同作業をしながら、商品として成り立ちなおかつアマチュアの良さが感じられる一一まさに「ハートはアマチュア、テクニックはプロ」ということだ一一1枚のオリジナル・アルバムをつくらなければならなくなったのだ。それをうまく成し遂げなければ、自分のプロ・デビューの夢が消える、ということもある。

*以下続く